大佗坊の在目在口

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東京国際倶楽部例会(大正15年6月)

2010-05-21 | 會津
飯盛山羅馬市寄贈の碑 (9)

杉村楚人冠と山川健次郎の論争が続いていた大正15年春ごろ、
下位春吉氏はフアツショ運動の啓蒙活動のため、遊説で国内を廻って
いたものと思われるが、その動向はよくわかっていない。

大正15年6月14日付外秘第1493号という、警視総監太田政弘が
内務大臣浜口雄幸、外務大臣男爵幣原喜重郎、指定庁府県庁官に宛てた
文書が残されている。

標題は「東京国際倶楽部例会ノ件」
十三日、本郷の文化アパートに於いて、例会と講演会は開催されたこと。
米国人パウルケート、露国大使館員アスターホフ、下位春吉等四十八名が
参加、伊国大使館書記官による「ムソリーニ氏の理想と事業に就て」、
中華青年会総幹事馬伯援による「最近の中国状況」等の講演があった。
その後音楽の余興があり五時三〇分に散会とあり、当日の列席名と
伊国大使館書記官の講演要旨が報告されている。この例会の委員として
春吉の名が出てくる。

この会合にはカイバル峠の国境を越えてアフガニスタンのカプールに潜入した
東亜同文会の田鍋安之助、右翼活動家大川周明の弟子である南満鉄道社員
金内良輔、東亜同文書院第1期卒業生で日中の文化交流につくした水野梅暁、
日本の社会運動家石川三四郎等そうそうたるメンバーが参加している。

前年の大正14年、日本がソ連を承認した日ソ基本条約が締結され、
当時力を得てきた左翼運動に対抗して右翼団体も次々と結成されはじめ、
社会主義、共産主義革命運動の激化を懸念したものとして治安維持法が
制定されている。

治安維持法は「国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ
結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者」、いわゆる国体変革・
私有財産制否定を目的とする結社・政治運動の取締として、特定の
「危険人物」を「特別要視察人」として監視していたものとおもわれる。

大正十年十二月時点での資料だが、この会合にも甲種特別要視察人
として渡白(ベルギー)中の無政府主義漸進派で著述飜訳業の
石川三四郎の名もある。本件と関係ないが、著述業の尾崎士郎も
國家社會主義派として乙種特別要視察人としてリストに名がある。

警察監視のなか、下位春吉は大正15年11月13日香取丸にて
門司を伊太利に向け出帆し、これ以降、昭和2年になるまで下位氏と
連絡が途絶えた。 (続く)
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