ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

矢部宏治著「知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた」を読んで知らなければいけない!

2018年11月12日 | 日本とわたし
日米地位協定の見直しが今やっと、国会や報道の中で、チラチラと語られるようになってきました。
日本が直面している、いえ、長年抱え続けてきている問題が、かなり深刻なものだとは思っていましたが、この問題を一人一人がきちんと捉えるべきものだと、改めて考えさせられました。

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岸がアメリカ政府やCIAとのあいだで結んだ、国民の知らないあまりに異常な合意が、いま「戦後日本」という国に大きな危険をもたらしている。

自国の軍事主権を完全に他国の手に委ねることは、ほとんど自殺行為に近い暴挙。

軍事主権の放棄とは、戦争を「始める権利」の放棄であると同時に、戦争を「しない権利」の放棄でもある。

国家にとってそれほど危険な状態はない。

「朝鮮戦争の終戦」という、世界史レベルの変化が起こりつつあるいま、
私たち日本人には、かつて自国の首相が結んだ「誤った密約」の存在に、真正面から向き合い、「ポスト戦後日本」の行方を正しく選択する、大きな歴史的使命が与えられている。

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デモクラTV マエキタミヤコ・伊勢崎賢治「 RADIO HIKESHI Live!」第37回 ゲスト:矢部宏治





なぜ日本は、アメリカによる「核ミサイル配備」を拒否できないのか
理由は岸が結んだ「密約」にあった
【GENDAI.ISMEDIA】2018年11月2日

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58278

◾️主権の回復へ向かう韓国と、状況が悪化する日本

1年前には誰も予想できなかったことだが、今年の3月、突然朝鮮半島で劇的な南北の緊張緩和が始まり、6月には歴史的な米朝首脳会談も行われた。
平和条約締結へのタイムテーブルはまだわからないが、「終戦宣言」そのものは、いつ出されてもおかしくない状況となっている。

一方、先月〔10月〕の20日、アメリカのトランプ大統領は、約30年間続いたロシアとの中距離核ミサイル(INF)全廃条約の破棄を表明した。

私のような日米の軍事上のウラの取り決めばかりを見ている人間からすれば、一見、矛盾するように見える、この2つの動きの意味するところは明らかだ。

つまり、スピードはどうあれ、すでに制空権を失い、反米軍基地運動も強力な韓国から、やがて米軍は撤退していく。
その過程で、日本にとって「対米従属の最後のお友達」だった韓国の国家主権も、しだいに回復していくことになるだろう。

しかしその一方、日本の状況は悪化する。
同じく制空権を失った、すべての自衛隊基地と米軍基地のあいだで共同使用が進み、そこにやがて対中国・ロシア用の中距離核ミサイルが配備されることになる。
そして米軍の主要部隊は、グアムその他へ撤退するが、「共同基地」に配備された核ミサイルの発射ボタンは、米軍が握り続けるのだ……。

たんなる悪夢だと思われるだろうか。
そうではない。
すでに何十年も前から、「全自衛隊基地の米軍共同使用」と「日本の陸上基地への核ミサイルの配備」は、アメリカの軍産複合体が具体的な目標としてきた現実なのだ。
日本国民の抵抗が弱ければ、必ず実現するだろう。

なぜ韓国にできる国家主権の回復が、日本にだけはできないのか。
最新刊『知ってはいけない2——日本の主権はこうして失われた』を書く過程でわかったことだが、
その最大の原因は、現在の安倍首相の祖父である岸首相が、「安保改定」で結んだ「3つの密約」にあったのである。


◾️岸が結んだ密約中の密約『討議の記録』

みなさんは『討議の記録』という密約文書について、聞いたことがあるだろうか。



これは、安保改定時に、岸政権がアメリカ政府と結んだ、「密約中の密約」といっていいほど重要な超極秘文書(藤山外務大臣がサインした)なのだが、
おそらく普通の人はほとんどその名前さえ知らないだろう。

戦後日本における圧倒的な米軍従属体制(いわゆる「安保村」)のなかで、この密約文書は、50年ものあいだ、その存在を隠蔽され続け
いまからわずか8年前(2010年)になって、ようやく「文書の存在」そのものは公認されたものの
その後も、外務省から、「こんな文書に効力はない」と、その法的有効性を否定され続けているからだ。

