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ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

雨上がりのさつき

2009年05月06日 | お家狂想曲
毎年、家の正面両側のさつきが満開になる頃、家族写真を撮ってきました。
来てすぐの、学校に行くことができなかった(予防接種の不備で、もめにもめてました)息子達も、今はふたりとも成人しました。



この、わたし達家族の泣き笑いをずっと背中で聞いてくれていたさつきとも、とうとうお別れが近くなってきました。今年の満開を愛でることができて嬉しいです。

今日、最後の手紙が向こうの弁護士から送られてきました。
実は一昨日、わたし達が二度もインスペクションを頼んだことがかなり心外だったという売り手側の気持ちが伝わってきて、ちょっとヤバいかなと心配していました。
けれども、我々の方からは、そのことに対して何も言うことは無かったので、とりあえず向こうの気持ちが落ち着くのを待つしかないということになりました。
何も連絡がないまま一日が経ち、今日の夕方、我々が紹介した業者には頼まないけれど、もう一度工事をし直します、という内容の手紙が送られてきました。

さあ、ローンを組まなければなりません。旦那は待機してもらっていた担当者と詰めの交渉に入りました。
できるだけ低い金利で貸してもらえたら嬉しいですが、こちらのシステムはかなり変わっていて、利率が毎分コロコロ変わるし、たとえ今日話を決めたとしても、○○が変わりました、あなたのクレジットカードの評価が変わりました、などと言って、余分な保証金のようなものを払わされたりするそうです。油断は禁物です。

けれども、もうほぼ99%のところまで来ています。
引っ越し会社を数件当たって、見積もりを出してもらわなければなりません。
ここから5分強で行ける近所だし、今月20日に帰省する息子Tも、日本に就職活動に行く6月中旬までは暇だろうし、息子Kも15日から夏休みに入るし、ちょびちょび荷物運びをしてもらおうと密かに企んでいます。
わたしは今週末から三週連続でコンサートが続きます。コンサートのためのリハーサルや個人練習、そして普段の仕事で手一杯のてんてこ舞いなので絶対に無理!

コンサートが終わるのが23日、そして24日は書類上17回目の結婚記念日
できたらその日、すべてが解決していて、やあやあおめでとう!と家族でお祝いできたらいいなあ

内股&内肩人生からの脱出

2009年05月05日 | ひとりごと
つい最近のことです。
長年、内股に加え、エックス(X)脚を自認してきたわたしですが、そしてそれをなんとか直したいと思い続けて早半世紀が経ってしまったのですが、

今年の1月から突然始めたヨガをやっているうちに、あれ?もしかして……と気がついたことがあるんです。間違ってるかもしれないけれど……。

ピラテスでもストレッチの時によく、肩をぐ~るぐ~ると前後に回したり、なにかというと肩を下げて!ってよく言われます。
ヨガになるともっと頻繁に肩の位置を下げるように、前屈みにならないようにと注意されます。
それで、普段も気になり始めて、肩の位置に気をつけているうちに、どうやらわたしの二の腕のボワボワは、もしかしたらこの位置にも関係あるのではないか?という疑問がわいてきました。
肩の位置を直しているうちに、腕の付け根が以前よりやや背中側に移り、胸骨が前より開いた感じになりました。いわゆる、胸を張るっていう感じ。

内股に加え、幼児の頃にちょいと股間脱臼もやってるわたしは、膝頭が内側を向いていて、足先をハの字開きにすると真っすぐに立つことができませんでした
チャップリンの真似なんかしようもんなら……いっぺんにぎっくり腰になりそうで、真似しようにも不可能でした。
でも、最近、ちょっと改善の兆しが見え始めてきました。膝を真正面に向けられるようになり、足先も少しなら開きます。

わたしの体は、長い長い間、まさに50年以上もの月日を、ずうっと内に向いていたのです。
そしてそれは、足のことだけかと思っていたら、なんのこっちゃない、肩も腕も内に向いていたのですね。
内に向いていると、緊張感もありませんから、肉も筋も、そして心も、タラタラ~っとしていたんですね。
毎年夏になると、タンクトップやショートパンツですっきりとした手足を出している女性を見ては、いいなあ~と羨ましがっていました。
この足も腕も、遺伝なんやから仕方がない、と諦めていました。
50年かけて蓄積した内向き体型を、そうですねえ、できたら20年、いや、10年ぐらいで、なんとか矯正できるかしらん?

