銅版画制作の日々

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暗殺 リトビネンコ事件:ロシアのプーチン政権の裏側に隠された闇

2008-06-17 | 映画:ミニシアター

アレクサンドル・リトビネンコ暗殺から1年・・・・。

6月7日、京都みなみ会館にて鑑賞。「タクシデルミア」の前に観た作品。

2006年11月23日、ひとりの男がロンドンで放射性物質ポロニュウム210を飲まされ、暗殺された。この記事を書いているのが2008年の6月だから、
もう1年半は経過しているわけだ。このときの写真はテレビでも放映されているので、印象深いと思う。暗殺されたという大きな見出しが出ても、一体どういう経緯で暗殺されたのか?また、リトビネンコという人がどういう人だったのか?まったく分からなかった。
今回この映画が上映されるということを知り、さっそく鑑賞することにした。

リトビネンコが監督に託したメッセージは自分の身に何かあったときは、このビデオを公表し、世界に伝えて欲しい。彼らは暗殺など平気だし、実際にやってきている。国内でも国外でも・・・・・。

 

STORY


「悪夢以上のことが、サーシャの身に起きてしまった・・・・。」

生前からの彼の活動をよく知っていた監督はこの映画の中でサーシャ(リトビネンコ)のことを
語り始める。イギリスへの亡命から5年。元FSB中佐であるリトビネンコは数百時間、監督と
一緒に過し、自分の反抗の原因や10年前からのからのロシアでの警察国家の擡頭について
話した。そのリトビネンコが、何者かに放射性物質をポロニュウム210を飲まされ、暗殺されたのだ。


親交のあった監督の自宅も、何者かに荒らされた。監督は言う。
「冬の終わり頃私は、英国の捜査当局に今回の暗殺事件で聴取を受けた。あの時は充分話せなかったと
今感じている。本作は私の証言だ」 

アンドレイ・ネクラーソフ監督

98年、リトビネンコはテレビでFSB上司の汚職や殺人指令を告発した。一瞬時の人なるるが、
ニュースは、すぐに忘れられてしまった。
99年には、モスクアでアパート連続爆破事件が起き、その報復として第二チェチェン戦争が勃発。
その年の大晦日には、ミレニアムの変わり目。一連の不吉な事件がくすぶる中、人々は新年を祝った。
12月31日、エリツィン大統領が引退表明をテレビの画面を通じて、人々に言う。

その内容は以下のとおり

「ロシアは、もう決して過去に逆戻りしない。国民の一人ひとりに申しあげる。どうか幸せに。皆さん
の力で、幸福と平和は得られた!新年おめでとう。よい新世紀を。親愛なる皆さん」。

戦争の残虐さ。多くの犠牲者たち・・・・。
チェチェン戦争は、一体誰が引き起こしたのか?そして何のために?

リトビネンコは、爆破テロはFSBの工作だと主張し、イギリスへ亡命した。ネクラーソフ監督は、
プーチンと対立する政商ベレゾフスキーを介してリトビネンコに連絡を取り、インタビューが
始まったのである。汚職・暗殺計画。そしてその前身であるKGBに協力を申し出た。

「プーチンはKGBで愛国心を学んだそうだ。つまり級友を密告しながら愛国心を学んだわけさ」

「FSBは何をする機関なのか?ロシアの諜報部だが、実態は政治的な秘密警察だ。彼らは容赦なく
過激な手法を使う。秘密手法だ。スパイ対策やテロ防止のためではなく、政権を維持するための
機関なんだ。99~2000年にかけてのプーチン政権誕生でも、FSBは秘密手段をフルに使った」

彼の言葉は歴史の回想と交差し、ソビエト崩壊後の自由と民主主義への希望が、いかにしてチェチェン
戦争やプーチン大統領によって潰されたのかということをあぶりだしていく。

