如古堂: 「如己堂(にょこどう」

永井隆博士が過ごされた家「如己堂」の名は、博士が生きる指針とした、「聖書」の一節、
「己の如く隣人を愛せよ(如己愛人)」という言葉から、如己堂と名づけられている。(新約聖書マルコによる福音書12章31節)
「なんじの近き者を、己の如く愛すべし」
人はともすれば、わが欲に心を奪われ、この最も大きな掟を忘れがちなものである。
それゆえ、 私はこの、私らの住む家に、「如己堂」と名をつけた。【いとし子よ】より
Yoko Miyazatoさんとおっしゃる方が、FBで紹介しておられたものです。
転載させていただきます。
「いとし子よ、愛で身を固めなさい」
長崎の被爆者、永井隆さんの遺言:
長崎で、原爆に被爆なさり、夫人を亡くされ、ご自分も被爆により43才で世を去られた長崎医大の医師、永井隆さんが、二児に残された遺言です。
63年の時をこえて、肉声が伝わってくるように思います。
******* ******* *******

いとし子よ。
あの日イチビの実を皿に盛って、母の姿を待ちわびていた誠一(まこと)よ、かやのよ、
お母さんはロザリオの鎖ひとつをこの世にとどめて、ついにこの世から姿を消してしまった。
そなたたちの寄りすがりたい母を奪い去ったものはなんであるか。
原子爆弾。
いいえ、それは原子の塊である。
そなたたちの母を殺すために原子が浦上にやってきたわけではない。
そなたたちの母を、あの優しかった母を殺したのは、戦争である。
戦争が長引くうちには、はじめ戦争をやりだしたときの名分なんかどこかに消えてしまい、
戦争がすんだころには、勝った方も、負けた方も、何の目的でこんな大騒ぎをしたのか、わからぬことさえある。
そして生き残った人々はむごたらしい戦場の跡を眺め、口を揃えて「戦争はもうこりごりだ。これきり戦争を永久にやめることにしよう」
……そう叫んでおきながら、何年かたつうちに、いつしか心が変わり、何となくもやもやと、戦争がしたくなってくるのである。
私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。
我が子よ。
憲法で決めるだけならどんなことでも決められる。
憲法はその条文通りに実行しなければならぬから、日本人としてなかなか難しいところがあるのだ。
どんなに難しくても、これは良い憲法だから、実行せねばならぬ。
自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。
これこそ戦争の惨禍に目覚めた本当の日本人の声なのだよ。
しかし理屈はなんとでも付き、世論はどちらへもなびくものである。
日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から、「憲法を改めて戦争放棄の条項を削れ」と叫ぶ声が出ないとも限らない。
そしてその叫びにいかにももっともらしい理屈をつけて、世論を日本の再武装に引き付けるかもしれない。
もしも日本が再武装するような時代になったら、その時こそ、誠一よ、かやのよ。
たとえ最後の二人となっても、どんなののしりや暴力を受けても、きっぱりと戦争絶対反対を叫び続け、叫び通しておくれ。
敵が攻めだした時、武器が無かったら、みすみす皆殺しされてしまうではないか、と言う人が多いだろう。
しかし、武器を持っているほうが果たして生き残るだろうか。
武器を持たぬ無抵抗の者の方が生き残るだろうか。
オオカミは鋭い牙を持っている。
それだから人間に滅ぼされてしまった。
ところが鳩は何一つ武器を持っていない。
そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる。
愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、
平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。

