天皇が、象徴としてのお務めについての思いを、ビデオメッセージとして公表された日の翌日、
我が家の新聞のワールドニュース第一面に、この写真がデカデカと掲載されました。
タイトルは、『日本の天皇は、生前退位の覚悟ができている』
右端には、ここ最近に行われた、ヨーロッパ各国の生前退位の例が挙げられていました。
象徴としてのお務めについての天皇陛下お言葉(全文)
戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。
私も80を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。
本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、
天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。
即位以来、私は、国事行為を行うと共に、日本国憲法下で、象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。
伝統の継承者として、これを守り続ける責任に、深く思いを致し、更に、日々新たになる日本と世界の中にあって、
日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。
そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、
これから先、従来のように、重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、
国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり、良いことであるかにつき、考えるようになりました。
既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、
これまでのように、全身全霊をもって、象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。
私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。
私はこれまで、天皇の務めとして、何よりもまず、国民の安寧と幸せを祈ることを、大切に考えて来ましたが、
同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも、大切なことと考えて来ました。
天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、
天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を、自らの内に育てる必要を感じて来ました。
こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。
皇太子の時代も含め、これまで、私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、
国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを、私に認識させ、
私がこの認識をもって、天皇として、大切な国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。
天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を、限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。
また、天皇が未成年であったり、重病などにより、その機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。
しかし、この場合も、天皇が十分に、その立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで、天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも、様々な影響が及ぶことが懸念されます。
更に、これまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が、連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後、喪儀に関連する行事が、1年間続きます。
その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が、同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。
こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。
始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は、国政に関する権能を有しません。
そうした中で、このたび、我が国の、長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、
これからも、皇室が、どのような時にも国民と共にあり、相たずさえて、この国の未来を築いていけるよう、
そして、象徴天皇の務めが、常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。
国民の理解を得られることを、切に願っています。
この天皇陛下のお言葉の中に、象徴という言葉が8回も、繰り返し出ています。
・象徴としてのお務め(NHKニュースのタイトル)
・日本国憲法下で、象徴と位置づけられた天皇
・象徴の務めを果たしていくこと
・天皇が象徴であると共に
・国民統合の象徴としての役割を果たす
・天皇という象徴の立場への理解を求める
・天皇の象徴的行為
・その象徴としての行為
・象徴天皇の務めが、常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ
これは、ご自身が、現行憲法が規定する、国家と国民統合の象徴であるということの明確な表明であり、その確認をわたしたちに求められたものだと思えてなりません。
・天皇は神格ではない。
・天皇は象徴である。
・国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求め、
・そして天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を、自らの内に育てる必要を感じて来た。
・天皇といえど人間でもある私は、十分に高齢であり、次第に進む身体の衰えを考慮しなければならず、
・これまでのように、全身全霊をもって、象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じている。
・天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を、限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われる。
そして、殯(もがり)の行事にまで言及されました。
これは本当に大きな意味があると思います。
昭和天皇が亡くなられたのは、今から28年前のことですが、その当時の社会の自粛ムードと報道の様子を、わたしは今でもはっきりと覚えています。
そのことについて、詳しく書いてくださった記事を、ここに紹介させていただきます。
天皇が「お気持ち」で危惧した、“崩御による自粛”の実態とは?
昭和の終わりに起きた恐ろしい状況が、平成で再び
【LITERA】
http://lite-ra.com/2016/08/post-2487.html
8月8日、ビデオメッセージのかたちで公表された天皇の「お気持ち」について、本サイトではそのなかに、
安倍政権周辺から噴出する、「生前退位反対論」への牽制が見て取れるとお伝えしたが、他にも見逃せない点がある。
