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大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

再び烏山

2013-04-02 | 掃苔

栃木の烏山に出かけた。昨年は太平寺や龍門の滝に行った。下野烏山の医師で教育者でもある川俣英夫氏の奥さんが旧会津藩士蘆澤直道の長女房子である事をご教示頂き、今回は県立烏山高等学校(旧私立烏山中学校)や川俣家菩提寺の一乗院などを訪ねた。
 

川俣英夫氏については何も知らなかったが、幸いな事に、古書店をブラブラしていて1冊の本が目に付いた。昭和16年発行の「川俣英夫先生傳」と云う本で、皇紀二千六百年記念事業として編纂されたという。驚いたことに川俣英夫氏が創立した私立烏山学館から私立中学烏山学館を経て、明治四十四年、私立烏山中学校に組織変更したとき、初代校長に赴任したのが旧会津藩士で農学士中根明だった。中根明は明治二十三年に一高教授、その後、林務官、会津中学校長等を歴任して烏山中学校長(今の県立烏山高等学校)として大正十四年三月まで勤め、同年四月から下野中学校長(今の作新学園)となった。中根明を校長として招聘した川俣英夫氏の経歴が凄い。烏山藩学問所から東京英語学校を経て、明治十一年、帝国大学医学部別科に入学、同十四年医術開業試験に合格、十八年、警視庁雇検疫医から警察医となり明治二十三年警視庁を依頼退職して郷里で開業した。
 
以降、地域医療・教育に貢献することとなる。英夫氏が本庁内医務部に勤めていたころは、警視庁に旧会津藩士も多く、入江惟一郎、丹羽五郎、海老名季昌、角秀翁、藤田五郎(元新選組齋藤一)や蘆沢直道、内村直俊(直道の甥)が勤めており、英夫氏と蘆沢直道、内村直俊は顔見知りだった事になる。一方、中根明と内村直俊は京都黒谷にある会津藩墓地明治四十年修理の募金発起人に名を連ねており周知の間柄で、川俣英夫氏の烏山中学の校長に中根明を推薦したのは内村直俊だったのかも知れない。中根明は中根幸之助の三男で兄、直が開拓使に出使した関係で北海道に渡り、札幌農学校予科から本科に進み(4名のみ)明治十七年、3期生として卒業した。前年の2期生には内村鑑三、新渡戸稲造がいる。北大文書館年報によれば、中根明は京都、長野、栃木等の中学の教師を勤めている。大正二年、会津会会報に投稿した中根明によると、三男四男と共に中学校の校長住宅に住み、二男三女は妻に監督させ、京都の高等学校にそれぞれ入学の為京都にいかせていると近況を報告している。中根校長は会津会会報に、烏山について「此所は元三万石の城下にて、城山は山嶺にあり、町は山腹にある、四面殆ど山に囲まれたる一小都会に侯。旧藩校のありし一小山を切り広めて六千余坪の敷地を得、中学校を建設し、近傍一町五ヶ村の青年子弟を教育致し居り侯、生徒数は僅かに三百に過ざれども、皆質朴剛健、其の中には至極末頼母敷者有之侯」と書き送っている。高校には川俣氏の胸像があり、学校に断って写真を写させて貰う。

 
図書館から烏山高の始まりとなった川俣英夫氏が創立した烏山学館跡に寄り、
 
愛宕台の裾野にある一乗院の川俣家墓域に向かう。丁度、本堂の前にご住職がおられ、中根家について尋ねたがこのお寺の檀家さんには居ないとのことだった。

 
泉渓寺の墓域にも寄っていたら、予定していた帰りの電車に乗り遅れてしまった。
 


参考
「川俣英夫傳」「閉校記念誌寿亀ヶ丘に学ぶ」「百年誌・作新学園」

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3 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (愛宕山)
2013-04-04 20:52:19
私がこの名前で書き込んだのは、なんとなく烏山の地名で頭に残っていたのが今の
中学校のある愛宕山だったからなんですが、この記事を見た後だと偶然とは思えないくらい出来すぎた名前になりましたね。

近々に親戚と会う約束をしたので、おかげさまで色々楽しい話が出来そうです。
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Unknown (大佗坊)
2013-04-05 09:10:09
愛宕山様
いろいろご教示、ありがとうございました。烏山には何回か行きましたが、旧会津藩士が教師を勤めていたことは全く知らず、驚きでした。当日は宇都宮にも用事があり、あまり烏山で時間をとれず、城跡や高校の先にあるお寺さんに寄る事が出来ませんでした。また機会があれば行きたいと思っています。
返信する
 新たな発見 (ブルーノ木魚庵)
2024-04-05 14:19:51
大佗坊様  「再び烏山」を拝見して2024年4月 
 70代烏山高校の卒業生です。烏山出身
 今日あるのも先人たちのお陰です。感謝。
 会津藩士の方々、川俣英夫先生 中根校長など先人たちの深いつながりがよくわかりました。
 川俣先生は教育分野はもちろんのこと、病院開設し貧しい人からはお金を取らず治療。鉄道敷設に尽力:烏山~宝積寺JR線、町長歴任、栃木県地域に貢献された偉人です。初代校長中根先生のことも新たにわかりました。
創業記念日には町内を全生徒が提灯行列、川俣先生の墓参がイベントでした。
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