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福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

冬季五輪開幕2022(2) 複数回出場選手、長期間の自己鍛錬、体力維持に脱帽する

2022年02月06日 03時16分34秒 | スポーツ、相撲、芸能など
 国際オリンピック委員会(IOC)は昨夏の東京五輪で、政治的、宗教的、人種的な宣伝活動を禁じた五輪憲章50条の規制を一部緩和した。
 サッカー女子の日本vs英国では、両チームの選手が試合前に片膝をついて人種差別への抗議の意を示した。記者会見や会員制交流サイト(SNS)などで意見を発信することも認められた。自由度が増した、と言う意味ではいいことだ、と思う。一定の制限があるだろうが表現が自由になったのはいいことと思う。



 しかし、数々の人権侵害、紛争等を抱える北京の組織委員会は五輪精神や中国の法律、規則に反する行為は「処罰の対象」と明言。発言内容によっては選手の参加資格の剥奪もあり得るとした。アスリートがウイグルや香港の状況について自由な見解を世界に発しないように、先手を打った事になる。

 中国への抗議はいかなるものも受け付けない強硬姿勢と言える。



 五輪憲章には、五輪が「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会」の実現を目的にすると明記されている。北京冬季五輪を、中国が人権尊重へ向け方針転換する契機にしたいものだが、そう甘くはなかろう。下からの突き上げが私に見えてこないのはかなり激しい抑制策が浸透しているからなのだろう。

 新型コロナウイルスの新変異株「オミクロン株」が世界で急拡大。大半の会場が無観客となった昨夏の東京五輪・パラリンピックに続き、この五輪も異例の大会となる。
 オミクロン株は感染力が強く大会運営の脅威となる。海外からの参加者の行動範囲は選手村、競技会場、練習会場などとその間の移動に限定されるが、外部との接触を完全に遮断したはずの「バブル」内で既に陽性者が確認されている。検査で陰性ながら感染していた関係者がすり抜けたのであろう。

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 日本勢の過去最多の金メダルは1998年長野大会の5個。メダル総数では平昌大会の13個が最多とされているがそんな結果は重要でない。選手は自己ベストの状態で臨んでほしい。


 今回の五輪には急速に実力をつけてきた新人選手も多い。私は2度3度ならず4度まで、いや、6度出た選手もいる!!!!! 連続して代表に選ばれた何人かの選手たちには心から敬意を表したい。若く多感で人生にとって最も重要な時期に、目標を定め、脇目も振らず10年以上も自己鍛錬し、体力維持してきている姿には脱帽するしかない。長い選手生活の中で体力の衰えを感じ取っているだろう、にもかかわらず努力し続けた結果としての代表である。

 私とは住む世界が違う、と言えばそれまでだが、私は足元にも及ばない。
 今年は雪が多い。私は明朝も除雪か??と考えるだけで気持ちが萎えるが、そんなことを言ってはいられない。彼らの姿から学ばねば、と思う。
 
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冬季五輪開幕2022(1) 国際的大イベントであるが、私は興味を持てない

2022年02月05日 06時05分48秒 | スポーツ、相撲、芸能など
 冬季五輪は2月4日開幕した。
 91カ国、選手約2900人が参加。7競技で史上最多の計109種目を実施する。北京では2008年に夏季大会が開催された。同じ都市で夏と冬の大会が行われるのは史上初。

 私にとっての五輪はやはり1964年の東京大会で、高校を卒業したばかり、仙台で浪人中で放送も含め直接は見ることは叶わなかったが、その記録映画はディスクで購入し何度も見た。その後の大会は影がうすい。開催地など記憶はあるがいつ頃のことだったのか、など全く思い出さない。

 私は心を入れて結果を追うような競技種目はない。
 それ以前に、たとえスポーツの世界といえども互いに競い合うということ自体にほとんど興味がない。リアルタイムに競技を実況で見ることは嫌いである。競い合った結果には興味がない・・というわけではないが、事前に話題になった選手たちの結果を確かめる程度で、誰かを注目してその結果に一喜一憂するわけではない。

 むしろ、事前の報道姿勢に対して不満がある。期待感の高揚のためとは思うが意味のないランキング予想など、選手にプレッシャーとなる内容が多い。競技の結果には不定の要素が大きい。選手たちの活躍をそっと見守ってあげられないものか。

 昨夏の東京大会はCOVID-19感染の世界的拡大下であり、IOC主導の判断が何事にも優先する状況、菅内閣の理由不明の開催ごり押しなど、みちゃおれん・・という状況であった。私は中止する方がいいとの考えであったが、なんとか開催され、大禍なく終了した。

 五輪の主役は選手だ。選手たちはおそらく持てる力を発揮できたのであろう。この点はは良かった思う。傷だらけの開催であったが、結果がよければ全てよしというべきではない。今でも開催自体は疑問である。
 結果的に東京大会は TV、ラジオなどでは一切見る聴くことはなかった。新聞はあえて視野に入れなかった。NHK-TVでの総集編は録画してあるが、いまだに見ていない。どうも興味が湧かないのだ。
 ところで、昨夏の五輪東京大会の記録映画はどうなっているのか?あまりニュースにもなっていない。これは歴史の記録であり、気がかりである。