それは、天皇自身が、その逝去に際する社会の状況について、強く懸念を表したことだ。
「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。
更に、これまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が、連日ほぼ二カ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、一年間続きます。
その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が、同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。
こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります」
(「お気持ち」ビデオメッセージより)
若い読者のみなさんはピンとこないかもしれないが、天皇が危惧する「社会の停滞」とは、
1988年の、昭和天皇の容態悪化から翌年の逝去、つまり「天皇崩御」まで、日本全土を覆い尽くした、あの“自粛ムード”を指しているのは明らかだろう。
88年9月19日、昭和天皇が吐血。
新聞各社は、トップで「ご容態急変」と一斉に報じ、以降、まさに社をあげた「天皇報道」一色となっていくのだが、
この時点ですでに、メディアによる“自粛ムード”は萌していた。
たとえば、新聞報道の翌日に後追いした、スポーツ紙の一面は、普段のカラー印刷ではなくモノクロ。
また、週刊誌では、9月27日に発売予定だった「女性自身」(光文社)が、
グラビアページの天皇の写真を、左右逆に掲載していることが判明し、回収のうえ発売中止になるという騒動も起きた。
そんななか、一般国民を巻き込んだ自粛を、強く牽引したのは、やはりテレビだった。
「吐血報道」の数日後には、娯楽番組などの中止や変更が多発。
軒並み、報道番組やドキュメンタリー番組に差し替えられた。
それは、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)『スーパーJOCKEY』(日本テレビ)などのバラエティ番組だけでなく、
『全日本プロレス中継』(同)などスポーツ中継、はては『ひらけ!ポンキッキ』『おそ松くん』(ともにフジテレビ)『仮面ライダーBLACK』(TBS系)などの子ども向け番組にまで及んだ。
他にも、『笑っていいとも!』(フジテレビ)では、タモリによるオープニングの歌やダンスがとりやめになるなど、
中止にならなくとも、通常の状態ではない放送が、長期間続いた。
さらに、CMの改変も続発した。
日産の自動車CMで、井上陽水が、「みなさーん、お元気ですか?」という音声が、カットされたのは有名だが、
工藤静香出演の、ロッテのチョコレートCMでの台詞、「その日が来ました」なども差し替えられた。
なかには、新商品の「誕生」を「新発売」に言い換えるなど、明らかに過剰な対応もあった。
こうしたテレビの自主規制によって、作り上げられた“自粛ムード”は、伝染病のように、爆発的に全国に拡散していく。
9月末ごろからは、日本各地で、お祭りやパレード、コンサートなどの各種イベントが、相次いで中止となった。
当時の報道などから、いくつか具体例を挙げてみよう。
・神奈川県横浜市では、秋分の日に予定されていた、横浜駅西口の名物行事「ヨコハマカーニバル」が中止。
・千葉県東京ディズニーランドで、パレードの後の花火打ち上げが中止。
また、ミッキーマウス生誕六十周年を祝うイベント、「ミッキー・カー・オブ・ザ・イアー」が延期。
ディズニーランド駐車場に、一般参加者の車で、巨大ミッキーマウスの絵を描く予定だった。
・千葉県印西町で開催予定だった、「第一回コスモスサミット」が無期延期。
・長野県で行われる予定だった、全国俳句大会(参加者約200人)が中止。
・福島県の会津秋まつりで、約7000人の小中学生が市内を練り歩く「提灯行列」と、3日間続けられる予定だった盆踊り大会が中止。
・静岡県静岡市登呂遺跡で行われる予定だった、「第27回登呂祭り」が中止。
例年、市民約10万人が参加していた。
・三重県伊勢市の「伊勢おおまつり」と、「伊勢神宮奉納花火大会」が中止。
・佐賀県の県民体育大会開会式で、太鼓演奏やファンファーレなどが取りやめ。
・長崎県長崎市の諏訪神社で行われる予定だった、秋の大祭「長崎くんち」の奉納踊りが中止。
・プロ野球では、セ・パ両優勝チームのパレードが中止。
なお、パ・リーグは、西武ライオンズが1位に輝いたが、恒例の西武デパート「優勝感謝セール」は行われなかった。
これはあくまでほんの一部だが、比較的規模の大きなものだけでなく、小規模な催しも、次々と中止や延期、内容が変更になった。
なかには、こんなものまで?と、首を傾げるようなものも見受けられる。
・公開を控えていたオムニバス映画、『バカヤロー!私、怒ってます』の宣伝として、東京都港区で予定されていた「バカヤロー!言いたい放題コンテスト&試写会」が延期。
配給の松竹宣伝部は、「タイトルがタイトル。天皇の状態からみてまずいだろうと、思ったので」とコメント。
・特殊法人「住宅・都市整備公団」が予定していた、新宿駅前の「ススキと月見だんごの街頭プレゼント」が中止。「新宿でひと足早いお月見気分を」と、ススキと月見だんご計1000セットを、無料プレゼントするはずだったという。
・キッコーマンと子会社のマンズワインが開催を予定していた、「マンズワイン祭り」「マンジョウまつり」が中止。
ともに、ワインやみりんの工場で無料試飲、各種ショーを、訪問客に披露する予定だった。
なお、通常の工場見学は、普段通り受け付けたという。
しかも、自粛の嵐は、一般市民の生活にまで及んだ。
学校の運動会や遠足、個人的な結婚式、クリスマスや正月行事なども中止になる、異様な光景が広がった。
年末にかけて、パーティ類の中止が相次ぎ、ホテルの宴会場は閑古鳥が鳴いた。
他にも、正月のしめ飾りは、販売数が激減、食品売り場からは、赤飯や紅白まんじゅうまで消えた。
そして、この未曾有の“一億総自粛”は、89年1月7日、昭和天皇の逝去で、ピークを迎える。
テレビ局では、アナウンサーやキャスターが、黒服や喪服を着用し、画面から、一切のCMがアウト。
新聞からも、広告がバッサリとなくなり、電車の中吊りも外された。
「週刊文春」(文藝春秋)など週刊誌も、広告面スペースを、天皇関係の写真で埋めたり、白紙で構成したりするほどだった。
銀座のデパートには、天皇の遺影が大きく配置され、街頭のネオンや看板は、白幕で隠された。
当然、“自粛ムード”は、国民生活に支障をきたし、経済にも多大な影響を及ぼした。
たとえば広告業界では、CMの引き上げで、「菊冷え」なる隠語まで生まれた。
また、なかには、イベントの自粛が引き金となった、痛ましい事件も起きた。
当時の新聞によれば、10月には、神奈川県の露天商を営む夫婦が、自宅六畳の部屋で、天井のはりにナイロンロープをかけて、首を吊って自殺。
多額の借金の返済に悩んでの、心中だった。
夫婦は、9月の「秦野たばこ祭」と、10月の「伊勢原観光道灌まつり」に、出店を計画していたが、いずれも主催者側が、天皇の容態に配慮して中止に。
「たばこ祭」のために、すでに、約60万円の材料の仕入れを済ませていたという。
また、同じく神奈川県で、体育祭を実行するか中止にするかで板挟みになり、実行委員長が自殺する、という事件も発生している。
昭和天皇という、ひとりの人間の体調悪化や死去に対し、日本全体がここまでそろって自粛し、生活に多大な影響を及ぼすというのは、あきらかに異常なことだ。
しかも、マスコミは率先して、“自粛ムード”を作りあげた一方で、かなり前の段階から、昭和天皇の「Xデー」に向けて準備を進めていた。
たとえば在京民放5社は、「吐血報道」の実に7年も前から、「Xデー」の放送体制について合意をしていたという。
ノンフィクション作家の保阪正康氏は、こうした昭和天皇の吐血から逝去までの、マスコミによる病状報道、
そして、国民の自粛の状況の本質を、「崩御を待つという心理」と表現し、こう続けている。
〈それが、近代天皇制が生み出した、国民側の異常な心理だという認識はなく、
