リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

祖母が導いたもの

2015-12-06 08:49:00 | オヤジの日記
15年前に体験した少し不思議な出来事を。

15年前の初夏、横浜の得意先に行くために、渋谷から東横線に乗ったときのことだ。

朝は地獄のような混み具合の東横線も、昼間はすいている。
始発なら、急行でも悠々と座れる。

私が座ろうとした、桜木町行きの急行1両目も、思った通りすいていた。
そして、2両目寄りの座席に座って、文庫本を読み始めたとき、私の隣に人が座った。
気配から察すると、年配の男の人だ。70歳過ぎだろう。

電車に乗っているとき、隣に老人が座るのは、日常では当たり前のことだ。
だから、そのときの私は、ほとんど気にも留めなかった。

電車は定刻に走り始め、私は文庫本を読み進んでいた。
そして「代官山駅」を通過する寸前、隣から老人の声が聞こえた。
「久しぶりですよ、東横線に乗るのは」

まさか、私に向かって話しかけたとは思わず、私はそのまま文庫本を読み続けた。

「一番最初の結婚の時、菊名に住んでいましたからねえ。横浜で教師をやっていたんですよ」
その話し声に、誰も答えを返さないのを不思議に思って、私は隣を何となく見てみた。

70年配の丸顔の老人が私の顔を見て、微笑んでいた。
顔のシワは深いが、血色が良くて、健康そのものに見えた。

私の方を見ているということは、私に話しかけたということか。
しかし、本を読んでいる人に向かって話しかけるというのは、あまり常識的な態度とは言えない。
知り合いならわかるが、初めて見かける顔だ。

そもそも、東横線に乗るのは、年に数回しかない。
しかも、老人の知り合いは一人もいない。
私は少し身構えた。

「今の家内は3番目。つまりバツ2ですな。結婚するたびに相手は若くなる。今の家内は、23歳年下ですよ」

赤みがかった元気な顔は、奥さんが若いからか。
そう納得したが、なぜ私に話しかけたのか? その疑問は解けない。
老人特有の、「話したがり症候群(?)」か。
「息子の嫁が私につらくあたるんですよ…ウウウ(泣)」という、あれか。

しかし、この血色のいい顔には、そんな湿っぽさは微塵もない。
人生を楽しんでいる顔だ。
彼は構わず話し続ける。

「僕の連れ合いになった人は、三人とも島根県出身でしてね。いやあ、島根の女性は日本一ですな」
ここで、なぜか私の心臓は、ドクンと一拍早くなった。
何かの予感がした。
それが何かは、そのときはわからなかった。

「島根県は地味な県ですから、県庁所在地を知らない人がほとんどじゃないでしょうか。僕は県庁所在地の松江というところの出です。失礼ですが、あなたはどちらのご出身?」

「私は東京ですが」と言って、私は次のことばを言うのを少しためらった。
今度は、心臓の鼓動が心持ち早くなった。

老人はそんな私の顔を見つめながら、次の私の言葉を待っていた。
このとき、なぜか私はほとんど確信に近いかたちで、この先の成り行きを想像することができた。

老人の目の奥に、祖母の顔が見えたような気がしたからだ。

私は老人の目を見通すように、話を続けた。

「私の母と祖母は、島根県出雲の出身です」
そして、まるで重大な秘密を打ち明けるように、こう言った。
「私の祖母は、松江で師範学校の教師をしていました」

「ああ」
ここまで来ると、老人も話の筋が読めたのかもしれない。
納得するように、大きくうなずきながら、今までと違った少々かすれた声で、私に問いかけた。

「お祖母様は、M先生ですね」
「そうです」

それから、老人が「日吉駅」で降りるまで、私たちはこの不思議な出会いについて語り合った。

「僕は普段、見ず知らずの人に話しかけることはないんですよ。
むかし教師をしていましたから、人と話をするのは好きなんだけど、見ず知らずの人に話しかけるほど図々しくはない。若い人に嫌われたくないですからな。
しかし、今日はまるで導かれるように、あなたに話しかけてしまった。
不思議です。M先生が導いたとしか思えない」

聞いてみると、ご老人も、この東横線に乗ることは年に数回しかないという。

そんな二人が、同じ日同じ時刻に、隣り合わせで座る確率というのは、どの程度なのだろう。
しかも、ただ隣り合わせになっただけでなく、初対面で自分のことを話す確率というのは、どれくらいなのだろう。
それは、確率という味気なく薄っぺらな統計学の範疇を越えて、違う領域の出来事だったような気がする。


15年たった今も、そのご老人はご顕在で、私たちは年賀状と暑中見舞いだけのお付き合いを続けている。

そして、ご老人は、最初の暑中見舞いでこんなことを書いてきた。

「あなたのお祖母様は、公平な方でした。
今で言う『落ちこぼれ』の私を、呆れることなく、見捨てることもなく、他の生徒たちと同じように扱ってくれました。
自分でも気付かなかった僕の長所を、M先生は教えてくれた。
これが本当の教師というものです。
僕も教師をしていたから、よくわかりますが、簡単なようで、これが一番できないことなのです」



不思議な体験だった。

私が老人の話に付き合っていなかったら、私たちは永遠に交わることのない関係だった。
そんな押しつけがましい老人のことなど、電車を降りた途端に忘れていたことだろう。

誰かが書いたシナリオをなぞるように、老人と私は出会って、不思議な時間を過ごした。

それは、「偶然」と呼ぶには、お互いを導く糸が太すぎて、時空を超えた運命のようなものを感じた時間だった。


これを「奇跡」と呼んでいいか悩むところだが、そこに「祖母の力」が働いたのは間違いないのではないか、と今も私は思っているのである。



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