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収入の確保 3(食品店)

2012年07月06日 06時00分00秒 | これからタイへ住む人へ~私の失敗談
田圃の中の園芸店だけでは生活費が足りないので、自宅の道路寄りを店舗にして家を建て、食品店を始めた。市場の近くで酒を中心に売っている人の羽振りが良く、うちを入れて3軒が同じ時期に始めた。酒は市内の卸、食品雑貨はマクロやギスン(義)で仕入れた。妻は日本のような丁寧な接客を心がけ、価格も競争が激しい市場周辺と揃えた。冷蔵庫は3ドアの大きめサイズにし、設定温度は低め、電気代を気にしてぬるい飲み物を売る店もあるが、冷たく美味しい飲み物を提供した。ここだと普通は常温で売られる焼酎も冷やし、新しい飲み方を提案したらお客さんが増えて、他所でも冷やして売る店が出た。氷やアイスクリームも衛生管理を徹底し、ここは清潔で安心して食べれると好評だった。店の前を舗装して駐車場を作り、屋外トイレも設置。園芸店併設なので花が多くて綺麗な店だった。顧客は順調に増えた。集落から農地への出入り口なので、農繁期の食事時には飲み物が飛ぶように売れ、自宅の冷蔵庫までビールを詰めて対応した。妻は昼食も食べられないほどだった。周辺の食品店がいくつか店を閉め、集落では日本人の店の一人勝ちとまで言われた。
しかしながら外からは儲かっているように見えても現実はこうだ。卸売りで買う価格は、1ダース(12個)小売して利益は2個分となるように設定されている。粗利は約17%だ。ビールやジュースの箱やパック売りは、1箱(パック)売って荒利は5バーツ。手間や仕入れのガソリン代を考えるとやってられない。氷は利益を考えずたっぷり入れるのが原則な集客アイテムで、併せてビールやジュースが売れると利益になる。ウォルスのアイスクリームも、電気代を考えれば客引きアイテムの一つでしかない。妻は朝から晩までクタクタになって働いたが、単価が安い5バーツ、10バーツの商売なので、1日の売上は多くて1万バーツ、1日中雨が降ると千バーツの日も有った。だから食品店はよく売れた日でも純利益は千バーツ行かないのだ。しかも園芸店と両立できると考えていたのだが、食品店は氷など集客商品だけのお客様も多く、利幅が大きい園芸店のお客様の対応が何度も中断されて商売にならないとも言う。植物の植替えも全然進まなかった。氷やアイスクリームのお客様が来られる度に、植替えで汚れた手を綺麗にするので、お客様を待たせて困ると言うのだ。妻は園芸店へ力をいれて、卸売りを始めようと言い出した。
ちょうどその頃、タイでは定番のバイクで二人乗りの借金取りが、店の前のテーブルで軽くビールを飲む事が増えた。集金で約束した時間まで待つのに、タイでは誰でも知っている借金取りの格好だと、どこでも嫌がられて居場所が無いそうで、うちは気にならないのでどうぞと話したら、何度も店を利用していただき、いろいろ話して親しくなった。そのお客様はうちの商売を見て、市場の近くで酒を売って羽振りが良い人の話しを始めたのだが、なんとその人は借金だらけだと言うのだ。今でも本業の食品店は開店休業状態なのに、自宅の建築や車の買い替えと羽振りの良さは以前と変わらない。街では違法な薬物の密売の噂まで流れている。
食品店は儲からないと認識した頃に、同じ集落へセブンイレブンが出店する噂が流れた。開業前から同じ集落へセブンイレブンが出店したら食品店は止めようと話していた。予想より数年早く出てきたが、うちがいくら頑張っても大手の多様なサービスには勝てないので閉店した。在庫は同じ集落の卸売り店が買い取ってくれ、冷蔵庫も同じ集落の小売店へ売った。店舗だった部屋は倉庫になった。
うちが閉店して1年後に、近くへアメリカ人の夫を持ったタイ人が帰国し食品店を開いた。事前に相談に来られたので、妻は生活できないので止めろと忠告したが、30万バーツで店舗まで新築して参入した。結果は予想通りで1年後にアメリカへ帰った。小さな食品店を経営してタイの庶民的な生活は可能だが、先進国と同じレベルの生活が出来る利益を出すのは難しいのだ。
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