リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

幸せの風

2020-08-02 05:28:25 | オヤジの日記

テクニカルイラストレーターの達人・アホのイナバ君から、段ボール2つ分の野菜が届いた。

かなり大規模な家庭菜園で、イナバ君の奥さんが栽培しているものだ。
トウモロコシ、ヤングコーン、枝豆、ナス、キュウリ、ミニトマト、ラディッシュなど。
助かりますわ。ナスはいま高いし。
早速パソコンで会話した。
はーい、イナバ君、アッホー。
「はいはい、アッホー」
今回もありがとうね。早速トウモロコシを食ったけど、うまかったね、みずみずしくて。
「ああ、今回のは美味しくできたって、奥さんも喜んでました、今年のトウココロモシは上出来だって」
うん、俺もそう思う。日照時間が短いのに、よくあそこまでできたね。
「奥さんが使っている日野の菜園は、まだ比較的日が届いたみたいです。それに僕にはわかりませんけど、いろいろ工夫をしたそうです」
奥さんは、研究熱心だからね。もうノウハウを身につけたんだろう。家庭菜園のプロだね。
「ところてん、今度うちの奥さん、味噌作りも始めたんですよ。Mさん、味噌好きですか」
日本人で味噌の嫌いな人が、いるのだろうか。味噌は万能調味料だ。肉、魚、野菜、その他どんな食材にも旨みを与えてくれる。
もし調味料選手権があったら、私は絶対に味噌に投票する。それくらい偉大な王者だ。
「え? 調味料選手権なんて、あるんですか」
ないよ。
ということで、半年後くらいに、イナバ君の奥さん手作りの味噌をいただけることになった。あらためてイナバ君は、いいひとと結婚したものだと思う。

ここで、イナバ君の許可を得て、イナバ君夫妻のプライベートを暴露しようと思う。
アホと聡明な美女は、どうやって知り合ったのか。それは、いくつかの偶然の重なりによるアホンタジーだった。
当時イナバ君は、東京青山のイラスト事務所に勤めていた。18年前のことだった。
ランチタイム、いつも通うカフェがいつもよりかなり混んでいた。いつもは、テラス席は満席のことが多かったが、店内はそこそこ空きがあった。しかし、この日は店内も混んでいた。順番を待っている人はいなかったが、食べるためには、待たなければならないだろう。
そのとき、入り口でボーッと立ち尽くしたイナバ君に、店員さんが来て言った。「相席でもよろしいですか。よろしかったら、お客様に伺ってまいりますが」
ランチなんて、10分もあれば食える。10分くらいだったら、気まずくてもいい。
伺った結果、OLさんの席に案内された。会社の制服を着て、1人でランチを食べていた。お互い「どうも」と挨拶した。
向かいの人は、パエリアを食べていた。うまそうだっだ。だからイナバ君も「パエリアを」と注文した。そのとき、向かいの人が顔を上げてイナバ君を見た。目があった。
恋が芽生えた。なんてことはない。
イナバ君は高速でパエリアを食い、「どうも」と言って店を出た。10分もたっていない。

その夜、イナバ君は会社の帰り、自宅のある最寄駅の阿佐ヶ谷でカレーを食って帰った。そして、家に帰るとでっかいカゴに入れた洗濯物を抱えて、すぐ近所にあるコインランドリーを利用した。週に1回1週間分の洗濯物をキレイキレイするのだ。アパートに洗濯機はあったが、部屋干しが嫌いなので、完全乾燥のランドリーを利用していた。
夜の9時過ぎ、店内に人はいなかった。そして、イナバ君が店に入ってから5分もすると、店に女性が入ってきた。上下グレーのジャージ姿だった。その人が「あら」と声をかけた。見ると、ランチタイムにカフェで相席した人だった。
阿佐ヶ谷に住んでいたのだ。イナバ君は、少しドキドキした。そのとき恋が芽生えた。なんてことはない。
そのひとは、洗濯物をセットしてコインを入れると椅子に座った。なぜなら、そこに椅子があったから。
このときは、自宅の洗濯機が壊れたので、たまたま利用したのだ。
イナバ君は、思わず女の人に声をかけた。「結婚を前提にお付き合いしてください」。そんなことはない。
「このあたり治安はいいんですけど、酔っ払いが多いんですよ。この間も酔っ払いが突然入ってきてゲロしてましたからね。僕が洗濯終わるまで見てますから。いったん家に帰ったらどうですか」
「え、でも、そんなこと」
「待っている時間があったら、その時間で、ほかにやることがあるでしょう」
イナバ君の説得に女の人は従った。イナバ君のことを信じたようだ。

