色紙や掛軸などでよく「和顔愛語」の四文字を見かける。これは仏典「無量寿経」の経典に出てくる言葉で、意味は漢字そのものである。
これは人に接する際の礼儀の問題で、特に医療関係者にとっても大切なことだとされている。確かに,不安に駆られて訪れてくる患者が,医師から怒ったような表情できつい言葉を投げかけられれば心を閉ざしてしまうだろう。これは当然であってこんなダメ医師は淘汰されていけばいい。
しかし、医療関係者に特別に「親切な対応」を求めること自体がおかしい。この不機嫌な社会の中で,マンパワー不足で呻吟している医療関係者だけに「親切な対応」は求められないが「親切そうな対応」は技術として身につけることが出来る。患者対応で苦情が出る様な医師はANA、JALとかで訓練すればいい。
最近は病院の外来カルテも電子化され、情報の入力や検査値と画像のテェックのため、医師はパリコンの画面に向かったまま患者と会話をする頓向がある。やはり、目と目を合わせ相手の表情を汲み収りながら対話することが大切であろう。マスクを着用していても表情を読み取ることができる。
医師も悩んでいる。患者観察や対話、入力作業と和顔愛語が両立できる環境、自転車操業をしなくとも成り立つ医療環境が必要である。
私は外来診療で多くの患者に接するが,もうそれほどの意義を感じてやっているわけではない。私が担当する外来に定期通院してくる患者は大部分高齢者で、長い方では40年超にも渡って経過観察してきた縁で繋がっている方々で「老・老」外来である。他の医師の外来に移る様勧めているが、私の「偽・和顔愛語」、「偽・親切」、「偽・傾聴」が心地よいらしく未だに残っている。嬉ししいことに、悲しいことに患者達は私を誤解している。
私は今年77歳となり、週に2回だけ外来に出ている。人間ドックの仕事が1回ある。午後は療養病院で勤務3日、ボランティア3日勤めている。午後の業務内容は軽い。
老医としていつまで続けられるか、私にも全くわからない。診ている患者が自然消滅して今の半数くらいになれば外来を閉じることになろうがなかなか減らない。それよりも私の方が先かもしれない。どちらが先か、全て運である。
今もしみじみ感ずる事は、主治医の一言一句が如何に患者に強い影響を与え、且つそれが病状に関連して来るかを良く考えて発言して欲しいという事である。