大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

城崎温泉 夕食

2017-09-27 | 

城崎温泉で志賀直哉が定宿とした旅館の食事は朝、夕とも食事処で提供される。若い子がそれぞれの料理の説明を一生懸命してくれた。前菜の中で食材が揃わなかったのか一つだけ異なるものが入っていた。給仕の子が献立表の通りに説明している。家人と一緒にどこにあるのか探してしまった。
献立の中になんて読むのか解らない漢字があった。特選但馬牛「但馬玄」部位三種という献立での「玄」の部分、これで「但馬玄」(たじまぐろ)と読ませるという。たしかに玄の漢字は音で「ゲン」、訓で「くろ」、の読み方をしている。玄(く)で始まる漢字には、玄人(くろうと)ぐらいで他は、玄関(げんかん)、玄米など殆どが「ゲン」と読ませ、玄で終わる漢字では、幽玄、玄玄(ゲンゲン)など、みな「ゲン」と読ませている。信玄を「のぶくろ」と呼ぶと言われれば驚く。特に若い夫婦が付けたお子さんの名前が読めなくて困っている。最近、自分の国語力が落ちてきたようでガッカリする。「八」で「エイト」とよませるCMがある。実際にこれから起こりそうな話でゾッとする。

献立
先付 えんどうまめの豆腐

前菜 プチトマトのシロップ漬け、鴨ロース、さざえ、苦瓜と穴子の流し物、海老雲丹焼き、鯛皮のポン酢和え、海の幸の山椒煮
 
お椀 のどぐろしんじょう          お造り 鮮魚のお造り
 
焼物 鮎の塩焼き    

強肴 鮑の踊り焼き
 
酢の物 湯引き鱧 胡麻蒟蒻

陶板 特選但馬牛「但馬玄」部位三種 食べ比べ
  
寿司 但馬牛炙りにぎり  赤出汁    デザート オレンジ わさび豆乳プリン
 

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城崎温泉にて

2017-09-23 | 

中学か高校で志賀直哉の「城の崎にて」が国語の教材として出た。授業のスタートから「城」が読めなくて戸惑った。文章に、それ、これが多く、本文を行ったり来たり、この小説の難解さにてこずった記憶だけが残っている。小説の理解度はともかく、この題だけは記憶に残った。そんな訳で城崎温泉は行ってみたい場所の一つだった。城崎には午前中に着いた。駅前が閑散としているのに驚く。
 
昼食はこの街で人気店だという一階は魚屋で二階が食堂になっている店に入った。客が一組もおらず、ここも閑散としていた。
 
早々に食事を終わらせ、大師山(標高230m)に設置されたロープウェイで温泉寺に向かう。入口から乗り場までの石段がきつい。
 
 
山頂駅の脇にカニ塚と昔は奥之院千手堂と呼ばれていたところに今は「列仙閣」がある。
 
中間の温泉寺駅に温泉寺の本堂がある。このお寺は道智上人により天平年間に開創された山陰一の古刹で温泉寺本堂は但馬では最も古い仏殿で建立は至徳四年(1387)と言われている。 ご住職に御朱印をお願いしている間、若いお坊さんが本堂を丁寧に案内してくれた。
 
 
麓の山門
  
 
右 麓から本堂への参道
 
温泉寺から極楽寺に向かう。臨済宗大徳寺派の極楽寺は江戸時代、但馬出石出身の沢庵宗彭が中興している。山門の手前左手に浪切不動尊、山門をくぐると境内に黒砂と白砂の清閑庭と呼ばれる枯山水の石庭があり、禅宗の質素な美しさを持つお寺さんだった。
 
 
 
訪ねた時は、本堂で御詠歌の練習が始まっていて、御朱印はあとで宿に届けてもらえるということで大変恐縮する。極楽寺から城崎温泉の奥、大師山の北側を源流とし城崎温泉街沿いを流れ、円山川に合流する大谿川に沿って志賀直哉ゆかりの宿に向かう。
 
宿のH・Pによると「城の崎にて」当時の建物は大正14年の北但大震災により倒壊したが、昭和2年の再建以降も昭和30年代まで幾度となくお越しいただき、その際の部屋が26号室で、現在も当時のまま残してあり、縁側からは「暗夜行路」に描かれた庭園を眺めることが出来るという。この宿は温泉街側と庭園側に部屋が分かれていて料金も異なる。折角なので志賀直哉も見たという庭園側に部屋を取って貰った。
 
部屋は2階の26号室のお隣で、宿自慢の庭園が一望にと外を眺めると、エッという感じ。一階のロビーで記帳をしているとき、池の魚を狙ってサギがいた中庭だと思っていた所が二百坪位の庭園だった。
 
