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福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

サイクリスト谷垣氏の事故に自分を重ねて(2) 身の丈にあった自転車で

2017年11月06日 18時54分41秒 | スポーツ、相撲、芸能など
 中学の時から用いていた内装変速機付の自転車は浪人生活の仙台、大学の時は新潟で用いていたが、大学2年時に盗難にあった。9年ほどの利用で終わった。

 秋田では、1988年に隣家の高校生から事故でシャーシーが軽く変形したスポーツタイプの自転車を1000円で引き取り、修理して2006年まで用いた。これは勤務先の中通病院の駐輪場から消えてしまった。次いでボロ・マウンテンバイクは貰い物で半年近くかかって整備したが数日で中通病院の駐輪場から消えた。
ボロ・マウンテンバイク、見事に持ち去られました(1)

ボロ自転車盗難(2)私は病院では2台目

 2011年9月、現役引退の記念に、と子供たちからクロスバイクを贈られ、また自転車ライフが始まった。
 谷垣氏と比較するのもおこがましいが、氏が自転車を再開したのは40代の頃、私がクロスバイクに乗り始めたのは66歳の時だからキャリアは全然違う。氏の自転車は100万円以上するロードバイク、チネリの名車、私のはブリジストン製のクロスバイクC9で12万円と比較にならない。

 氏は年間3000Kmを目標にしていたらしい。業務がきつくなるとなかなか到達できなかったという。私も2011年夏から秋までの約1年間で4200Km走破した。当時の新幹線ルートは総距離2800Kmだったから地図上にプロットしてみるとその距離が実感できる。


 2周目に挑戦しているときに不注意で高校生と衝突した。
 幸い私の場合には凹凸がない舗装面に投げ出され、胸腹部を強打しただけで済んだが、氏の場合は頸髄損傷の重傷を負った。私は外傷としてはそれほどひどくなかったが、怪我の関連でその後腸閉塞を発症し、脳梗塞も起こしてしまった。

 氏も私も自転車に乗る目的の一つは健康増進のためであった。しかしながら、その軽快な走りが仇になったということ。私の場合には不注意で、谷垣氏の事故の状況は知らないが、かなりのスピードが出ていたと推定する。多分受傷当初には相当厳しい状態だったろう。

 私の場合、クロスバイクだからタイヤもロードに比べると太く、車体も重いからせいぜい瞬間的に40Km/hであったが、谷垣氏の場合は多分50Km/hは出せると思う。自転車での高速は怖い。特に路面の凹凸、小石や砂が怖い。ハンドルが取られる。

 日本の狭い道路では一気に自転車専用通行帯を確保することは不可能である。谷垣氏のいうシェア・ザ・ロードの考え方には全面的に賛成である。

 私は高校生との衝突事故で、高校生には幸い怪我がなかったが、自分の非力を認めてクロスバイクをやめた。自転車としては気に入っているので、改造して通常の軽快車に近づけて利用している。スピードも上がらず、22-23Km/hがせいぜいであるが、停止時足も地面に届くから立ちごけもない。
クロスバイク2016(1) スポーツ仕様のクロスバイクを軽快車に改造した

 自転車は便利であり、健康増進にも良いと思う。しかし、危険が伴う。そこを十分考慮して身の丈にあったタイプの自転車を選び、マナーを守って慎重に乗って欲しい、と思う。

サイクリスト谷垣氏の事故に自分を重ねて(1) 氏の受傷と引退を惜む

2017年11月05日 17時08分29秒 | スポーツ、相撲、芸能など
 2016年7月16日午前、当時自民党幹事長の要職にあった谷垣氏は、趣味のサイクリング中に皇居前で転倒し、頸髄損傷を起こした。幹事長を辞し、療養に努めていたが、思うようには回復せず、本年10月の衆議院総選挙には立候補せず、正式に政界引退を表明した。谷垣氏引退 同じ自転車好きの一人として心が痛む

 谷垣氏は2012年11月、趣味の自転車ライフについて朝日新聞に寄稿している。たまたまスクラップのファイルを整理して見直す機会を得たてじっくりと読んだ。以下が掲載文である(一部省略、表現を改変)。

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 小学生のころ、親父と一緒によく東京近郊の多摩川や多摩丘陵をサイクリングしました。
 中学から大学までは山登りのトレーニングを兼ねて自転車に乗り、ロードバイクを本格的に始めたのは司法試験の勉強をしてから。ぶくぶく太って風邪もひきやすくなり、これはいかんと。自宅から本郷の東大まで17Kmを往復しました。

 弁護士になってすぐに父が急死。後を継いで衆院補欠選挙に立った時も自転車を使った。最高級のレース用で。
 それから10年ほどは忙しくて自転車から遠ざかりましたが、40代後半で再開。以来、趣味と健康のため、全国各地を走っています。

