昼の新幹線の時間までを利用して、京都の瓢亭に朝粥を食べに行った。一子相傳の半熟鶏卵が有名だという。観光シーズンが外れていた所為か、テーブル席の部屋の椅子は多くあった割には、客は後から入ってきた六人連れの女性客とうち等の二組だけだった。
元々、ゆで卵は好きでなかったが、今年、2個のゆで卵を食べた。1つは、ひとつ食べると七年寿命がのびるという、誘惑に負けて食べた箱根大涌谷の黒タマゴ、もう一つは浜松天浜線、気賀駅にある中華「貴長」の塩ラーメンにはいっていた半熟卵。この800円のラーメンに入っていた味付け半熟卵が大げさに云えば人生を変えた。瓢亭の一子相傳だという半熟卵を食べに行こうと思ったのは「貴長」の塩ラーメンに入っていた味付け半熟卵が非常に美味しかった為、老舗の一子相傳だという半熟鶏卵を食べてみたくなった。
料理が運ばれてきたのは後から入ってきた六人女性組と大体おなじだった。料理は八寸(瓢亭玉子)、瓢型三ッ重鉢(上段は和えもの、中段は魚の蒸し物、下段は吹き合せ)、吸物椀、白粥・淡口醤油味のくずあん。
女性グループの一人が料理を褒めると一人、一人順番に料理を褒めだした。最後の一人になったとき、白粥しか残っていなかった。聞くともなく聞いていたら「このお粥さん、ふっくらと柔らかく炊いてある」と云う。堅いお粥なんてあるのかと思わずお粥を吹き出しそうになった。そしたら六人組の面々、全員がお粥の柔らかさを褒めだした。褒め殺しと言おうか、何でも褒められるものだと感心する。改めて女性の恐ろしさを感じた。
肝心の一子相傳だという瓢亭玉子、昔は半熟卵を造るのが難しかった時代の一子相傳だったのだろうか、例の六人組もこの茹たまご、「品が良くておいしい」と褒めていた。誰か「お塩」をと云ってくれたら大感謝だったのに!
瓢亭の隣にある山県有朋の別邸だった無鄰菴に寄る。この庭園、あまり広くないのに東山を借景として、奥行きをみせているのは流石だった。
この庭を廻っていたら、無性に黒谷の会津藩墓地に行きたくなった。十年前、京都を訪れスタートをきったのが岡崎の黒谷にある会津藩墓地からだった。黒谷金戒光明寺を訪れるのも三年振りだったが、ひどく懐かしく感じる。