大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

拝領妻始末

2008-04-10 | 會津
昼間、NHKのBSで40年も前の
三船敏郎主演の映画「上意討ち拝領妻始末」を放送していた。

この物語の主人公笹原家は実在の会津藩の馬術師範の家柄。
名前を笹原忠義、子は与五右衛門忠一という。

笹原家は、会津三代藩主松平正容の八男菊千代生母、
側室お市の方(塩見伊知)を拝領妻として受け入れた。

正容の子供が続づけて若死したため菊千代が世継ぎとなり、
お市の方に城に戻るよう藩命があったが、笹原家はそれに従わず、
忠義・忠一父子は所領没収の上、領内長原村へ流罪になったという。

この笹原忠一の墓は、笹原一族の菩提寺、会津若松の材木町の
秀長寺にある。この秀長寺は蒲生氏郷の家老、町野幸仍が
父の供養のためその法名をとって建立したと伝えられている。

町野幸仍の子長門守幸和と再婚したのが、利休七哲の一人、
牧村利貞の娘、古那。古那の母は稲葉一鉄の孫娘で、春日局となる
稲葉於福とは義姉妹。この古那が牛込済松寺開祖の祖心尼。

この祖心尼の曾孫千代姫が尾張徳川家に嫁ぎ、
次男尾張義行が高須松平家の開祖となった。

会津藩主松平容保公とこの町野家、
話は長いが同祖ということになる。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 花は野にあるように | トップ | 春の岩船寺から浄瑠璃寺 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

會津」カテゴリの最新記事