今週の火曜日、真夜中の3時ごろ、国立市は雪だった。
それを私は、窓際で我が家のブス猫セキトリを膝の上に乗せて、椅子に座って見ていた。
ここに来る前のセキトリはノラだった。以前我々が住んでいた武蔵野のオンボロアパートの庭に置いたダンボールに住み着いていたのだ。ゴハンは1日2回支給した。
ダンボールハウスは、夏冬何度か作り直した。冬は内部を二重構造にし寒さ対策として全体にシートを貼った。さらに毛布を敷いた。夏は、直射日光が当たらないように、そして雨対策としてキャンプ用の庇をつけた。
しかし、ハウスが外にあることに変わりはない。過酷だったと思う。
なあ、セキトリ、こんな雪の日は辛かったろう。
「オワンオワンダニャー」(直接雪が入らなかったから、そうでもなかったぞ)
台風のときも大変だったろう。
「オワンオワンダニャー」(台風の前に、風の当たらない隣のマンションとの隙間に移してくれたし、シートでハウスを覆ってくれたから、普通に眠っていられたぞ)
こんなふうに家の中で見る雪はどうだ。
「オワンオワンダニャー」(キレイだな。俳句でも詠みたくなるな)
詠んでみたらどうだ。
「オワンオワンダニャー」(雪ふりて むかしを映す 硝子かな 雪の夜 人肌ぬくく さち多し)
キレイにきめたな。
「オワンオワンダニャーアワ」(照れまんがな)
おバカな2人だった。
金曜日の昼前、長年の友人の尾崎から電話が来た。
「いま会えるか。昼飲みってのは、どうだ」
オワンオワンダニャー。
「どうした?お椀が欲しいのか。買ってやってもいいぞ。陶器のやつか」
アワ。
「泡か、ビールが飲みたいってことだな。じゃあ、吉祥寺に来てくれ。美味いビールを飲ませてやる」
わかった。
中央線吉祥寺駅から井の頭通りを南に10分程度歩いたところに、飲み屋はあった。古びたビルの2階だった。
白い木製のドアを開けると、アメリカンな空間が目に入ってきた。壁に、イーグルスやヴァンヘイレン、メタリカ、ブルーススプリングスティーンなどのアルバムジャケットが20点くらい飾ってあった。カーボーイハットなどもあった。
マスターが、アメリカンロックが好きなのだろう。
テーブルに、客がいた。尾崎と尾崎の妻の恵実だ。
まさか、恵実がいるとは思わなかった。
長いストレートヘアを無造作に垂らして悠然と構えている姿には、相変わらず貫禄が感じられた。
適当な挨拶を交わして、席に座った。
そのとき思い出した。
この日は、尾崎と恵実の12回目の記念日だということを。
結婚前、尾崎と恵実は、8年間一緒に暮らしていた。
だが、喧嘩も多かった。お互いが、家出をすることがよくあった。
家出は恵実の方が多かった。大抵は1週間程度だったが、あるとき半年間家出したことがあった。
尾崎が何も行動しないので、気になった私は、京都府乙訓郡の恵実の実家を訪問した。そして、恵実に聞いた。
君にとって、尾崎は必要な男か。
恵実は、即座に答えた。
「必要です」
私は、恵実を尾崎の元に連れ帰った。
二人の間が落ち着いたころ、私は尾崎に言った。
こんな関係をいつまで続ける気だ。いい加減けじめをつけろよ。
尾崎は、その日のうちに、婚姻届を提出した。
そのあとで、尾崎は悩んだ。
「なあ、結婚指輪ってあげた方がいいのか」
あげてもいいし、あげなくてもいい。でも、女の人は貰ったら喜ぶだろうな。
「そのタイミングが、わからねえんだよな。いつあげてもいいわけじゃ、ないだろ」
奥さんの誕生日はいつだ。
「1月31日だ」
その日にしよう。俺が、立ち会ってやる。
それが、この日だった。
つまり、記念日だ。
尾崎と恵実のアニバーサリー。
特別な日だ。
この店は、尾崎と取引のある店だという。尾崎は色々な店を持っていたが、その中に洋酒販売の店があった。その繋がりらしい。
四角い顔をした愛嬌のある50歳少し手前のマスターが、ナントカいうドイツ製のビールを運んできた。
乾杯はしない。勝手に飲むだけだ。
グラスの3分の1近くが泡だった。
アワ。
「本当に泡がうまいな。これはいい泡だ」と尾崎。
頼んでもいないのに、おつまみが出された。
チーズの盛り合わせだ。
オワン。
「あー、このチーズを乗せた大きなお碗、いいですねえ。トロピカルな感じでチーズが引き立ちますね」と恵実。
名前がよくわからないビールと訳の分からないチーズの組み合わせ、いいね!
バックに派手に流れているガンゼンローゼスの破壊的なビート感もいいね。
ドイツビールを4杯飲んだ。チーズの盛り合わせも2回お代わりした。
話の中で、尾崎の孫の話題が出た。
最初の奥さんとの間に生まれた娘さんが、4年前に結婚して昨年子どもが生まれたという。
娘は、尾崎に子どもを会わせたいと願っていたが、尾崎が拒否していた。
しかし、昨年の尾崎の誕生日前に、強引に娘が夫とともに、尾崎家を訪れたのだ。
別れた尾崎と娘は、今まで10回も会ってはいなかった。
今回も8年ぶりの再会だ。
尾崎は、娘の結婚式にも出ていない。おそらく恵実に遠慮したのだと思う。
初孫と初対面した尾崎。
実は、これは尾崎の妻の恵実が仕掛けたものだった。ぎこちない空気の中、その空気を変えたのも恵実だった。
両手を広げて、「さあ、偽物のバアちゃんのところにおいで」
恵実が、尾崎の孫をまず抱いた。そして、そのあと尾崎の腕にリレー。尾崎は拒みようがなかった。
孫が、尾崎の腕にすっぽりおさまった。
尾崎家5人と娘さん一家3人の自撮り画像を恵実に見せてもらった。
尾崎が、珍しく笑顔だった。
尾崎、おまえ、ジイちゃんになったんだな。
尾崎は、苦笑いしながら、無精髭をさすっていた。
尾崎のそんな姿は、悪くない。羨ましいと思える。
尾崎の一番下のガキを幼稚園に迎えに行かなければならないということで、2時過ぎに解散することになった。
わずか1時間程度だったが、2人の優しさは伝わった。
母の三回忌が来る。
尾崎と恵実は、一言もそれに触れなかったが、きっと私を励まそうとしてくれたのだと思う。
感謝するしかない。
オワンオワンダニャーアワ(尾崎、恵実、ありがとう)
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