大佗坊の在目在口

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院内御廟松平家お花祭

2010-05-09 | 會津
福島県会津若松市東山石山の院内に会津藩主松平家の墓所、
御廟があります。墓所の埋葬は、二代藩主正経公が仏式で、
ほかはすべて鎮石や表石、石灯ろう、碑石で一組の神式による
墓所となっています。


正中石(御廟の中心)        二代藩主正経公墓所(仏式)

八代容敬公表石・鎮石(神式 )


新編会津風土記に
「明暦三年肥後守正之長子長門守正頼逝せし時、正之が
命に因り此山を開て当家代々の墓所とす。寛文十二年
筑前守正経命じて新堰を鑿り、新田二町余を開き永く
墓田とし、享保十四年墓山の堺域を定め東西二箇所に
石を立て界を表せり、東西三百間、南北百四十九間、
此山高からずといへども満山松樹生茂り、蒼烟鬱々として
他山と異なる」と記述されています。

西の界石(左)、              南の界石(東側)


約三百五十年経て、会津藩主松平家墓所保存整備が会津若松市により
進められており、松樹蒼烟鬱々からいまはだいぶスッキリしているが、
五十年・百年後、満山松樹生茂りになればと思う。

左(2年前の院内)    右(平成22年5月)
 

この会津藩主松平家墓所院内にある拝殿で、毎年5月4日に
会津松平二代藩主以降歴代の霊神をまつる「お花まつり」が
会津松平家お花まつり奉賛会の主催で開催されます。



お花まつり神事は全員の一礼から始まり、神主による祓詞を奏上、
祝詞のあと、参加者による玉串奉奠(タマグシホウテン)が行われる。

 

会津吟詠会会員による合吟が行われた。
「松平家御廟に詣ず」
鬱蒼山稜気凛然 老杉林立雲辺突
英君鎮座十余代 統治藩風極敬虔
東北鎮台三百年 献身忠節天羞莫
巨碑歴代都神韻 遺徳厳然永遠鮮



今年は会津松平家十三代松平保定様の体調が悪く不参加で、
第十四代保久様の御挨拶があった。
          (写真右、保久様と話をしているのが菅家若松市長)
 

前日の五月三日は耶麻郡猪苗代町にある土津神社でこの神社の
十数村氏子による春季例祭が行われていた。



土津神社は新編会津風土記によれば
「境内東西三百八十六間、南北五百三十間免除地。猪苗代城下の北に
あり、此社は肥後守正之を祭れり、正之かねて神道を吉川惟足に学び
卜部家に蘊奥(注、うんおう・奥義)を窮めり、因て致仕の後土津の霊号を受け、
歿後神道の祭儀に従はんことを浴す、、、、寛文十二年八月二十二日
壽蔵(注、じゅぞう・生前に自分で造っておく墓)を定んとて此地に来り
見禰山に登り、磐掎明神の社地なるにより神祠を営て其末社たらんことを
命じ」とある。土津神社の例祭は毎年五月三日、九月二十一日に行われる。

今年の春季例祭はうっすらと色ついた桜の下で行われた。
境内で、小さな豆剣士が汗をかきかき練習をしていたのが印象的だった。

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