大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

京都 半熟卵

2015-11-21 | 

昼の新幹線の時間までを利用して、京都の瓢亭に朝粥を食べに行った。一子相傳の半熟鶏卵が有名だという。観光シーズンが外れていた所為か、テーブル席の部屋の椅子は多くあった割には、客は後から入ってきた六人連れの女性客とうち等の二組だけだった。
 
 
元々、ゆで卵は好きでなかったが、今年、2個のゆで卵を食べた。1つは、ひとつ食べると七年寿命がのびるという、誘惑に負けて食べた箱根大涌谷の黒タマゴ、もう一つは浜松天浜線、気賀駅にある中華「貴長」の塩ラーメンにはいっていた半熟卵。この800円のラーメンに入っていた味付け半熟卵が大げさに云えば人生を変えた。瓢亭の一子相傳だという半熟卵を食べに行こうと思ったのは「貴長」の塩ラーメンに入っていた味付け半熟卵が非常に美味しかった為、老舗の一子相傳だという半熟鶏卵を食べてみたくなった。

料理が運ばれてきたのは後から入ってきた六人女性組と大体おなじだった。料理は八寸(瓢亭玉子)、瓢型三ッ重鉢(上段は和えもの、中段は魚の蒸し物、下段は吹き合せ)、吸物椀、白粥・淡口醤油味のくずあん。

   
   
  
女性グループの一人が料理を褒めると一人、一人順番に料理を褒めだした。最後の一人になったとき、白粥しか残っていなかった。聞くともなく聞いていたら「このお粥さん、ふっくらと柔らかく炊いてある」と云う。堅いお粥なんてあるのかと思わずお粥を吹き出しそうになった。そしたら六人組の面々、全員がお粥の柔らかさを褒めだした。褒め殺しと言おうか、何でも褒められるものだと感心する。改めて女性の恐ろしさを感じた。
肝心の一子相傳だという瓢亭玉子、昔は半熟卵を造るのが難しかった時代の一子相傳だったのだろうか、例の六人組もこの茹たまご、「品が良くておいしい」と褒めていた。誰か「お塩」をと云ってくれたら大感謝だったのに!

瓢亭の隣にある山県有朋の別邸だった無鄰菴に寄る。この庭園、あまり広くないのに東山を借景として、奥行きをみせているのは流石だった。
 
 
 
この庭を廻っていたら、無性に黒谷の会津藩墓地に行きたくなった。十年前、京都を訪れスタートをきったのが岡崎の黒谷にある会津藩墓地からだった。黒谷金戒光明寺を訪れるのも三年振りだったが、ひどく懐かしく感じる。
 
 
   
  

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京都祇園 御料理たまりや

2015-11-13 | 

9月の終りに祇園「御料理たまりや」に寄った。今回でやっと3回目の訪問になった。
若い料理人が頑張っていると四季に造る料理を見たくなる。最初は冬の12月、
2度目は初夏の5月、そして今回は9月終わりの初秋、春の季節が抜けてしまった。

この店の料理長は平舘さん、通称「りょうちゃん」と呼ばれているが、この平舘という名字は
全国、合わせても百軒以下で非常に珍しい。
平舘は清和源氏南部氏の族にして、奥南部深秘抄に「一戸氏の家別れ、平舘、云々」とあり、
これだけ少ない名字だと、元を辿ればすべて同族になってしまうかも知れない。
今回は琵琶湖の湖東三山を巡った後に疲れ切ってお邪魔したので、お酒があまり進まなかった。

 
湯葉・蟹・銀杏・ナメコのゼリー寄せ、中トロ・アジ・鱧のあぶり・ハマチ(葛の葉)、
  
鯨の頬肉刺し身、舞茸の土瓶蒸し(冬瓜・鯛・三つ葉添)
  
カマスの幽庵焼き・衣かつぎ・イクラ(大根おろし)・枝豆(紫ずきん)・雲子(鱈の白子)生シラスのポン酢、
モズクと柿の酢の物茗荷添え、牛タンの味噌煮、(玉ねぎ・いんげん・白髪ねぎ添え)
  
ご飯  松茸土鍋炊き込みご飯、漬物(胡瓜・パプリカの南蛮漬・昆布)、ピオーネとイチジクの小豆餡
 

「御料理たまりや」
東山区祇園町南側
075-541-5670
昼 12:00~14:00(火~土)
夜 18:00~21:00(月~土)

御料理たまりや(15年6月)
御料理たまりや(14年12月)

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由良赤ウニ(明石駅前)

