大佗坊の在目在口

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函館五稜郭界隈

2023-05-12 | 會津

五稜郭の西南西1・5kの所に亀田八幡宮がある。ここが箱館戦争降伏式之地だと云うので五稜郭に行く途中に寄った。

明治四十五年、明治神社誌料編纂所府県郷社によると「河野加賀守森幸、明徳元年(1390)越前国敦賀郡気比神宮祭神中応神天皇の分霊を奉じ来り、千代ヶ丘に勧請し、当所鎮守と奉斎せり」とあり、函館で最古の神社だという。大正四年、函館土地台帳に2217坪とあり境内は鬱蒼たる老樹に囲まれていたと思われる。この境内が旧幕府軍と新政府軍箱館戦争終結の話合いの場と言われている。平成二十四年に建立された箱館戦争降伏式之地の碑があった。

題字
箱館戦争降伏式之地  榎本武揚會孫隆充書
碑裏文
明治二年(一八六九)五月十八日、旧幕府軍(榎本軍)
が政府軍に投降、実は、その前日午前、亀田八幡宮社殿
前に於いて黒田、榎本両雄が会談し、降伏の実効を整え
たのであった。誓約後冷酒にて歓談。この日、この地こ
そ、近代日本の幕開けであり、わが国の歴史遺産の地、
証の地として永劫に輝く
         南北海道史研究会会長 近江幸雄
平成二十四年十一月 函館市松山一郎 帯広市松山義雄、函館市松山幹雄 建立

食事をとろうと五稜郭タワーに向かった。タワーの前に御朱印とのぼりを立てたお寺があった。

五稜山最上寺(さいじょうじ)という法華宗のお寺で、「この地に、昭和7年海軍事務官だった住山日遠が霊感により信行道場を設立」ともらったチラシにあつた。「妙法」と「土方歳三」という御朱印を頂いて驚いた。個人の名が入った御朱印は初めてだった。
自分の足と手を使わないで高い所から景色を展望するのは大好きなので五稜郭タワーに向かう。

館内に修学旅行らしき高校生が大勢いた。施設の中に土方歳三らのブロンズ像があった。しばらく像を眺めていたが。皆、前を素通りで興味を示した子は全くいなかった。土方歳三といっても誰だかほとんど知らないのだろ。

タワー展望台2階で90mの高さがあるという。五稜郭は思っていたより小さかった。函館市によると五稜郭の大きさは, 堀の内側は約125,500平方メートルで,東京ドームの約3倍の広さだという。この程度の敷地では近代戦の場としては小さすぎる。海岸から僅か3kでは大砲を打ちこまれて犠牲は大きかっただろう。


蝦夷地に向かった旧幕府軍の人数は、はっきりしないが約3千人と云われている。戦死者数もはっきりしないが前に記載した「箱館戦争幕軍陣歿者氏名考」に六百五十九名分の記載がある。「箱舘賊徒榎本釜次郎以下降伏附其顛末」(JACARアジア歴史資料センターRef.A15071548500)に、弁天崎台場降伏二百五十人。五稜郭を出て降伏した者、兵士三百人、創傷者五十人、歩兵六百五十人合せ千余人としている。残りの約千人は、人知れず戦死し葬られたのだろうか、それとも脱走した者だったのだろうか。

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