ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

ベンピの思ひ出

2010年12月07日 | ひとりごと
最近のわたしにしたらすごく珍しく、丸二日間の便秘……だった。

丸一日の便秘は今だによくあることで、二日目に少し頭痛がしてきて、お腹の辺りがドヨヨンと重くなり、そうなると、弁慶の泣き所の骨のすぐ外側を、膝からくるぶし辺りまで少し強めに圧迫していると、とりあえずその日(二日目)のうちに解決する。
昔のわたししか知らない人はきっと、そんなバカな、人違いだろうと思うだろう。
だってわたしは、だいたい6日に一度のお通じで平気だった人なのだ。

今から考えると、いったいあの頃のわたしのお腹の中は、どんなことになっていたのだろうか……と想像するだけでおぞましい。
だいたい、お腹がどこにあるのか忘れてしまうほど、食べた物が胃で消化された後の器官が機能していたかった。
けれども、だからといってブクブク太っていたかというと、太めではあったが際立って太いということもなかった。
おならだってほとんど出なかったから、あっ!しまった!という失敗も無かった。それが密かな自慢でもあった。

毎回、そろそろ出しとかないとヤバいな、と思われる頃(6日目の夜)、気がつくと、肛門の辺りに、石ころを集めてネットの袋に詰め込んだようなブツが出現。
そんなものがそのまんまの形で出てこられるわけがないので、看護師がやるように、自分のあそこの周りを自分の指であちこち圧迫して、石ころの塊をひとつひとつ剥がし、別個に出してやるしか手は無かった。
その作業にかかる時間はだいたい一回45分。当時は和式の、しかも外に据え付けられたトイレだったので、冬の夜などは寒いのを通り越し、すっかり痺れてしまった。
もちろん足だって痺れが切れて、何度も立ったり座ったり、それはもう、途中で終わるわけにはいかない闘い、と言う他のなにものでもなかった。
肛門は傷だらけ、出血の量は半端ではなく、いつかきっと輸血してもらわねばならないだろう、と真剣に信じていた。

拓人がお腹の中に居た時ももちろん便秘は続き、臨月に入ってからは更に悪化した。
いつもの調子でいきんだら最後、流産や早産を必死で乗り越えてやっと大きくなった赤ん坊を、うんちと一緒に出してしまいそうだったからだった。
それで便秘が7日目に突入した時、とうとうわたしの身体の中を毒となったガスが逆流し、意識が混濁、病院のトイレで看護師に指で掻き出してもらい、大事を逃れた。

いったいあれはなんだったんだろう。
どうしてあんな毎日を、別に仕方が無いと思いながら生きられたんだろう。
自分の身体を大切にせず、しがらみや恐れやあきらめにがんじがらめになって、けれどもこれは自分が選んだことだから、決めたことだからと言い聞かせながら……。
そしてそうやって生き抜いている自分のことを、責任感の強い、しっかり者だなどと、心の内では密かに誇りに思ってたりしながら……。


ビルと一緒に暮らすようになってから、わたしがどういう思考回路の持ち主なのか、それを見つめ、考え、善し悪しを判断するチャンスが次から次へと現れた。
小さな子供だった頃、わたしの家は裕福だった。だからといって、とても贅沢な生活をしたとか、なんでも好きな物を買ってもらえたとか、そういう記憶は無いけれど、両親(特に父)が、欲しい物、新しい物をなんのためらいもなく手に入れていたような気がする。
それから数年が経ち、わたしが小学校の高学年になる頃には、両親の間に大きな亀裂が入り、その頃からどんどん、坂道どころか、巨大な落とし穴に吸い込まれていくような勢いで、とても辛い事が次々にやってきた。
失うこと、脅かされること、心身ともに虐待されることなど、トラウマになって当たり前の事柄が目白押しだった。

けれども、なぜかわたしは前だけ見ていて、なんとかなると思っていた。
それはもう、ただ過ぎていく時間と同じで、太陽と月が空に順序よく上がってくるのと同じように、次にしか、前にしか進まないのと同じ感覚だった。
もちろん、例えば大きな問題が3つ、同時に覆い被さってきた時には、さすがに参ってしまい、目を瞑って二度と起きなくてもいいようなことをしたりしたけれど、そんな時にもきっと無意識のうちに、見つけてもらえる幸運を祈っていた。多分……。

なのに、自分の命を守らなければならない究極の場面に立たされた時、それまでずっと、大切な自分の弟や父のために、そうしなければならないと思っていたこと、そこに残っていなければならないと思っていたことをすっぱり捨てて、自分ひとりの身を守るためだけに集中して行動した。
今も、そうしたことになんの後悔もないけれど、そんな勝手なことをした自分は、そのための償いをしなければならないと信じ込んでいた。
その頃には、幸せになるときっと、その分の不幸せがくる、とも思い込んでいた。
そんなわたしの前にビルが突然現れて、わたしの思考回路の歪みを見つけては、なんとか良い方向に直そうと教え続けてくれた。

幸せの背中合わせに不幸せなんかない。
幸せになることは悪いことではない。だから、幸せを求めることも悪いことではない。
辛い思いをしたことは、まうみが悪かったからではない。それはたまたま、両親の身の上に起こったことで、そんなことに子供が責任を感じる必要はない。
いやだと思ったことは断ってもいい。自分がしたくないことを無理矢理しなくてもいい。自分がまず喜ぶこと。自分がまず幸せになること。それが大事。
してもらったことに対しては心から感謝しなければならないけれど、お返しをあれこれ考えて悩まなくてもいい。
一番のお返しは、まうみがそれで幸せになれたことを見せること。

アメリカに住み始めて三年もすると、わたしの大腸の中にあったポリープがすっかり消えて無くなった。
大腸のカメラ検査は今もしなければならないけれど、年々腸が健康になっていくのを知ることは嬉しい。
そして、それと同時に、少しずつではあるけれど、便秘が改善した。
今はだから、一日出なかったりすると苦しくなる。苦しくなると嬉しくなる。ああ、やっと普通になれたと実感できるから。


今夜、仕事が終わって家に戻ると、家からすぐの角っこにパトカーが5台も停まっていて、なにやら騒がしかった。
 

家の中に入ってもこれこの通り。


なにがあったんだろう……。