自粛ムードは、天皇をして、その存在を現実から切り離す、きわめて危険な発想だとの認識はなかったのである。
こうした事実は、近代天皇制のなかにあって、昭和十年代のファシズム体制が、天皇をできるだけ国民には実体のある存在とせずに、
皇居のなかに閉じこめて神格化することで、軍事を中心とする指導者たちが、自在に権力を私物化していったのと似ている。〉
(『崩御と即位─天皇の家族史』新潮社)
列島を覆った、この異様な空気を危ぶんでいたのが、当時の皇太子、すなわち今上天皇だった。
1988年10月、皇太子は、当時の藤森昭一宮内庁長官と会った際、自ら“自粛ムード”について切り出して、懸念を伝え、
さらに、竹下登首相に対しても、同じくこのように述べたという。
「国民の皆様方が、(天皇)陛下のご平癒をお祈り頂いていることを、大変ありがたいと思っていますが、
一方、国民の皆様方の、日常生活に支障をきたすことがあってはならない。
これは、陛下の、常日ごろのお気持ちであり、私としても気にしています」
(毎日新聞88年10月9日付朝刊)
おそらく、今回の「お気持ち」のビデオメッセージで、天皇が、“自粛ムード”による「社会の停滞」に懸念を表したのも、このときの体験があったからだろう。
昭和天皇の逝去から、もうすぐ30年を迎え、あの異様な状況を知らない人たちの多くは、
さすがに現在では、天皇逝去の前後に、過剰な“自粛ムード”は起こらないと考えるかもしれない。
だが、現在の日本社会を見ていると、決してそうとは言えない。
ネトウヨによる電凸、炎上騒動、さらには政権のメディア統制の状況を鑑みれば、
むしろ、マスコミやイベントへの抗議や“不謹慎狩り”が頻発し、昭和の終わり以上に、重苦しい空気がこの国を支配する可能性は十分ある。
しかし、今上天皇は今回、こうした反民主主義的でグロテスクな、“一億総自粛”の再現に、強く釘を刺した。
その発言の意味は非常に大きいが、一方で問題なのは、こうした言葉を、当事者である天皇が、自ら語らざるをえなかったことだ。
生前退位もそうだが、本来、日本国憲法に定義された象徴天皇のありよう、つまり、民主主義を守るための皇室制度改革は、
国民やメディアの側から、声を上げなければならないことだ。
だが、国民の代表である政界は、天皇を再び国家元首にしようという、極右勢力に支配され、
メディアは、天皇タブーに縛られ、政権やネトウヨたちの空気をうかがうことしかしようとしない。
その結果、今上天皇が、自ら発言せざるをえなくなった、そういうことだろう。
今回の「お気持ち」表明でわかったのは、本来、もっとも反民主主義的な存在である天皇が、もっとも民主主義のことを考えていた、という皮肉な事実だ。
そのことの危うさを、わたしたち国民は、もっと自覚すべきだろう。
↑以上、転載おわり
このお言葉の発表の後、政権のメディア統制によってどんどん劣化しているFNNと産経が、このようなトンデモ報道をしていました。
「生前退位」可能となるよう改憲「よいと思う」8割超 FNN世論調査
【FNN】2016.08.08
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00332744.html
「生前退位」が可能となるよう、憲法改正をしてもよいと「思う」人が、8割を超えた。
FNNが、7日までの2日間実施した、電話による世論調査で、
天皇が、生前に天皇の位を皇太子に譲る「生前退位」に関し、政府のとるべき対応について尋ねたところ、
「『生前退位』が可能となるように制度改正を急ぐべきだ」と答えた人は、7割(70.7%)だった。
「慎重に対応するべきだ」と答えた人は、2割台後半(27.0%)だった。
今後、「生前退位」が可能となるように、憲法を改正してもよいと思うかどうかを聞いたところ、
8割を超える人(84.7%)が、改正してもよいと「思う」と答え、「思わない」は、1割(11.0%)だった。
この、大変に悪質な世論誘導は、天皇ご自身が、生前退位への思いをビデオに収め、それを公表された日の直前に行われていました。
その問い14.
今後、天皇の『生前退位』が可能となるように、憲法を改正してもよいと思いますか、思いませんか?
この質問の書き方には、非常に大きな間違いがあり、故意的に事実を歪め、天皇の生前退位は改憲しなくてはできないというふうに考えるよう誘導しています。
これは、あからさまな『天皇の政治利用』と言っても、過言ではないと思います。
天皇の生前退位は、皇室典範を改正するだけで可能なのです。
この極めて悪質な詐欺的報道を、野放しにしてはいけません。
どうか、周りの身近な方々に、そのことをきちんと伝えてください。
おまけ
今回の天皇のご意向の公表前に、政府内でバタバタと行われていたこと。
天皇陛下の「お気持ち」は改憲派を完全否定するものだった!?
“現人神”化を目論んだ安倍はブチ切れか?
【TOCANA】2016.08.08
http://tocana.jp/2016/08/post_10578_entry.html
引用はじめ:
皇室関係に詳しいジャーナリストはこう語る。
「陛下の生前退位のご意向が公表されることは、国民のみならず、政府にとっても寝耳に水だったようだ。
その証拠に、政府は6月、杉田和博官房副長官をはじめ、厚生労働省や警察庁など、旧内務省系官庁出身者を中心とした極秘チームを設置。
退位の手続きから、憲法が定める象徴天皇制との整合性などについて、急ピッチで意見調整を行い、すべてを“極秘に”すすめようとしていた。
しかし、陛下の強いご意向のもと、陛下のお気持ちが、NHKの記者を通して、公表されることが発表されたのだ。
国民的議論に発展させたくなかった政府は、こうした動きに対して、怒りにも近い歯がゆさを感じていると、もっぱらの噂だ」
陛下はこれまでにも、憲法改正に意欲的な安倍政権に対する反発ともとれるお言葉を、何度も口にしてきている。
たとえば、2013年、陛下の80歳を祝う誕生日会見では、
「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。
戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために、当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。
また、当時の、知日派の米国人の協力も、忘れてはならないことと思います」
と述べられ、現行憲法を「守るべき大切なもの」と位置づける、明確な擁護姿勢をみせている。
また、決して、GHQによって押し付けられた憲法でなく、「当時の知日派の米国人の協力」によって作成されたものだと認識されている。
ちなみに、NHKは当該部分のみ(紺色下線付きの部分)をカットし、一切放送しなかった。
現行憲法:
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」
自民党改正案:
「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」
大日本帝国憲法:
「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」
「天皇陛下が伝えたかったのは、“天皇制度とは、神として見るものではなく、制度として見るものである”ということでしょう。
どういうことかというと、“象徴天皇としての役割を果たせない者は天皇ではない”ということです。
天皇とは、象徴的な国事行為をする人のことであって、個人を神のように崇めるものでもなく、国事行為ができなくなれば、退位するべき者であるということ。
捉えようによっては、生前退位を認めるということは、天皇=現人神ではないということにつながるということです」(政府関係者)
元首でありながら象徴でもあるというのは、矛盾が生じている。
↑以上、引用おわり
ここまで明確に、ご自身が『元首』として政治利用されることを危惧し、現行憲法が示す『象徴』を願われていることを、
ビデオではあっても、直に、国民にメッセージとして送られた天皇のご意志を、わたしたちは真摯に受け止めなければならないと思います。
最後にもうひとつ。
天皇が「お気持ち」で、生前退位に反対する安倍政権や日本会議へ反論!
