大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

洛西葉室(浄住寺・地蔵院)

2015-06-26 | 

桂離宮の参観を申込んだら午前中の回に当たった。同じ桂にある苔寺の見学も申込んだ。
西芳寺の苔庭園を見るのには写経をしてからだと言う。参加費用が3千円掛る。高いか安いか、人それぞれだが、見物料を写経という宗教活動に代えて徴収するのは頭がいいと感心する。桂駅からタクシーで鈴虫寺の近くまで行って欲しいと告げると、お礼参りですかと尋ねられた。願いが叶うお地蔵様に人気があるという。まずはバスの折返し場前にある袖之茶屋で腹拵えをする。
 
時間の関係で、近くの黄檗宗の浄住寺から廻ることにした。宇治の黄檗山萬福寺を訪ねた時に聞いた読経は男性合唱団のように心地よく聞いた。それから黄檗宗のお寺があると寄るようにしている。浄住寺への道が判らず、バスの折返し場をウロウロしていたら、茶屋の女将さんが見かねて教えてくれた。まさか折返し場の横の石段を登って行くとは思わなかった。
 
ここは東海自然歩道で、石段の上からは、ゆるやかな下り坂で、地蔵院(竹の寺)の前を過ぎると普通の住宅街になって、不安になったころ、やっと住宅と住宅の奥に山門がみえた。
  
 
付近は、唐櫃越の東の起点。葉室の名は山田葉室町と地名にいまも残されている。寺伝によれば、大同五年(810)、嵯峨天皇の勅願により天台宗寺院として開創したが、弘長元年(1261)、公卿葉室定嗣が、奈良西大寺の比叡を師として出家して山荘を結界して「浄住寺」と改めた。
 
葉室山浄住寺は山城国の西大寺直末寺十九ヶ寺の筆頭の寺格を有していた。その後、数々の戦乱で興廃したが、貞享四年(1687)黄檗宗の僧鉄牛道機により再興開山され、黄檗宗の寺院となっている。
 
 
境内全域が京都市の文化財環境保全地域に指定されており、へえ~と思ったら、次に訪れた地蔵院も京都市の文化財環境保全地区に指定されていた。浄住寺も地蔵院も双子の兄弟みたいに山門までの景色が似ていたが、地蔵院は拝観料が必要だった。
 
地蔵院は衣笠山山麓にあり、山号は衣笠山、俗に谷の地蔵と呼ばれ、竹の寺ともいわれ、臨済宗の寺院です。室町幕府管領の細川頼之が北条氏の末裔宗鏡禅師を招いて建立、宗鏡禅師は夢窓国師を勧請開山とし、自らは第二世を称した。本堂には本尊地蔵菩薩と夢窓国師、宗鏡禅師、頼之公の木像が安置されている。
お寺のパンフレットによると、一休禅師が幼少の頃修行された寺で六歳の時安国寺に移られたという。ここも応仁ノ乱や震災で興廃したが、江戸初期、細川藩の援助で復興に乗り出した。
 
 
 
   
京都のお寺さんを廻ると、よく応仁ノ乱の頃の話が出てくる。会津では前の戦いと言うと、戊辰戦争の事で、京都の人は前の戦いと言うと応仁ノ乱のことだという。いくらなんでもそんな古い話は無いだろうと思っていたら、ある記念館の女性学芸員の方が応仁ノ乱時代の話を前の戦いとして普通に話されるので、ビックリした。
この一帯は苔寺や鈴虫寺とはまた違った趣のある静寂な自然豊かな場所でした。

苔寺・鈴虫寺へ

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桂離宮から苔寺へ

2015-06-22 | 

普段の行いが善いと云うか、悪いと云うか、5月には珍しい気温が30度以上のカラッと晴れた真夏日に桂離宮を訪ねた。郵送での宮内庁参観申込があるのを知らなかった為、いつも満員だと思っていた。桂駅から桂離宮へは20分位歩くかタクシーで行くしかない。桂駅付近の二つの郵便局を廻って疲れたので駅前からタクシーで行った。
  
20分前のちょうど入園が始まった時で,2・30人が並んでいた。入口で参観許可通知書をみせて、また参観者休所入口で身分証明書をみせる厳重さだった。そこで桂離宮のパンフレットを貰った。
パンフレットに宝くじの社会貢献広報事業として助成をうけたものだとあった。宮内庁が宝くじの助成を受けているのかとビックリしたが、さすがにこのパンフの発行は皇居・京都御所等の参観者・入園者へのサービスの提供をしている菊葉文化協会というところだった。
桂離宮は八条宮智仁親王(後陽成天皇弟)により宮家の別荘として創建、智仁親王は細川幽斎より古今和歌集の解釈を秘伝として相伝する古今伝授を継承し、王朝の詩情を回遊式庭園の中に再現することを目指したと云う。八条宮家はその後、常磐井宮、京極宮、桂宮と改称され明治十四年、十二代で絶え、明治十六年(1883)桂離宮と称されたという。