旦那みたいに、職業変えたら?って思うぐらいの開脚ができなくてもいいから、せめて、内と外の間までに改善できたらいいなあ。

ちなみに、わたしの体型と骨のつき方からか、歩き方がかなり変だとよく言われます。
旦那などは、梅田の駅前の、めちゃくちゃ混んだ所でも、まうみが歩いてたら一発で見つけられるって、よく自慢していました
なので、待ち合わせの時は、立ち止まってないで、ウロウロ歩いててって……。
ちょっと、それって今から思えば、めっちゃ失礼やんけっ


過剰反応

2009年05月05日 | 世界とわたし
今朝の朝日のウェブ新聞で読んだんですが……、

『~また、自治体の発熱相談センターから新型インフルエンザ感染の恐れはないと判定された患者が一般の医療機関から拒まれた事例や、成田空港に勤務しているという理由で拒まれたケースもあった。

発熱などの症状があっても、国が流行国として指定しているメキシコ、米国、カナダからの帰国者でなければ診察を拒まないで欲しいと、都は病院に呼びかけている』


呼びかけているって……、ってことは、国が流行国として指定しているメキシコ・米国・カナダからの帰国者は、診療を拒まれちゃうってことですか?
んで、拒まれちゃった患者は、いったいどこで診てもらえるの?
来月、息子Tが就職活動しに東京に行き、1ヶ月半ほど滞在する予定なんだけど、大丈夫かいな?と心配になってしまいました。
本人は、「よく食ってよく寝てりゃそんなんにかからんって。まあ、空港に着いた時には絶対に検査されるやろけどな」と、いたって平気な様子ですが……。

中国では、カナダからの渡航者を隔離したり、感染していないメキシコ人を隔離したり、もちろん二次感染を防ぐ最大限の努力っていうのは必要だと思うけれど、国や医療機関が、過剰でヒステリックな行動をとってしまうのはいかがなもんでしょうか。


これが最後の手紙になりますように

2009年05月04日 | お家狂想曲
今朝早く、内装工事専門の業者さん、デブラ、そしてわたし達とでウィンザーの家に行き、白蟻に荒らされた部分の修復工事の予算見積もりを出してもらいました。
前回、見積もりを出してくれた別の業者さんの、百万以上は軽くかかる、というのが本当なのかどうか知りたかったのです。 

新しい業者さんは、長~い髪をえっと、あれはなんて言うんだっけ……そうそうレゲエヘア、腰ぐらいまで伸びた髪を束ねた姿がかっちょいい若者でした。
まだ会社を立ち上げて数年しか経ってないのだけれど、旦那のオフィスがあるビルの内装を一手に引き受けていて、その仕事ぶりがとてもいいのでお願いしました。
それで……、

「う~ん、こりゃまた中途半端なことやって……」と絶句しつつも観察を続ける彼。
「僕が直すとしたら、こっからあっちの端までを全部取っ替えて、アレとコレを剥がしちゃって、んでもって……」
彼の話はビルおじさんの話とほぼ同じでした。
「で、その作業はだいたいいくらぐらいかかる?」と旦那。
「う~ん……」旦那、わたし、デブラの3人が固唾をのんで見守る中、しばらくの沈黙の後、「25万ぐらい、かな?」
へ……???


