ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

啓介さぁ~ん♪

2012年09月30日 | 音楽とわたし
ACMAの花形ソプラノ歌手アイヴィの、ボイス・トレーニングを受けてきた。

彼女の本業は、夫婦カウンセラー。
けれども、常に、複数の歌の先生から学び続けていて、コンサートやショーで、観客を魅了する素晴らしい歌手さんなのである。

去年のカーネギーの舞台の後すぐに、彼女から、フォーレの美しい歌曲の伴奏を頼まれた。
彼女から頼まれたこと自体が嬉しくて、もちろん引き受けたかったのだけど、カーネギーの本番ですら痛みを誤摩化し誤摩化し弾いていたし、
とにかく一旦、全く弾かないと決めて、様子を見ようと決心していたので、泣く泣く(本当には泣いていないけれど)断った。
すると彼女は、わかった、この曲は、まうみの指が治って弾けるようになるまで、わたしは歌わないからと言いながら、ぎゅっと抱きしめてくれた。

それからほぼ1年後、急に思いついた。
そうや、歌やったら歌えるやん♪

若い頃、声量だけは人並み以上にあった。
当時、頸椎圧迫の後遺症で、右手がろくに動かなくなった時、声楽の先生が、鍛えようによっては声楽家としていけるかも、などと言ってくれて、ちょっとその気になったことがあった。
その後も、何人もの声楽科の生徒の伴奏を引き受けていたりしたことから、歌のレッスンの場に身を置く時間が多かった。

それからもう40年近くも経って、わたしは本格的に歌を学ぼうと決めた。
昔習ったイタリア歌曲の本を持って。

さて、マンハッタンのウェストサイドにある、アイヴィのアパートメントまで、旦那が車で送ってくれた。
アイヴィと真向かいに座り、どうして歌を学ぼうとしているのか、そして学んでいた時はどんなだったかを、詳しく話した。
そして、じゃあ、はじめましょかと立ち上がり、まずやったことというと、

全身の力を抜き、頭から肩、それから上半身を、ゆっくりと前屈しながら、あ~~~と声を出す……そしてゆっくり起き上がる、その繰り返し。
すると、「う~ん、まだまだ力が抜けてないなあ。顎も舌もほら、こんなふうに、だら~~っと」
真似してやると、もう少しで床の上に、よだれを落としそうになった。

次にやったことは、変な顔大会?!
アイヴィが見せてくれた顔を真似しろと言われたのだけど……あんさん、わたしにも恥じらいっちゅうもんが少しは……。
しかし……アイヴィの「カモォ~ンッ!まうみ!」という大声を聞いて、やむなく開始。
でも、そんなものは、ほんの始まりに過ぎなかったのだった……。

続いて、びっくり仰天顔+笑顔=目からおでこにかけての場所に響きの空間を作り、舌と顎は限りなく弛緩させる、という訓練が始まり、
奇妙なハミング音から、京唄子のパートナー啓介さんがよくやってた、へちゃげたエ~やイ~に移す練習に入ったのだけど、
自分の出す啓介声に辛抱ができず、吹き出すこと数回……これは宿題となった……。

歌うからって息を吸わなければ、なんて思わなくてもよい。
しゃべるからって、息を吸うことに神経を使わないのと同じく、息は自然に任せる。
歌う前に息をわざわざ吸うから、身体の中に余計な緊張が生まれる。
舌の根は下げずに、滑り台のように斜めに上がってても良い。
人それぞれに心地良い位置、リラックスできる位置というのがあるので、一律に考えるのも教えるのもナンセンス。
声はいつも、うんと上の方からやってくる。
具体的にそれをイメージするのは難しいけれど、高い所にあるリンゴにがぶりと齧りつく感じが近い。
イタリア語は、そもそも歌のような言語なので、それをアメリカ人やドイツ人、ロシア人、そして東洋人が歌うとなると、
普段使っている筋肉と全く違う箇所を使うことになるので、とても難しい。
だから無理をしないでもいいが、歌う曲の言語の映画を何度も見て、口真似するとよい。
単語の音のひとつひとつが、丁寧に磨かれていなければ、歌は美しくならない。
日本語だって、歌うとなると、『あ』は『あ』の、『せ』は『せ』のために、ひとつひとつ響きを磨いていかなければならないのと同じ。

ということで、とうとう曲に入った。
で、歌い終わらないうちに、曲の変更!ぎょえ~!

汗だくだくのレッスン第一回目なのであった♪
うちで今日のおさらいをしたらきっと、めちゃくちゃ怪しまれるやろうなあ……どないしょ……。

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