大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

金沢での食事

2016-08-16 | 

金沢駅近くの朝食付ビジネスホテルに泊まる。ホテル横に系列のタクシー待機所があるというのでこのホテルを撰んだ。ここの朝食が酷かった。食事の内容がどうのこうのではなく、従業員が食事の終わったテーブルの上のパン屑など手で掃ってゴミをなくしていた。当然、パン屑等は床に落ちるか、隣のテーブルに飛んでくることになる。マネージャーらしき人に注意したが、翌日の朝も屑を手で掃っていた。このホテルの従業員をみていると、東京白金や京都駅前のホテルと同系列とはとても信じられなかった。

夕食はホテルから一番近い寿司屋で金沢別院通りにある「あかめ寿司」に開店と同時に入店した。
 
店奥の小さな生簀に毛ガニが!春先に新潟に行った時、やはり寿司屋だったが地物の毛ガニがあった。金沢でも地物の毛ガニがあるとは思わなかったが訊けば金沢港で水揚げがあるという。店にあった今日は「これ食べとけ」という親父のおすすめメニューの中で、聞いたことが無かったのが万十貝と金時草、万十貝は盛合せに入れて貰った。
薄い二枚貝の表は真っ白で、内側は淡いピンク色をしていた。「きんときそう」と云いそうになる金時草(きんじそう)は酢の物に、きれいな赤紫色になった。

 
 
 
 
右)新潟 寿司処「かつみ」の毛ガニ
 
戦前から金沢で栽培されている野菜を加賀野菜ブランドとして金時草、二塚からしな、源助だいこん等15品目が認定されているという。

能登では穴水駅前の「幸寿司」、金沢市内では近江町市場の「井ノ弥」で丼物にした。両店とも見た目綺麗に盛ってあった。幸寿司では箸をお土産にくれた。寿司屋の箸を「一膳」、「二膳」貰ってもあまり使い道に困ってしまう。能登の間伐材でも使って宣伝しているのだろうか。近江町市場の出入口が沢山あるみたいだが、たまたま車を降りたのがパーキング口、最初に目に着いた井ノ弥に入る。11時に店に入ったらもう半分ほど席が埋まっていた。
 
 
前日に電話予約して行ったのが金沢市木倉町の「五郎八」という居酒屋。タクシーで木倉町の五郎八と云うとすぐ判った。結構有名なのかな。帰り際には女将さんとカウンターの前にいた板さんがお店の外まで見送ってくれた。
 
 
 

京都以外の観光地で女将さんや板さんが外まで見送ってくれたお店は初めてだった。実は五郎八では腹、七・八分目で出てきた。五郎八に来る途中にあった金沢中央味食街というディープ感一杯の飲食街に寄りたいとおもっていた。
 
長屋みたいな店が連なっている飲食街の前まで来たら、昼間、能登を引っ張り廻したせいか、連合いが食欲より横になりたいと言い出して、寄る事が出来なかった。

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兼六園から天徳院

2016-08-08 | 

兼六園の中にある日本で最初だという噴水を、しばらく眺めていた。
 
この噴水を兼六園では文久元年(1861)に造られた日本最古のものだとしていたが、水戸の玉龍泉の方が天保十三年(1842・偕楽園の開園)に造られもので、古いのではといわれるようになり、兼六園側ではこの噴水は十九世紀中頃につくられたと変更している。余談だが偕楽園の名は「古の人は民と偕に楽しむ、故に能く楽しむなり」(孟子 見梁惠王、、、古之人與民偕樂、故能樂也、、、、民欲與之偕亡。雖有臺池鳥獸、豈能獨樂哉)から採っている。兼六園の噴水は霞ヶ池との高低差で自噴させている。霞ヶ池がいつ造成されたかハッキリしないが、この池に水を供給しているのが寛永九年(1632)完成の辰巳用水で、伏越(逆サイホン)の原理を使い城中への導水が目的で造られた。城の東南(辰巳)、犀川上流の上辰巳に東岩取水口を設け、四kmは暗渠とした延長十二kmを手掘りで造っている。加賀藩史料によると天保八年(1830)八月、竹沢御庭の泉水に恒例の鮎簗を設けることを命じ、前田斎泰考案による竹沢御庭の泉水が出来た事が記載されている。鮎簗を設けることが出来る竹沢御庭の泉水に、霞ヶ池への辰巳用水からの給水が出来るようにして何らかの形で自噴の噴水を創ったのではないだろうか。
金沢市紀要に「兼六園は廃藩の後四周の門牆(もんしょう:入口)を撤し各処に登路を作り、明治七年開放して萬人偕楽の処としてから之を兼六園又は金沢公園と呼んだ。内務省は大正十一年之を名勝に指定し金沢公園と称へたが間もなく兼六園の旧称に複せしめた」とある。それにしても蓮池御庭を兼六園と称したのは何時の時代なのか、それとも明治になってから兼六園と称したのだろうか。
兼六園から天徳院に向かう。途中、辰巳用水の一部が残っていた。
 
天徳院は元和九年(1623)、加賀三代藩主前田利常は正室珠姫菩提のため、金沢城の東、小立野台に四万坪の広大な敷地に正室珠姫の法号である天徳院殿乾運淳貞大禅定尼に因んで天徳院を創建。山号は金龍山、開山は巨山泉滴大和尚。本堂の一角で珠姫物語を六体の「からくり人形」を上演している。
 