2015-11-10 | 

当初、明石駅前にある「明石魚の棚」商店街で明石焼の食比べをしようと思っていた。
 
この商店街だけで明石焼の店が10軒近くあるが、この明石焼は値段の割には一人前の量が多く、
2・3軒で腹一杯でダウンしそうなので諦める。
淡路島の代表的な食材の一つに「由良の赤ウニ」があるのを知った。
東日本でいう寒帯性の赤ウニ(エゾバフンウニ)とは異なり産卵期も遅いという。
由良の赤ウニは直径、5~8cmで棘の短い扁平な形をしている温帯性のウニで、
関東ではほとんど入荷することが無いという。明石でも食べさせて貰えそうな店に予約した。
このウニ、淡路島の各漁協のH・Pをみても禁漁になる時期がハッキリせず、
不安だったが、前日電話で店に確認したら大丈夫という事で明石に出かけた。

和歌山の「加太」や「由良」と云う地名には特別な感情を持っている。
戊辰鳥羽伏見の戦いに敗れた会津藩士が和歌山に逃れ、会津藩士千八百五十八人が
由良から五百八拾一両弐朱を支払い船で南下して逃れた。
この金額が和歌山に集結した会津藩士千八百五十八人の命拾いの値段だった。

紀淡海峡を挟んだ対岸の淡路島にも由良の地名があるのを知らなかった。
そういえば、夏に行った若狭宮津にも由良川という川があった。
広辞苑によると由良は砂地、風や波でゆり上げられた所を云うらしい。

お邪魔したのは「明石魚の棚」商店街の中にある「鮓希凛」二号店。
 
カウンター12席のみの小さな店だったが、昼は板前さん一人と若い女性の一人で客に対応していて、
数組の客だけで見ていても気の毒になるくらい、てんてこ舞いの忙しさだった。
  
  
頼んでいた箱ウニは通常のウニと表裏を逆に並べる通称「逆さのウニ」とも呼ぶ
由良の「川勝」の本ウニで、蝦夷ウニみたいな濃厚な甘みというわけにはいかなかったが、
非常に上品な味わいのあるウニだった。
 
  
  
玉子焼と明石焼の違いは判らなかったが、とにかく一回は本場で食べたいと
商店街の端にある玉子焼と暖簾の下る店に入る。お腹が一杯だったせいか出し汁が薄く、
味はこんなものかと店を出た。
 
 


〆て金五百八拾一両弐朱也

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米原青岸寺から彦根龍譚寺

2015-11-06 | 

湖南三山を巡った後、草津から東海道線を北上し、米原の青岸寺、彦根の龍譚寺、清涼寺を目指す。
この三寺とも井伊家ゆかりの寺院だと思い詳しく調べもせず米原の青岸寺に向う。駅で彦根観光協会「井伊家ゆかりの社寺めぐり」のパンフレットを貰った。青岸寺・龍譚寺は載っていたものの井伊家の菩提寺である清涼寺が見つからなかった。たまたま奥浜松と同じ彦根の龍譚寺を地図で調べていて隣にあった清涼寺を井伊家の菩提寺と勘違いしたかなと思いながら、まず青岸寺を訪ねる。

米原駅を出た途端、冷たい雨が降ってきた。新緑の季節に青葉をつややかに見せる雨を緑雨というらしいが、初秋にシトシトと降る雨は秋雨とでもいうのだろうか。駅からたった500m弱の距離がえらく遠くに感じる。
 
 
青岸寺の山号は吸湖山と壮大な号だが、境内にある庭園の池は水の替わりに苔を用いた枯山水の庭園で昭和九年に国の名勝に指定されている。石組が多いこの庭園は、奥浜名湖のお寺の庭園とよく似ていた。庭の端に少し大きめの深そうな丸い石組の井戸らしきものがあった。落ちたら危ないなと見ていたら、これは全国的に珍しい降り井戸型のつくばい(蹲)だという。これは蹲というより井戸に見えると云ったら怒られそう。
 
 
彦根駅に戻り、駅の観光案内所で食事が出来る処を訪ねたら、駅前か新しく出来たキャッスルロードがいいと教えてくれた。新しく出来たなら屋根がある商店街かと思ったら、古い街並みを再現した街並みでビックリ。近くにあった「せんなり亭 伽羅」という店で食事を済ませる。近江牛は少量すぎて気分だけ味わう。
 