ということで、再修理費の見積もり25万円という武器を盛り込んだステュアート弁護士からの手紙が、午後早く売り手側弁護士に送られました。
今回の手紙はちと辛口。あなたの頼んだ人がやった極めて中途半端な仕事を……調の文章が簡潔にまとめられていました。
その時その時の流れとかタイミングで、いろいろ口調を変えるんでしょうね。
まあ、100万以上かかると言われてたのが25万で済むんだから、ここはひとつ、スルリと引き受けてくれるか、その分を払ってくれるかしてくれたらいいんですけどね……どうでしょう……返事を待つしかありません。
ただ、向こうとしては、修理をしたと言ったのに、それを信用しないばかりか、インスペクターに再点検を依頼したってんで、ちょっとムカついておられるそうな。
でもなあ……そんなこと言われてもこればっかりは……。
もちろんわたし達は喧嘩を売るつもりなんか無いし、できれば穏やかに和やかに、売買が成立することを願っています。
なので、向こうの負担をできるだけ少なくするべく、こうしていろいろな業者さんを当たってもいるわけです。
なんとかそこんところを分かってもらえたらいいんだけど……。

もう手紙を送らなくてもよい、すっきり晴れやかな日が来ますように
毎日降り続く冷たい雨も上がりますように

そしていきなり審査会?!

2009年05月03日 | 音楽とわたし
10月3日のカーネギー小ホールでのコンサート、演奏希望の22グループから10グループを選ぶ会議があると、3日前に連絡が来ました。
オーディションをするための場所が取れない、選出に関わるメンバーが揃わないということで、今年だけとりあえず主要スタッフが選出をすることになりました。
でも……その主要スタッフ(プレジデント、オフィサー、ディレクター)合わせて9人の中の、実に7人が、6曲の演奏希望者として名前を連ねていて、これで公平に選ぶことができるのかどうか、わたしとしてはかなり疑問なのでした。

昨日夕方4時、いつものごとく、マンハッタンぶらぶらタイムを楽しみにしている旦那に車で送ってもらい、集合場所の『フレンチ・ロースト・カフェ』に到着。
演奏曲22曲をCDに入れ、会議用に持って来てくれたプレジデントのアルバート、そのCDを再生するパソコン持参のジェーン、そして我々総勢7名。
来られなかったオフィサーのマイケルとジョーは、すでに採点を済ませていて、わたしはそれにもびっくり!
カフェ側の好意で、店の一番奥の個室を空けてもらい、そこでとんでもなくしんどい、かつ極めて微妙な心情が飛び交う会議が始まったのでした。

なんでも初めてのことってこんなもんだと思います。関わっている者自身、これでいいのか、正しいのか、公平なのか、よく分からないのです。
ひとりでも聞いたことが無いという曲があれば、それを聞き、けれども演奏者は協会員ではないので、その曲を彼、あるいは彼女が演奏しているのを想像する。
……となると、今まで一度もわたし達の前で演奏をしたことが無い人達のことは想像できません。その場合どうするか?
まずは協会の演奏ミーティングで何回か演奏し、音楽のスタイル、技量などを見せることが次回の3周年記念コンサートにつながる……そういう説明で納得してもらえるかどうか……それはわからないけれど、とりあえずわたし達の間ではそういう結論に達しました。それで落とされたのが2グループ。

結婚式のバックグラウンドミュージックじゃないんだから……。
彼女の声は悪くないけれど、緊張すると喉が締まり声量がガタンと落ちる。それが普段のミーティングで2度とも起こり、カーネギーで踏ん張れるかどうか……。

ああでもないこうでもないと、7人が頭を突き合わせ、耳を傾け、そして演奏希望者である本人を目の前にしての採点付け……もうへとへとに疲れました。
審査員自身が演奏者である場合、点数は付けられないということになりかけた時、ジェーンとわたしは激しく抗議!
だって、彼女とわたしは連弾するので、わたし達の点数が無効になるってことはかなりの打撃です。
他の審査員は自分の曲で15点マイナス(満点が15点なのでした)になるだけだけど、わたし達の場合は最高で30点のマイナス!?そりゃないっしょ!!
でも……却下されてしまいました。けれどもとりあえず、演奏者は0点じゃなくて11点加算。ごめんね、仕方が無いんだ。後の採点結果のお楽しみ。

そんなこんなで、2時間半の激論会議の末、10グループが選出されました。そのうちの5グループに主要スタッフ6人が関わっています。
中国の曲、プロのタンゴダンサーの踊りと共に奏でられるピアノトリオ、ウェストサイドストーリーを演奏する天才バイオリニスト、オーソドックスなクラシック、全部で90分余りですが、きっと退屈しない演奏会になると思います。

