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福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

スポーツ選手と貧血(2) エリスロポエチンを用いたドーピングもある

2018年12月15日 01時53分45秒 | スポーツ、相撲、芸能など
 一般的に、特別な血液疾患をもたない若い女性の貧血の大部分は「鉄欠乏性貧血」である。だから「鉄欠乏性貧血」について学べば女性の貧血の大部分は正確に診断や治療が出来る。

 成人女性、男性の貧血は様々ば原因が考えられるが、「鉄欠乏性貧血」の診療は多くは婦人科、消化器科で扱うことが多い。前者は月経過多、後者は消化管出血に続発するからである。この診療科の先生方には「鉄欠乏性貧血」について是非学んでほしいと思う。一般的に、私の立場から見て、貧血の診断治療は過剰に「鉄欠乏性貧血」とされ、無用に鉄剤の投与を受けている、と思う。

 先日、某消化器科から紹介受けた「鉄欠乏性貧血」の患者の治療には「鉄剤の投与とエリスロポエチンの併用が必要です」、とコメントがあった。私は驚いた。

 エリスロポエチンと言えば、スポーツ界にはエリスロポエチン単独、あるいは自己血輸血法と組み合わせた持久力向上法があることがも知った。

 どちらの場合も副作用もあり、ドーピング検査で発見されないように細やかな投与スケジュール化が必要で、医師の関与がないとできない。ましてや、エリスロポエチン単独、自己輸血との組み合わせは医療行為であり、医師の参加が必要である。医師が関与していてもいなくとも医師法違反に問われる。

 こんなことに関与している医師がいるとは驚きである。

 今、スポーツ界でドーピングが問題になっている。
 ドーピングは厳しいトレーニングの成果の上に、さらにもう一押し、力を加えてくれるものとされている。並の選手には不要である。
 造血ホルモンであるエリスロポエチンを投与すれば、血液中の赤血球が増え持久力の向上につながるとされている。
 ただ、私はその効果に対しては疑問を持っている。逆効果もありうる。

 エリスロポエチンを用いたドーピングは単独投与法、自己血輸血法と組み合わせた方法がある、と言う。どちらの場合も副作用もあり、ドーピング検査で発見されないように細やかな投与スケジュール化が必要で、医師の関与がないとできない。

 アスリートのドーピングは不道徳のレベルを超えて、私は犯罪行為だと思う。
 それに協力する医師も、同じ穴の狢だ、と思う。
 ドーピングとエリスロポエチン(1)医師の関与はないか??
 
ドーピングとエリスロポエチン(2) 効果は疑問だが、ドーピングは犯罪的行為

 さらに、スポーツ界では持久力を増すために低酸素室の利用もされているという。鉄剤投与、エリスロポエチン投与と同じ効果も得られると言うが、確証は得られていない。これにも医師が絡む。低酸素室の使用中に体調不良となり救急搬送された例もある。

 ここまで無理無駄なことをやって生身の人間が競うより、いっそのこと工夫に工夫を重ねたアスリートロボットに競わせればいいのに・・・、と思う。
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スポーツ選手と健康(1) 鉄剤投与には医師の関与が必ずあるはず

2018年12月14日 16時26分58秒 | スポーツ、相撲、芸能など
 高校駅伝の一部強豪校で貧血治療用の鉄剤注射が不適切に使われていたことが分かった。
 日本陸上競技連盟(陸連)は、高校、中学、大学、社会人の競技団体に鉄剤注射の使用実態の調査を依頼することを決めた。

 鉄剤注射は、持久力を高める効果があるとされる。それが使用の背景であるが、私はその効果には疑問を持っている。「鉄欠乏状態」、「鉄欠乏性貧血」の場合は筋力の低下、持久力は低下するが、治療によって改善していく。その状態ならば鉄剤使用は間違いではない。
 「鉄欠乏状態」、「鉄欠乏性貧血」がない場合の注射剤の使用は100%間違っている。その治療によって持久力が増すとのデータもない。
 「鉄欠乏状態」、「鉄欠乏性貧血」の判断、診断は「抹消血液検査」、「血清鉄値」、「不飽和鉄結合能値」、「血清フェリチン値」の測定で簡単にできる。

 鉄欠乏状態のない正常人に鉄剤注射を不適切に投与すると、体内に過剰な鉄分が蓄積され、肝機能障害など、新たな疾患を引き起こす恐れがある。それは比較的簡単に生じる。

 陸連は、来年12月の全国高校駅伝大会から、選手の血液検査結果の報告を義務付けるほか、身長、体重を報告させることも検討中だ。
 私はそれにも疑義がある。単なる抹消血液検査で貧血の有無を見るだけでは体内の鉄欠乏の状態は正確には判断できない。

 これに加え、日本中学校体育連盟、全国高等学校体育連盟、日本学生陸上競技連合、日本実業団陸上競技連合の4団体とも対策を協議していく、と言う。

 陸連は、中高生時代に好記録を残しても、伸び悩んでしまう選手がいる背景には、鉄剤注射の使用があるとみており、若手選手の健康管理を総合的に推進する必要があると判断した。この判断も正しくない。