桂離宮略図(菊葉文化協会パンフ参考) 番号は写真番号です

1 .  2 竹穂垣
 
桂離宮の竹垣は二種類あり、割竹と竹穂を使った竹穂垣と生竹穂を折り曲げてそのまま垣とするものがあるという。参観者入口に直接来てしまったため生竹穂を使った桂塀は気が付かなかった。
3 .  4
 
5 御幸門 . 6 御幸門から表門方向
 
7 外腰掛前の薩摩島津家より献上されたと伝えられる蘇鉄. 8 松琴亭
 
9 . 10 松琴亭から書院
 
松琴亭内部 11 . 12
 
13 .14. 15 . 16
 
 
17 園林堂正面の扁額は後水尾上皇の宸筆 . 18 園林堂
  
19  笑意軒から園林堂を望む 20 園林堂から 笑意軒
 
笑意軒内部 21.22.23. 24 笑意軒まえの舟着き場
 
 
25 . 26 書院
 
27 . 28
 
29 書院から賞花亭. 30 月波楼 
 
月波楼内部 31. 32 . 33 . 34
 
 
古書院 35 . 36
 
37 . 38
 
春・笑意軒、夏・賞花亭、秋・月波楼、冬・松琴亭、と四季に合わせた四つの茶亭だという。
桂といえばいろいろな由緒を伝える桂女が有名。近世まで続いた鮎売りか飴売りの痕跡がないかと思ったが、「元桂御所 御用御飴所」の由緒がある桂飴本家の養老亭が13年に廃業して今では何も残っていなかった。
大方の桂離宮の解説書には、ブルーノ・タクトにより一般に広く知られるようになったとあり、建築と庭園の調和、造形美、日本美の典型という言葉が並んでいる。庭園に一歩、ふみいれて感じたのは、桂川の河原にこれだけの庭園を造るのは大変な労力が必要だったろうし、それに、よくそんな金があったと思った。勉強不足で、どのあたりが日本美の典型だかよく判らなかった。ましてや、美の発見には程遠く、説明者の話に成る程と感心するのが精一杯だった。戦前までは特定の人たちしか中に入ることは出来なかったと聞く。自由に入れない所に入れたという感じだけで、知人に桂離宮はどうでしたと訊かれたら、何と答えればいいのだろうか。途中、何回かの時間調節して、約1時間で見学が終わった。

苔寺へ

 

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京都 祇園もりわき

2015-06-19 | 

昨年、開店した新しいお店を訪ねた。祇園は人に連れられて行く程度であまり訪れたことがなかった。
祇園も花見小路から一本二本と、通りを外れると同じ町かと思うほど、ひっそりと、一玄さんを拒否するような秘めやかな町並みに変貌する。
 
「祇園もりわき」は四条通りアパホテルの一本奥の所にある。途中、大正ロマンか昭和レトロ模様みたいな派手な色の着物をきている若い男女のグループとすれ違った。着方が妙に崩れていてだらしない。男女ともモデルにしたいくらいスタイルは抜群に良いのに惜しいなと思いながら店の前で写真を撮っていたら、暖簾を掛けようと店から出てきた奥さんとばったり、さすが和服をきりっと着こなしていたので何か安心する。丸坊主頭の実直そうなご主人と奥さん、二人で店を切盛りしている。
 
 

玄米素湯(?)        先付け 冬瓜・アワビのゼリー寄せ土佐酢
 
椀  オコゼと賀茂ナスの吸物・ジュンサイ・ネギ・ショウガ添え
お凌ぎ シビマグロ・メダイ・剣先・ウニ 
 
蒸し物  蒸し物 穴子・そら豆・もち米         焼物  のど黒・ホウズキトマト添え
 
揚げ物 稚鮎の唐揚げ・ホタルイカの酢味噌和え
近江牛のイチボのたたき
 
煮物  すっぽんの土鍋・賀茂ネギお餅入り  強肴  鱧の1口にぎり
 
手打ち蕎麦   水菓子 ナッツババロア・グリーンライチ添え 
 
好きな芸能人に伊集院光がいる。彼が以前「旨いお店と美味いお店」があると云っていた。内容は全く忘れてしまったが、今回、天橋立に「丹後トリ貝」を食べにいった。旨いとは素材その物の味が良いことであるなら、美味い店というのは、技で素材の良さを引き出せる料理人がいる店という事になる。
「もりわき」では、美味い、美味いと、出てくる料理を次から次と平らげたが、コースの終りに蕎麦が出てきた。修行中に親方が作った蕎麦に感激して、蕎麦を打つようになったという。一般的に東の蕎麦、西の饂飩と言われているが、関東と関西でまったく異なるのがツユ・シルで、好みがこれほど分れるのも珍しい。「そば八寸」・「切りべら二三本」と云うが、蕎麦が長い、短い、太い、細い、蕎麦ツユも濃いの、薄いのと10人集まれば10人好みが異なるのが蕎麦で、ずいぶん難しいものをコースに入れたなと思う。

