栃木県益子町には、大小多くの窯元が有り、陶芸家や陶芸家を目指す人が数百人いるとも言われて
います。その中で、島岡達三氏(人間国宝)に師事し、独自の技法を確立したのが、松崎 健氏です。
1) 松崎健(まつざき けん): 1950年(昭和25) ~ : 遊心窯
① 経歴
1950年 日本画家の松脩己氏の三男として、東京に生まれます。
1972年 玉川大学 芸術学科 陶芸専攻を卒業し、益子焼の島岡達三氏(後の人間国宝)の
門に入り、師事します。
1977年 栃木県益子町に窯を築き、独立して現在に至ります。
1978年 京王百貨店(新宿店)にて個展を開催し、以後毎年開催いています。
1980年 阪急百貨店(大阪うめだ本店)にて個展を開催します。
1984年 国画会・会友優作賞受賞
1993年 ニューヨークに於いて「近代日本陶芸展」にて師弟展を開催します。
1997年 西武百貨店(池袋店)にて、日米陶芸4人展を開催します。
(島岡達三、松崎健、ウォーレン・マッケンジー、ランディ・ジョンストン氏の4人です。)
2000年 栃木県立美術館にて、「栃木県美術の二十世紀Ⅱ千年の扉展」を開催。
2003年 ニューヨーク・メトロポリタンミュージアムにて「織部-転換期の日本美術展」に出品
2011年 銀座松屋 「松崎融・健兄弟師弟展」 (銀座松屋)(松崎融:木漆工芸家)を、
宇都宮の青木ギャラリーにて個展を開催します。
2912年 青木ギャラリーで東日本大震災復興支援特別企画「松崎健 大皿展」を開催。
地元の復興活動を支援するこの展示の為に、 直径90cmの大皿など30点の大作を
焼き上げています。
その他、英国、米国(ニューヨーク、ボストン、ロスアンゼルス等)で多数の個展やグループ展に
出品しています。
② 松崎氏の陶芸。
) 彼は、後に人間国宝となった島岡達三氏の門下として、陶芸の修練を積み、五年後に
独立します。
) 独立して15年間は、生活に結びついた食器器を中心に作陶しています。
その後は、島岡氏の窯変に憧れ薪窯を作り、窯変を中心に作陶活動をしています。
島岡氏から、灰被窯変の技法を学びますが、その技法を単に引き継ぐだけに終わらず、
独自の作品へと発展させます。
) 松崎氏の近年作る作品は、茶盌・鉢・徳利・ぐい呑・湯呑・扁壷・壷・大壷・方壷・水指・
花器・香炉など多種類です。
) 近年新たに築いた登窯で焼成し、窯変灰被・灰被耀変志埜(ようへん しの)・耀変志埜・
耀変金志埜・金志埜・窯変灰被刻文と名付けた作品を発表しています。
尚、この登窯は、形は登窯ですが、実際は窖窯(あながま)に近く、焚口が一箇所との事
です。
a) 耀変志埜とは: 志野釉を掛けた作品を炭化焼成させた物で、「耀変」と命名し、松坂氏
独自の「志埜(しの)」と成っています。
b) 金志埜:やや赤味が掛かった金色に発色します。
「金志埜は厄介の奴で、少しでも窯の中の雰囲気が違うと金にならない。」
「灰被耀変志埜の鮮やかな紅の耀き、金志埜のやわらかい金色に微妙な耀きが
それぞれに加わり耀変が雅の世界を繰り広げてくれる。」と松崎氏は述べています。
c) 灰被耀変金志埜: 灰被窯変の技法を志野焼に用い、灰被耀変金志埜を生み出します。
松崎の灰被耀変金志埜は、伝統的な志野からは、かなり異なる志野の作品にも見えます
灰被耀変金志埜を作り出すには、登り窯の炎が不可欠との事です。
7日間の焼成の末、炎よって生まれるのが灰被耀変金志埜との事です。
d) 窯変灰被刻文の作品: 刻文は器面に平行の溝を、直線や斜線、曲線などで表現した
作品で、彼の作品の特徴に成っています。
・ 窯変灰被刻文花器・ 線刻文壷等。
) 釉にも工夫を凝らしています。
織部、黒織部、黄瀬戸、志野などの作品を作っています。
・ 掛分織部大皿、鳴海織部扁壷、窯変織部水指
・ 織部黒茶盌 ・ 黄瀬戸扁壷などの作品があります。
伝統に囚われず、伸びやかな創作活動で、感性溢れる造形を開拓し、独自の作風を作りあげて
活動しているのが、松坂 健氏です。
次回(今千春氏)に続きます。
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