明治九年十月、海軍兵学校機関予科生徒から本科生徒に転級試験で
試験問題を密かに予科生徒に漏らした者があり、教務課で不正の疑いが
もたれる生徒に問いただしていたところ、十数人の生徒から申出があった。
この時、問題漏洩は二件発覚している。一件は、のち海軍大将で総理大臣
を歴任した運用砲術本科生徒で、掃除中の英学教官の部屋にたまたま立入り、
机の上蓋からはみ出ていた紙を机内に入れようとして、そのなかにあった
試験問題を暗記して下級生に教え、そこから転級試験生十数名に広がった。
この問題漏洩事件は、該当する者が、自ら申し出た為、問題を流した本科生徒は
生徒懲罰規定では一番重い別室禁錮二週間、問題を教わった予科生徒は二週間の
自室禁錮、問題漏洩を知りながら申出なかった十八名が二週間の外出禁足、
落第した後に申出た者一名も二週間の外出禁足を申し渡されている。
この転級試験で、もう1つの試験問題漏洩事件があった。
運用砲術本科生徒で筑波艦に乗組していた浅岡俊吾が同郷の機関予科生徒
星清次郎に問題と解答を教授した漏洩事件である。
浅岡俊吾は九月上旬に本省内にて、試験用の数学問題を拾い、紙頭部が切れて
いたため何に使われるか不明であったが、自分の勉強のため持ち帰り解答して、
下級生にも教授した。その後試験問題かもしれないとしてこの問題を焼却して
しまった。問題を拾得して届出がなされず、しかも焼却したことが大きな問題と
なった。
海軍省は学校側に試験問題は極めて秘密なるもので、この問題遺失人について
至急取調べを指示したが、不思議な事に試験問題遺失人については該当者が判明
せず、兵学校はこの事件は懲罰以上の罰科として、軍律によるとして処分見込み
を裁判所と協議している。
裁判所は、この事件発覚するも更に悔悟の意なく、その情状憎むべくして、尋常
校則を犯す者の類にあらず、その情を量り士官生徒の任に堪えざる者として論じ、
従前学術進歩の見込みなき者退寮の例に照合し退校処分相当と上申している。
浅岡俊吾が試験問題入手経路について誰かを庇ったのか「その後悔悟の意なく」と
退校処分となり、問題を教わった機関予科生徒星清次郎は試験問題と判明の後、
直ちに報告しなかったと二週間の自室禁錮処分となっている。星清次郎は海軍
兵学校機関科明治十四年卒ハンモックナンバー1番で、同期に海軍造兵総監
沢鑑之丞、海軍少将田辺 男外鉄らがいる。
浅岡俊吾は兵学校退学のあと、三菱商船学校二期生として入学している。
退学して直ちに半官半民みたいな商船学校に入学できたのも不思議だが、
明治十一年、この学校の一期と同じ内国海員技術試験を受験して見事
第壹則本免状貳等運転手に合格している。驚いた事にこの時の試験合格者に
三菱商船学校一期生の郡寛四郎(会津藩家老萱野権兵衛三男、郡長正は兄)
の名があった。
試験問題を密かに予科生徒に漏らした者があり、教務課で不正の疑いが
もたれる生徒に問いただしていたところ、十数人の生徒から申出があった。
この時、問題漏洩は二件発覚している。一件は、のち海軍大将で総理大臣
を歴任した運用砲術本科生徒で、掃除中の英学教官の部屋にたまたま立入り、
机の上蓋からはみ出ていた紙を机内に入れようとして、そのなかにあった
試験問題を暗記して下級生に教え、そこから転級試験生十数名に広がった。
この問題漏洩事件は、該当する者が、自ら申し出た為、問題を流した本科生徒は
生徒懲罰規定では一番重い別室禁錮二週間、問題を教わった予科生徒は二週間の
自室禁錮、問題漏洩を知りながら申出なかった十八名が二週間の外出禁足、
落第した後に申出た者一名も二週間の外出禁足を申し渡されている。
この転級試験で、もう1つの試験問題漏洩事件があった。
運用砲術本科生徒で筑波艦に乗組していた浅岡俊吾が同郷の機関予科生徒
星清次郎に問題と解答を教授した漏洩事件である。
浅岡俊吾は九月上旬に本省内にて、試験用の数学問題を拾い、紙頭部が切れて
いたため何に使われるか不明であったが、自分の勉強のため持ち帰り解答して、
下級生にも教授した。その後試験問題かもしれないとしてこの問題を焼却して
しまった。問題を拾得して届出がなされず、しかも焼却したことが大きな問題と
なった。
海軍省は学校側に試験問題は極めて秘密なるもので、この問題遺失人について
至急取調べを指示したが、不思議な事に試験問題遺失人については該当者が判明
せず、兵学校はこの事件は懲罰以上の罰科として、軍律によるとして処分見込み
を裁判所と協議している。
裁判所は、この事件発覚するも更に悔悟の意なく、その情状憎むべくして、尋常
校則を犯す者の類にあらず、その情を量り士官生徒の任に堪えざる者として論じ、
従前学術進歩の見込みなき者退寮の例に照合し退校処分相当と上申している。
浅岡俊吾が試験問題入手経路について誰かを庇ったのか「その後悔悟の意なく」と
退校処分となり、問題を教わった機関予科生徒星清次郎は試験問題と判明の後、
直ちに報告しなかったと二週間の自室禁錮処分となっている。星清次郎は海軍
兵学校機関科明治十四年卒ハンモックナンバー1番で、同期に海軍造兵総監
沢鑑之丞、海軍少将田辺 男外鉄らがいる。
浅岡俊吾は兵学校退学のあと、三菱商船学校二期生として入学している。
退学して直ちに半官半民みたいな商船学校に入学できたのも不思議だが、
明治十一年、この学校の一期と同じ内国海員技術試験を受験して見事
第壹則本免状貳等運転手に合格している。驚いた事にこの時の試験合格者に
三菱商船学校一期生の郡寛四郎(会津藩家老萱野権兵衛三男、郡長正は兄)
の名があった。