象徴天皇を強調して戦前回帰けん制も
【LITERA】2016.08.08
http://lite-ra.com/2016/08/post-2481.html
本日、公表された天皇自身の「お気持ち」を表したビデオメッセージだが、その中身は、予想以上に踏み込んだものとなった。
たんに高齢で、天皇としての務めが十分に果たせなくなる懸念を表明しただけでなく、
各地に出かけ、国民の傍に寄り添うことこそが、象徴天皇の役割であり、単純に公務を縮小するのは「無理があろう」と明言。
「摂政」をおくという措置に対しても、違和感を表明した。
また、昭和天皇の崩御のときに起きた自粛が、再現されることへの懸念を示し、大々的な葬儀についても「避けることは出来ないものか」と、はっきり意思を表した。
これは、明らかに、安倍政権の周辺から出てきている、「生前退位反対論」を牽制する意図があってのものだろう。
実は、7月にNHKが「生前退位ご希望」の第一報を打った際、菅義偉官房長官は報道に激怒し、
そのあとも、政府関係者からは、「生前退位は難しい」という、慎重論ばかりが聞こえてきていた。
「国務を減らせば済む話」、
「摂政で十分対応できる」、
さらに、
「天皇が、勝手に生前退位の希望を口にするのは、憲法違反だ」という声も上がっていた。
また、安倍政権を支える「日本会議」などの保守勢力からは、もっと激しい反発が起こっていた。
たとえば、日本会議副会長の小堀桂一郎氏は産経新聞で、
「生前退位は、国体の破壊に繋がる」との、激烈な批判の言葉を発している。
「何よりも、天皇の生前御退位を可とする如き前例を、今敢えて作る事は、事実上の国体の破壊に繋がるのではないかとの危惧は深刻である。
全てを考慮した結果、この事態は摂政の冊立(さくりつ)を以て、切り抜けるのが最善だ、との結論になる」(産経新聞7月16日付)
安倍政権の御用憲法学者で、日本会議理事でもある百地章・日本大学教授も、朝日新聞にこう語っていた。
「明治の皇室典範をつくるときに、これまでの皇室のことを詳しく調べ、生前退位のメリット、デメリットを熟考したうえで、最終的に生前譲位の否定となった。
その判断は重い。
生前譲位を否定した代わりに、摂政の制度をより重要なものに位置づけた。
そうした明治以降の伝統を尊重すれば、譲位ではなくて摂政をおくことが、陛下のお気持ちも大切にするし、今考えられる一番いい方法ではないか」(朝日新聞7月14日付)
安倍首相の周辺や日本会議が、生前退位をヒステリックに否定したがるのは、それが、彼らの極右思想の根幹と、真っ向から対立するものだからだ。
そもそも、生前退位というのは、江戸時代後期以前の皇室では、しばしば行われていた。
ところが、明治になって、天皇を頂点とする国家神道を、国民支配のイデオロギー装置にしようと考えた政府は、
大日本帝國憲法と皇室典範によって、この生前退位を否定、天皇を終身制にした。
「万世一系」の男性血統を、国家の基軸に据え、天皇を現人神と位置づける以上、途中で降りるなどということを許すわけにはいかない。
終身制であることは不可欠だった。
それは、この大日本帝國憲法の復活を最終目標にしている、安倍首相と日本会議も同様だ。
周知のように、自民党の憲法改正草案でも、日本会議の「新憲法の大綱」でも、天皇は「国家元首」と規定されている。
彼らが、天皇を神話的な存在に戻し、国民支配の装置として、再び政治利用しようという意図をもっているのは明らかであり、
生前退位を認めるというのは、その目論見が水泡に帰すことと同じなのだ。
しかし、天皇は、今回のメッセージで、こうした日本会議や安倍首相が狙う、戦前的な天皇制復活、天皇の国家元首化をきっぱりと否定した。
それはたんに、生前退位を示唆しただけではない。
天皇はメッセージの間、何度も、「憲法」「象徴」という言葉を口にした。
「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、
天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、
天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。
こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました」
「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます」
さらに、天皇は、
「天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には」と、天皇を「機能」という言葉で説明した。
つまり、「象徴天皇」が、あくまで国民の総意にもとづく「役割」であり、国民の声を聞き寄り添う「機能」を有している必要がある、と語ったのだ。
そして、その“日本国憲法下の象徴としての天皇”のあり方を守るために、生前退位の必要性を示唆したのである。
これは、天皇を「国家元首」とする改憲をめざし、「万世一系、男系男子」にこだわる安倍首相や日本会議にとっては、ありえない言葉だっただろう。
実際、この「お気持ち」表明の後、異常な早口で、通り一遍のコメントを読み上げる安倍首相の様子は、
明らかに不本意なときに安倍首相が見せる、いつものパターンだった。
「安倍首相や、その周辺の右翼連中はもともと、天皇陛下のことを、
『ヴァイニング夫人に洗脳されている、国体の破壊者だ』と言っていたくらいで、天皇陛下のお気持ちなんて一顧だにしていなかった。
生前退位や女性宮家の問題も、ずっと裏で要望を出されていたのに、無視されていた。
それが今回、天皇に、『国民へのメッセージ』というかたちで、問題を顕在化されてしまったうえ、
憲法と象徴天皇制のありようまで語られてしまったわけですからね。
いまごろ、はらわたが煮えくりかえってるんじゃないでしょうか」(ベテラン皇室記者)
天皇が今回、この「お気持ち」を公表した裏には、単純に、高齢化への不安から生前退位を実現したいという以上に、
天皇という存在が、皇太子の代になっても政治利用されないよう、
「日本国憲法における象徴としての天皇のありかた」を伝えておきたい、という気持ちがあったと言われている。
戦前回帰を企図する安倍政権が、すんなりと生前退位を認めるとは思えないが、少なくとも国民には、その思いは伝わったのではないだろうか。
(エンジョウトオル)
我が家の新聞のワールドニュース第一面に、この写真がデカデカと掲載されました。
タイトルは、『日本の天皇は、生前退位の覚悟ができている』
右端には、ここ最近に行われた、ヨーロッパ各国の生前退位の例が挙げられていました。
象徴としてのお務めについての天皇陛下お言葉(全文)
戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。
私も80を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。
本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、
天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。
即位以来、私は、国事行為を行うと共に、日本国憲法下で、象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。
伝統の継承者として、これを守り続ける責任に、深く思いを致し、更に、日々新たになる日本と世界の中にあって、
日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。
そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、
これから先、従来のように、重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、
国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり、良いことであるかにつき、考えるようになりました。
既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、
これまでのように、全身全霊をもって、象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。
私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。
私はこれまで、天皇の務めとして、何よりもまず、国民の安寧と幸せを祈ることを、大切に考えて来ましたが、
同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも、大切なことと考えて来ました。
天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、
天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を、自らの内に育てる必要を感じて来ました。
こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。
皇太子の時代も含め、これまで、私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、
国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを、私に認識させ、
私がこの認識をもって、天皇として、大切な国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。
天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を、限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。
また、天皇が未成年であったり、重病などにより、その機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。
しかし、この場合も、天皇が十分に、その立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで、天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも、様々な影響が及ぶことが懸念されます。
更に、これまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が、連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後、喪儀に関連する行事が、1年間続きます。
その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が、同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。
こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。
始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は、国政に関する権能を有しません。
そうした中で、このたび、我が国の、長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、
これからも、皇室が、どのような時にも国民と共にあり、相たずさえて、この国の未来を築いていけるよう、
そして、象徴天皇の務めが、常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。
国民の理解を得られることを、切に願っています。
この天皇陛下のお言葉の中に、象徴という言葉が8回も、繰り返し出ています。
・象徴としてのお務め(NHKニュースのタイトル)
・日本国憲法下で、象徴と位置づけられた天皇
・象徴の務めを果たしていくこと
・天皇が象徴であると共に
・国民統合の象徴としての役割を果たす
・天皇という象徴の立場への理解を求める
・天皇の象徴的行為
・その象徴としての行為
・象徴天皇の務めが、常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ
これは、ご自身が、現行憲法が規定する、国家と国民統合の象徴であるということの明確な表明であり、その確認をわたしたちに求められたものだと思えてなりません。
・天皇は神格ではない。
・天皇は象徴である。
・国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求め、
・そして天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を、自らの内に育てる必要を感じて来た。
・天皇といえど人間でもある私は、十分に高齢であり、次第に進む身体の衰えを考慮しなければならず、
・これまでのように、全身全霊をもって、象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じている。
・天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を、限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われる。
そして、殯(もがり)の行事にまで言及されました。
これは本当に大きな意味があると思います。
昭和天皇が亡くなられたのは、今から28年前のことですが、その当時の社会の自粛ムードと報道の様子を、わたしは今でもはっきりと覚えています。
そのことについて、詳しく書いてくださった記事を、ここに紹介させていただきます。
天皇が「お気持ち」で危惧した、“崩御による自粛”の実態とは?
昭和の終わりに起きた恐ろしい状況が、平成で再び
【LITERA】
http://lite-ra.com/2016/08/post-2487.html
8月8日、ビデオメッセージのかたちで公表された天皇の「お気持ち」について、本サイトではそのなかに、
安倍政権周辺から噴出する、「生前退位反対論」への牽制が見て取れるとお伝えしたが、他にも見逃せない点がある。
それは、天皇自身が、その逝去に際する社会の状況について、強く懸念を表したことだ。
「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。
更に、これまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が、連日ほぼ二カ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、一年間続きます。
その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が、同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。
こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります」
(「お気持ち」ビデオメッセージより)
