京都伏見に御香宮神社がある。
この御香宮に、戊辰戦役三十年にあたる明治三十年五月に
「戊辰之役東軍伏見鳥羽淀八幡に於て戦死及殉難者人名簿」
が奉納された。
明治四十年に一部修正され、以降調査がなされ
大正十五年に完成されという。最終人員二百八十三名とあるが
一部重複がある。
会津藩士に係る人名は江戸藩邸で屠腹した軍事奉行
神保修理を含めて百二十九名の記載がある。
明治四十年に建立された黒谷会津藩鳥羽伏見戦死者慰霊碑に
記載があり、御香宮戦死及殉難者人名簿に記載のいない者、
有(在)竹清蔵、有竹五郎太、服部幸次郎、水野牛次郎、
安藤牛助(安藤丑助と重複か)
町野源三郎(五月一日磐城白河戦死)
町野源次郎(八月二十一日会越後五泉在戦死)
以上7名
御香宮戦死者名簿に記載があり、黒谷会津藩鳥羽伏見戦死者慰霊碑に
記載のない者。
秋山鉄次郎、石井甚吾、伊深金治、柏村重兵衛門、桐川市太郎
久米新助、倉沢豊三郎、佐々木悦次郎、佐藤源三、沢田富之助
諏訪弘三、高畑平蔵、寺沢兵庫、中田伝蔵、中村謙(健)治
野田清次郎、林駒之助、水野兵吾(庫)、矢ヶ崎五郎太、吉田留八、
神保修理
以上21名
この御香宮に、戊辰戦役三十年にあたる明治三十年五月に
「戊辰之役東軍伏見鳥羽淀八幡に於て戦死及殉難者人名簿」
が奉納された。
明治四十年に一部修正され、以降調査がなされ
大正十五年に完成されという。最終人員二百八十三名とあるが
一部重複がある。
会津藩士に係る人名は江戸藩邸で屠腹した軍事奉行
神保修理を含めて百二十九名の記載がある。
明治四十年に建立された黒谷会津藩鳥羽伏見戦死者慰霊碑に
記載があり、御香宮戦死及殉難者人名簿に記載のいない者、
有(在)竹清蔵、有竹五郎太、服部幸次郎、水野牛次郎、
安藤牛助(安藤丑助と重複か)
町野源三郎(五月一日磐城白河戦死)
町野源次郎(八月二十一日会越後五泉在戦死)
以上7名
御香宮戦死者名簿に記載があり、黒谷会津藩鳥羽伏見戦死者慰霊碑に
記載のない者。
秋山鉄次郎、石井甚吾、伊深金治、柏村重兵衛門、桐川市太郎
久米新助、倉沢豊三郎、佐々木悦次郎、佐藤源三、沢田富之助
諏訪弘三、高畑平蔵、寺沢兵庫、中田伝蔵、中村謙(健)治
野田清次郎、林駒之助、水野兵吾(庫)、矢ヶ崎五郎太、吉田留八、
神保修理
以上21名