大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

松阪牛

2023-08-19 | 

最近、テレビの食レポを見ていると、口に入れた瞬間に目を大きく開け、背筋を伸ばして、ウマッと叫ぶ。その後に、ジューシー、軟らかい、甘い、溶ける、絶妙なバランスなどと言う。何も褒める言葉がないと、言葉が出ないほどの美味しさとかクセになる美味しさなどと誤魔化す。食レポで、これは口に合わないとか、もう二度と食べたくないという言葉を聞いたことがない。本音が言えないタレントやレポーターが気の毒になることもある。女性の局アナが黒マグロの赤身を食べて、「甘くて柔らかい」と言っているのを聞いて、硬いマグロの刺身があるのかとビックリしたことがある。京都の一子相傳の半熟鶏卵が有名店で、隣にいた女性が「このお粥さん、ふっくらと柔らかく炊いてある」と言っているのが聞こえた。お粥を褒めることが出来るのは京都の女性ぐらいかなとそのとき思った。地方に食べに行きたい所がいくつかあった。その一つが松阪牛で、松阪では金銀の店が有名だという。和田金と牛銀という店でどちらの店に行くか迷ったが、前から名前を聞いていた、すき焼きを「寿き焼」という和田金に予約して行った。予約の5分前に店に着いた。準備が出来るまで、なにか団体専門の旅館みたいな感じのする広いロビーの一階で待つように言われる。

テーブルのある和室に通された。テーブル席は座るのが辛くなってきた年寄りは助かる。仲居さんが炭火起こしから始める。外国人ならこんな演出を喜ぶだろうなと思う。

仲居さんが付きっ切りで調理して取り分けてくれる。調理方法は関東が割下を使うのと異なり、砂糖と溜り醤油と少量の出汁で調理する。和田金の自社牧場で飼育したというお肉がでてきた。あれと思うほどサシが大まかなお肉だった。


三重県で認定した松阪牛ブランド業者は松阪牛協議会と有)和田金と2業者となっていた。消費者にはその差がよくわからない。和田金には松阪牛を全国区に広めたというプライドで協議会に加わらないのだろうか。松阪牛協議会のサイトに特産松阪牛特徴というのが出ていた。その一つが「眼で見えないほどのきめの細かいサシ(霜降り)」だという。眼に見えないほどのサシでは、ど素人には肉の良しあしなんて判らないのも無理はない。金箔がのっている前菜がでてきた。

2、30年前に山の中の老舗旅館の料理に金箔がのっていた。久しぶりに飾り金箔に出会った。これも外人向けなのかな。ウマッと叫びたかったがそうもいかなかった。



甘みが強い「寿き焼」も砂糖が貴重な時代の味を守っている老舗の味と思えば納得する。松阪の老舗店で、自社牧場生産牛の「寿き焼」を食べさせてもらったという感じだった。

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松阪 愛宕さんから岡寺さんへ

2023-08-11 | 

松阪の愛宕町の龍泉寺にお城から移築した山門が残っているというので見に行った。


龍泉寺は真言宗高野山派に属し、火防の霊神「愛宕大権現」と「愛染明王」を本尊としあたごさんと親しまれている。昭和27年、三重県有形文化財に指定された山門は、桃山時代の様式の一間一戸の薬医門で、松ヶ島城裏門を移したとも、松坂城の門を移したともいわれている。いづれにしても、この山門は市内最古の木造建築物だそうです。五鈴遺響記載の寺傳記に「上古草創詳悉ならずといえども応仁文明年中に一志郡滝野川村の山中に弘法の開基と云い傳う」とあり、この地は多気北畠殿の領地でその祈願所だったという。龍泉寺は一山の惣寺号で下ノ坊が当院の旧号だったという。永禄十一年(1568)頃、戦火を逃れ松ヶ嶋に移り、天正九年(1581)良宗上人、正親町天皇より勧請仏法興隆の倫旨を賜い勅願所となり、また同時期に嵯峨御所大覚寺宮より令旨を賜るなど政治的な活動を強め、四五百森城主潮田長助(北畠具教家臣)らの援助を受け、一宇を建て上福院と号したという。天正十六年(1588)、松坂城築城に伴い現在地に寺域を定めた。


境内に大きな基壇のうえに乗った宝篋印塔があり、その手前に昌林院殿高岩□忠大居士、墓碑両側にかすかに文禄四、二月七とある小さな墓石があった。この墓が説明にあった松坂城主・古田織部正重勝の墓と思ったが、横に昭和10年に行われた蒲生氏郷卿の展墓祭の写真が掲示されていた。氏郷の戒名を検索したら「昌林院殿高岩宗忠大居士」とあった。展墓というのは墓参りの事で、ここは蒲生氏郷の参り墓ということか。宝篋印塔の隅飾りの反りをみると室町、桃山時代より新しい時代の造りみたいだ。傍に「木犀」とある石柱がある。意味はよくわからないが、金木犀の花言葉の隠世から死後の世界の神聖な場所、墓地を現したのだろうか。伊勢参宮名所図会の愛宕山龍泉寺古田織部正墓とあるものの絵図に墓の記載がない。帰宅してからgoogleマップで検索したら古田大膳墓所というのがあった。龍泉寺本堂から東に約190m(木挽町381-12)の地元で通称、大膳塚と呼ばれているという。寺務所で聞けばよかった。
松阪駅から北西約500mの継松寺に行く。