若い読者のみなさんはピンとこないかもしれないが、天皇が危惧する「社会の停滞」とは、
1988年の、昭和天皇の容態悪化から翌年の逝去、つまり「天皇崩御」まで、日本全土を覆い尽くした、あの“自粛ムード”を指しているのは明らかだろう。
88年9月19日、昭和天皇が吐血。
新聞各社は、トップで「ご容態急変」と一斉に報じ、以降、まさに社をあげた「天皇報道」一色となっていくのだが、
この時点ですでに、メディアによる“自粛ムード”は萌していた。
たとえば、新聞報道の翌日に後追いした、スポーツ紙の一面は、普段のカラー印刷ではなくモノクロ。
また、週刊誌では、9月27日に発売予定だった「女性自身」(光文社)が、
グラビアページの天皇の写真を、左右逆に掲載していることが判明し、回収のうえ発売中止になるという騒動も起きた。
そんななか、一般国民を巻き込んだ自粛を、強く牽引したのは、やはりテレビだった。
「吐血報道」の数日後には、娯楽番組などの中止や変更が多発。
軒並み、報道番組やドキュメンタリー番組に差し替えられた。
それは、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)『スーパーJOCKEY』(日本テレビ)などのバラエティ番組だけでなく、
『全日本プロレス中継』(同)などスポーツ中継、はては『ひらけ!ポンキッキ』『おそ松くん』(ともにフジテレビ)『仮面ライダーBLACK』(TBS系)などの子ども向け番組にまで及んだ。
他にも、『笑っていいとも!』(フジテレビ)では、タモリによるオープニングの歌やダンスがとりやめになるなど、
中止にならなくとも、通常の状態ではない放送が、長期間続いた。
さらに、CMの改変も続発した。
日産の自動車CMで、井上陽水が、「みなさーん、お元気ですか?」という音声が、カットされたのは有名だが、
工藤静香出演の、ロッテのチョコレートCMでの台詞、「その日が来ました」なども差し替えられた。
なかには、新商品の「誕生」を「新発売」に言い換えるなど、明らかに過剰な対応もあった。
こうしたテレビの自主規制によって、作り上げられた“自粛ムード”は、伝染病のように、爆発的に全国に拡散していく。
9月末ごろからは、日本各地で、お祭りやパレード、コンサートなどの各種イベントが、相次いで中止となった。
当時の報道などから、いくつか具体例を挙げてみよう。
・神奈川県横浜市では、秋分の日に予定されていた、横浜駅西口の名物行事「ヨコハマカーニバル」が中止。
・千葉県東京ディズニーランドで、パレードの後の花火打ち上げが中止。
また、ミッキーマウス生誕六十周年を祝うイベント、「ミッキー・カー・オブ・ザ・イアー」が延期。
ディズニーランド駐車場に、一般参加者の車で、巨大ミッキーマウスの絵を描く予定だった。
・千葉県印西町で開催予定だった、「第一回コスモスサミット」が無期延期。
・長野県で行われる予定だった、全国俳句大会(参加者約200人)が中止。
・福島県の会津秋まつりで、約7000人の小中学生が市内を練り歩く「提灯行列」と、3日間続けられる予定だった盆踊り大会が中止。
・静岡県静岡市登呂遺跡で行われる予定だった、「第27回登呂祭り」が中止。
例年、市民約10万人が参加していた。
・三重県伊勢市の「伊勢おおまつり」と、「伊勢神宮奉納花火大会」が中止。
・佐賀県の県民体育大会開会式で、太鼓演奏やファンファーレなどが取りやめ。
・長崎県長崎市の諏訪神社で行われる予定だった、秋の大祭「長崎くんち」の奉納踊りが中止。
・プロ野球では、セ・パ両優勝チームのパレードが中止。
なお、パ・リーグは、西武ライオンズが1位に輝いたが、恒例の西武デパート「優勝感謝セール」は行われなかった。
これはあくまでほんの一部だが、比較的規模の大きなものだけでなく、小規模な催しも、次々と中止や延期、内容が変更になった。
なかには、こんなものまで?と、首を傾げるようなものも見受けられる。
・公開を控えていたオムニバス映画、『バカヤロー!私、怒ってます』の宣伝として、東京都港区で予定されていた「バカヤロー!言いたい放題コンテスト&試写会」が延期。
配給の松竹宣伝部は、「タイトルがタイトル。天皇の状態からみてまずいだろうと、思ったので」とコメント。
・特殊法人「住宅・都市整備公団」が予定していた、新宿駅前の「ススキと月見だんごの街頭プレゼント」が中止。「新宿でひと足早いお月見気分を」と、ススキと月見だんご計1000セットを、無料プレゼントするはずだったという。
・キッコーマンと子会社のマンズワインが開催を予定していた、「マンズワイン祭り」「マンジョウまつり」が中止。
ともに、ワインやみりんの工場で無料試飲、各種ショーを、訪問客に披露する予定だった。
なお、通常の工場見学は、普段通り受け付けたという。
しかも、自粛の嵐は、一般市民の生活にまで及んだ。
学校の運動会や遠足、個人的な結婚式、クリスマスや正月行事なども中止になる、異様な光景が広がった。
年末にかけて、パーティ類の中止が相次ぎ、ホテルの宴会場は閑古鳥が鳴いた。
他にも、正月のしめ飾りは、販売数が激減、食品売り場からは、赤飯や紅白まんじゅうまで消えた。
そして、この未曾有の“一億総自粛”は、89年1月7日、昭和天皇の逝去で、ピークを迎える。
テレビ局では、アナウンサーやキャスターが、黒服や喪服を着用し、画面から、一切のCMがアウト。
新聞からも、広告がバッサリとなくなり、電車の中吊りも外された。
「週刊文春」(文藝春秋)など週刊誌も、広告面スペースを、天皇関係の写真で埋めたり、白紙で構成したりするほどだった。
銀座のデパートには、天皇の遺影が大きく配置され、街頭のネオンや看板は、白幕で隠された。
当然、“自粛ムード”は、国民生活に支障をきたし、経済にも多大な影響を及ぼした。
たとえば広告業界では、CMの引き上げで、「菊冷え」なる隠語まで生まれた。
また、なかには、イベントの自粛が引き金となった、痛ましい事件も起きた。
当時の新聞によれば、10月には、神奈川県の露天商を営む夫婦が、自宅六畳の部屋で、天井のはりにナイロンロープをかけて、首を吊って自殺。
多額の借金の返済に悩んでの、心中だった。
夫婦は、9月の「秦野たばこ祭」と、10月の「伊勢原観光道灌まつり」に、出店を計画していたが、いずれも主催者側が、天皇の容態に配慮して中止に。
「たばこ祭」のために、すでに、約60万円の材料の仕入れを済ませていたという。
また、同じく神奈川県で、体育祭を実行するか中止にするかで板挟みになり、実行委員長が自殺する、という事件も発生している。
昭和天皇という、ひとりの人間の体調悪化や死去に対し、日本全体がここまでそろって自粛し、生活に多大な影響を及ぼすというのは、あきらかに異常なことだ。
しかも、マスコミは率先して、“自粛ムード”を作りあげた一方で、かなり前の段階から、昭和天皇の「Xデー」に向けて準備を進めていた。
たとえば在京民放5社は、「吐血報道」の実に7年も前から、「Xデー」の放送体制について合意をしていたという。
ノンフィクション作家の保阪正康氏は、こうした昭和天皇の吐血から逝去までの、マスコミによる病状報道、
そして、国民の自粛の状況の本質を、「崩御を待つという心理」と表現し、こう続けている。
〈それが、近代天皇制が生み出した、国民側の異常な心理だという認識はなく、
自粛ムードは、天皇をして、その存在を現実から切り離す、きわめて危険な発想だとの認識はなかったのである。
こうした事実は、近代天皇制のなかにあって、昭和十年代のファシズム体制が、天皇をできるだけ国民には実体のある存在とせずに、
皇居のなかに閉じこめて神格化することで、軍事を中心とする指導者たちが、自在に権力を私物化していったのと似ている。〉
(『崩御と即位─天皇の家族史』新潮社)
