別名「十夜寺」とも呼ばれる、千葉富津の無量光寺には、
幕末、東京湾防備について亡くなった会津藩士と家族の墓碑がある。
この松翁院、改築前の建物は幕末の江戸会津藩邸の一部を移築したものと
言われており、今は跡形も無くなってしまったのは誠に残念なことで、
わずかに本殿台座の中央に菊御紋、両側に葵紋が残されているとのこと。
本堂正面入口の横に会津藩士と藩士家族、二十六基二十七名の墓碑がある。
弦木直成(百石)末子で叔父直方仮外隊騎士兼火術槍術師範に従った
会津之士弦木成功、斉藤勝甫(百五十石)二男先鋒隊士兼弓術師範の
会津藩齋藤勝盛、思案橋事件の永岡久茂の母親、鳥羽伏見の戦いで
戦死した白井五郎大夫の家族などの墓碑が残っている。
松翁院 別名十夜寺で6月1日(日)、房総半島会津藩士顕彰会による
富津竹岡慰霊祭が会津若松市副市長を迎え執り行なわれる。
幕末、東京湾防備について亡くなった会津藩士と家族の墓碑がある。
この松翁院、改築前の建物は幕末の江戸会津藩邸の一部を移築したものと
言われており、今は跡形も無くなってしまったのは誠に残念なことで、
わずかに本殿台座の中央に菊御紋、両側に葵紋が残されているとのこと。
本堂正面入口の横に会津藩士と藩士家族、二十六基二十七名の墓碑がある。
弦木直成(百石)末子で叔父直方仮外隊騎士兼火術槍術師範に従った
会津之士弦木成功、斉藤勝甫(百五十石)二男先鋒隊士兼弓術師範の
会津藩齋藤勝盛、思案橋事件の永岡久茂の母親、鳥羽伏見の戦いで
戦死した白井五郎大夫の家族などの墓碑が残っている。
松翁院 別名十夜寺で6月1日(日)、房総半島会津藩士顕彰会による
富津竹岡慰霊祭が会津若松市副市長を迎え執り行なわれる。