長崎を代表する料理と思い、長崎ちゃんぽんにするか卓袱料理(しっぽく)にするか
迷ったが、やはり卓袱料理の花月に行くことにした。しかし、昔、我家で使っていた
四本脚のちゃぶだいが、漢字で卓袱台と書くとは思いもよらなかった。
長崎には初めて行った。大通りは別として一歩裏側にはいると
道は狭く情緒にあふれていた。思案橋から福砂屋の前を通り、その先に
かなり雰囲気のよい石造りの古い建物があった。よく見るとこれが
交番だった。この丸山町交番の左側に狭い「花月」の入口が見えてきた。
長崎丸山町は延宝年間(1673~)の時代、日本有数の花街で傾城屋が
三十軒、ジヨロジが三百三十五人その内タヨシ六十九人居たと云う。
坂本龍馬も通ったという丸山町にある料亭花月に興味津々で入った。
通されたのが「春雨の間」。一瞬、食材の春雨とも思ったが、余計な
事を聞かなくてよかった。タイル貼りの床に和風の天井がある日本で
最初の洋間だそうで、しばらく天井の見事さに見とれる。
食事はこの洋間の横にある座敷でとった。
中国料理同様に円卓を囲み、大皿に盛られた料理を各々が自由に
取り分け食べるのが卓袱料理の基本と説明にあったが、大皿から仲居さんが
小皿に取り分けてくれるので好物だけ食べると言う訳には行かなかった。
卓袱料理では最初に出てくるのがお鰭(おひれ)という吸い物で、料亭の
女将が挨拶をして「お鰭(おひれ)をどうぞ」と声が掛らないと食事を始め
られないのが作法らしい。大女将の丁寧な御挨拶を聞いている間、吸い物が
冷たくならないか気になる。
御鰭…吸物
造り刺身
前菜
紫豆の蜜煮
バスティー
パイ生地を崩して小分けする(具はフカヒレ) 白味噌吸物
大鉢と中鉢(豚の角煮)
中華風スープと香の物
水菓子果物と梅椀お汁粉
二年前、京都宇治の黄檗宗大本山萬福寺の門前に元大本山萬福寺塔頭の
白雲庵と名がついた普茶料理の店に行った。ここの料理は簡単にいえば
二汁六菜を基本とした中国風の精進料理が黄檗普茶料理。卓袱料理の
精進料理を撰んだのが黄檗料理とも聞いたが、料理の趣旨は異なるようだ。
お庭の見える、御二階の大きな広間を見せて貰った。
長崎滞在時間は5時間しかなかったが、大女将や仲居さんも加わり、幕末話に
花が咲いて、お昼にお店に入って出てきたのが2時半、まったりとした時間を
過ごさせて貰った。
史跡料亭 花月
095-822-0191
長崎県長崎市丸山町2-1
迷ったが、やはり卓袱料理の花月に行くことにした。しかし、昔、我家で使っていた
四本脚のちゃぶだいが、漢字で卓袱台と書くとは思いもよらなかった。
長崎には初めて行った。大通りは別として一歩裏側にはいると
道は狭く情緒にあふれていた。思案橋から福砂屋の前を通り、その先に
かなり雰囲気のよい石造りの古い建物があった。よく見るとこれが
交番だった。この丸山町交番の左側に狭い「花月」の入口が見えてきた。
長崎丸山町は延宝年間(1673~)の時代、日本有数の花街で傾城屋が
三十軒、ジヨロジが三百三十五人その内タヨシ六十九人居たと云う。
坂本龍馬も通ったという丸山町にある料亭花月に興味津々で入った。
通されたのが「春雨の間」。一瞬、食材の春雨とも思ったが、余計な
事を聞かなくてよかった。タイル貼りの床に和風の天井がある日本で
最初の洋間だそうで、しばらく天井の見事さに見とれる。
食事はこの洋間の横にある座敷でとった。
中国料理同様に円卓を囲み、大皿に盛られた料理を各々が自由に
取り分け食べるのが卓袱料理の基本と説明にあったが、大皿から仲居さんが
小皿に取り分けてくれるので好物だけ食べると言う訳には行かなかった。
卓袱料理では最初に出てくるのがお鰭(おひれ)という吸い物で、料亭の
女将が挨拶をして「お鰭(おひれ)をどうぞ」と声が掛らないと食事を始め
られないのが作法らしい。大女将の丁寧な御挨拶を聞いている間、吸い物が
冷たくならないか気になる。
御鰭…吸物
造り刺身
前菜
紫豆の蜜煮
バスティー
パイ生地を崩して小分けする(具はフカヒレ) 白味噌吸物
大鉢と中鉢(豚の角煮)
中華風スープと香の物
水菓子果物と梅椀お汁粉
二年前、京都宇治の黄檗宗大本山萬福寺の門前に元大本山萬福寺塔頭の
白雲庵と名がついた普茶料理の店に行った。ここの料理は簡単にいえば
二汁六菜を基本とした中国風の精進料理が黄檗普茶料理。卓袱料理の
精進料理を撰んだのが黄檗料理とも聞いたが、料理の趣旨は異なるようだ。
お庭の見える、御二階の大きな広間を見せて貰った。
長崎滞在時間は5時間しかなかったが、大女将や仲居さんも加わり、幕末話に
花が咲いて、お昼にお店に入って出てきたのが2時半、まったりとした時間を
過ごさせて貰った。
史跡料亭 花月
095-822-0191
長崎県長崎市丸山町2-1