静岡駅からタクシーに乗った。運転手に臨済寺へと言うと、ピンとこないらしいが、大岩の臨済寺と云うと臨済寺の場所が判るみたいだった。静岡市内はお寺の多いところだから無理もない。
途中、静岡北安東郵便局に風景印を押してもらうため寄った。この郵便局の局員は訪問時5名、ロビーにお客が1名で風景印を依頼してから5分経っても、10分経っても係員は下を向いたまま何か作業している。あまり時間が掛るので外を見たら、心配そうに中を覗いている運転手と目が合ってしまった。係の人には可哀想だが、風景印のゴムの劣化とスタンプ台の液がビチャビチャで、今まで廻った全国風景印の中では1・2を争う出来の悪さで、駅前の静岡中央局の3分も掛らない風景印の出来上がりをみると、安東局の普段の手入れの悪さが際立ってしまった。(真ん中 本来の北安東風景印)
以前、臨済寺にある東軍招魂之碑を訪ねた。最初に訪ねたときは碑を写しただけで、家に戻ってから碑文の中に、旧会津藩士と思われる林繁樹の名を見つけて、慌てて碑文全体を写しに再訪した。その時、このお寺の特別の拝観があるのを知った。それから5年近く経ってしまった。臨済寺は訪れる人もほとんどなく、ひっそりと荘厳な感じの臨済宗妙心寺派の修行道場で普段は非公開の庭園や本堂を、春と秋、年2回の特別拝観が実施されている。
ここは、今川氏の菩提寺で開基は今川義元、天文五年(1536)、今川氏輝が没し法名臨済寺殿用山玄公により、もとの善得院を臨済寺と改称し、今川義元の軍師でもあった太原崇孚雪斎を住持に招いた。今川氏人質時代の松平竹千代(家康)が学問を受けた所としても知られている。
山門前に水桶と柄杓、箒が設えられていた。掃き清めてお迎えしますよという凛とした禅寺の修行道場らしい雰囲気がある。
山号「大龍山」の額は、徳川慶喜の揮毫
天正年間に築造されたものと伝えられている賤機山の斜面を利用した庭園もそうが、夢想庵と呼ばれる茶室へ登る回廊も楽しみだった。写真でみると古そうな茶室だったが、京都大徳寺中南明亭を真似て大正三年に造られたというが、賤機山の斜面の庭園と茶室への風景はかなり趣があった。
参考 臨済寺東軍招魂碑文
東軍招魂之
戊辰之事一成一敗是非従生焉然審察其情則有未易遽
論者余尤悲其戰敗身死長為不祭之鬼者之志也顧當時
伏水啓□舊大將軍棄大阪城而東歸恭順待 命而諸思
幕府者所在擧兵以圖回復事竟不成死之者數十百人矣
嗚呼川氏三百年之覇業一朝顛覆而欲維持之於既墜
雖名分或錯然忠勇壯烈使人感奮興起視之彼臨危苟免
趨利遺義之徒天淵不啻也寺島造酒之助素仕幕府戊辰
國變戰而失右手後移静岡與林繁樹授徒甲州之黌頃者
相謀將堅石於静岡大岩村臨濟寺以招東軍死者之魂甲
之南巨摩郡有市川愛助者従學寺島氏慷慨好義聞二氏
之擧捐貲助之且乞余銘銘曰
七尺之身 殺以成仁 幾多志士 委骨戰塵
是非休論 維忠維存 駿有佳地 爰招厥魂
明治十八年三月十七日
駿河河島維觀撰文 東京市河三無書并篆額
甲斐市川愛助建石 渡邉善一刻
注 三行目□は