むかし、CREAMというロックバンドがあった。
大御所ギタリスト、エリック・クラプトンが在籍したグループだ。
私の記憶に間違いがなければ、ロックバンドとして、初めてインプロヴィゼーション(即興演奏)を取り入れたグループだ。
クラプトンのほかに、ベースにジャック・ブルース、ドラムにジンジャ・ベイカーがいた。
つまりスリーピース・バンドだった。
クラプトンのギターが卓越していたのは、もちろんのこと、ベースやドラムの技術も卓越していた。
ジンジャ・ベイカーのドラムは、当時のドラマーの中では「おかず」(メインのリズムパターンと少し違うリズムを叩くこと)が多い人だった。
そして、「おかず」が多いにもかかわらず、リズムの破綻が極端に少ない人だった。
ジャック・ブルースは、即興演奏に三連符を多用して、神がかり的な音を編み出す人だった。
だが、この天才たちのグループは、長くは続かなかった。
おそらく活動期間は、2年程度だったと思う。
それぞれが、自分の技を誇示しあったため、曲としての完成度はともかくとして、3人の心のうちに、お互いをリスペクトする心がなくなってしまったのではないか、と私は推測している。
「俺がリーダー」という意識が、3人とも強すぎたのかもしれない。
このグループの中で、エリック・クラプトンは、特別目立ったわけではなかった。
みんなが同じようなハイレベルのパフォーマンスを繰り広げたから、彼一人のテクニックだけがクローズアップされたわけではない。
つまり、それほど密度の濃いバンドだったとも言える。
ただ、テクニックだけの他の二人に比べて、音楽的なセンスは、クラプトンが確実に抜け出ていたと思う。
その音楽センスが、彼を今のようにビッグにした最大の要因だった、と私は思っている。
短かかったが、ロックの歴史に大きな足跡を残したクリームは、結局いま「クラプトンがいたバンド」という位置づけになってしまっている。
同じように最高のテクニックを見せたブルースとベイカーは、クラプトンの輝かしい歴史に、彩を添える存在として記憶されているに過ぎない。
それは、たとえその時代、至高のテクニックを誇っていたとしても、そのテクニックは、いつか追いつき追い越される運命にあるからだ。
演奏技術は、楽器の進歩に合わせて、時代とともに進化、進歩している。
ブルースとベイカーのテクニックは、その時代は卓抜したものではあったが、その技術を目標としたら、才能を持った人が追いつくのは、決して難しいことではない。
しかし、音楽センスだけは、なかなか追いつけるものではない。
クラプトンには、そのセンスがあった。
私は、音楽センスというのは、「時代を読み取る才能」だと思っている。
ロックの即興演奏で、新しいロックの道を開いたクラプトンは、今度は即興ではなく、枠にはまった音楽を目指したように思える。
その後、オールマンブラザースと競演した傑作アルバム「デレク&ドミノス」では、ブルースの枠からはみ出さない良質のサウンドを作り上げた。
ゲストとして参加した幾つかのセッションでは、彼はサポートに徹して、「型どおり」のブルースギターを披露した。
完全にソロになって出したアルバムでも、彼は枠を決してはみ出すことなく、その制約の中で、自分のギターとヴォーカルを研ぎ澄ますことに懸命だった。
その型どおりの音楽を作り上げることがストレスになって、重いコカイン中毒になってしまったのは、彼の真面目さゆえだったと思う。
コカイン中毒から抜け出た彼が作ったアルバムの数々は、どれもやはり型どおりだったが、音楽センスは失われていなかった。
アンプラグド・ライブを流行らせたのも、クラプトンだ。
電気楽器をなるべく排除して、アコースティック主体の音を形作るのが、アンプラグド。
型どおりの音楽にこだわるクラプトンにとって、これほど「はまる」パフォーマンスは、ない。
そこでの彼は、ロック・ミュージシャンではなく、アコースティック・グループをバックに従えたシンガーなのである。
それはつまり、自分を「シンガー」の枠に閉じ込めた、究極のアーティストの姿であると言っていい。