15年5月
祇園 もりわき
京都市東山区祇園町南側570-177
075-525-1030
12;00~13:30   18:00~20:00

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丹後 天橋立

2015-06-15 | 

一度、京都伊根の舟屋を訪ねたかった。今回京都に泊まって、朝、早かったが7時32分発きのさき1号で福知山乗換え、たんごリレー1号で天橋立に行くことにした。JRと北タンゴ鉄道の乗換え時間が6分しかなく、ホームも発車階も異なり心配だった。3分遅れで福知山駅到着のアナウンスにビビる。駅と云うと、京都駅や東京駅を想像するが、福知山駅はこじんまりしていて、乗換えに2分も掛らなかった。
 
左、たんごリレー号
 
戊辰のとき、会津藩士が京都から若狭に抜けるとき、渡ったあの山家の由良川の下流にある由良川橋梁を走る北近畿タンゴ鉄道にも乗りたかった。福知山から天橋立にいくと宮津駅でスイッチバックして由良川橋梁を通らないのが判った。宮津線・宮福線と2線あるのをしらなかった。
 
天橋立駅から海抜350mにある西國二十八番札所の成相寺(ナリアイジ)に向かう。
  
 
 
ここの成相観音は美人観音、美人になれる観音様として名高いが、開基慶運元年(704)、真応上人で、お寺の由来は今昔物語巻十六、丹波國成合観音霊験語第四(近代デジタルライブラリー 国史大系. 第16巻 今昔物語・閲覧可)に記載がある。また悲しい美人観音の伝説も残っている。「今昔、丹後國に成合と云う山寺有り。其の寺高き山にして其の國の中にも雲高く降り風嶮く吹く、而るに冬の間にて雪高く降て人不通ず」と書き残されているとおり、標高350mとはいえ、急坂の連続する場所によく造ったものだと感心する。
 
 
 
股のぞきで有名な傘松公園で天と地がつながる昇龍観(天橋立)を眺めてから伊根に向かう。
 
細い漁師町を通って舟屋が見える場所までいった。途中、道路のまん中に岩が、と思ったら野生の猿が坐っていたのでビックリ。漁港の端に見慣れない鳥(鷺の子?)が悠然と沖を眺めていた。
 
 
考える事もなかったが、舟屋を正面から写すには、海上からでないと無理なことに漁港に立ってから気が付いた。時間が無く伊根湾をめぐる観光船に乗れなかったのが心残りだった。
 
伊勢神宮に奉られる天照大神、豊受大神がこの地から伊勢に移されたという故事から元伊勢と呼ばれる奈良時代に丹後國一ノ宮となった元伊勢籠神社よる。ここは伊勢神宮とこの籠神社にしか祀ることが許されない青、黄、赤、白、黒の五色の座玉(すえたま)が本殿の高欄に取り付けられている。
 
 
三人よれば文殊の知恵で知られる智恩寺(文殊堂)をまわる。家人と二人旅、文殊の知恵に一人足らなかったが、回廊を廻ると、賢そうな猫が一匹、仲間に入らないかと声を掛けたら、うさん臭そうな目で睨まれた。
 
 
最近、養殖の「丹後トリ貝」が有名で今年は生育がよくて四月二十日が解禁日となった。楽しみに廻旋橋近くの店にコースを予約していった。席に通されたが、テーブルがベタベタしている。塗がとけてベタベタしていると言われた。おもわずおしぼりで拭いてしまった。この時点で店選びを失敗したことを感じる。先付を運んできてくれた。器の置き方がおかしい。それとも天橋立股のぞき風に逆に置いたのだろうか。
 
「才能あり、ど凡人、才能なし」と区分けするテレビの人気番組がある。この店、「才能あり」なのかそれとも「才能なし」の店なのだろうか。
   

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京都祇園 たまりや

2015-06-07 | 

前回はいつ訪ねたのだろうと考えるくらい間が空いてしまった。冬、春、夏、秋と四季のお料理を見てみたい、食べてみたい、と思うお店は少ないが、ここ「たまりや」は京都に行った時には寄ってみたいお店の一つになった。体調もあって春は行きそびれてしまった。「たまりや」を訪ねた日は5月だというのに30度を超えた真夏日、しかも日中、桂離宮では風邪気味のお兄さんの説明を聞き、苔寺で写経をさせられ、鈴虫寺では聞きたくもない坊さんの説教を聞かせられ、くたくたになってお店に向った。

