会津に「かすてあん会津葵」という菓子がある。会津葵は藩主松平家の紋どころ、お菓子の押文様は藩公の文庫印「会津秘府」をうつしたものだという。 (会津秘府)印
昨年、会津若松市立会津図書館で何点かの「会津秘府」印のある蔵書を見せてもらった。日新館蔵版四書集註の大学と論語であったことから、稚拙にも日新館に関係ある蔵書ではないかと考えてしまったが、今年春、会津の旧家で見せて貰った和本に日新館蔵書印があった。
これで「会津秘府」印は日新館の蔵書印ではないことがハッキリした。慌てて新装開館した会津図書館に出かけた。この図書館でも「会津秘府」印のある蔵書はそう多くはない。詩経世本古義を除いて日新館蔵版の活板近思録、四書集註等である。詩経世本古義には若松県図書印があった。若松県が福島県となったのは明治九年八月、「会津秘府」印は明治初期にはあったことになる。寛政十一年(1799)四月、学校の館号を日新館と定め、日新館蔵版孝経を開版し諸生に払下げ、同年六月、詩経世本古義を幕府諸書の印行の勧めにより彫刻、文化元年(1804)には日新館童子訓二巻を印行して諸臣に頒賜している。天保二年(1831)に活字版の近思録を印行した。会津藩蔵書は日新館志に文庫目録が載っている二之丸に文庫があり、藩出版方は寛文五年(1664)に藩祖正之公編纂の玉山講義附録を出版し家老重役に頒賜している。二之丸文庫蔵印というのはなかったのだろうか。日新館に開版方を置いたのは寛政十一年、ここで書籍の印行調整し、明治維新までに出版した書目は二十数種に及ぶと言う。これらの出版書は実費で配られ、江戸書肆からの受注もあって数多く販売された。玉山講義附録・二程治教録・伊洛三子伝心録は藩祖正之公の編著三部書として特に尊重され、後には京都にて鋟刻されている。会津藩の蔵版印影で分ったのは日新館蔵書印、会津藩蔵版、会津藩蔵版縦印と会津秘府の四種。会津秘府が藩公の文庫印というのも疑問が残る。
蔵書印は「書物の所蔵を明らかにするため蔵書に判した印影、またその印形」とか「書物の所有者が所蔵の本に押印して所有をあらわす印章」と辞書にある。藩侯個人の文庫本であれば歴代藩主個々の印記や印文がまったく無い事、それに会津秘府印は81.6mm×82.3mmとかなり大きい。例外もあるだろうが、大名や文人が使用していたものは、蔵書印をむやみに捺して書籍を汚すことをしない。蔵書印を捺したとしても非常に小さな印を目立たないように控えめに捺したものが多いようにおもえる。秘府という語彙も印影もなかなか見つからなかったが、松前廣長が編纂した松前藩の正史に「福山秘府」があり、新編蔵書印譜に柳原家の「日野柳原秘府図書」「日野柳原秘府得朋記之印」等、僅かしか見つける事が出来なかった。
小倉藩校印 尾張洋学館印
県立図書館郷土資料福島の蔵書印では、わざわざ京都府立総合資料館所蔵本に捺されている日新館蔵書印を紹介、平成13年発行の新編蔵書印譜も京都本を使用して日新館蔵書印を紹介している。会津図書館の飯岡七郎寄贈本に「従道」とあった。まさか「じゅうどう」と呼ぶ西郷従道だったらびっくり! 若松県図書印のある詩経世本古義や所有している日新館蔵版四書集註にも捺されている雷神みたいな朱陽刻印は何を意味しているのだろう。(右、若松県図書印)