現在も、日本のほとんどの有識者たち(大学教授、官僚、メディア関係者)が、この外務省の説明を疑わずに信じている
その意味で、やはり、「戦後日本(=安保村)」における社会科学の知的レベルは、世界一低いと言っていいだろう。

いかなる形態の文書であれ、外務大臣がサインした文書に法的拘束力があることなど、日本以外の国では高校生でも知っている事実だからである(「条約法に関するウィーン条約」第2条・7条・11条他を参照)。


◾️「討議の記録」に書かれた驚くべき内容

ここで、その「討議の記録」という密約文書の驚くべき内容を、ごく簡潔に紹介しておこう。

1960年1月6日、安保改定の調印(同19日)から約2週間前、岸政権の藤山外務大臣と、アメリカのマッカーサー駐日大使(有名なマッカーサー元帥の甥)によってサインされたその文書には、次の4つの密約条項が明記されていた(以下、著者による要約。〔 〕内は補足説明部分)。



いかがだろうか。
この4つの密約条項を読んで、「ふざけるな!」と、腹の底から強い怒りがわいてくると同時に、
「ああ、そうだったのか」と、これまで不思議に思っていたさまざまな出来事の意味が、すっきり腑に落ちた人も多いのではないだろうか。

つまり、これらの密約をまとめると、
米軍は日本国内において、「事前協議なしでの核兵器の地上配備」以外は、ほぼ何をやってもいいし(上記AとCによる)、
事実上、日本の基地から、自由に他国を攻撃してもいい(上記BとDによる)ということになるからだ。

さらに、岸首相自身が、晩年の回顧録(*)で明らかにしているように、
たとえ将来、これまで一度も行われたことのない日米間の「事前協議」が、形式上行われたとしても、
そこでアメリカ側が、日本の陸上基地への核ミサイルの配備を提案したら、日本政府がそれを拒否するケースは最初から想定されていない
のである。



(詳しくはあとで述べる『知ってはいけない2――日本の主権はこうして失われた』の第3章・p.137本文と注を読んでいただきたいが、
ほぼ間違いなく、「緊急時には事前通告により核ミサイルの地上配備を認める」という「沖縄核密約」と同じ密約が、本土についても口頭で結ばれているものと思われる)

(*)
「条文でどうなっていようと、本当に危急存亡の際、事前に協議して熟慮の結果、拒否権を発動するに決めてノーと言ったからといって、それが日本の安全に効果があるかどうかは議論するまでもないだろう」『岸信介回顧録―保守合同と安保改定』広済堂出版


◾️岸が犯した〝最大の罪〟

なぜそのような馬鹿げた状態が、これまで半世紀近くも続いてきてしまったのか

それには理由がある。

安保改定で岸が犯した最大の罪は、この軍事主権を放棄したとんでもない内容の取り決めを、「国民に知らせず結んだ」ことだけでなく、それを「結んだあと、破って捨てた」ということなのだ。

つまり、この「討議の記録」については、すべて民間から登用した「親友」の藤山にだけ責任を負わせ、自分は知らぬ存ぜぬを決め込んで、次の政権(池田政権)にも引き継がなかったのである。

岸が、満州時代に述べた、有名な「政治哲学」として、

「政治資金は、濾過器(ろかき)を通ったきれいなものを受け取らなければいけない」
「問題が起きたときには、その濾過器が事件となるので、受け取った政治家はきれいな水を飲んでいるのだから、掛かり合いにならない」


という言葉があるが、要するに、安保改定において岸は、親友だった「藤山という政治的濾過器」を使って、密約の問題を処理したわけだ。




◾️改ざんされていた外務省の最重要文書

この、岸の信じられない行動が原因で、その後、日本の外務省は大混乱に陥り、対米交渉能力を完全に喪失していくことになる。
その過程で起こった象徴的な出来事が、今回、私が本を書く過程で発見した、「外務省における公文書改ざん」事件である。



上の図版を見てほしい。
これは、外務省が、問題の「討議の記録」について、「こんな密約に法的根拠はない」と主張する最大の根拠としてきた、極秘文書(「核兵器の持ち込みに関する事前協議の件」)である(*)。

ところが、この「安全保障課y(のちに北米局安全保障課長となる山下新太郎氏)」という、記述者名が書かれた4枚の「極秘報告書」の後半(「1」「2」と各パートの冒頭に番号が打たれた「2」の部分)が、突然まったく別人の筆跡になっているのだ。