 今回の北京冬季大会は共産党一党独裁の、言論の自由もない国での開催である。
 中国は経済的に世界第二に到達した発展途上にある国で、経済力を背景に国際的に貢献する一方で、世界各所で必ずしも是というべきでない深刻な歪みの元になっている。


 中国の国内の人権問題に対して国際社会は厳しい目を向けている。問題は少数民族ウイグル族や香港民主派への弾圧だけではない。女子プロテニス選手が元副首相に性的関係を強要されたとネット上で告白した後、一時消息不明になる理解不能の「事件」もあった。後者の件についてはIOCの姿勢もよくわからない。中国におもねっているイメージが払拭できない。



 米国は政府代表を派遣しない「外交ボイコット」を表明。英国などが追随し、日本も政府代表派遣を見送った。
 ロシアのプーチン大統領は開会式に出席し、習近平国家主席と会談した。ウクライナを巡って欧米と対立するロシアは、中国との良好な関係をアピールした。欧米と中ロの対立が平和の祭典に影を落としている。
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水泳の池江璃花子さん(1) 選手として復活

2021年02月23日 05時52分28秒 | スポーツ、相撲、芸能など
 競泳女子の池江璃花子さん(20)が病気を乗り越えて選手として戻ってきた。確実に力をつけてきている。とても素晴らしいことで、心から応援したい。

 池江さんは1919年2月12日、自身のツイッターでやんごとない重病であることを公表した。
 池江さんは、個人11種目とリレー5種目の日本記録を保持している有能な水泳選手で、このニュースは各方面に衝撃的に伝えられ、メディアで大きく取り上げられた。

 NHK-TVを始めメディアの当時の取り上げ方は好意的な視点からであるが、やはり過剰だと思った。
 池江さんには競技選手であることから降りて、ゆったり、療養に集中してほしい。それが私の最大の願いであった。病気の池江選手はそっと見守ってあげよう
 私は、内心ハラハラしながら池江さんに関する報道情報を集めていた。少ない情報であったが、彼女が受けている治療内容を具体的に想像できるだけに、心配もしていた。

 池江さんは公表時のツイッターを通じ「未だに信じられず、混乱している状況です。ですが、しっかり治療をすればなおる病気でもあります。今は少し休養を取り、治療に専念し、1日でも早く、さら強くなった池江璃花子の姿を見せられるよう頑張つていきたいと思います」、とのコメントを発表した。本人の気丈なコメントが救いであった。

 池江さんは1年余経過した19年5月に「治療は当初考えていた時より、数100倍ないし数千倍辛いです・・・」と、時に弱気になる心情を吐露していた。その苦痛は類推できた。それらを乗り越え、病気を克服し、夏には退院に至った。病状は安定したという。
 闘病中の2019年4月8日、日本大学スポーツ科学部に入学し、水泳部に入部することが発表された。東京五輪は事実上断念、2024年のパリ五輪への出場・メダル獲得を目標としていることを明らかにした。病に対しても挑戦していく気力と、小学生の頃から歩んできた足跡にに対する自信が自身を支えたものと思う。

 翌20年8月には1.7年ぶりにレースに復帰、その後も着実に力をつけ、2021年2月7日競泳ジャパン・オープンの50メートル自由形で24秒91で2位となり、復帰後4戦目で初めて表彰台に上がった。2月21日の東京都オープン女子50mバタフライで25秒77で優勝した。療養期間中に体は10Kg異常減少したが、最近は3Kgほど戻っている、という。

 最近出場している競技大会のニュースは池江選手の成績を大きく報じている。これも過剰であるが、同じ病で闘病中の方々に夢をもたらす意義はあろう。
 しかしながら、池江選手を報じるに当たっていまだに「病から復帰の・・・」の説明がつき、予選を含め池江選手よりも上位の入賞者の選手名や記録などは報じられていないなど、恣意的に取り上げられている。
 競技などの場合、注目選手を報じるのはいいが、成績は公平に扱われるべきである。病気であった、という説明はもう外してあげたいものだ。
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第11回ルミエール落語会 古今亭菊之丞独演会。「死神」に感嘆

2019年11月11日 17時40分09秒 | スポーツ、相撲、芸能など
 近年落語ブームと言う。秋田でも定期的に落語を楽しむ会が各地で定期的に開かれている。
 秋田の映画館「ルミエール」でも落語会が行われている。
 今回は11回目で、私は3回鑑賞している。三遊亭兼好、柳家さん喬、三遊亭歌武蔵、二代目立花家橘之助・・・氏らの芸を楽しんだ。

 11回目の今回は古今亭菊之丞氏の独演会が行われた。
 

 演目は、■「替わり目」■「片棒」■「死神」、であったが、「死神」には感嘆した。
 古今亭菊之丞は1972年生まれだから40代後半のベテラン噺家。現代的な爽やかな風貌している。