列島を覆った、この異様な空気を危ぶんでいたのが、当時の皇太子、すなわち今上天皇だった。
1988年10月、皇太子は、当時の藤森昭一宮内庁長官と会った際、自ら“自粛ムード”について切り出して、懸念を伝え、
さらに、竹下登首相に対しても、同じくこのように述べたという。
「国民の皆様方が、(天皇)陛下のご平癒をお祈り頂いていることを、大変ありがたいと思っていますが、
一方、国民の皆様方の、日常生活に支障をきたすことがあってはならない。
これは、陛下の、常日ごろのお気持ちであり、私としても気にしています」
(毎日新聞88年10月9日付朝刊)
おそらく、今回の「お気持ち」のビデオメッセージで、天皇が、“自粛ムード”による「社会の停滞」に懸念を表したのも、このときの体験があったからだろう。
昭和天皇の逝去から、もうすぐ30年を迎え、あの異様な状況を知らない人たちの多くは、
さすがに現在では、天皇逝去の前後に、過剰な“自粛ムード”は起こらないと考えるかもしれない。
だが、現在の日本社会を見ていると、決してそうとは言えない。
ネトウヨによる電凸、炎上騒動、さらには政権のメディア統制の状況を鑑みれば、
むしろ、マスコミやイベントへの抗議や“不謹慎狩り”が頻発し、昭和の終わり以上に、重苦しい空気がこの国を支配する可能性は十分ある。
しかし、今上天皇は今回、こうした反民主主義的でグロテスクな、“一億総自粛”の再現に、強く釘を刺した。
その発言の意味は非常に大きいが、一方で問題なのは、こうした言葉を、当事者である天皇が、自ら語らざるをえなかったことだ。
生前退位もそうだが、本来、日本国憲法に定義された象徴天皇のありよう、つまり、民主主義を守るための皇室制度改革は、
国民やメディアの側から、声を上げなければならないことだ。
だが、国民の代表である政界は、天皇を再び国家元首にしようという、極右勢力に支配され、
メディアは、天皇タブーに縛られ、政権やネトウヨたちの空気をうかがうことしかしようとしない。
その結果、今上天皇が、自ら発言せざるをえなくなった、そういうことだろう。
今回の「お気持ち」表明でわかったのは、本来、もっとも反民主主義的な存在である天皇が、もっとも民主主義のことを考えていた、という皮肉な事実だ。
そのことの危うさを、わたしたち国民は、もっと自覚すべきだろう。
↑以上、転載おわり
このお言葉の発表の後、政権のメディア統制によってどんどん劣化しているFNNと産経が、このようなトンデモ報道をしていました。
「生前退位」可能となるよう改憲「よいと思う」8割超 FNN世論調査
【FNN】2016.08.08
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00332744.html
「生前退位」が可能となるよう、憲法改正をしてもよいと「思う」人が、8割を超えた。
FNNが、7日までの2日間実施した、電話による世論調査で、
天皇が、生前に天皇の位を皇太子に譲る「生前退位」に関し、政府のとるべき対応について尋ねたところ、
「『生前退位』が可能となるように制度改正を急ぐべきだ」と答えた人は、7割(70.7%)だった。
「慎重に対応するべきだ」と答えた人は、2割台後半(27.0%)だった。
今後、「生前退位」が可能となるように、憲法を改正してもよいと思うかどうかを聞いたところ、
8割を超える人(84.7%)が、改正してもよいと「思う」と答え、「思わない」は、1割(11.0%)だった。
この、大変に悪質な世論誘導は、天皇ご自身が、生前退位への思いをビデオに収め、それを公表された日の直前に行われていました。
その問い14.
今後、天皇の『生前退位』が可能となるように、憲法を改正してもよいと思いますか、思いませんか?
この質問の書き方には、非常に大きな間違いがあり、故意的に事実を歪め、天皇の生前退位は改憲しなくてはできないというふうに考えるよう誘導しています。
これは、あからさまな『天皇の政治利用』と言っても、過言ではないと思います。
天皇の生前退位は、皇室典範を改正するだけで可能なのです。
この極めて悪質な詐欺的報道を、野放しにしてはいけません。
どうか、周りの身近な方々に、そのことをきちんと伝えてください。
おまけ
今回の天皇のご意向の公表前に、政府内でバタバタと行われていたこと。
天皇陛下の「お気持ち」は改憲派を完全否定するものだった!?
“現人神”化を目論んだ安倍はブチ切れか?
【TOCANA】2016.08.08
http://tocana.jp/2016/08/post_10578_entry.html
引用はじめ:
皇室関係に詳しいジャーナリストはこう語る。
「陛下の生前退位のご意向が公表されることは、国民のみならず、政府にとっても寝耳に水だったようだ。
その証拠に、政府は6月、杉田和博官房副長官をはじめ、厚生労働省や警察庁など、旧内務省系官庁出身者を中心とした極秘チームを設置。
退位の手続きから、憲法が定める象徴天皇制との整合性などについて、急ピッチで意見調整を行い、すべてを“極秘に”すすめようとしていた。
しかし、陛下の強いご意向のもと、陛下のお気持ちが、NHKの記者を通して、公表されることが発表されたのだ。
国民的議論に発展させたくなかった政府は、こうした動きに対して、怒りにも近い歯がゆさを感じていると、もっぱらの噂だ」
陛下はこれまでにも、憲法改正に意欲的な安倍政権に対する反発ともとれるお言葉を、何度も口にしてきている。
たとえば、2013年、陛下の80歳を祝う誕生日会見では、
「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。
戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために、当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。
また、当時の、知日派の米国人の協力も、忘れてはならないことと思います」
と述べられ、現行憲法を「守るべき大切なもの」と位置づける、明確な擁護姿勢をみせている。
また、決して、GHQによって押し付けられた憲法でなく、「当時の知日派の米国人の協力」によって作成されたものだと認識されている。
ちなみに、NHKは当該部分のみ(紺色下線付きの部分)をカットし、一切放送しなかった。
現行憲法:
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」
自民党改正案:
「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」
大日本帝国憲法:
「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」
「天皇陛下が伝えたかったのは、“天皇制度とは、神として見るものではなく、制度として見るものである”ということでしょう。
どういうことかというと、“象徴天皇としての役割を果たせない者は天皇ではない”ということです。
天皇とは、象徴的な国事行為をする人のことであって、個人を神のように崇めるものでもなく、国事行為ができなくなれば、退位するべき者であるということ。
捉えようによっては、生前退位を認めるということは、天皇=現人神ではないということにつながるということです」(政府関係者)
元首でありながら象徴でもあるというのは、矛盾が生じている。
↑以上、引用おわり
ここまで明確に、ご自身が『元首』として政治利用されることを危惧し、現行憲法が示す『象徴』を願われていることを、
ビデオではあっても、直に、国民にメッセージとして送られた天皇のご意志を、わたしたちは真摯に受け止めなければならないと思います。
最後にもうひとつ。
天皇が「お気持ち」で、生前退位に反対する安倍政権や日本会議へ反論!
