ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

デニー知事「日米両政府が辺野古の新基地計画を断念するまで、みんなでぜひ動いていこうではありませんか」

2018年11月12日 | 日本とわたし




デニーさんの言葉を文字起こししました。
質疑応答は、また体力が戻り次第、作業させてもらいます。

ニューヨークのみなさま、はじめまして。
沖縄県知事の玉城デニーと申します。
どうぞよろしくお願いいたします。

見た目はほぼアメリカ人なんですが、だけど英語はあまり話せないので、今日は日本語で話をして、目方さんに通訳をしていただきますのでよろしくお願いいたします。

まず最初に、今日の講演の準備には、島袋マリア先生にとてもお世話になりました。
まず初めに感謝いたします。
ありがとうございました。
そして今日、ほんとにたくさんの皆さんにおいでいただきました。
本当にありがとうございます。

先ほどのご紹介にもありましたが、私は国会議員を務めていた2009年から2018年までは、3回アメリカを訪問しました。
今年の9月30日に選挙で当選して、10月4日に沖縄県知事に就任してからは、もちろん初めてです。

これまでは主に、ワシントンDCを中心に、訪米活動を行なっていましたが、
今回は多様性の持つ力、沖縄の民主主義の誇りをテーマにお話しするために、アメリカでも多様性にあふれている都市ニューヨークを、県知事としてアメリカでの活動をスタートする場所に選びました。

沖縄は、第二次世界大戦後、73年間も米軍基地の問題と戦い続けています。
今、名護市辺野古の新基地建設をめぐり、後戻りできない事態へと追い込まれています。

今後、どのような手段で、この埋め立てを阻止していくのか、そのために何か具体的な策があるのか、日本のメディアは、新しく県知事になった私の決断に注目しています。

私はここで、なぜ沖縄が、このような状況に追い込まれているのか、日本とアメリカの安全保障体制の過剰な負担をなぜ、沖縄だけが背負い続けているのか、皆さんに話をさせていただきたいと思います。

そして、沖縄だけに解決策を問うのではなく、日本とアメリカの市民の皆さんが、自分のこととして捉えていただき、一緒に解決策を考え、太平洋を越えて繋がって、行動する輪を広げていただきたいという思いで、これからお話をさせていただきます。

さて、私は1959年、日本のいちばん南にある小さな島、沖縄に生まれました。
私の父は米国人で元海兵隊員、母は日本人です。
母は80歳を過ぎて元気です。
笑顔のとてもチャーミングな人です。
しかし、私は父の顔も出身地も知りません。
私がまだ母のお腹にいた時に、父が先にアメリカに帰還することになり、母は私を産んでから、アメリカに渡るという約束でした。
ところが生まれてから後、母はアメリカに渡ることを断念し、沖縄で私を育てました。
手紙も写真も、母は、悔いを残すからと、全て焼いてしまいました。
このような形で、日米双方の関係を持つ子どもたちは、少なくありません。
しかし私は、幼い頃は、外見が違うというだけで、いじめに遭ったりもしましたが、私を実の母以上に可愛がってくれた養母は、差別や偏見が心の傷にならないように、優しく教えてくれました。

ですから私は、自分の生い立ちを肯定していますし、海兵隊の基地周辺にある、飲み屋で働いている女性たちの、食事や洗濯などの世話をする賄いが生活をするための仕事だった私の母の姿をよく知っています。

つまり私にとっての米軍基地とは、政治的な問題というよりも、日常生活の延長に見ていたものです。
基地を抱えながら生活をしてきた、ウチナーンチュの現実でもあったわけです。

沖縄における多様性は、生きるためのたくましさを必要としながらも、人としてのチムグクル、真心を決して失ってはいけないというアイデンティティとして、私たち沖縄県民が誇りに思っているマブイ(魂)でもあります。

普段のウチナンチュは、兵隊とほとんど揉めたりしません。
しかし沖縄は今、辺野古で新基地建設を強行しようとしている、日本とアメリカの両政府とぶつかっています。

この対立は、反米とか、あるいは反基地というイデオロギー的な主張ではなくて、これ以上基地はいらないという、生活者のリアルな声です。

細かい点については、今日皆さんに資料をお配りしていますので、どうぞそちらをご覧ください。


辺野古の新基地問題をめぐる沖縄の現状について、簡単にご説明いたします。

沖縄県の人口は今、145万人です。
現在は、ハワイと肩を並べるくらいに、好調な観光産業を中心に発展しています。

県全体から見る基地の関連収入は、わずか4%から5%にしか過ぎません。
沖縄は基地経済に依存しているわけではないのです。
沖縄の国土の面積は、日本全体のわずか0.6%です。
その小さな沖縄に、日本全国の70.3%もの、米軍専用基地が集中しています。