演奏希望曲を提出する際に、絶対にわたしを落とさないでね。落としたりしたら自殺しちゃうから。などと、冗談のような、けれども声色はマジだった人もいて、
結局その曲は落ちたんだけど、来年の選考はもっと別の方法を考えないと、誤解を招いたり、会の趣旨が歪んで捉えられたりする可能性もあるような気がします。

さて、ジェーンとわたしの曲はギリギリで選ばれました。わたし達、ちょっと離れた場所に座ってたのだけど、熱い心でしっかり結ばれていた2時間半でした。
はぁ~……もうめっちゃんこ疲れました。
これからが正念場。ポスターを作り、ありとあらゆる許される場所に貼り、ラジオやテレビ局に宣伝を依頼し、チケットを作り、売らなければなりません。
カーネギーはカーネギー、ホールが小さくてもたっけぇ~ですから、使用料。

会議の終わりをブラブラ散策しながら待っていてくれた旦那と、ウェストサイドの住宅街を散歩して、偶然見っけたピザレストランに入りました。
旦那はネギとリークのピザ、わたしはシーフードピザ、レンガのオーブンで焼いた、そりゃ~美味しいピザでした。

ジェーンとわたしが弾くと決めたのは、ドボルザークの『Legends』から3番と5番。そして同じくドボルザークの『スラブ舞曲第一集』から8番の3曲です。
この夏は、熱くひたすら練習!仮仕上げが7月までになっていて、その後8月と9月に行われる予行リハーサルを経てから本番に挑みます。

引っ越し、バタバタする前に無事に終わっていますように





さよなら忌野清志郎

2009年05月02日 | ひとりごと
新聞で彼の死を知って、ユーチューブで久しぶりに彼の歌を聞いています。

よォーこそ、上を向いて歩こう、君が代、雨上がりの夜空に、僕の好きな先生、いい事ばかりはありゃしない、Day Dream Believer……。

弟が大ファンで、彼から教えてもらったわたしも、彼の声と言葉がいっぺんで大好きになりました。反骨とユーモアと弱者への優しさに満ちています。
癌との闘病が大変らしいと新聞で時々読んで心配していました。癌は嫌いです。本当に憎いです。

彼は面白い男でした。ウィキペディアで見つけた清志郎語録です。

*「ビートルズがこういう頭してんだよ。学校の先生よりジョン・レノンの方が好きだもん」(高校時代、風紀の先生に長髪を注意されて)
*「こんなせまいライブハウスは初めてだぜ!」(1980年、シーナ&ロケッツらと出演した武道館のステージで。ただし文献によっては、前年ジョニー・ルイス&チャーの前座として初めて立った武道館のステージで、「こんな広いライブハウスは初めてだぜ!」と言ったとするものもある。)
*「(みんなが)最近、ローリング・ストーンズを知ったんじゃない?」(RCはストーンズの物真似だという批判に対して)
*「あるよ。ある予定なんだけど、残念ながら社会の方にないみたいね(笑)、こっちに対しては」(「夜のヒットスタジオ」に出演時、テレビカメラに向かってガムを吐きかけるなどの悪ふざけをしたことに関し、「自分に社会性はあると思うか?」という雑誌のインタビューに答えて)
*「ストーンズだけどさ、あのステージを観たら、なんて言うか、…孤独感が消えたんだよね。ほら、…僕は孤独でしょ(笑)。でも、もう孤独感は消えた。…うまく言えないけど」(1982年のローリング・ストーンズ、ロス公演を観て)
*「本当にいいものは生きているうちは認められないんだと思ってたもん。当時は」
*「(日本語で歌を唄うのは)ただ単に英語ができないから日本語で唄ってるだけ。いつも日本語で喋っているし日本語しか喋れないから、日本語で歌を唄う以外ないという感じなのね。やっぱ、意味が分かってないと唄えないでしょ」
*「ビートルズなんて、大した才能じゃない。彼らが日本人だったら、あんなになりゃしなかった」
*「ロックでメッセージを伝えるのはダサいなんて言ってる奴は、ロックをわかってないと思うな」
*「周囲より僕は歌の力ってのを信じてます」
*「槇原のを回収しているのなら、ビートルズやジミヘンも回収しろって(笑)」(薬物所持で逮捕された槇原敬之の作品が回収されたことに対して)
*「民主主義国家だとか言論の自由だとか小さい頃から教わってきたわけじゃない?日本はいい国だって。結局は自分のやりたいことをやろうとすると、こんなことになっちゃって…」(RCのアルバム『COVERS』の発売中止が決定したことを受けて。)