 昔の面影が残る街道が好きです。
 最近、自転車人口が増え、通勤に使う人もいる。サイクリストがマナーやルールを守るのは当然ですが、自転車用のスペースを車道に確保することも不可欠です。道端に白線を引くだけでかなり違う。
 前後にお子さんを乗せた「ママチャリ」のため、歩道を走る際のルールもいります。シェア・ザ・ロード!!! 道路を、自転車、車、歩行者で共有していく意識が大切です。

 自転車を中心に発想すれば、町も変わります。地方の中心部の市街地がシャッター街になっていますね。みんなが車で郊外型ショッピングセンターに行くからです。それって人の息づかいの聞こえる町でしょうか。
 車中心の発想から離れ、公共交通と自転車、徒歩で気軽に行き来できる町をつくれば、駅前商店街は活性化します。

 年間3000Km走破が目標ですが、役職についていたら厳しい。自民党総裁選への不出馬を決めた後、一気に1500Km乗り、(年間目標の)3000Kmを超えました(後略)。
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 谷垣氏はのロードバイク歴は長い。20代からで、東大までの17Kmを往復した、とある。それでスリムになったらしい。
 私は中学生当時まだ珍しかった内装3段の変速機付の自転車で、降雪期を除き、岩手中学に2年、盛岡一高に3年、往復32Kmを通学した。当時は田舎道は舗装されておらず、北上川を渡し船で渡り、舗装されている国道4号線に出て走った。朝7:00前に家を出て、着くのが8:40ギリギリで風のある日などは実に辛かった。その代償として、私はすっかり丈夫になった。
 
 新潟での大学生活、秋田岩手で医師として過ごしている間は子育てもあって車中心となった。自転車は便利な日常の足としての利用のみとなった。
 2011年9月、現役引退の記念に、と子供たちからクロスバイクを贈られ、また自転車ライフが始まった。

展覧会2017(4):オランダ2大巨匠展(3)「デルフトの眺望」~フェルメールの風景画

2017年06月10日 03時20分06秒 | スポーツ、相撲、芸能など
 秋田県立美術館で5月上旬にオランダ2大巨匠展、すなわちレンブラントとフェルメール展が開催された。展示された作品はオリジナルの作品でなく、全て「リ・クリエイト(再創造)作品」と言われる複製品である。

 フェルメールの全37作品、レンブラントの選び抜かれた珠玉の30作品を「リ・クリエイト作品」であるが、一気に見ることができ、至福の時であった。
 「リ・クリエイト品」は写真、コピーによる複製とは全く異なるデジタル技法を通じて、オリジナルを精密に再構成したもの、「再創造品」と呼ばれている。

 再創造作品と言えども、画集を見る程度で実物を見たこともない私にとって区別できない。だから、その価値に大きな差はない。作品のサイズを確認できたことも大きい。
 美術館とは「本物」を見せる場所である、という認識が強いが、受け手側の多くは、オリジナルと複製画の区別などできない。見る側に謙虚な気持ちがあれば十分楽しめる。

 私は3回会場を訪れた。

 フェルメールの作品は「真珠の耳飾りの少女」を中心にして人物画が有名である。2回は人物画を中心に鑑賞した。

 しかし、数少ないがフェルメールには風景画もある。そのうちの一枚が「デルフトの眺望」で、評価も高い。3回目はこの絵を中心に鑑賞した。



 サイズは1.5m x 1mほど。フェルメールにしては大きい。
 描かれた時代は17世紀、1660年頃のデルフトの風景。
 街は雲の下にあり、手前は光が遮られて暗く、奥の建物は太陽を受けて明るい。光の画家と言われる所以の卓越した表現である。

 川面の表現はもっと素晴らしい。水面は風の影響なのか少し乱れており、建物の影に微妙が揺らぎがある。この川面の小波の表現が素晴らしい。
 手前の人物が会話をしている。風景画に街の生活観が加わった。
 
 私は同画のポスターを購入し、居間の壁にかけている。飾る場所としてふさわしくはないが部屋の雰囲気が変わった。

 その後、「デルフトの眺望」について、フェルメールの生涯について、解説書を購入して読んだり、画集で見直したりして楽しんでいる。



 (参考文献として購入:フェルメール デルフトの眺望 アンソニー・ベイリー著 木下哲夫訳 白水社2002年)

展覧会2017(3):県立美術館 オランダ2大巨匠展(2)

2017年05月11日 09時28分52秒 | スポーツ、相撲、芸能など
 フェルメールとレンブラントのオランダの2大巨匠展、この夢の様な展覧会が秋田で開催されている。ただし、全て「リ・クリエイト(再創造)作品」である。

