ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

やろやろ!日本流『わたしは原発の嫌われ者です』キャンペーン!

2013年04月02日 | 日本とわたし
みなさん、わたしは原発の嫌われ者です。
疎ましがられたりします。
たまに、放射脳とか、ボケとかカスとか言うて、罵倒されたりもします。
こんな、半世紀以上も生きて、突然そんなふうに呼ばれることになるやなんて、まったく思てませんでした。
けど、まったく思わんと、便利や快適や言うて、身の回りのことしか考えず、ほんまは自分に深う関わってる社会のことを無視してきたからこそ、
日本はこんな危ないことになってしもたんやと、今はめっちゃ反省してます。

腹を括って、未来を担てくれる子どもらのこと考えて、大人として真っ当な生き方しよう思たら、いっぺんに世の中からはみ出てしまいました。
けど、嫌われ者になれたこと、自分の心の中では、めっちゃ誇りに思てます。
そやかて、ほんまは、苦しんでる人のこと、ヤバそうな開発や研究のこと、ずっとずっとずっと前から気になってたのに、気にしたらめんどくさいことになる思て知らんふりしてる自分のこと、情けないと思てたから。

絶対に、こういう活動は自分にはできん!と、思いっきり信じてたけど、いやいや、やっぱりやらんとわかりませんね。
自分に合うてるやり方で、自分にできる量で、なんなとできる。

嫌われ者キャンペーン、日本でもきっと、日本に合うてるユニークで楽しいやり方が見つかると思うんです。
おっきな力に勝てることもある。
このビデオを観てください。
何回でも観てください。

ほんで……、

考えてみませんか?
やってみませんか?

ヒントはここにいっぱいあります。
アイディア、大大募集中!!!




1986年、当時のソビエトで起きたチェルノブイリ原発事故。
原子炉が爆発し、有害な放射性物質が、大量にまき散らされる大惨事が起きてしまった。
放射性物質は風に乗り、1700キロも離れたスラーデクさんの町まで飛んできた。

やがて雨で地面に落ち、森の木々や畑にまで溜まっていったんだ。
町の人が家の周りの放射線を測ってみると、事故の前の5倍を超える放射線量が見つかった場所があった。
「落ち葉はたまっていた所が高かったです。コケや砂場でも、高い数値が出ました」

森のキノコや山菜、木の実も放射能に汚染された。
その年の秋に穫れた野菜は、ほとんど捨てなければいけなかった。
さらに、小さな子供のいるおかあさん達は、汚染されていない牛乳を求めて、遠くの町まで探しに行かなければならなかったんだ。

「放射能の恐さを知り、子供にどこで遊ばせ、何を食べさせたらいいか悩みました。
あんな事故があっても、ドイツの原発について、政府も電力会社も、何もしなかった。
だから、自分達でなんとかするしかなかったんです


そこでスラーデクさんは、近所のおかあさん達を集めて、もう原発で電気を作るのはやめよう、という会を作ったんだ。

→1986年『原発のない未来のための親の会』発足 

専門知識の無かったおかあさん達は、エネルギーの専門家を町に呼んで猛勉強。
どうしたら原発をやめることができるのか。
最初に始めたのは、おかあさんらしい、こんなことだった。

「原発をやめるために、まずは、みんなに節電を呼びかけました」

おかあさん達の作戦……節電競争

一年間で一番電気を節約した人には、イタリア旅行が当たる。
町中の人が、こぞって参加してくれたそうだ。

「電気の無駄使いがあるから、原発はなくならないと思ったんです。
例えば、テレビなどの電化製品を使わない時、コンセントから抜けば、ドイツ全体で原発二つ分の電力がいらないんですから」

楽しみながら節約する。

スラーデクさん達の節電競争によって、町は10%の節電に成功した。
でも、こうした活動が、ある人達を怒らせ、スラーデクさんは嫌われ者になってしまった。
その相手とは、この町に電気を送る、南ドイツの電力会社だった。
「電力会社に、『あなたは営業妨害です』と言われました。『電気を節約したいのではない、もっと売りたいんだ』とまで言われました」

