大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

長良川(岐阜)

2013-10-26 | 

岐阜駅に初めて降りる。駅前に大きな金色の像が建っていた。なんだと思ったら、信長公の立像でビックリする。何かロシアの地方都市に迷い込んだような気分になる。
 
岐阜バスの1日乗車券を買う。市内200円均一区間のみしか利用できないと云われた。乗車券の裏に大まかな路線図が記載してあったが地名が分からない者にとっては不親切、販売を積極的には勧めていないのだろうか。朝一番で雄総(おぶさ)の護国之寺に向かうためバスターミナルに行く。バス停を挟んで若い子ばかり、2列のかなり長い列が出来ていた。雰囲気が違うので並んでいる子に聞くとスクールバスを待っているという。2列のまん中の人が誰もいない所が目的のバス乗場だと教えてくれた。護国之寺は岐阜城がある金華山から長良川を渡った北側にあり、岐阜駅から約30分、「おぶさ」行き終点が山門まえになっていた。
  
雄総山護国之寺(ゆうそうざんごこくしじ)でもらったパンフレットによると、天平十八年(746)聖武天皇の勅願により行基菩薩の開創、天正年間に信長の兵火により焼失、元文元年に本堂が建立と伝えられて、楼門は宝暦十二年(1762)に建立された。本堂の側に美濃地方では古いもののひとつである在銘の宝篋印塔が残っている。
 
 
  
ここから長良郵便局に寄ってから信長・信忠父子の廟所でもある神護山崇福寺に行く。
 
崇福寺三世住職はのち、恵林寺で織田信忠に攻められ「心頭滅却すれば火も亦た涼し」の辞世で知られる快川紹喜国師。撮影禁止で写すことは出来なかったが本堂廊下の天井に残るのが「地(血)天井」。関ヶ原合戦で当時、稲葉山城(岐阜城)に居た三法師秀信(信長孫)は西軍方に味方して、東軍に攻められ落城の際、討死や自刃した家臣の霊を弔うため 城の床板を天井に張ったもので、今でも血痕が残っている。有栖川宮家初代好仁親王の御位牌が安置され、その後、八代熾仁親王の代に祈願所となったという。織田家の位牌所と思って訪ねたお寺が、あの戊辰戦争で会津征討大総督を務めた有栖川宮の祈願所だったとは、エッという感じだった。信長、信忠父子の廟所は本堂裏にあった。
 
 
 
  
大仏町の黄檗宗金鳳山正法寺に日本三大仏の一つに数えられ、天保三年(1832)、三十八年の歳月を費やして完成したという大仏像(釈迦如来像)を訪ねる。大仏前バス停からしもた屋風の横丁を入って曲がると突然、大仏殿の大きな建物が現れビックリする。
 
夕方、金華山ロープウエーを使って急な斜面と切り立つ岩山の金華山頂(標高329M)にある岐阜城にのぼる。
 
 
さすがに夜景は綺麗だった。暗くなって、長良川の鵜飼いを見にいく。思ったより大勢の観光客が集まり、鵜飼船の松明が熱く感じられるほど近寄って見物、帰りのタクシーで鵜飼いの採った鮎が高価で料亭などに卸されているのを聞いて驚く。
 
 
夕食替わりに居酒屋「螢」で鮎や飛騨牛朴葉味噌、郡上の明方ハムなどをつまんで宿に戻った。この明方ハムは美味しかった。
 
 

郡上八幡凌霜隊
長良川(郡上八幡)

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長良川(郡上八幡)

2013-10-10 | 

「郡上のナァ〜八幡出て行くときは、雨も降らぬに袖しぼる」の唄で知られる郡上おどりは7月中旬から9月上旬にかけて歌い踊り続けられ、四百年も続いているという。これらの盆踊りがしっかりと受け継がれ根づいているという事は、それなりの歴史と風土が形づくられているということなのだろう。盆踊りの興奮が落着いた頃を見計り郡上八幡を訪ねた。岐阜から高速バスを使うか、長良川鉄道を使うか迷ったが、往きは電車、帰りはバスに乗る事にした。
 
  
長良川鉄道は旧JR越美南線美濃太田駅~北濃駅、72・1Kの路線で通常は1両編成で運行しているとの事。めったに下り電車が満席になる事はないとの事だったが、朝の上り電車は通学の高校生でかなり混んでいた。折返しの電車は後乗り前降り車内精算のワンマン運転だったが、この高校生達、終着駅でもお喋りに夢中だったり、熟睡中で起きなかったりで、なかなか降車せず、不愉快になるほど操作がノロノロと怠慢で、美濃太田のどこの高校生だか聞きたくなる。
始発駅からの4割程度の乗車客も美濃市駅を過ぎるころにはかなり少なくなったが、この辺りから車窓の右左に長良川がよく見えてくるが、北濃方向に向かって左側の方が川を眺めるのに好いように思う。
 
 
 
途中、「みなみ子宝温泉駅」という駅があった。一瞬「皆巫子宝温泉」で、何か霊験あらたかな感じがする。郡上八幡駅から郡上八幡コミュニティバスで八幡町五町の瑞宝山楊柳寺(ようりゅうじ)を尋ねる。このバスは1時間に1本のミニバスだが1日券が200円では文句はいえない。
 