 陸連には、全国から「鉄剤注射の使用が低年齢化している」との情報が寄せられていることから、調査対象を中学生にまで広げたい考えだ。読売新聞の取材でも、高校で鉄剤注射を打っていたという大学生の女子選手が、「中学で打ち始めた」と証言した。

 はっきり言って、こんな馬鹿なことが行われているとすれば糾弾しなければならない。
 言えることは選手や監督・コーチなどが「持久力向上のために鉄剤注射をして欲しい」と判断したとしても、そこには保護者の同意が必要であり、かつ、「鉄剤注射」の実施は明らかな医療行為であり、医師の指示がなければならない。

 この場合の医師の判断であるが、病気でない選手に鉄剤注射を不適切に投与することは医学的に間違っているだけでなく、保険診療も認められない。
 中等度ないし高度の貧血の際でも体内の鉄の欠乏量は2000mg+αで、この計算のもとで過剰投与にならないよう留意しなければならない。ましてや鉄欠乏を証明していない場合は危険である。
 
 関与している医師は、恐らくは「鉄欠乏性貧血」について誤解している可能性がある。
 
 恥ずかしながら私が40年近く前に書いた小文を併記しておく。鉄欠乏性貧血治療のポイント
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第100回全国高校野球選手権記念大会(3) 甲子園大会関連の私の思い出

2018年08月22日 07時02分59秒 | スポーツ、相撲、芸能など
 第100回全国高校野球選手権記念大会で秋田県の金足農業高校が準優勝を成し遂げた。このような快挙はそう簡単に再現しないだろうから、長く本県の野球の歴史に残るだろう。

 第100回と直接関連ないが私の高校野球関連の思い出二つ。

(1)第50回全国高校野球選手権記念大会 盛岡一高活躍
 私の在学中には母校の盛岡一高は出場ならなかった。
 1968年、第50回全国高校野球選手権記念大会で県代表として甲子園に出場。

 初戦は2回戦の徳島の鴨島商。4-2で逆転勝した。決勝打はハ回2死一、二塁で仕掛けた重盗。
 3回戦は大分津久見高校で優勝候補。選手たちは練習を見てビビったというが、監督は「問じ高校生。お前たちと何が遠うんだ」と激励。これに奮い立ったナインは一、二回に1点ずつ挙げ、四回には一挙に7点、次いで走者一掃の三塁打でとどめを刺し、9-2と大勝。47年ぶりのベスト8進出。
 準々決勝は沖縄の興南高校。スタンドの声援は本土復帰待望ムードもあって、興南一色。興南の凡ゴロにも大歓声、野手は雰囲気に飲まれ6失策。4-10で敗れ4強入りはならなかった。

 盛岡一高は夏の甲子園出場9回、通算7勝。初出場の第3回大会で4強、第5回も4強、第7回は8強と、かつては強豪だった。第50回は上記の8強。1978年第58回大会以降は出場歴は無い。

 盛岡一高が勝利した際に校歌が流れたが、校歌は明治40年ごろから校歌になった軍艦マーチ。このメロディが流れ始めた時に甲子園は一瞬凍りついたよう静まり返った。このとき私は大学3年、勝った2試合とも新潟大学学生寮のTVで見ていたが、この一瞬の静寂が私には忘れられない。

(2)第97回全国高校野球選手権大会 秋田商業快進撃、私は滝の斜面で滑落し受傷
 2015年夏の甲子園では秋田商業高校が活躍、8月16日、この日私は志戸平ホテル宿泊していた。9:00過ぎに、TVは秋田商業-健大高崎戦の中継中、誘っても誰も来ないだろうと、一人で近隣の山の中腹にある滝を見に行った。

 濡れた石に不用意に足を取られ2mほど滑落、右背面を下にして無防備状態で落下、右側頭部と右側腹部、臀部を強打した。一時は死を覚悟した。
 何とかホテルの玄関まで戻り、救急病院を受診、頭部CT撮影、頭部の裂傷縫合による止血を受けた。
 その後、腹部腰部が晴れ始め深部の大出血が考えられ、予定を変更、急ぎ秋田に戻って経過を見た。
 
 結果として大事にいたらず、業務も休むことなく続けられた。
 私はツクヅク運がいい人間だ。何に感謝すれば良いのかわからないが、実に有難い。残りの人生を大事にしなければ、と思っている。

「薄衣の滝」付近の川べりで足を滑らし滑落、受傷
「薄衣の滝」付近の川べりで足を滑らし滑落、受傷(2)  一瞬、死も覚悟
「薄衣の滝」付近の川べりで足を滑らし滑落、受傷(3)  大事に至らなかった幸運に感謝
「薄衣の滝」付近の川べりで足を滑らし滑落、受傷(5)  2週間経過しやっと改善傾向に
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第100回全国高校野球選手権記念大会(2) 金足農業高校甲子園準優勝!!!

