リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

トラウマから洋楽に

2011-10-28 11:51:55 | オヤジの日記
わざと汚い声で、汚い歌い方をする。

それが、私が演歌に対して持っている最初の印象である。


小学校高学年の頃、近所のボーリング場で公開録画があって、当時の流行歌手が来て歌を歌うコーナーがあった。
当時の私は、歌にはまったく興味がなかったが、ミーハーな友だちに強引に誘われて何度か公開録画を見に行ったことがある。

当時の流行歌の半分は、演歌だったと記憶している。
その公開録画でも演歌歌手が来ることが多かったようだ。

しかし、私は歌に興味がなかったから、演歌を知らなかった。

だから、初めて生で演歌を聞いたとき、何であんな汚い声で歌うんだ、と思った。
そして、歌い方も汚いと思った。
その歌い方が、コブシと言われるもので、演歌はそれがあるから演歌なんだよ、というのを後で歌に詳しい友だちに聞いても、今ひとつ理解できなかった

あんな汚い声と汚い歌い方、ぜんぜん楽しくないだろ、と私が言うと、友だちは、私と同い年にも関わらず、妙に悟りきった表現で「ああやって日本の心を歌っているんだよ。演歌は、日本人の心なんだ」と言うのだ。

それを聞いて、私は言った。


ああ、じゃあ、俺は日本人じゃなくても、いいや。


私がそう言うと、友だちは「バカヤロ」と本気で怒るのである。
「そんなこと言ったら、バチが当たる」とも言われた。

しかし、そんなことを言われても、汚い歌い方、という私の感覚は拭い去りようがない。

俺の中に、こんな汚い歌い方を受け入れる日本人の心なんか、絶対にない、とさえ思った。


子どもの感情というのは、単純なものである。

それだったら俺は、外国の音楽を聴こう。
そう思ってしまったのだ。

いきなり、ジミヘンやクリーム、レッド・ツェッペリン、ジェフ・ベック、ダイアナ・ロス&シュープリームス、スティーヴィー・ワンダーなどを聴き始めたのである。

それらの音楽は、私が体験する初めての異文化だった。

だから、興奮した。
興奮させられた。

それらに没頭することで、私は、あの「汚い歌」の呪縛から確実に解放されたと言っていい。

今にして思うと、あの「汚い歌」があったからこそ、私は洋楽や音楽に目覚めたのだと言える。

それを思えば、「汚い歌」には、感謝してもいいのかもしれない。


私の目の前で、その「汚い歌」を歌った歌手は、今も現役で活躍している。
おそらく誰もが知っている有名歌手だ。
大御所と言ってもいい。


ただ、子どものときのトラウマで、その人の顔が画面に映ると反射的にスイッチを切ってしまうので、それ以来私は、その人の歌は聴いたことがない。