  
 
 
別料金で黙照禅庭と呼ばれる回遊式庭園を見ることが出来る。どのへんが黙照禅の庭なのか理解するのは難しい。一切の悟りを求めず、ただ黙々と坐するなら、庭は不必要になってしまう。何ものも求めずひたすらに坐禅しなければならない禅宗のお寺に立派な庭が多いのはどのような理由があるのだろうか。
 
 
元気いい中年女性の団体がドカドカ入ってきたので早々に退散する。それにしても、本堂の内陣までズカズカ入って行くのはなんとかならないだろうか。内陣など見ても次の観光地に行けば何も覚えていないだろうに、と思う。
石仏群があるというので天徳院から歩いて数分の如来寺に寄る。
 
 
化野念仏寺のような思い描いていた石仏群とはだいぶ違っていた。

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兼六園のこと

2016-08-02 | 

金沢の観光地で人気があるのが日本三名園の一つの兼六園。大昔に来たことがあるが、片方が折れた灯籠しか記憶にないので再訪した。説明によれば、この大名庭園は広大な土地に、池、築山、御亭を配置した廻遊式の庭園で大きな池を大海に見立て、そのなかに不老不死の神仙人が住むと言われる島を配し、藩主たちは長寿と永劫の繁栄を庭園に投影し相反する景観を調和させ対照の美を演出していると云う。
五代藩主前田綱紀が金沢城向かいの千歳台に蓮池庭を造った事に始まり、前田斉広が隠居所として竹沢御殿を蓮池庭より一段上の千歳台に造営した。
 
兼六園の名は白河藩主・松平定信(楽翁:八代将軍徳川吉宗の孫)によって、宋代の李文叔(格非)の「洛陽名園記」から、宏大と幽邃、人力と蒼古、水泉と眺望という、相反するすぐれた景観の六勝を兼ね備えた中国湖園の文を引用して「兼六園」の名を贈ったと云われている。
 
 
松平定信の書に「文政壬午季秋 楽翁書」とあることから、文政五年(1822)の書と考えられている。しかし松平定信は来たことも見たことも無いこの庭の事をどうして「兼六園」と名付けられたのであろうか。文政五年といえば、加賀藩では十二代藩主斉広が隠棲し蓮池庭に建坪四千坪部屋数二百以上の御殿を建て十二月には竹沢御殿と称し移り住み、それから毎月、能を演じていた。老中在任中、緊縮財政や風紀取締りによる幕府財政の安定化を目指した松平定信にとって、隠居の斉広が豪勢な御殿を建てた庭園を、六勝を兼ね備えた名園と褒める訳もなく、家督相続していた十三代藩主斉泰は兼六の文字を見て驚愕したのではないだろうか。
 
石川県史に「のち之を刻して園の正門に顔す」とある。絵図には竹沢御殿・蓮池御庭とあり、いつの時代にこの額を正門に掲げ兼六園としたのであろうか。李文叔は「文章軌範」のなかに「書洛陽名園記後(洛陽名園記ノ後ニ書ス)」という文を残している。大町桂月は「洛陽に名園多し。李文叔が記をつくりけるが、その記事のあとにこの文を添えて、徒らに苑池花木を記するはその本意にあらざるを書きたるもの也」と注をいれている。李文叔の本意は何だったのだろうか。
「洛陽は天下の中にをり、、、四方必争の地なり。天下の無事なるに當つては則ちやむ、事あれば則ち洛陽は必ず兵を受く余故に嘗て曰く。洛陽の盛衰は天下治乱の候なりと、、、天下の治乱は洛陽の盛衰を候して知り、洛陽の盛衰は園囿の興廃を候して得。則ち名園記の作、余あに徒然ならんや、、、一己の私をほしいままに自ら之を為して天下の治忽を忘れ、退きて此をうけんと欲するも得んや。唐の末路これのみ」。
洛陽を加賀と置き換えて、松平定信は兼六の文字で名園記後を示唆し、加賀藩の今後を危惧したのではないだろうか。文政七年、斉広が亡くなったのが七月、斉泰は翌月の八月、早々に斉広が江戸や京から呼び寄せた能役者に暇を与えて、竹沢御殿を竹沢御屋敷と称し三の丸に准ずるとしている。斉広継室真龍院が竹沢御殿址に新しい屋敷を望んだのが文政九年(1826)、天保元年(1830)には竹沢御殿の毀した古材の利用について協議しているので、この頃までには現在の兼六園の姿に落ち着いたのではないだろうか。

(参考)
洛陽名園記・湖園:「洛人云園圃之勝不能相兼者六務宏大者少幽邃人力勝者少蒼古水泉多者無眺望兼此六者惟湖園而巳」

文章軌範・書洛陽名園記後:「洛陽處天下中、、、 四方必争之地也。天下當無事則巳 有事則洛陽必受兵余故嘗曰。洛陽之盛衰天下治乱之候也。、、、 天下之治乱候洛陽之盛衰候園囿之興廃而得。則名園記之作。余豈徒然哉。 、、、 放乎一己之私自為之。而忘天下治忽欲退享此得乎。唐之末路是已」

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