永井隆博士が過ごされた家「如己堂」の名は、博士が生きる指針とした、「聖書」の一節、
「己の如く隣人を愛せよ(如己愛人)」という言葉から、如己堂と名づけられている。(新約聖書マルコによる福音書12章31節)
「なんじの近き者を、己の如く愛すべし」
人はともすれば、わが欲に心を奪われ、この最も大きな掟を忘れがちなものである。
それゆえ、 私はこの、私らの住む家に、「如己堂」と名をつけた。【いとし子よ】より
Yoko Miyazatoさんとおっしゃる方が、FBで紹介しておられたものです。
転載させていただきます。
「いとし子よ、愛で身を固めなさい」
長崎の被爆者、永井隆さんの遺言:
長崎で、原爆に被爆なさり、夫人を亡くされ、ご自分も被爆により43才で世を去られた長崎医大の医師、永井隆さんが、二児に残された遺言です。
63年の時をこえて、肉声が伝わってくるように思います。
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いとし子よ。
あの日イチビの実を皿に盛って、母の姿を待ちわびていた誠一(まこと)よ、かやのよ、
お母さんはロザリオの鎖ひとつをこの世にとどめて、ついにこの世から姿を消してしまった。
そなたたちの寄りすがりたい母を奪い去ったものはなんであるか。
原子爆弾。
いいえ、それは原子の塊である。
そなたたちの母を殺すために原子が浦上にやってきたわけではない。
そなたたちの母を、あの優しかった母を殺したのは、戦争である。
戦争が長引くうちには、はじめ戦争をやりだしたときの名分なんかどこかに消えてしまい、
戦争がすんだころには、勝った方も、負けた方も、何の目的でこんな大騒ぎをしたのか、わからぬことさえある。
そして生き残った人々はむごたらしい戦場の跡を眺め、口を揃えて「戦争はもうこりごりだ。これきり戦争を永久にやめることにしよう」
……そう叫んでおきながら、何年かたつうちに、いつしか心が変わり、何となくもやもやと、戦争がしたくなってくるのである。
私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。
我が子よ。
憲法で決めるだけならどんなことでも決められる。
憲法はその条文通りに実行しなければならぬから、日本人としてなかなか難しいところがあるのだ。
どんなに難しくても、これは良い憲法だから、実行せねばならぬ。
自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。
これこそ戦争の惨禍に目覚めた本当の日本人の声なのだよ。
しかし理屈はなんとでも付き、世論はどちらへもなびくものである。
日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から、「憲法を改めて戦争放棄の条項を削れ」と叫ぶ声が出ないとも限らない。
そしてその叫びにいかにももっともらしい理屈をつけて、世論を日本の再武装に引き付けるかもしれない。
もしも日本が再武装するような時代になったら、その時こそ、誠一よ、かやのよ。
たとえ最後の二人となっても、どんなののしりや暴力を受けても、きっぱりと戦争絶対反対を叫び続け、叫び通しておくれ。
敵が攻めだした時、武器が無かったら、みすみす皆殺しされてしまうではないか、と言う人が多いだろう。
しかし、武器を持っているほうが果たして生き残るだろうか。
武器を持たぬ無抵抗の者の方が生き残るだろうか。
オオカミは鋭い牙を持っている。
それだから人間に滅ぼされてしまった。
ところが鳩は何一つ武器を持っていない。
そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる。
愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、
平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。
IWJで佐高信さんの講演を観てたら、「2011年の株主総会の時、6時間強の長時間の中でトイレに行く暇がないのを予想して、勝俣会長は紙おむつをしてた。そんな人間離れした人に対峙するのに善男善女じゃ、太刀打ちできない」みたいなことを言ってましたよ。
強いものに対抗できない弱さはわたしたちには確かにありますよね。かといって、愛のために行ってることではなく、ただ無関心だから何もしてないだけのような気がしてますが。怒りの感情を忘れたほうがいいんでしょうか?
どんなに強く願っても、どんなに必死でがんばっても、通じない、叶わない、そんなことばかりが続いています。
いくらなんでもひど過ぎると、殻にこもってしまったり、すっかり落ち込んでしまったり。
けれども、最近ですが、わたしは自分が前よりも少しは強くなった気がしています。
すでに金と権力を持っている者や物事は、それを持たない我々よりも強い。
そう考える時、ではいったい、強いというのはどういうことなんやろうと。
怒りの感情はやむなく生まれるもので、それを忘れることなど人間にはできないと思います。
けれども、その感情に埋もれてしまう一歩前に、薄めることができる物事を見つけること。
その練習をこれから始めようと、今日たまたま思いました。偶然ですね。
「黒森庵さん」の記事の時に初めてコメント欄にお邪魔させていただいたガーネットです。
あ! でもずっと読ませていただいてますよー!
お母様孝行なさったご旅行編なども楽しく読ませていただきましたし、あんなこんなの恐ろしい実態/実体を、いついもこと細かに調べて伝えてくださっていて、感謝いっぱいで読ませていただいています。
お忙しいなか、どれほどのエネルギーを費やしておられるのかと想像すると、ほんまに頭が下がります。
そしてこの記事でも、また、本当に大切なことを伝えてくださってて・・
・・・もうすぐ丸二年・・・
気を引き締めなおすと共に、物事の「本質」(なにを「強い」というのか、などもですね)を一人でも多くの人間が ’’自分の頭’’ で考えなければ、と心底思い、そしてもう一度私自身に言い聞かせています。
久々に、まうみさんに「おおきに!」が言いたくて。
頑張りましょね、お互いに!
んでもって、すんません、ダラダラと書き連ねた、というか、写真載せまくっただけの旅行記、
そんなんにまでお付き合いさせてしもて……。
今だに、母を怒らせてしもてクヨクヨしながらどっかを旅してる夢を見たりするんです……。
すっかりトラウマになってしもたような……。
いやもう、頭下げたりせんといてください。
自分の覚え書きのつもりで(と言いながら、厚かましく怒りまくっておりますが……)書いてるだけなんです。
でも、ほんまですねえ、もう丸二年……。
日本……なんとかもうちょっとええ方向に行って欲しいと、心の底の底から願てるのですけど。
こちらこそ「おおきに!」ですよガーネットさん。
これからも、こんなとこですが、また遊びに寄ってください。
ほんで、もし時間があったら、コメントで話を聞かせてくださいね。
初コメントさせていただくずーっと前から、私、まうみさんの「怒り」にメッチャ賛同させてもろてて。
しかもコトバ(方言というか)が一緒やから尚更ストライクなんです(笑)。
我々は国外に長く住んでるから、もしかして本来の「日本人キャラ」ではなくなってしもてるんかもしれませんけど(笑)、思うんですよとにかく、「怒らなあかんやん!!」て。
こんだけ国や政治に好き勝手やられてんのに、「しゃーないよなぁ...」てな雰囲気になってることが残念で情けなくて歯痒くて・・。
なので、まうみさんの「怒り」、これで一人でも多くの人が「せや!」って思ってくれへんかなぁ、って。
【正当な怒りは、正のエネルギー変換される!】
そう思てます。
私も頑張ります! 正しく怒り続けましょ! 「明日」を夢みて!
本来の日本人キャラからは、さらに外れてしもてるのはわたしもおんなじです。これだけはしゃあないですよね。
おっきなもんに抵抗するってのは、どこの国でもどこの人でも、なかなか難しい。
それに、みんなそれぞれの生活も守っていかなあかん。
その上で、まともな人間がやってりゃ無事に済んでいくもんを、アホが牛耳ってるばっかりに……。
この手間と労力、ハンパちゃいますもんね。
けど、怒らなあかんと思います。それでも。
こんな目に遭わされて、ここまで蔑ろにされて、しゃあないとあきらめたらもう……。
【正当な怒りは、正のエネルギー変換される!】
ガーネットさん、ありがとう。
この言葉を励みに、これからも怒りまっせ~!