四条通から花見小路通を入った一力の前に人だかりが。何事が通るのかと思って一緒になって待っていたら、舞子が通る度に大騒ぎしていた。野次馬も暇人でないと難しい。
 
花見小路通で食事をするようになったのは最近だが、この小路に入ると、どれだけの和食の店があるのだろうかといつも思う。それにこれだけある店の集客力の強さにこの町の恐ろしさも感じる。ここ「たまりや」はいつもニコニコしている女将さんと控えめな妹さん、穏やかな感じの料理長と三人で動かしている。店の特長を出すといっても一年や二年の期間ではとても難しいのではと思いながら店の階段を上がった。
 

15年5月
先付  汲み上げ湯葉と鱧・アスパラ・ミニトマトのポン酢ジュレ
お椀  ホタテしんじょうと焼きナスのお吸い物、青だつ(蓮根の茎)添え
 
向付 つばす(鰤の幼生)・鰹・鱧の御造り
スズキの洗い
 
焼物 焼き椎茸・パプリカの南蛮焼き・イサキの幽庵焼き・穴子の焼き物・飛魚の一口握り、
長皿載せ(80cm)
こんな長いお皿をみたのは初めてでビックリした。お料理の中に遊びがあるのも楽しい。

  
バランスよく二人分のお料理が載っていたので三人のときはどうするのか聞いたら、
すこし詰めて乗せるという。つまらない事を聞いてしまった。

ジュンサイとウニのジュレ
煮物 山椒のすき焼き
 
ご飯 桜エビの土鍋炊き込みご飯 香物 止め椀
 
甘味 野イチゴ・グレープフルーツのババロア
 
窓の棚の中央に器が飾ってあった。気になっていたので聞いてみた。料理長が買った器だという。少しづつでも器を買い揃えているという。料理人は腕を磨くのも大変だが、こんなところにも苦労があった。

京都祇園 御料理たまりや(前回14年12月)

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滋賀 県道319号竹生島線

2015-06-03 | 

ここ数年、琵琶湖周辺にはよく行った。いつも気になっていたのが湖の中にある古くより神様が棲むという竹生島だった。急な石段に恐れをなしてパスしていたが、思い切って季節の良い5月に訪ねた。
湖西線を使い、近江今津浜から乗船することにした。時間があったので、滋賀今津郵便局に寄ったあと、近くの加賀藩初代藩主利家夫人芳春院ゆかりの禅寺、曹澤寺に寄る。
 
 
   
今津は若狭小浜と結ぶ九里半街道の琵琶湖北西岸の湊で、古代より陸路・水路にしても交通の要路で栄えたという。ここも鯖街道の一つかと、まったく人気のない湖に沿った古い家並みを歩いた。
  
船会社の説明に宝厳寺本堂までは、「祈りの階段」と呼ばれる165段の石段が続くとあった。たしかに急な石段を呪いながら早く頂上に着かないかと祈りながら登ることになった。
 
弁才天を祀る西国三十三所三十番札所となっている宝厳寺の本堂はあまり荘厳さを感じない建物で祈りの階段はなんだったのだろう。明治の神仏分離で宝厳寺と都久夫須麻神社に分かれさせられたというが、宝厳寺観音堂と都久夫須麻神社本殿は渡廊で直接連絡していて緊密さを保っていた。島が狭くて分離できなかったのかも。国宝の宝厳寺唐門は補修中だったが、見たかったのは豊臣秀吉の御座船を再利用したといわれる「船廊下」だったのでよかった。
 
 
 
40分もすると元の船着き場に戻ってきてしまった。参道の土産物屋の入口に郵便ポストがあった。
 
 
よく見ると、その脇に石柱がある。近づいてみると「びわ村大字早崎一六六六番地(先)」「県道竹生島線起点」とある。ほとんどが神域だったこんな小さな島で県道の終点はどこにあるのだろう。
 
再度、石段を登って調べる元気は残っていなかった。戻ってから調べたら、昭和33年7月26日・告示第291号・滋賀県道路線・整理番号319・路線名竹生島線・起点東浅井郡びわ村大字早崎・終点東浅井郡びわ村大字早崎で、今も竹生島線長浜市早崎町0.1kのれっきとした県道だった。100m未満の距離とすると竹生島港から宝厳寺参道の多分鳥居迄で、数軒の商店前の屋根がある珍しい県道ではないだろうか。長野 県道162号上田停車場線7m(25年度版上田市の統計)が県道最短線みたいだ。
  
     
西国三十三番満願霊場は美濃国谷汲山華厳寺で、聞いたことがあると思ったら、数年前に岐阜大垣から養老鉄道と樽見鉄道に乗りに行った時、訪ねたお寺さんだった。
 
  

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