 
庭を見に来た訳ではないので気を取り直す。一番の目的は七湯ある外湯めぐりで楽しみにしていた。温泉外湯は曜日によっては休湯しているところもあるが、一の湯、御所の湯、まんだら湯、さとの湯、柳湯、地蔵湯、鴻の湯と七湯ある。しかし、観光協会のパンフをよく読むべきだった。旅館で説明を聞くまではいくつかの源泉があると思い込んでいた。協会の案内に「すべての源泉は1972年に作られた集中配湯管理施設に集められて、平均温度を57度に安定させてから町内に張り巡らされている配管を通じて、各外湯・旅館に送られている」とある。いくつかの源泉を混ぜて各外湯・旅館に配湯しているという。要は、湯船の形だけが異なり泉質はどこの各外湯・旅館も同じだという。驚愕の現実に楽しみにしていた外湯めぐりが急速に萎んだ。全旅館が豊富に使えるだけの湯量がないらしい。それでも気を取り直して外湯の一の湯に入りに行った。何だか大きめの銭湯に入った気分で早々に出てくる。
 
鄙びた温泉地でもなく、特徴のある源泉の温泉地でもなく、志賀直哉を除いたら何が残るのだろう。ビールを飲みながら屋根を眺めた。小説に描かれていた鼠も見なかったし、蜂の死骸も無かった。風もないのにヒラヒラ動く葉が、風が吹いたらその葉が動かなくなったのを見上げて、志賀直哉は「原因は知れた」という。凡人中の凡人には何が解ったのか皆目見当がつかない。夕食の時間になった。給仕の若い女の子が一生懸命、料理の説明をしてくれた。同じ料金の箱根湯本の旅館よりよほど美味しかった。
  
                             

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鳥取駅から城崎温泉駅へ

2017-09-18 | 

鳥取から城崎温泉で一泊して小田原に帰ることにした。朝、5時過ぎに目が覚めて外を眺めていたら山陰本線の始発電車なのか2両編成で走ってきた。
 
 
鳥取から城崎温泉への直通本数が少ない。6時台の電車を除くと直通は午前中2本しか走っていない。鳥取から城崎温泉までは鈍行で2時間。混んでいたら嫌なので早めに駅に行った。9時過ぎだったが人は疎らで閑散としていた。人の気のない駅を写そうかと思ったが、そんなに駅が珍しいのかと思われても癪なのでホームまで写真を撮るのを我慢した。
 
県庁所在地の鳥取駅前にはホテルやビルが在るものの、この街はひと気のない、あまり城下町の歴史を感じさせない街で、どこが町の中心で繁華街になっているのか分からなかった。9時30分、8名の乗客を乗せて出発。
最初に停まったのが福部駅。ボッ~と外を見ていたら駅舎がプレハブ、駐車場のような広場の横に停車したのでビックリする。
 
いくつか駅に停まると日本海に出る。きれいなリアス式の東浜海岸沿いを走って東浜駅に到着。
 
この駅の所在地は岩美町陸上(くがみ)、いつの間にか「りくがみ」の「り」が無音になってしまったのだろうか。ここの駅舎は山陰本線の駅舎に似ず斬新な総ガラス張りみたいな超近代的な駅舎で、驚く。夏は暑く、冬は寒そうで大丈夫なのだろうかと余計な心配をする。
お隣の駅が無人駅で木造駅舎が残る居組駅。
 
このような古い駅舎が残っているのは嬉しくなる。停車時間が短く、ホームに降りて写真を写すことが出来なかった。ここまで一人降り、一人乗りと車内はガラガラで電車は走っていく。次は「夢千代日記」のロケ地、湯村温泉の入口にあたる浜坂駅。
 
ホームに人が二、三人いるだけで何だか嬉しくなる。えらく長いホームのある久谷駅に着いた。
 
ここで一人のお婆さんが降りた。トボトボとゆっくり歩いてホームの端から草むらに消えた。対面式ホームの駅かと思ったら、駅舎のある1番線側にはレールが取り外してなかった。防空壕みたいなコンクリートの駅舎があるのが餘部駅だった。
 
「餘部鉄橋 空の駅」と碑があるわりにはガックリする駅舎だった。夢千代日記が始まり、強風により列車が転落する前だったから、今から3・40年前に餘部鉄橋を見上げた事がある。明治に凄い所に鉄橋を通したものだと思う。鉄橋を渡って綺麗な海岸線を通り着いたのが鎧駅。
 
平家の落人伝説かと思ったら、香住海岸にある「鎧の袖」と呼ばれる鎧のような柱状節理と板状節理の断崖、が地名になったらしい。この駅の所在地が「香美町香住区鎧字タルビ」だという。タルビという地名も珍しい。ツララ(氷柱)の古語、タルヒ(垂氷)の音転訛したものだろうか。車窓から構内にある「天然記念物釣鐘洞門 西北海上三十町」とある石柱が見えた。釣鐘洞門は鋸岬と伊笹岬の中間、香美町香住区余部にある世界最大級の洞門だという。海上三十町で舟でしか行けないとすると、北西と云わないのかな。西北と北西の区別が解らなくなる。
冬のカニシーズンを除くと香住駅も寂しい。
 
