大佗坊の在目在口

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函館住吉共同墓地(小池毅墓)

2023-02-02 | 會津

2022年冬、北海道函館に半世紀振りに行った。早くからホテルの予約はしていたが、旅行の一週間前から観光庁の全国旅行支援が始まり、慌てて予約を取り直した。北海道は旅行代金の40%とプラス平日3000円が補助されるという。何か凄く得をした気分になる。
 
函館市営住吉町共同墓地にある会津関係の墓碑を訪ねた。ここは函館駅からは南に約3K。市電の終点谷地頭からは750mと距離は短いが坂道が続く。
入口の浄土宗地蔵堂の前にある前にある石柱から中央道、最初の街路灯から約5m手前に陸軍二等軍医正七位勲六等小池毅の墓碑がある。
 
小池毅は会津藩侍医小池求真の三男で、東京済世学舎で医学を学び、のち伝染病研究所助手となる。征清役が始まった翌年の明治廿八年、陸軍三等軍医に任じられる。明治廿九年一月、ペスト病が大流行していた台北に赴任、同年六月より衛戍病院附きとなる。ペスト病研究に従事中、ペストに感染し明治三十一年二月廿八日、二十四歳で死去、その年の四月、函館の尻沢辺墓地(現市営墓地)に葬られた。著書に「新纂医術後期試験問題答案軌範」「百斯篤菌鎖談」などがある。

陸軍二等軍医正七位勲六等 小池毅墓陰刻
小池君諱毅父名求眞為旧会津藩侍医母同藩士有賀氏三女也君幼時在
小学以秀才顕年十六負笈游東京入済生学舎学医三年而卒業後従北里
博士攻黴菌学為伝染病研究所助手征清役起也君任陸軍三等軍医敍正
八位尋進二等軍医敍正七位役畢以功叙勲六等賜瑞宝章及金若干并従
軍記章翌年一月奉命至台湾在新竹及台北衛戍病院当此時台地悪疫流
行兵士多死君専擔任伝染病室及病理試験室朝夕出入猛毒瀰蔓之間拮
据奮励多所救済矣又加生蕃地探検隊跋渉山川鋭意研究斯道欲以明前
人未発之原理而益後世也纂一書曰百斯篤菌鎖談其他著書数十部其功
績偉矣猶将大有為不幸為悪疫所侵竟卒享年僅二十有四実明治三十一
年二月廿八日也君以前途多望之身遂斃其職猶将士之斃炮丸也可謂忠
烈矣人皆深悼惜焉是歳四月十六日葬於函館尻澤辺墓地建碑以表其墓
余嘗識君揮涙書其梗概
             明治三十一年十二月 小川景義撰并書

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