圧倒的な集中であるにも関わらず、日本政府はさらに、新たな米軍基地の建設を辺野古で強行しています。


これには、沖縄の県民の60%から70%が反対しており、翁長雄志前沖縄県知事も、そして私も、新基地建設反対という民意で、選挙では相手候補に大きな票差をつけて、県知事選挙で圧勝しています。

沖縄が現在直面している政治問題として、私は、全ての米軍基地の即時閉鎖ではなく、辺野古の新基地建設という、沖縄県民に対しての、さらなる負担の増加に反対しているのです。

沖縄に米軍基地が集中している理由について、日本の政治家や評論家は、アジアに近い地理的優位性や戦後の安全保障上のことなどを理由に挙げています。

この米軍基地が沖縄に造られてきた経緯を観察すると、米軍が基地建設を試みた1950年代に、日本本土での反対闘争が凄まじかったことや、かつて防衛大臣を担った方の発言にあるように、九州でも西日本にでもいいが、政治的に沖縄、というように言っています。

それは米軍にとって都合がいいのではなくて、日本政府にとって沖縄に置く方が、手っ取り早い。日本国民からの反対を避ける意味でも、基地が集中している沖縄しかない、という考えにこだわっているとしか思えません。

しかし、残念ながら、日米安保は支持する、けれども米軍基地は来ないでくれ、という矛盾が、日本の国民の中にもあります。
しかし、その民主主義の矛盾を、当たり前のように押し付けられているのが沖縄なのです。

日本が民主主義の国家であるというのであれば、米軍基地を巡って、政府と国民の間にある矛盾に向き合い、それを解決するべきです。

その矛盾を沖縄に押し付けられている以上、沖縄のことを抜きにして、日本の民主主義の問題を解決することは不可能であると、沖縄は言わざるを得ないわけです。

沖縄県は、8月31日に、辺野古の新基地建設に伴う埋め立て承認を撤回しました。
これに対して政府は、国民の権利、利益の救済を目的とする行政不服審査法を用いて、撤回の効力を無力化しました。
本来このやり方は、国民が政府と戦うために使う権利なんですが、日本政府は、辺野古の新基地建設工事を再開させるために、政府が私人に成りすまして、法の趣旨を捻じ曲げています。


沖縄県は、法治国家にあるまじき行為だとして、強く批判しています。
米軍基地を優先するために、政府は、法の例外規定まで押し付けているわけです。

しかし、こうした問題は、日本にだけにとどまりません。
アメリカも当事者です。
沖縄県は、沖縄と日本と米国と、この三者対話を持ちたいと切望していますが、アメリカは沖縄に対して、それは日本国内の問題だと片付けてしまいます。
沖縄がアメリカに直接、米軍基地に関する苦情を訴えると、アメリカは苦情を日本政府に回します。
そして日本政府は、地位協定などを理由として、沖縄からの苦情を切り捨てるわけです。
沖縄からの民意の声は最初から無かったかのように消されていくのが常となっています。


非常に残念なんですが、この民意の声をしっかりと受け止め、私、あるいは私たちが、責任を持って解決しようと主張する政治家は、アメリカにも日本にもいません。

こうした国際社会のもとで、沖縄県民はいったい、どのようにして声を上げることができるというのでしょう。

基地を造る日本、基地を使うアメリカ、どちらも責任の当事者であるはずですが、その基地を押し付けられている沖縄からの声は、どこに届ければいいのでしょうか?

民主主義のあるべき姿を、私たち沖縄県民は、どこでつかむことができるのでしょうか?

民主主義の尊厳をアメリカとともに分かち合いたいという、沖縄県民の心からの願いは、どのようにすれば繋がることが可能なんでしょうか?


沖縄県は、政治的かつ法的な、あらゆる手段を尽くして、辺野古の新基地建設を阻止しようとしています。

しかし、政府の扉と法律の門は、閉じつつあるという厳しい現実に直面しています。

沖縄は一体、いつまで政府の扉の前で、待たなければならないのでしょうか?

一体いつまで、法律の門の前で、待たなければならないのでしょうか?