高野山真言宗、山号を岡寺山、院号は如意輪院、ご本尊は「如意輪観音」。日本最初の厄除け観音だと云われ、通称岡寺として知られている。山門前の筋塀が五本線なので驚いた。五本筋塀は通常、皇族や摂家などの御所や門跡寺院や勅願寺で用いられ最高の格式を示している。寺傳に聖武天皇勅により天平勝宝元年(749)、建立したと伝わると云う。これを以って勅願寺の格式を持っているのだろうか。明治二十二年発行の「伊勢名勝志」によれば天平十五年(743)僧行基により石津郷に創立、天平勝宝二年(750)の洪水により堂宇が流失したが、二見郷の三津正信が海中より本寺の本尊を見つけ旧地に堂宇を再建、剃髪して継松法師と称し、のちに寺号とした。五鈴遺響に江州木田北郡伊曽野の岡山右京允行雄という人、観音堂大日堂護摩堂山門等悉く中興再建し、この岡山の一字を取って岡寺と云うとあった。境内に市指定有形文化財の銅製香炉がある。


継松寺八世快雄上人撰文、韓天寿書、松坂の豪商、小津長保の父道慧が長谷寺に大香炉を寄進したのに習い安永六年(1777)、継松寺に香炉を寄進したもの。香炉を背負った台座が亀の形をしているので、これも亀趺の一種なのだろうか

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松阪の遥拝所(御厨神社 松阪神社)

2023-08-04 | 

松阪駅の北西約1k弱の所にある御厨神社の脇社に三囲稲荷社があるというので行ってみた。


御厨神社の御厨牛頭天王祠は伊勢内宮の神饌を用意する所として飯高郡下ツ牧(現、平生)に建てられ、勅使参向の時には当社に止館し、旅の安全を祈願したとも伝える。戦国時代に神垣を残して廃絶したが、天正十二年(1584)、 蒲生氏郷が四五百(よいほの)森に松坂城を築城のとき、城郭の大手先に奉遷、元和六年(1620)、紀州藩主徳川頼宣家臣の初代松阪代官長野九左衛門が城の鬼門として現在地に遷宮した。祭神は建速須佐之男命を祭る。大神宮儀式解因録に「中川経雅、天明五年(1785)本居宣長の所望により松阪御厨神社額を揮毫しこれを贈る」とある。今の社額はいつの時代のものだろうか。

三重県神社庁サイトによると御厨神社の祭神は建速須佐之男命、加夫呂岐命、火産霊命、木花之開耶姫命、大山祇命、奥津彦命、奥津姫命、応神天皇、宇迦之御魂命、市岐島姫命とある。明治の複数の神社の祭神を一つの神社に神社合祀によるもので明治六年御厨神社を改称のうえ村社に列せられ合祀が進んだと思われる。境内にある三圍稲荷神社は宇迦御魂之命を祭神として豪商三井家祖先の祈願社で東京向島の三圍神社の分霊が祀られ松阪の三井家の下屋敷から移されたという。


ここにも向島三圍神社と同じように宝井其角の句碑があった。

此御神に雨乞する人にかはりて
遊ふた地や田を見めくりの神ならは 普其角
「見めぐり」には「三囲」が掛かる。上五中七下五の頭を並べると「ゆたか」となる折句だそうです。
神社境内に宮城遥拝所の石柱があった。

皇居まで約320km、久しぶりに宮城遥拝所をみた。
松阪神社に行く。石段が急なのでしばらく見上げてしまった。


松阪神社は天正十六年(1588)、蒲生氏郷が当地飯高郡矢川庄の四五百森(宵の森)に城を築城の時、城の南側の森を鎮守社と定め、新しく壇を設け社殿を造営し正八幡を勧請し八幡宮とし松坂城の守護神とした。明治二年、天皇伊勢行幸のとき、伊勢路式内神社として神祇官権判事北大路左京権大夫を官幣使として代参させた。明治四年に、式内・意悲神社に比定され御城八幡から意悲神社に改称した(意悲神社は神舘神社の旧名との異説もある・飯南郡史)。飯南郡史では明治六年八幡神社と改称し、のち村社に列せられ、明治八年郷社に指定され、そのとき倭姫命の行在所の旧跡なので意非神社と改称する許可を得たとある。いづれにしても、明治二年三月、伊勢路式内神社として朝廷からの勅使を遣わされたのが大きかったのだろう。明治三十九年、県令により神饌幣吊料供進指定社となる。明治四十一年は全国で神社合祀が行われ近隣の十七の神社を合祀して、松阪神社と改称したとある。

ご神木の樟のそばに皇居遥拝所と神宮遥拝所があった。

三重県神社庁によると松阪神社のご祭神は誉田別命、宇迦之魂神、天照皇大神、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、建速須佐之男尊、豊受大神、思兼神、大山祗命、火霊神、金山彦命、蛭子命、猿田彦命、大国主命、少彦名命、熊野久須毘命、天御柱命、国御柱命、雅日女命、天棚機姫命、拷幡千々姫命、安徳天皇、多紀理毘売命、高木大神、因幡素莵神、多岐都比売命、市岐島姫命、天之忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、八百万神、事代主命、上筒男神、中筒男神、底筒男神と少名彦那尊御社。これだけ神様がいらっしゃると、何を頼んでも叶えてもらえそうな気分になる。

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