佐津駅を過ぎると岬の先に穴ぼこがある切浜海岸が見えてきた。
 
ここが鬼伝説の残る「淀の洞門」と呼ばれる海食洞みたいだ。竹野駅を過ぎると城崎温泉駅。
 
 
ほとんどの乗客は特急「こうのとり14号」に乗り換えてしまい、城崎温泉駅に降りたのは10人もいなかった。この時点ではまだ、城崎温泉は温泉巡りのできる名湯の温泉場と思い込んでいた。

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パソコン壊れた

2017-09-15 | その他

今年の夏からWin10をメインとして使いだした。今まで使っていたのがWin7だったから使い勝手がだいぶ異なり戸惑う。
使っているうちに突然、画面がブルーになって「問題が発生したため、PCを再起動する必要があります。エラー情報を収集しています。自動的に再起動します」となり、停止コード「VIDEO SCHEDULER INTERNAL ERROR」のメッセージが出て、5秒程度で再起動する。それから色々な停止コード「PAGE FAULT IN NONPAGED AREA」「WHEA UNCORRECTABLE ERROR」が出るようになり、直ぐに再起動する。停止コードを検索しても英文で理解不能。メーカーのサポートに相談してあまり事例がないと言う。
ファイルが破損して、クラッシュが大きくなるとと困るので、修理に出した。
予備のWin7を使いだしたら、またしても英文のメッセージがヅラヅラと出て最後がCollecting data for crash dump …Initializing disk for crash dump、そしてシステムを復元しますか、と云うからお願いした。1時間掛かって「復元は出来ませんでした」との冷たいメッセージが画面に。恐怖のブルースクリーンエラーになってしまったらしい。
スタートアップ修復もやってみた。結果がでた。58分掛かって「失敗しました」だって。
Win10は「動作テストで異常は確認できませんでした」とメーカーから直ぐ連絡があった。停止コードは何だったのだろう。PCは再テストして返却してもらうことにした。
さてWin7をどうするか!

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鳥取 夏の味覚

2017-09-01 | 

鳥取では駅北口側のホテルに泊まった。鳥取の夏の味覚は「岩ガキ」と「白イカ」だという。夕方、食事に街に出る。北口は道路が広くて車は走っているものの、歩いている人がまばらで、駅真正面にある商店街らしきところにも人が全くいない。
  
シャッター通りを歩いているような感じになる。繁華街は駅の反対側の南側かなと思いながら、キョロキョロしながら歩いて行くと、角地に「まちパル鳥取」という看板が目についた。入ると学生が大勢いて自習をしていた。多目的ホールかと思ったら、本通商店街が運営する鳥取市のお土産販売・観光情報やまちなか情報を発信する総合案内所だった。昔、東京駅の大丸の9階に各県の観光案内所があって、そこで売っていた山陰名物の「いかロール」が大好物だった。纏めて買って帰ろうかなと、意気込んで「益田のいかロール」が欲しいと云うと、益田はお隣の島根県で、ここは鳥取の土産しか扱っていないとつれない返事が返ってきた。益田は島根、エッという感じで恥をかいてしまった。
その先のお寿司屋さんで、ツマミを少し切って貰って、あと頼んだのが岩ガキ、白イカとモサエビ。モサエビは刺身と焼いたのを頼んだが、刺身はあまり味がしなかった。白イカは剣先イカと同じかと聞いたら別物だという。関東では剣先イカを赤イカと呼んで、九州などの剣先イカを白イカと呼んでいる。赤イカは別にいると言う。ここでは焼きモサエビが、甘みがあって美味しかったので同じ物を追加してしまった。
 
 
ただ、鳥取ではモサエビの漁期は9月~5月で夏は禁漁期だという。6月に食べたモサエビは冷凍物だったのだろうか。全く気が付かなかった。モサエビもどこかで見たことがあるようなので、宿に帰って調べたら、モサエビも新潟や金沢で食べた「がすえび」の別名で同じ物だった。鳥取ではもう一軒、居酒屋に入った。駅前のひと気のないアーケード街の入口にある「うまいもんや 松尾」というカウンター席しかない店に岩ガキの「夏輝」ありますという手書きのメニューに釣られて入った。
 
 
 
注文したのは前日と全く同じ岩ガキ、白イカとモサエビ。鳥取県内で採れた殻長13cm以上の岩ガキを「夏輝(なつき)」ブランドとして販売しているという。殻の内側の真珠層は綺麗だったが、13cmだと小粒感があり、昨夜の店共々、岩ガキ特有のミルキー感というか、濃厚さがあまり感じられなかった。この店のモサエビの刺身は甘みがあって美味しかった。昨日は焼き、今日は生、解凍の仕方に差があるのだろうか。近くのラーメン屋に寄って宿に戻る。
  

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