 再創造作品、と言えども決して軽視するべき内容ではなかった。
 大体、せいぜい画集を見る程度でオリジナルの作品を見たこともない私にとっては、もともと区別できないからその価値に大きな差はない。
 光と影の魔術師の異名を持つこの2人の作品を一堂に集めた展示会を企画することはほぼ不可能といっていい。フェルメールの全37作品、レンブラントの選び抜かれた珠玉の30作品を、しかも原寸大のを一気に見ることができたが、そのことの意味は大きい。しかも、オリジナルと大差がない作品に仕上がっているという。

 彼らの作品の画像を最新のデジタルリマスタリング技術によって隅々までデータ化し、美術品がたどる劣化のコースも加味して、当時の色調も再創造した。このことも信じる方が幸せである。

 フェルメール作品の監修は、作品を追い求め研究し、マウリッツハイス美術館から「世界のフェルメール愛好家20人」に選ばれた生物学者の福岡伸一氏。また、レンプラント作品の監修にはレンプラント研究の最高峰「レンブラント・リサーチ・プロジェクト委員長のE・F・デ・ウェテリンク教授だという。この方の名前はレンブラントの画集などで目にすることができる。

 私は利用しなかったが、会場では作品解説の音声ガイドを利用することができる。

 最新デジタル技術を駆使したフェルメール全37点の作品を展示する「フェルメール光の王国展」は、2012年1月から東京・銀座を皮切りに全国34ヵ所、海外1ヵ所で開催され、現在では延べ60万人以上を動員しているという。
 フェルメールのリ・クリエイト作品についてはマウリッツハイス美術館の公認を得ている。

 硬い考えを言えば、美術館とは「本物」を見せる場所である、という認識が強いが、受け手側の多くは、オリジナルと複製画の区別などできない。

 私は「リ・クリエイト(再創造)作品」展覧会は初めから分かっていて、「作品をより理解できる類い稀な場」が秋田で与えられた、なんと恵まれていることか、と考えた。
 優れた技術によって作られた「複製画」と「本物」との間の絶対的な区別が質的にも曖昧化されて行き、たとえ複製であろうと絵画を見る喜びそのものが浮上してくる。そういう時代を迎えている、と私は考えている。


(会場で購入した画集とパンフレット)

 会期は5月25日までである。もう一回、できれば二回、観に行こうと思っている。

展覧会2017(2):県立美術館 オランダ2大巨匠展(1)

2017年05月10日 07時21分00秒 | スポーツ、相撲、芸能など
 秋田県立美術館でオランダ2大巨匠展、すなわちレンブラントとフェルメール展が開催されている。開催期間は5月3日-25日までと意外と短い。

 本日、勤務フリー日であり、午後のボランティアのために病院に向かう途中で寄ってみた。
 フェルメールの全37作品、レンブラントの選び抜かれた珠玉の30作品を一気に見ることができた。この様な企画が秋田で実現したことは素晴らしいことである。
 この様な企画は、世界中の美術館や愛好家の元に散らばっている作品を一堂に集めるとはほとんど不可能である。それがこの様な形で実現したのは、展示された作品は全てオリジナルの作品でなく、全て「リ・クリエイト(再創造)作品」と言われる複製品だからである。

 「リ・クリエイト(再創造)作品」は写真による複製、コピーによる複製とは全く異なるデジタル技法を通じて、オリジナルを精密に再構成したもので、再創造品と呼ばれている。
通常の複製品の場合はオリジナル作品だけが持つ「筆の力」、色彩などの微妙さが失われるが、再創造品では忠実に再現されている。例えば、描かれた髪の毛は筆の運びに沿って立体的であり、一本一本が光を浴びて固有の光沢を持つ。

 私は日本画、西洋画とも多数の画集を持っている。また、展覧会に行った際には鑑賞できた作品を忘れないためにも、画集を求めることにしている。
 秋田にいながらの鑑賞できる展覧会はそれほど多くはないから、日常的にはどうしても画集に頼らざるを得ないが、画集の世界と展覧会は全く別物である。作品のサイズから受ける印象だけでも異なってくる。
 フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」は大小の2作品があって、小さい方が「青いターバンの少女」・「ターバンを巻いた少女」とも称されるが、概してフェルメール作品は小さい。一方、レンブラントの作品はサイズ的にも多彩である。中でも「夜警」は展示品の中でも大きく圧倒的な存在感であった。

(会場で購入した画集と入場券)

 ちょっと残念だったのは、展示会場が1Fの県民ホールで展示作品数の割に狭かったこと。入場者が20-30人程度と少なかったが、それでも次の作品の前に進む時に観客を避けて進まなければならなかったことである。それと、サイズの大きな作品を鑑賞するには十分な距離が取って鑑賞できなかったことである。

 そうは言えどもフェルメールとレンブラントというオランダの2大巨匠の多くの作品を鑑賞できたことは私にとっては驚きの体験となった。