今年、二宮の曹洞宗天寧山龍潭寺、奥浜松の臨済宗万松山龍潭寺を訪ねた。彦根龍潭寺は井伊直政が慶長五年(1600)、佐和山城主となり、これを機に遠江国北井伊谷郷の龍潭寺を佐和山麓に改めて開山したという。
 
 
 
 
 
 
戦国武将で小田原藩初代藩主大久保忠隣(大久保彦左衛門忠教の甥)が元与力であった大久保長安の不正事件に連座して改易(慶長十九年一月)となり、近江井伊家にお預けとなり龍澤寺に幽閉された。山門内にあるという幽閉地の石柱を探すのに苦労する。
 
右 石田三成像
 
龍潭寺のお隣の清涼寺はやはり井伊家の菩提寺だったが、このお寺さん、境内拝観自由だが、建物内拝観不可との事なので、雨が本降りになってきた事もあり、ここにある大久保忠隣供養塔は次回にお邪魔するという事で宿を取った京都に戻ることにした。
     
 
浜松湖北五山(龍潭寺)

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琵琶湖 湖南三山

2015-11-02 | 

草津線甲西駅から湖南三山と呼ばれる天台宗の三寺、岩根山善水寺、阿星山長寿寺、阿星山常楽寺を廻る事にした。この駅で降りた乗客は僅か四名、単線の駅にしては驚くほど立派で、普段、誰が利用するのかと思ってしまう。頼んであったタクシーを待つ間、駅前をブラブラすると、学校のグランドがあった。驚いたのは、このグランドのフェンスに「人権の薫り漂う、、、」という標語が掲げられていた。「人権の薫り」って何だろうと暫らく眺めてしまった。湖南市甲西地区にある学校のこのスローガンに正直、驚く。不思議な感じがしたので自宅に戻ってこの学校のH・Pをみてみた。学校の目標・方針で具体的実践目標の一番目が「差別を許さない人権意識の育成と定着を図る取り組み」、教育実践の重点・人権意識の高揚と態度化の一番目が「差別を許さない人権意識の育成と生活での実践」とある。勿論、他の目標・方針も多く記載があるが、差別を許さないというのは当然といえば当然の事であるが、具体的実践目標の一番目に差別と人権を掲げる学校に違和感を覚える。
 

善水寺の山号にもなっている岩根山は、通称十二坊山と言われ、その南麗中腹に寺がある。善水寺の山内を三尾に分け本堂の『中尾』、東側清涼山を『東尾』、西側十二坊山を『西尾』と称し、山内には一時二十六の坊舎(僧侶の住居)があったという。拝観を予約して行ったが、寺に誰もおらず、暫らくしてここの奥さんらしき人が車で戻ってきた。バタバタしてあまり印象の残らないお寺さんだった。
 
 
 
長寿寺、常楽寺を巡って、湖南山系の阿星山(あぼしやま)に「 阿星山五千坊」と言われる天台寺院群が在った事を知った。阿星山の北麓に位置する阿星山長寿寺は常楽寺と共に阿星山五千坊の一つに数えられ、どちらも山号を阿星山(あせいざん)といい地元では長寿寺を東寺、常楽寺を西寺と称しているという。阿星山長寿寺本堂の参道はお隣の白山神社拝殿への参道と平行しており、長寿寺の境内に神社があるのか、白山神社の境内にお寺があるのかよく判らなかった。
 
 
 
 
 
湖南三山の最後に寄ったのが常楽寺、ここは紅葉のシーズン以外は事前予約が必要で、参拝案内には入山料とあった。入口の事務所で朱印帳をお願すると、黙って棒で貼紙を指された。横の窓で受付けるとあった。受付の人間が横を向いて受取るだけなのに非常に感じが悪い。入山客が少ないのに呼び出されて機嫌が悪かったのか。趣を残している湖東三山に比べ、無理やり寺を集め湖南三山と呼称し、モミジを植え観光寺にしているようで、この常楽寺はあれも禁止、これも禁止と貼紙が多く、異様な光景だった。
 
 
滋賀県観光協会のパンフレットに「国宝湖南三山めぐり」の説明に「三ヶ寺とも創建は奈良時代までさかのぼり、秋の紅葉に彩られた季節は趣のある佇まいが楽しめます」とあった。言葉尻を取って云う訳でもないが、「秋の紅葉の季節は・趣のある佇まい」と条件が記述してあるのを見逃した。湖南三山は紅葉の季節以外に趣のある佇まいは望めないのだろうか。

    
左、善水寺と天保義民の塔 中、善水寺木造薬師如来像  右、常楽寺本堂・三重塔
  

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