昨年は京都で乗継ぎ山陰線で約1時間、綾部駅に降り立った。午前中は調べ物で綾部市の図書館へ。午後にやっと1つ京都寄りの山家駅(やまが)へ向かった。無人駅である山家駅前の殺風景にビックリする。この年は京都で知人と待合わせした為、由良川の橋から山家の空気を吸っただけで京都に戻った。
幕末この山家は谷氏山家藩1万石、山家東山町の旅館「若松屋」の主人が克明に書き残した管生家文書「維新前ヨリ見聞記」は、鳥羽伏見の戦いに敗れた小浜藩主従や会津藩士の通過を「会津の侍とて十四,五人洋服に剣銃を持たる者手前に宿を取る。中に壱人抜身の槍を枕元に立かけ足音を聞と直に眼を開け実に凄き有様」とその緊張感を生々しく伝えている。鳥羽伏見の戦いの時、京都会津藩邸にいた藩士の一部は大坂に逃れたが、全員が大坂、和歌山の加太に逃れられたとも思えず、日本海側から会津に向かった藩士の足跡を探していたが、三,四年前にこの管生家文書の存在を知った。
今年、はからずも丹波笹山の歴史に造詣の深い「家紋 World」の播磨屋さんから連絡を戴き、山家の会津藩士に関して綾部の知り合いの方に色々話を聞いて頂いており、史談会の方や郷土史家の先生を訪ねましょうとお誘いを受け、渡りに舟とお願いすることにして綾部に向かった。地方史によれば慶応四年、幕府側として鳥羽伏見で戦った小浜藩士は「銘々勝手次第」と小浜に引き上げた。園部から草尾峠、又、堀尾峠、大栗峠と色々な峠を越え若狭側に落ち延びたことが伝承話として残っている。綾部駅で播磨屋さんとその友人で山家にお住まいの95さんと落ち合い資料などを頂き、山家に向かった。
昨年、山家で由良川の流れの速さと両岸の深さに驚き、とても徒歩では渡れないと思っていたが、昔は渡し場があったという。早速連れて行ってもらった。27号線沿いの由良川に架かる上原つり橋のちかくの肥後橋の真下が渡し場跡だった。
渡し場跡と京都府自然200選の1つで断崖のような立岩
上林谷の史談会のAさんを訪ね、いろいろな話と会津藩士が泊まったといわれる若松屋に案内して頂く。山家ではかなり大きな屋敷だったらしく、その家は明治時代の面影をのこしているという。今は山家城址公園・谷霊神社となっている谷氏山家藩の山家陣屋址にいく。ここからの景色と云い、山家の町並みを見ているとタイムスリップしたような不思議な感覚をおぼえた。(右 若松屋)
最後に無理を言って陣屋跡から上林川の大町の分岐点まで行って貰った。左に行けば管坂峠から舞鶴、右は堀越峠から若狭小浜への道、どちらも昔からの街道筋、どの道筋を通って会津にもどったのだろう。
播磨屋さんには綾部駅まで送って頂いた。今回、播磨屋さん、95さん、山家の方々に大変お世話になってしまった。歴史を通して各地の方々とお話で出来て新しい知識も得て、また刺激されるのは嬉しいできごとだった。