 
楊柳寺本堂は崖にへばりつくように作られた懸造りで江戸時代中期の郡上藩主金森頼錦が現在の懸崖造りに改築したと云われている。
 
 
本堂の途中の草むらでガサガサと不気味な音がしていて逃げ帰るようにバス停に戻った。次に向山の小駄良川に架かる大乗寺橋を渡ったところにある清水山大乗寺を訪ねる。
 
大正八年(1919)の北町大火により建物はほとんど焼失したが、門の上に鐘楼が配置されている鐘楼門は火災を免れ郡上市指定文化財に指定されており、古さを感じられる。
 
戊辰の戦いで、郡上藩江戸詰藩士で組織して会津若松城内で最後まで戦い抜いた凌霜隊員が謹慎のため揚げ屋から移された職人町にある長敬寺から城山の郡上八幡城に向かった。
 
この城は上り口から天守閣まで徒歩20分ほどと観光ガイドにあったが、一方交通の車道はかなり急で町のミニバスがお城まで廻らないのは何か理由があるのだろうか。
 
 
城山の南側を流れる吉田川の対岸にある、奥庭が池泉回遊式庭園として有名な慈恩禅寺てつ(草冠に至)草園を訪ねた。
 
ここ鐘山慈恩護国禅寺は、慶長十一年(1606)、八幡城主遠藤慶隆の開基で八幡城主遠藤氏や金森氏の墓や、幕末の藩主青山家の藩士の菩提寺にもなっている。本堂内が撮影禁止なのは理解できるが、自慢の奥庭まで撮影禁止なのは残念、なにか理由があるのだろうか。
 
 郵便局から吉田川に架かる新橋を渡り湧水の宗祇水に寄り、肴町の通りに在った「大八」で食事にする。ハムは八幡町特産の「明方ハム」、これは非常に美味しかった。
 
 
 
午後になると急に外人の観光客が増え、静かだった街中が嘘の様にうるさくなった。まだ廻りたい所もあったが早めに切り上げて高速バスで岐阜に戻った。

郡上八幡凌霜隊の事
長良川(岐阜)

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揖斐駅から谷汲口駅へ

2013-10-02 | 

長良川をウロウロする旅に出かけた。多治見の永保寺・定光寺から秘境駅でもある定光寺駅へのコースかローカル線に乗って揖斐の横蔵寺・華厳寺にするか迷ったが、結局、養老電鉄・樽見鉄道と、ローカル線に乗りたくて初日は名古屋・岐阜を通り越して大垣駅からスタートした。
 
養老鉄道側の連絡通路でコインロッカーを探すが見当たらず、ウロウロして焦る。JR職員に尋ねる。JR線改札を出て正面のJR東海ツアーズ大垣支店の横にこぢんまりとあった(小型10、大型3)。JR・養老電鉄・樽見鉄道の乗換駅でたったの13個しかロッカーの設置が無いのは大垣にはあまり観光客が立ち寄らないという事なのだろうか。養老鉄道、桑名駅~揖斐駅(57.5K)は約1時間30分程度掛るが、直通便はなく途中の大垣駅で乗り換えることになる。
 養老鉄道大垣駅は折返しの単式ホームで、何人もの地元の人達が自転車ごと乗車してきたので少しビックリ! 終点駅の揖斐駅で降車客は4名、駅前にあった地元の特産品販売所(主に野菜)で30分ほど時間を潰してコミュニティバスで終点の横倉に向かう(左 大垣駅、右 揖斐駅前、下段左 揖斐駅)
 
 
揖斐駅から横蔵まで40分程で着く。バス停の前に両界山横蔵寺への参道がある。
 
横蔵寺は延暦二十年(801)、伝教大師により開山、鎌倉時代の記録に拠れば、薬師堂、三重塔、楼門、政所をはじめ、三十八の僧坊があったという。
 

 
  最澄が創建したと伝えられる。中でも村人に祀られていた二百年前に即身成仏したという妙心法師の舎利仏(ミイラ)は有名で、明治十三年、天皇行幸に際に県庁で天覧に供され、これが縁で明治二十三年出生地の横蔵寺に祀られたという。横倉寺本堂から飛鳥川を挟んで舎利堂にミイラ(舎利仏)は安置されていて拝観することが出来る。
 
  
横倉から華厳寺のある谷汲山まではバスで15分。谷汲山バス停から華厳寺までは両側に土産店や食堂などがパラパラとあるゆるい登り坂を徒歩15分程度で谷汲山華厳寺山門に着く。

  
 
 

寺の草創は延暦十七年(798) 会津黒河郷の豪族大口大領よって創建、開祖は豊然上人、西国巡礼中興の祖とされる花山法皇は西国三十三箇所の霊場を御徒歩で御巡幸、当山を第三十三番札所の満願所と定め、御禅衣(笈摺)、御杖、及び三首の御詠歌を奉納せられた。
華厳寺では西国三十三番の結願札所として花山法皇が詠まれた御製三首の御詠歌にちなんで三つ御朱印があり、三つの御朱印は本堂(観音堂)・満願堂、笈摺堂を指し、それぞれ現在・過去・未来を意味するとされている。
          
三首の御詠歌を現在・過去・未来を結び付けたのは巧い事を考えたなんて云うと罰が当たるかな。
時間があれば樽見電鉄の終着駅、樽見駅に寄ってから大垣に戻ろうと考えたが時間もなく樽見電鉄無人駅の谷汲口駅までバスで向い、大垣に戻った。(谷汲口駅と駅前)
 
 
残念だったのは谷汲山バス停近くの昆虫館に隣接する2001年10月に廃線となった名鉄谷汲線の旧谷汲駅・ホームが記念館として保存されて2両の電車が保存されているという。知っていれば、バスの待ち時間をビールなんか飲んでのんびりしている場合ではなかった。

 長良川(郡上八幡)

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