まだ早いよ清志郎さん、58才だなんて。あんなに愛した家族を残して逝くの、辛過ぎるよ。あんたの歌、忘れないからね。ご冥福を心より祈って。

 

夜からにぎやか♪

2009年05月02日 | 友達とわたし
昨晩急に、友人カップルアンドリューとジェニファーが遊びに来てくれました。
わたしは朝からビルおじさんが熱く語る講義に耳をすませ、ヨガに行って体をほぐし、コンサートの合わせや仕事でいっぱいいっぱいだったので、日本食大好きなアンドリューにご馳走を作ってあげるほどのエネルギーが無くて、
急きょ、旦那の必殺アイディア、パタソン(中近東レストランが充実している、旦那のお気に入りの町です)テイクアウトと相成りました。
ハムス、ババガナシュ、レバナ、タブーリ、シシ・カバーブ各種てんこ盛り、オリーブ……etc.どんだけ買うてくるねん!とびっくりしましたが、
やはり身長2メートルを超えるアンドリューと、多分1メートル90センチ以上はあると思われるジェニファーの巨人カップルだけあって、わたしの心配は余計なお世話だったようです。
美味しかったぁ~!

お腹がいっぱいになった後はお茶。黒豆茶と煎茶を入れて、名前が分からない、これまた中近東のスウィーツをいただきました。
荒く砕いたピスタチオと、ハチミツとローズウォーターなどを混ぜた固めのゼリーです。お茶にすごく合います。
湯のみ持参でキッチンからピアノの部屋に移動して、ギター2本とピアノ、それからボンゴの素人お気楽セッションの始まりです。
アンドリューは、ピアノが弾けるくせに、その時の気分で、楽しんで、他の人と音で会話しようとしないわたしに、遊びに来るたび矯正セッションを強制?します。
しゃ~ないなあ~と嫌々ピアノの前に座り、彼のギターに合わせてダラダラ弾きをしているうちに、ありゃ?いっちゃんノッてるのは誰??
そうなんです、わたしなんです……いっぺん、何かが乗り移ったようなガンガン弾きをしちゃって……かなり恥ずかしかったべな。

即興連弾をするふたりとくたびれたボンゴおじさん。疲れがにじみ出てますなあ。ピアノの下の、荷造り開始袋もなかなかの存在感でしょ♪



二階のジムとリズ、昨日の晩はテレビを観てなんかいられなかっただろうなあ、うるさくて……彼らの居間は、ピアノ部屋の真上にあるのです。
ほんと、最初っから最後まで、うるさい一家だこと。


そしてその夜中、今日のゲームトーナメント(かなり規模が大きいそうな)の練習のため、6人のデカい男の子達が泊まり込みでゲームをしに我が家に集合。
なんせ、息子K、『ギルティ・ギア』とかいうゲームの世界では全米屈指の強者でして、彼の指南を仰ごうと、あちこちからゲーマーが寄ってくるのであります。
なんで大学行ってんのやろ……?
けれどもですね、一般庶民の旦那とわたしは、極々普通の生活を営んでいるので、夜中に行動を開始するコウモリ軍団とは全くペースが合いません。
大切な睡眠を邪魔されるのだけは許せないので、彼らがゲームをする部屋をどこにするかがとても重要な課題になります。
今、旦那は東南の端部屋に、わたしは西南の端部屋にそれぞれ別れて寝ているので、苦肉の策として、西側の真ん中、キッチンで遊ばせることにしました。
築200年の分厚い壁とドアは、場所さえ正しく選べば、物音を完璧に遮断してくれるので助かります。
彼らは、キッチンテーブルをガスコンロの方に移動させ、その上に、2台のでっかいテレビを置き、6~7人がテレビの方に向かって姿勢もよろしく座り、
そりゃまあ楽しそうに、お酒も煙草も一切口にせず、「あ~なんて下手!」「すげぇ~!」なんてことを叫びながら大いに盛り上がります。
年令はバラバラ。高校生から大人まで、男の子からおっさんまでいろいろ。いっぺん写真を撮って、ここに載せてみたいと思っています。
今朝7時過ぎに起きてキッチンに行くと、旦那はもう起きていて、「昨日、うるさくなかった?」と開口一番に聞いてくるので、「なんで?」と聞き返すと、
Kの部屋の方を指差して、「まだいる」と一言。え?と思いながら部屋のドアをそぉっと開けると……可笑しくて吹き出しそうになってしまいました。
部屋中のあちこちでぐうぐうと眠りこける男ども……楽しかったんだね。