この時すでにドイツでは、原子力発電を20年以上続けていた。
多くの電力会社は、冬の寒さや夏の暑さをしのいできたのは、原発があるからだ、と考えていた。
28万世帯に電気を送っていた南ドイツの電力会社も、原発をやめる気はなかった。
スラーデクさんの活動を、電力会社の人は、どう思っていたのか。

元南ドイツの電力会社(KWR)、取締役 フベルト・パイツさん
「当時、電力会社は、独占企業だったんです。
商売をやる人なら誰でも思うことですが、金払いのいい客を失わないように闘うのは当然ですよ」

それでもスラーデクさんは、電力会社に、原発をやめるためのいろんな提案をした。
・町の川をもっと利用して、水力発電所を増やしてほしい。
・自分達が太陽光パネルで発電した電気を、高い値段で買い取ってほしい。
でも、会社の答はNO。原発の電気があるから、と、取り合ってくれなかった。

「それである日、わたしは、自分達の電力会社を作って、自分達で運営しようと考えたんです。
そうすれば、電力会社に嫌われずに、自分達が使いたい電気を、自分達で決められますから」

つまり、スラーデクさんは、町から電力会社を追い出し、自然エネルギーの会社を始めよう、と考えたんだ。
原子力発電をやめて、太陽光や風力、水力で作った電気だけを、この町のみんなに送る。
ドイツでは、誰もやったことのない挑戦だった。

「原発無しの電力でやるなんて、単なる妄想に過ぎないと、考えていました。
彼女が居た町だって、ずうっと原子力発電からの電気で暮らしてきたんですから。
たった2500人ほどの住民のために、電力会社を作ろうだなんて、誰が賛成するのかってね」

でも、スラーデクさんの町の住民で投票をしてみたら、意外な結果になった。

→1995年 シェーナウ市 住民投票

半分以上が、原発に頼らない電力会社を作るという、スラーデクさんの考えに賛成したんだ。
でも、大きな問題があった。
スラーデクさんが会社を始めるには、電気を送る送電線を、電力会社から買い取る必要があったんだ。
専門家の計算では、町中の送電設備は、2億円。
そこで、スラーデクさんは、町の会社や住民に出資金をお願いし、やっとのことで目標のお金を集めたんだ。
ところが、実際に電力会社が売ってもいいと言った値段は、倍の4億円。
これ以上町の人には出せないお金だった。
「4億円なんて、とてもわたし達だけでは無理。こうなったら、ドイツ全国に、寄付をお願いするしかない、と思ったんです」

その方法とは、
『嫌われ者キャンペーン』

電力会社から嫌われていることを逆に利用して、
『わたしは原発の嫌われ者です』という広告を作り、寄付を呼びかけたんだ。
原発の無い未来に賛成し、寄付してくれた人々が、実名入りで堂々と、嫌われ者になっていく。
安心して普通に暮らしたいと願うだけで、なぜ嫌われ者になってしまうのか。
原発の問題を、もっと真剣に考えてほしいと、訴えた
んだ。
 
・ルドウィク・シャード(78歳) 農家 趣味は庭いじり そして、きらわれもの
・ハンナ・クック(9ヵ月) おもちゃ好き そして、きらわれもの

あなたも、きらわれものになりませんか?


全国の新聞に載った、きらわれもの達の広告は、話題を集め、見事4億円の資金を集めることに成功した。

→1997年 シェーナウ電力設立

こうして1997年、スラーデクさんは、もともとあった電力会社から、町中の送電設備を買い取り、ついに原発に頼らない電力会社を立ち上げたんだ。

普通の主婦だったスラーデクさんも、今では電力会社の社長さん。
水力に力を入れている。
川の本流から水の流れを引き込み、発電機を回してまた川に返す。
大きなダムを作らない、小さな水力発電所
だ。
「魚たちのための流れを守ることも必要ですからね」
「これで何軒くらいの電力を賄えるんですか?」
「この小さな水力発電でも、160軒の家庭に電力が供給できます」
「これぐらい、こう、川にダメージを与えない範囲で作れるんであれば、日本で、作れる場所いっぱいあると思うね。
だから、日本でそれができれば、もっともっと自然エネルギーを増やすことができるような気がする」