そうした沖縄に対する扱いを、まるで植民地のようだと反発する沖縄県民も少なくありません。

沖縄の立場から見た場合、日本は法治国家であるという政府のコメントに対して、自作自演と言わざるを得ないのです。

そうでないとするならば、民主主義の誠意を持って、沖縄と真摯に対話をするべきです。


さて、第二次大戦後、アメリカは沖縄を、太平洋の要石、キーストーンと呼びました。
米軍の軍事戦略において沖縄は、太平洋から東アジアへの鍵であるという意味です。

しかし、これまで説明してきたように、沖縄を常に、民主主義からも法律からも例外的な存在に置き続けていくならば、その鍵の石は、沖縄から激しい反発が飛び散っていく、パンドラの箱の鍵に変わってしまうかもしれません。

そうなれば、日米両国と沖縄県民との間に、修復不可能な亀裂が生じてしまうでしょう。
翁長雄志前知事も、沖縄の民意をおろそかにすることは、安全保障体制を敷く日本とアメリカの両国の政府に対して、大きな反発が起こりうるかもしれないと警鐘を鳴らしていたのです。

私は沖縄県知事として、米軍基地が駐留する地域の民意を、尊重するよう呼びかけたいのです。

日本はアメリカにとって最も重要な同盟国の一つですが、一方で、沖縄を民主主義の手続きから排除するという姿勢を支えています。

私が考えますに、沖縄にとっての安全保障体制は、右か左かというイデオロギー的な政治問題ではなく、日常生活に根ざしたリアリティなのです。

だからこそ翁長雄志前知事は、イデオロギーよりアイデンティティだと主張していたのです。
つまり、イデオロギー的、反米的なことではなく、日常生活の中から、国の政治について考えるという、民主主義の魂が沖縄に根づいているわけです。

沖縄県民は、日米両政府が、矛盾を押し付けられましたが、その矛盾をチムグクルで包み込み、多様性へとウチナンチュは変えてまいりました。

その一例となるのが、沖縄本島南部の糸満市にある、平和の礎(いしじ)です。
沖縄戦においては、民間人約10万人を含む、20万人以上の方々が亡くなりました。
平和の礎には、国籍を問わず、亡くなった全ての人々の名前が刻銘されており、新たに確認された方々の名前も、追加で刻まれています。

これは、沖縄の多様性を反映している大切な事業の一つです。

私の母の父親、つまり私の祖父と、二人の叔父の名前も刻まれています。

このように、苦い苦しみの経験も含めて、平和への思いを大事に育んできたからこそ、沖縄県民は、日米両政府が強行する、辺野古新基地に反対を主張するのです。
新基地はいらないと主張しているわけです。

アメリカではおそらく、沖縄の問題はあまり報道されない、あるいは、知られていないという現実があるかもしれません。

しかし私はこのことを、とても不思議に思います。
なぜなら、1945年の沖縄戦から現在に至るまで、多くの数のアメリカ人が、沖縄に駐留してきているからです。

ですから、実際には、アメリカと沖縄の関係は、非常に深いと言えます。
この深い関わりの中から、私も生まれてきたのです。

政治家が沖縄の運命を決めるのかもしれませんが、その沖縄を知っているのは、政治家よりも、多くのアメリカの元軍人や、軍属や、その家族なのではないのでしょうか?

沖縄のダイバーシティというのは、私のような存在であり、米兵と結婚して渡ってきた、今アメリカにいらっしゃる沖縄の女性たちであり、そして親から沖縄の魂を受け継いだ子どもたちであり、そして沖縄にふれてきた数多くの軍人、軍属なのです。

私はこのダイバーシティを、誇るべき民主主義の力に、ぜひ変えて欲しいんです。

米軍が沖縄に来て、73年になります。
米軍がせめて、キーストーンである沖縄の声ぐらいは聞くという敬意を払って欲しいと思っています。

アメリカは沖縄を、日本国内の問題に閉じ込めていますが、実は沖縄の中でも、アメリカの民主主義が問われているのです。

ですから私は、米国政府をはじめ、沖縄に駐留したアメリカ人、そしてそのご家族の方々にも、沖縄の問題を自分の問題のこととして考えて欲しいんです。

膨大な数の軍人が、海外の基地に駐留するという現実からいえば、アメリカ軍の基地の問題は、アメリカの問題と同等に扱われるべきであり、アメリカの民主主義もまた、国境を越えるべきではないかと私は考えるんですね。

保存されるべき豊かな自然環境と、互いの友情を将来の子どもたちにつなげるために、正しいと心から信じる声と行動が必要です。

お互いの沖縄のために、皆さん立ち上がって、ぜひ行動してください。

あなたの国の政府に、アメリカの民主主義の誇りを沖縄にも届けるように、どうぞ要求してください。

沖縄県民に残された時間はあまりありません。
しかし、みんなが立ち上がれば、変化が起こります。
変化が大きく早くなるほど、状況は大きく早く変わります。
日米両政府が、辺野古の新基地計画を断念するまで、みんなで、ぜひ、動いていこうではありませんか。







デニーさんをお迎えする準備中。たくさんの作業をほんとにありがとうございました!


歌の歌詞。


ワシントン・スクエアに集まって、














講演会会場のニューヨーク大学へ








そしてお出迎え


嬉しくてピョンピョン飛び跳ねてるわたしたちが、ニュース画面に映ったそうです…。

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