象徴天皇を強調して戦前回帰けん制も
【LITERA】2016.08.08
http://lite-ra.com/2016/08/post-2481.html
本日、公表された天皇自身の「お気持ち」を表したビデオメッセージだが、その中身は、予想以上に踏み込んだものとなった。
たんに高齢で、天皇としての務めが十分に果たせなくなる懸念を表明しただけでなく、
各地に出かけ、国民の傍に寄り添うことこそが、象徴天皇の役割であり、単純に公務を縮小するのは「無理があろう」と明言。
「摂政」をおくという措置に対しても、違和感を表明した。
また、昭和天皇の崩御のときに起きた自粛が、再現されることへの懸念を示し、大々的な葬儀についても「避けることは出来ないものか」と、はっきり意思を表した。
これは、明らかに、安倍政権の周辺から出てきている、「生前退位反対論」を牽制する意図があってのものだろう。
実は、7月にNHKが「生前退位ご希望」の第一報を打った際、菅義偉官房長官は報道に激怒し、
そのあとも、政府関係者からは、「生前退位は難しい」という、慎重論ばかりが聞こえてきていた。
「国務を減らせば済む話」、
「摂政で十分対応できる」、
さらに、
「天皇が、勝手に生前退位の希望を口にするのは、憲法違反だ」という声も上がっていた。
また、安倍政権を支える「日本会議」などの保守勢力からは、もっと激しい反発が起こっていた。
たとえば、日本会議副会長の小堀桂一郎氏は産経新聞で、
「生前退位は、国体の破壊に繋がる」との、激烈な批判の言葉を発している。
「何よりも、天皇の生前御退位を可とする如き前例を、今敢えて作る事は、事実上の国体の破壊に繋がるのではないかとの危惧は深刻である。
全てを考慮した結果、この事態は摂政の冊立(さくりつ)を以て、切り抜けるのが最善だ、との結論になる」(産経新聞7月16日付)
安倍政権の御用憲法学者で、日本会議理事でもある百地章・日本大学教授も、朝日新聞にこう語っていた。
「明治の皇室典範をつくるときに、これまでの皇室のことを詳しく調べ、生前退位のメリット、デメリットを熟考したうえで、最終的に生前譲位の否定となった。
その判断は重い。
生前譲位を否定した代わりに、摂政の制度をより重要なものに位置づけた。
そうした明治以降の伝統を尊重すれば、譲位ではなくて摂政をおくことが、陛下のお気持ちも大切にするし、今考えられる一番いい方法ではないか」(朝日新聞7月14日付)
安倍首相の周辺や日本会議が、生前退位をヒステリックに否定したがるのは、それが、彼らの極右思想の根幹と、真っ向から対立するものだからだ。
そもそも、生前退位というのは、江戸時代後期以前の皇室では、しばしば行われていた。
ところが、明治になって、天皇を頂点とする国家神道を、国民支配のイデオロギー装置にしようと考えた政府は、
大日本帝國憲法と皇室典範によって、この生前退位を否定、天皇を終身制にした。
「万世一系」の男性血統を、国家の基軸に据え、天皇を現人神と位置づける以上、途中で降りるなどということを許すわけにはいかない。
終身制であることは不可欠だった。
それは、この大日本帝國憲法の復活を最終目標にしている、安倍首相と日本会議も同様だ。
周知のように、自民党の憲法改正草案でも、日本会議の「新憲法の大綱」でも、天皇は「国家元首」と規定されている。
彼らが、天皇を神話的な存在に戻し、国民支配の装置として、再び政治利用しようという意図をもっているのは明らかであり、
生前退位を認めるというのは、その目論見が水泡に帰すことと同じなのだ。
しかし、天皇は、今回のメッセージで、こうした日本会議や安倍首相が狙う、戦前的な天皇制復活、天皇の国家元首化をきっぱりと否定した。
それはたんに、生前退位を示唆しただけではない。
天皇はメッセージの間、何度も、「憲法」「象徴」という言葉を口にした。
「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、
天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、
天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。
こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました」
「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます」
さらに、天皇は、
「天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には」と、天皇を「機能」という言葉で説明した。
つまり、「象徴天皇」が、あくまで国民の総意にもとづく「役割」であり、国民の声を聞き寄り添う「機能」を有している必要がある、と語ったのだ。
そして、その“日本国憲法下の象徴としての天皇”のあり方を守るために、生前退位の必要性を示唆したのである。
これは、天皇を「国家元首」とする改憲をめざし、「万世一系、男系男子」にこだわる安倍首相や日本会議にとっては、ありえない言葉だっただろう。
実際、この「お気持ち」表明の後、異常な早口で、通り一遍のコメントを読み上げる安倍首相の様子は、
明らかに不本意なときに安倍首相が見せる、いつものパターンだった。
「安倍首相や、その周辺の右翼連中はもともと、天皇陛下のことを、
『ヴァイニング夫人に洗脳されている、国体の破壊者だ』と言っていたくらいで、天皇陛下のお気持ちなんて一顧だにしていなかった。
生前退位や女性宮家の問題も、ずっと裏で要望を出されていたのに、無視されていた。
それが今回、天皇に、『国民へのメッセージ』というかたちで、問題を顕在化されてしまったうえ、
憲法と象徴天皇制のありようまで語られてしまったわけですからね。
いまごろ、はらわたが煮えくりかえってるんじゃないでしょうか」(ベテラン皇室記者)
天皇が今回、この「お気持ち」を公表した裏には、単純に、高齢化への不安から生前退位を実現したいという以上に、
天皇という存在が、皇太子の代になっても政治利用されないよう、
「日本国憲法における象徴としての天皇のありかた」を伝えておきたい、という気持ちがあったと言われている。
戦前回帰を企図する安倍政権が、すんなりと生前退位を認めるとは思えないが、少なくとも国民には、その思いは伝わったのではないだろうか。
(エンジョウトオル)