自分達が使う電気は、自分達が選んで暮らしていきたい。

そんな、小さな町の嫌われ者が始めた電力革命は、ドイツ全国に広がり、電力会社を選べる暮らしが当たり前になった。
それまでは、ドイツも日本のように、地域ごとに電力会社があり、そこから電気を買うしかなかった。
現在では、100社以上の中から、料金や発電方法などを比べながら、好きな会社を選べるようになった。

「よくやったと思いますよ。
我々も学びました。お客さんを失わないために、何をしたらいいのかをね。
それまでお客を独占していた電力会社にとって、すべてが新しい経験でした。
たくさんのことを、学び直す必要があったんです。
我々の会社では、何十年も安定した地位にあぐらをかいている人達ばかりだったから、本当に大変でした」

ここは、スラーデクさんが作った、自然エネルギー専門の電力会社。
電気料金は一割ほど高いけど、全国から申し込みがある。
福島の原発事故の後、自然エネルギーで暮らしたい人が増えたからだ。
町の2400人のために始めた会社が、ドイツ全国の13万軒に電気を送る会社に成長した。

「これはベルリンのお客さんのファイルです」

スラーデクさんの会社には、客が増えれば増えるほど、自然エネルギーも増える仕組みがある。
電気料金の一部が、自然エネルギーのための基金になっているからだ。
例えば、4人家族で、ひと月の電気料金が9700円だとすると、そのうちだいたい200円が、太陽光パネルや水力発電を増やすために使われることになる。


「13万人のお客さんは、普通のお客さんではありません。
原発の無い未来のために、一緒に闘ってくれる協力者、仲間なんだと、わたしは思っています」



そして以下のビデオは、そのシェーナウを、広瀬隆さんと山本太郎さんが訪れた際の様子を収録したもので、ツィッター友の金吾さんが編集し、『放射能メモ』という彼のブログに載せてくださいました。

ドイツの電力反逆の町(シェーナウ)で、質問をする広瀬隆と山本太郎



メモをとり 話に聞き入る彼らは知識欲旺盛だ。
シェーナウで行われた、1時間半ほどの慎ましい会議。
質問はもっぱら「どうやってシェーナウは巨大な原発ロビーに勝ったのか?」

「ここまで長い旅をしてきました」と広瀬隆さん
「イヤな原発をたくさん見学しました」
「最後くらい、良いモノも見たくてここに来ました」

隣りの山本太郎さんは、日本では有名な俳優だ。
しかし、反原発運動を始めてから、仕事が来なくなった。
日本の反原発運動は、山あり谷ありの繰り返しだ。
原発ロビーは強大で、何かを変えられるチャンスは小さい。

「地震大国日本に、残された時間はわずか」
「こういうことが再び起こる危険はとても大きい」と二人は言う

「日本の現状はかなり絶望的です」
「シェーナウに来たのは、未来への勇気をもらうためです」

<シュヴァルツヴァルトのシェーナウ村>
フクシマ原発事故以来 多くの日本人が、この電力反逆の村を訪れた。
この小さな村の脱原発は、90年代の住民投票から始まった。
その物語が、日本に紹介されて久しい。
CDや本が訳され、シェーナウは、日本人にとって“希望”を意味する。

<ウルスラ・スラーデック(シェーナウ)>
日本は、非常に厳しい状況にあります。
行動を起こす人は差別されがちで、活動を続けるには、とても強い意志が必要です


日本の反原発運動は、助けが必要だ。
エネルギー反逆者シェーナウは、今では立派な電力会社だ。
ドイツ全国13万戸に、クリーンな電気を供給している。

“小さくても辛抱をつづければ成功できる”
それが日本へのメッセージだ