■「替わり目」
 酔っ払った亭主が女房などに勝手気ままな要求をする話。亭主はうどん屋にも迷惑かけた。うどん屋は女房に呼ばれたが、うどん屋は動かない。「いま行ったら銚子の代り目時分だから」・・とオチになる。比較的よく聞く演目。



■「片棒」
 江戸に筋金入りのケチいて、御年70になったある日、3人の子供を呼んで自分が死んだらどう言う葬式を出してくれるかを問うた。その返事で跡取りにしようと言う魂胆。

 長男は派手にやります。お通夜は二晩、3日目仮葬儀、おって本葬儀に。本願寺を借り、お坊さんも22-23人ぐらいは必要です・・・。「聞いちゃおれん、あっちへ行け!!!」。

 次男は破天荒な、歴史に残る弔いをやりたい。紅白の幕、芸者、山車あとからお神輿が出ます・・・。「聞いちゃおれん、あっちへ行け!!!」。

 三男は葬式は、形式的なものに過ぎないから簡素にやりたい。棺桶は菜漬の樽を使う。担ぎ手を頼みますと、日当を払わなければならない。片方はわたしが担ぎます。問題はもう片方なんですが・・。「なあに心配するな、片棒はおれが担ぐ。跡取りはお前に決めた!!!」。
 これも有名な一話。

■「死神」
 借金まみれの男が首を吊ろうとしたところ死神が現れた。死神は偽医者になれば金儲けができる、と教えた。
 病人には死神がついており枕元にいれば助かることはない。足元にいれば呪文で死神を追い払うことで病気は治る。
 男はさっそく偽医者としての活動を始めた。やってくる多くの患者は死神が枕元にいるから男は病を治せません。ある豪商が病になったが同じように枕元に死神がいた。豪商は治せば3.000両出す、と言う。男は死神の隙を見て布団を180度回してしまった。豪商は全快したが、死神を怒らせ、それが元で男は死んでしまう・・・と言うもの。

 男と死神のやり取りの中、瞬時に声色を変える技術には感嘆した。
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東京五輪(2) 1964年東京大会の思い出 のちに記録映画で堪能

2019年07月29日 18時10分20秒 | スポーツ、相撲、芸能など
 1964年、私が高校を卒業し、仙台で浪人生活を送っていた。高校卒業後1年の浪人生活を加えた4年計画で医学部進学を目指しており、予定通り新潟大学、弘前大学を不合格となったからである。

 あの当時の五輪フィーバーは今回のそれに比較できないほどの盛り上がりを見せた。日本全体が五輪開催に期待し、五輪が終われば新しい時代が来るはず、と全国民が開催を祝福していたように思う。新幹線も五輪に合わせて開業した。

 私は仙台の連坊小路にある下宿先から予備校に通っていた。
 五輪期間中は、食事時にニュース映像を垣間見る程度であった。日本では当時カラーTVは5万台と、まだ一般家庭には普及していなかった。東京五輪を契機に受像機の生産が急激に伸び始めたが多くの家庭では白黒で観戦していた。当然、下宿のTVは白黒であった。

 私は当時は五輪どころではなく、家の経済状態から見てもう後がない、と過緊張状態でにあったが、ラジオを聴きながら、得意のながら勉強しながら、五輪の雰囲気を味わっていた。開会式のNHKアナウンサーの実況中継は素晴らしかった。

 3月、私は「まぐれ中のまぐれ現象」で新潟大学に合格、同時に大村崑監督の東京五輪記録映画も完成した。私はこの映画に五輪観戦をかけていた。映画自体は駄作、名作かで揉めたが、私にはそんなことはどうでもよかった。新潟の映画館で観たが、美しいカラー映像で、その日の感激は忘れられない。

 その後10年経ち、レーザーディスクで発売となり、早速購入、何度もなんども観た。やがてレーザーディスクの時代が終わり、再生装置も故障、観る機会を失ったが、つい数年前に映画として放映され、それをハードディスクに録画してある。いま頻回に見ることはないが、映像はかなり鮮明に改善されていた。

 その中の注目はやはり優勝した女子バレー、マラソンの金のアベベ、銅の円谷の姿は忘れられない。

 東京以降の五輪、開催地は名前だけはなんとか記憶にはあるが、注目した競技そのもの、ヒーロー、ヒロインなど上げることは一切できない。TV観戦等もほとんどしなかった様な気がする。本ブログは開設して20年だからこの間5回ほど五輪が開催されたことになるが、検索をかけてもほとんど出てこない。関心が乏しいからであろう。

 私の五輪は1964年の東京五輪で足踏みしている。
 2020年の東京五輪の招致が決まった時には私は腸閉塞や脳梗塞を発症した直後でもあり、まさかそこまでは生きられないと思っていたから、あと一年に迫った東京五輪について記述できるのは法外の喜びである。
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