すでに正式な筆跡鑑定もしたが、「前半(1・2枚め)」と「後半(3・4枚め)」の文字を実際に比べてみれば、それが別人の手によるものであることは、どなたにでもすぐにおわかりいただけるだろう。



なぜ、外務省がこんなことをしたかというと、日本国民に対して絶対に明らかにできない、「米軍艦船による核兵器の持ち込み」を、「そんなことは絶対に行われていない」と強弁するための、隠蔽工作だった

そして、そうした外務省の論理的な矛盾は、1974年に頂点に達する。
というのもこの年、佐藤首相が、「非核三原則」でノーベル平和賞を受賞する一方、
なんとその前年には、核攻撃用の爆撃機を多数搭載した、航空母艦ミッドウェイの「横須賀・母港化」(=これは小規模の核攻撃基地を国内に設置したに等しい行為だ)が、実現していたからである。

以後、このあまりに巨大な矛盾を、アメリカ側から絶対に公表されたくない外務省が、対米交渉能力を完全に喪失していったのは、極めて当然だったと言えるだろう。

そのため外務省は、2ページめのマンガの3コマめにあるように、「討議の記録」を約半世紀に渡って金庫にしまいこみ、その存在を否定しつづけるしかなかった

しかしその一方でアメリカは、もともと、同じマンガの4コマめにあるように、
「討議の記録」の内容を2つに分割した「基地権密約文書」〔=日本の国土の軍事利用についての密約〕と、「朝鮮戦争・自由出撃密約文書」〔=他国への軍事攻撃についての密約〕という、2つの密約文書を、「討議の記録」と同じ日に藤山にサインさせ
前者は日米合同委員会、後者は日米安保協議委員会という、安保条約にもとづく密室の協議機関の議事録に、それぞれ編入していた

その結果、日本人は誰一人、その正確な意味を知らない、とんでもない内容の取り決めであるにもかかわらず、
「討議の記録」のほとんどすべての内容が、新安保条約・第6条にもとづく正式な日米合意として、日米の協議機関に受け継がれ、
安保改定で回復したはずの日本の国家主権は、再び激しく奪いとられていくことになった
のである。

(*)外務省「いわゆる「密約」問題に関する調査結果報告対象文書(35点)の「1.1960年1月の安保条約改定時の核持込みに関する「密約」問題関連」P.84-87参照/ https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/mitsuyaku/pdfs/t_1960kaku.pdf


◾️親米路線がもたらす〝大きな危険〟

みなさんもよくご存じのとおり、岸は、獄中のA級戦犯容疑者の身から、わずか8年で日本の首相となる過程で、早くからCIAの協力を得ていた政治家だった。
そうした異常な環境が、彼の密約についての、同じくあまりに異常な行動に関し、どのような影響を及ぼしていたのか
それを短く説明することは、とてもできない。

そこで、版元の講談社の許可を得て、その背景を説明した『知ってはいけない2』の第3章を、特設サイトで全文公開することにする(「ウェブ立ち読み」のPDFをご覧ください)。

その本当の経緯を、多くの人が正確に理解することが、今後の日本社会の進路と選択を考える上で、非常に重要な意味を持つと思うからだ。

岸を過剰に評価したり、逆にたんなる売国奴として切り捨てることは、おそらくどちらも間違いである。
彼が確立した親米路線のなかで、その後日本は、大きな経済的繁栄を遂げることになった。

しかし、その過程で、岸がアメリカ政府やCIAとのあいだで結んだ、国民の知らないあまりに異常な合意が、いま「戦後日本」という国に大きな危険をもたらしている

なぜなら、自国の軍事主権を完全に他国の手に委ねることは、ほとんど自殺行為に近い暴挙だからだ。
少し想像してほしい。

今年の2月までの米朝の軍事的対立期に、もし米軍が日本の基地から北朝鮮を攻撃したら、私たちの未来にどんな悲劇が待ち受けていただろう。
もしも、米軍が、核兵器の地上配備を行っていたら、私たちはどれほど深刻な危険にさらされていただろう。


軍事主権の放棄とは、戦争を「始める権利」の放棄であると同時に、戦争を「しない権利」の放棄でもある
国家にとってそれほど危険な状態はないのだ。

「朝鮮戦争の終戦」という、世界史レベルの変化が起こりつつあるいま、
私たち日本人には、かつて自国の首相が結んだ「誤った密約」の存在に、真正面から向き合い、「ポスト戦後日本」の行方を正しく選択する、大きな歴史的使命が与えられている
のである。


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