監督は、チェチェン戦争犯罪を、報道・告発してきたジャーナリスト、A・ポリトコフスカヤにも
インタビューをした。
何と!あの「劇場占拠事件の犯人の一人が、今プーチン政権で働いているの。書いてて吐き気がしそう
だったわ。汚らしいトイレに迷い込んだ気分。でも世間は無関心、あの悲惨なテロがやらせだったのに
・・・。政府も平気顔よ。何の抗議行動もないと見通している。集会もデモも危険なことは何もない
。彼らは安泰ってわけ。私たちの苦痛や苦悩も悠然と高みから見下ろし、こう思っている"好きに書く
がいい。必要なら消すが今は生かしといてやる"
 

 2007年10月、A・ポリトコフスカヤもまた、自宅のアパートで何者かに銃殺された!

 

A・ポリトコフスカヤと監督

 

監督は、プーチン大統領自身にまつわる疑惑を追い始める。コロンビアの麻薬組織との繋がり、
そしてペテルブルグ時代の金属基金の横領に関する疑惑・・・・。

リトビネンコはさらに、自らの行為を"反乱"と呼んだ。

「反乱だ!まさに反乱。反乱をつぶされたこと以上に、モラルが通じなかったことが哀しい」。

 

 在りし日のリトビネンコ

ロンドンのバーで彼の紅茶にポロニュウム210を注いだと容疑が掛けられているルゴボイは、
監督のモスクアでのインタビューで"リトビネンコ暗殺"関与を否定した。

そして遺された家族。悲嘆にくれるリトビネンコの父親・・・・。

インタビューで気丈に彼のことを語り続けた妻・マリーナは最後に、一筋の涙を流した。
そしてマリーナは言う。

「一つだけ教えて。ポロニュウムはどこから来たの?それだけ・・・」

 

変死した亡命ロシア人リトビネンコ。彼は暗殺されたのか?死の謎に迫るドキュメンタリー

2006年11月23日、ロンドンである男が放射性物質ポロニウム210を飲まされ、死んだ。男の名はリトビネンコ。元ロシア連邦保安庁中佐で、保安組織の腐敗やプーチン政権の悪事を告発し、イギリスに亡命を余儀なくされていた。ポロニウムは核開発国以外では入手が難しい事から、ロシア政府による暗殺が早くから噂されていたが、いまだ事件は解決していない。リトビネンコを5年に渡って撮り続けていた監督は、彼の死の真相を追う。

「世界で一番物価が高い都市」にモスクワがあげられるように、ここ数年ロシア経済は絶好調で、もはや共産主義時代は遠い過去の事のように思える。しかしその一方で、政府によるメディア統制が進み、民主化以前の全体主義国家に逆戻りしている部分もある。本作に登場するアンナ・ポリトコフスカヤのような世界的に高名なジャーナリストでさえ、政府に異を唱え続けた結果、自宅前で射殺されるような国なのだ。監督は、生前のリトビネンコやポリトコフスカヤの証言映像を通して、政府が99年のモスクワのアパート爆破事件やその後の劇場占拠事件などのテロ活動を行っていたと訴える。はたして、リトビネンコは本当にプーチンに暗殺されたのか?(映画生活より)

 

北朝鮮ほど謎めいた国ではないと思っていたが、ロシアという国もこのような暗殺事件がメディアで流されると、やはりこのプーチン政権の裏事情には何かあるに違いないと思うよね。プーチンという人物は幼少時代、かなり貧困家庭に育った人だとは聞いている。苦労の末、政治の世界に入ったということだが。過去については不明なことは多いようだ。2008年5月7日に大統領を退任したものの、翌日には首相に就任らしい。結局のところ、退任しても最高権力者としての地位はそのままのようだ。あの風貌からしても何かありそうな??まあ国の頂点に立つ人なのだから、只者ではないだろう。プーチン政権の影に潜むものは何なのだろうか。やはりリトビネンコ自身が語った事実には目を逸らすことはできないと感じる。

 

 

 暗殺リトビネンコ事件 公式サイト

 

 

 

 

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