2018年08月21日 17時21分25秒 | スポーツ、相撲、芸能など
 本県高校球界にとって決勝進出は長年の悲願だった。

 秋田魁新聞によると秋田中の準優勝以降、ベスト4に進出したのは1934年の秋田中、65年の秋田、84年の金足農、89年の経法大付と、これまで4度。今回金足農が決勝まで駒を進めたことは県民を大いに沸かせた。

 決勝で金足農は大阪桐蔭に敗れた。
 東北勢としても初の優勝に期待がかかったが、悲願はかなわなかった。
 しかし、試合を重ねるごとに勢いを増し、強豪校を打ち破り決勝にまで勝ち進んだ姿は県民だけでなく全国の野球ファンに力と感動を与えた。

 金足農は選手全員が地元出身の公立の農業高校。
 県大会からエース投手が1人で投げ抜き、先発メンバー9人だけで戦ってきた。バントで本塁を狙う。劣勢であっても諦めず粘り強く戦うスタイルが持ち味で、練習の成果は充分発揮された。
 決して順風満帆な勝負ではなかった。どの時点でも敗れる可能性が大であったが素晴らしいプレーでクリアし続けた。

 最終的には投手が力尽きたが,これはほぼ予想されたこと。
 どだい一人では決勝まで投げ抜くというのは無理な話。
 一勝一勝を大事にしてきたという点でベストの試合を重ね、結果的に決勝まで残ってしまった、そして力尽きた。

 「雑草軍団」などとたたえ、全国の野球ファンの心を捉えたのはその諦めない姿、ひたむきさにあっただろうが、一人の投手をここまで投げさせなくてもいいチーム作り、戦法を確立することの方が必要である。先発メンバー9人のみで戦って来たという戦法は正しかったのだろうか?? ただ、いまの秋田にはそれ以上の事を考える能力は無い。選択の余地がなかった中でベストな戦い方であった、と言えよう。

 大阪桐蔭には全国から優秀な選手が集まり、複数の投手による継投、攻撃重視のプレースタイルが主流となっている。決勝まで残り、優勝することを前提に準備してきたチーム作りと采配であった。金足農は一勝一勝を大事にしてきた。その違いは明白であった。

 決勝でも金農野球らしさは存分に発揮されていた。私は心から讃えたい。ただ、私は今回の決勝も実況中継は見ていない。19:00のNHKニュースと翌日の新聞記事を読んで抱いた感想である。
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第100回全国高校野球選手権記念大会(1) 金足農業甲子園決勝進出

2018年08月20日 02時49分20秒 | スポーツ、相撲、芸能など
 今年、全国高校野球選手権大会が100回を迎えた。
 1月以降、朝日新聞を始め地方紙もこぞって特別連載記事を掲載し始めた。

 私は高校野球に興味がないわけでないが、バカ騒ぎしすぎだと思っている。こんな過去の試合の回顧記事を読まされるのはたまらん、もっと報道すべき重要な項目は無いのか??そう思って新聞の野球記事を一瞥していた。
 私は試合のTV中継は殆ど見ない。こんなのに付き合っている時間は無い。19:00のNHKニュース、翌日の新聞記事で充分。

 全国高校野球選手権記念大会が始まったのは1915年(大正4)とのこと。

 甲子園の記録とともに昭和の歴史を振り返ると興味深い。 

 1924年、甲子園球場が完成した。広島商が優勝。
 1931年8月以降、甲子園の名勝負と共に世相は劇的な変容を遂げた。同年9月に始まる満洲事変を嚆矢に、世相が雪崩を打って軍国調へ変わった。治安対策の強化や軍拡路線を是としない意見の一つ一つをなおざりにした結果が、軍部の暴走だった。具体的な数値はあげられないが、甲子園で活躍した多くの若者が戦地で死亡した。
 1934年に出場した京都商業の沢村選手、今も沢村賞として球界に名を残している名投手であるが、フィリッピン沖で戦死した。
 1941年甲子園大会は戦局の深刻化を理由に地方大会半ばで中止され、太平洋戦争の間、空白が続いた。
 1946年8月15日、敗戦から1年後に西宮球場で全国大会が再開、
 1947年夏には占領軍の接収が解除され、甲子園に球音が戻った。

 敗戦の厳しい生活のなか、間もなく全国高校野球選手権が再開されたことは驚きであるが、それだけ国民のなかに野球が浸透していたということでもある。その後は一度も途切れることなく大会が続いてきたのは、多くの人たちの理解と支持があったからでもある。

 今年は「金農旋風」が生じている。100回目を迎える節目の記念大会の準決勝で金足農が名門日大三高を下し、金足農として初の決勝進出を決めた。

 県勢では1915年の第1回大会で秋田中学が準優勝して以来、103年振りの決勝進出。本県高校球界が待ち望んでいた快挙である。

 金足農のエースは全国的にも屈指の投手とされる。地方大会、甲子園大会で試合を重ねるながら力を蓄えてきたような気がする。決して順風満帆な闘いぶりではないような気がしたが、投手、選手ともに土壇場で底力を発揮した。
 
 県大会では出なかった本塁打がこの大舞台で3本出た。選手たちが大観衆の前で臆する事なく活躍する姿は頼もしい。

 私はたまたま3分間ほど自室のTVをつけたが、その間に2ランスクイズが決まるという劇的な瞬間を見た。2ランスクイズという攻め方があることも初めて知った。
 驚き、感動した。
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