ほんと、朝から晩、いや、明け方まで、うるさい一家だこと。

怒れるビルおじさん

2009年05月01日 | お家狂想曲
春の霧雨が、しっとりとすべてを濡らす静かな金曜日の朝。

インスペクターのビルおじさん、エージェントのデブラ、そして我々ふたり、修理を終えたと連絡のあった箇所を点検するため、地下室に降りました。

ボイラーの修理は○。ただ、内側の掃除が全くされていなかったので、ビルは渋い顔をしながら首を何度も横に振っていました。
地下室内のラドンガスの数値がやや高めだという件に対する処置は二重○。完璧な工事が施されていました。
湯沸かしに接続されているガス管の設置変更、これは思いっきり×。ビルはかなりお冠。こんなええ加減なことしよってからに!とえらい勢いで怒るおじさん。
そして白蟻問題。
これは素人目にも分かるほどの、とんでもなく中途半端な仕事なのでした。ここにきてビルの怒りは頂点に達し、ナメとんのかおらぁ~!とばかりに、天井板を破壊し始め……デブラと旦那が慌てて止める事態に。

……ということで、かなりキツい言い回しで書かれること必至の再申請書が、ビルから相手側の弁護士にファックスで送られることになりました。
でも……調べ直してもらって良かったです。ビルは今日も1時間かけて、外周りから内側まで、いろいろと調べてくれました。ありがたいったらありゃしません。

やり直しを要請した工事は、どんなに安く見繕っても百万近くかかるのだそうです。さて、向こうはどう出てくるのでしょうか。


家の中も外も、これからやらなければならない事がいっぱいです。
特に床。板目は元はきれいだったのだろうなあと想像できるのですが、今のままだと哀し過ぎる状態なので、とにかくこれだけは引っ越す前になんとかしなければ。
二階のボロボロカーペットはとりあえず剥がすことにして、バスルームの床の汚れと剥がれた部分は、いずれ、このバスルームは隣接するキッチンを壊してひとつの部屋にするつもりなので、今床をきれいにしても意味が無いので見て見ぬふりをすることに。

まだ迷ってるの?気分が落ち込んでるの?と、わたしの顔を見ては聞いてくる旦那。ごめんよ~と思いながらも、心からニコッとできないガキのわたし。
「今日はまうみ、やけに静かだね~」と、デブラに言われてしまい、いかんなあ……とさらに反省するわたし。

昔のわたしはどこ行った?肝っ玉の座った、たいていのことにゃ顔色ひとつ変えずに踏み込んでいけたあのまうみはどこ?
こんなこと、わたしの人生に起こった千のことに比べりゃ、なんちゅうこともない、ただの贅沢病みたいなもんです。
そろそろ蘇らないとカッコ悪過ぎます。

雨に濡れたメープル花粉。



クラウンヴィクトリアの左側に、数年前に死んじゃった鳥のビックスのお墓があります。そこに植えたすずらんが咲きました。



雨に濡れた黒い幹と若葉がきれいです。紅葉の若葉と赤ちゃん紅葉。この赤ちゃん紅葉は、わたし達と一緒に引っ越す予定です。



今日は5月1日。
ここで生活が始まった記念日です。10回目を迎えました。
日本の大津で4人の生活が始まったのも5月1日でした。
なんだか運命のようなものを感じます。