乾燥が終わって洗濯物をカゴにぶっ込んでから、5分もしないうちに、女の人が戻ってきた。ちょうど洗濯が上がるころだった。女の人は、乾燥機は使わないようだ。洗濯物を大きめのランドリーバッグに入れて。イナバ君にお礼を言った。「結婚してください」。そんなことはない。
コインランドリーを出ると2人は、道の右と左に分かれて帰った。
普通なら、話はここで終わりになるはずだ。しかし、終わりにならなかった。この世には、人に「幸せの風」をふかす何者かがいた。
二人のまわりに、その風が吹き始めたのだ。
ヒューーーー。
それから2人は、阿佐ヶ谷の商店街で、すれ違うようになった。おそらく今までも何度かすれ違っていたのだろうが、そのときはお互いがお互いを認識していなかったから気づかなかったのだ。
すれ違うたびに、その都度、短い会話をした。
そんなことが続いた2002年9月吉日。日曜日の昼間にまた2人は道で出くわした。
そのとき、イナバ君は手に小さなラジカセを持っていた。それを指差して、彼女が言った。「どうしたんですか」
「僕、毎週日曜日に、近所の公園でダンスの練習をしているんですよ、だから、今日も行くんです」
「あ、見せてもらっていいですか」
公園に彼女はついてきた。
公園の定位置に立って、イナバ君はラジカセのスイッチをオンにした。
早速、踊り始めた。曲は、マイケルジャクソンの「ビリージーン」だった。
それを見た奥さんは、驚いた。完全なマイケルのコピーだった。そして、奥さんは若い頃からマイケルジャクソンの大ファンだったのだ。
そのとき「幸せの風」が強く吹いた。ビューーーー。

それから2人は、たまにプライベートで会うことになった。
ドライブ、食事、ライブ、アート展鑑賞、星空教室などに行った。
イナバ君の胸に、徐々に変心恋心が芽生えていった。ビュビューーーー。
そして、星空教室の帰りの車の中で、イナバ君が生まれて初めて真面目な顔を作って言った。
「僕、目の前の人を好きになってしまいました。どうしたらいいですか」
「どうしたらって」
「結婚したいです」
もちろん彼女は婚約いや困惑した。アホはいつも唐突なのだ。
困惑した彼女は「この話はいったん持ち帰らせてください」と答えた。
「持ち帰り、テイクアウトですね。わかりました」
その後、2週間、イナバ君は、ドキドキしながら返事を待った。
2週間目の日曜日、「ラジカセを持って、公園に来てください」という連絡が、彼女から来た。
走って公園に行った。彼女は、もう来ていた。そして、いきなり言った。「結婚します」。そんなことはない。
「お願いがあります。ビリージーンを踊ってください」
困惑しながらもラジカセオン。
マイケルジャクソンになりきって、踊りきった。
たった1人の観客の前で、イナバ君はスターになった。
彼女が言った。「記念日には、これをいつも踊ってくれますか」。
ということは?ということは?ととととということは?
それを聞いたイナバ君は、ムーンウォークを踊りながらクルクルと回った。あまりに高速すぎて、月まで届きそうな勢いだった。

あれから16年、夫婦の間には、幸せの風が吹き続いていた。
なぜ奥さんが、世界のはてまで行ってQしても探し出せないアホと結婚したのかは、わからない。私が思うに、きっとそれは幸せの風のおかげだと思う。

ところで、このアホンタジーには、ただ一つ脚色があります。イナバ君の会話の部分です。当時のイナバ君の言葉遣いは、こんなにキレイではなかったのです。
アホは、20代後半のくせにタメ語しか使えなかった。目上の人に対してもそうだ。そして、一般常識を驚くほど知らなかった。
5年間、奥さんと私が協力して、言葉遣いを矯正した。その結果、一般人に近いところまでレベルを上げることができた。
ただ、一般常識に関しては、それほど強く矯正しなかった。それを直してしまうと、イナバ君の個性が死んでしまうと思ったからだ。

記念日には必ずビリージーンを踊るイナバ君。そのときも二人の間には、幸せの風がビュビューッと吹いているに違いない。


ちなみに、初めて見たビリージーンの衝撃が強すぎたのか、奥さんはそれ以来イナバ君のことを「ビリー君」と呼んでいた。

 



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1 コメント

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マツさま (ミルクンママ)
2020-08-03 07:08:45
いつも、うちのブログへのご訪問、リアクション、ありがとうございます。
かなり以前に、読者登録していただいて以来、こちらからも訪問させていただいております。
いつも、心ほんわかするお話を、とってもおもしろい口調で・・・
楽しく読ませていただいています。
このたび、遅ればせながら、こちらからもフォローさせていただきますので、お知らせいたします。

セキトリちゃんのことは悲しかったで
す。
ときおり登場するセキトリちゃんの話題や画像も楽しみにしていたので。
今は、お空の上からご家族のことを見守っているのでしょうね。
つるとんたんやノラ君とお父さんとの掛け合いも (^_^)v
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