その方式が、歌手の個性を引き出す一つの魔法であると気づいたミュージシャンたちが、その後アンプラグド・ライブを行ったが、その方式が成功した例を私はあまり知らない。
何十年も自分の型にこだわり、麻薬中毒になるまで自分を追い込んだ音楽センスに秀でたミュージシャンには、誰も適わなかったようだ。
60半ばを過ぎた伝説のギタリスト。
彼には、過去の歌を歌う伝説の人としてではなく、また新たに「新しい型」を持った音楽をぜひ世に送り出してほしいと思う。
音楽センス抜群の彼なら、絶対にできる、と私は確信している。
大御所ギタリスト、エリック・クラプトンが在籍したグループだ。
私の記憶に間違いがなければ、ロックバンドとして、初めてインプロヴィゼーション(即興演奏)を取り入れたグループだ。
クラプトンのほかに、ベースにジャック・ブルース、ドラムにジンジャ・ベイカーがいた。
つまりスリーピース・バンドだった。
クラプトンのギターが卓越していたのは、もちろんのこと、ベースやドラムの技術も卓越していた。
ジンジャ・ベイカーのドラムは、当時のドラマーの中では「おかず」(メインのリズムパターンと少し違うリズムを叩くこと)が多い人だった。
そして、「おかず」が多いにもかかわらず、リズムの破綻が極端に少ない人だった。
ジャック・ブルースは、即興演奏に三連符を多用して、神がかり的な音を編み出す人だった。
だが、この天才たちのグループは、長くは続かなかった。
おそらく活動期間は、2年程度だったと思う。
それぞれが、自分の技を誇示しあったため、曲としての完成度はともかくとして、3人の心のうちに、お互いをリスペクトする心がなくなってしまったのではないか、と私は推測している。
「俺がリーダー」という意識が、3人とも強すぎたのかもしれない。
このグループの中で、エリック・クラプトンは、特別目立ったわけではなかった。
みんなが同じようなハイレベルのパフォーマンスを繰り広げたから、彼一人のテクニックだけがクローズアップされたわけではない。
つまり、それほど密度の濃いバンドだったとも言える。
ただ、テクニックだけの他の二人に比べて、音楽的なセンスは、クラプトンが確実に抜け出ていたと思う。
その音楽センスが、彼を今のようにビッグにした最大の要因だった、と私は思っている。
短かかったが、ロックの歴史に大きな足跡を残したクリームは、結局いま「クラプトンがいたバンド」という位置づけになってしまっている。
同じように最高のテクニックを見せたブルースとベイカーは、クラプトンの輝かしい歴史に、彩を添える存在として記憶されているに過ぎない。
それは、たとえその時代、至高のテクニックを誇っていたとしても、そのテクニックは、いつか追いつき追い越される運命にあるからだ。
演奏技術は、楽器の進歩に合わせて、時代とともに進化、進歩している。
ブルースとベイカーのテクニックは、その時代は卓抜したものではあったが、その技術を目標としたら、才能を持った人が追いつくのは、決して難しいことではない。
しかし、音楽センスだけは、なかなか追いつけるものではない。
クラプトンには、そのセンスがあった。
私は、音楽センスというのは、「時代を読み取る才能」だと思っている。
ロックの即興演奏で、新しいロックの道を開いたクラプトンは、今度は即興ではなく、枠にはまった音楽を目指したように思える。
その後、オールマンブラザースと競演した傑作アルバム「デレク&ドミノス」では、ブルースの枠からはみ出さない良質のサウンドを作り上げた。
ゲストとして参加した幾つかのセッションでは、彼はサポートに徹して、「型どおり」のブルースギターを披露した。
完全にソロになって出したアルバムでも、彼は枠を決してはみ出すことなく、その制約の中で、自分のギターとヴォーカルを研ぎ澄ますことに懸命だった。
その型どおりの音楽を作り上げることがストレスになって、重いコカイン中毒になってしまったのは、彼の真面目さゆえだったと思う。
コカイン中毒から抜け出た彼が作ったアルバムの数々は、どれもやはり型どおりだったが、音楽センスは失われていなかった。
アンプラグド・ライブを流行らせたのも、クラプトンだ。
電気楽器をなるべく排除して、アコースティック主体の音を形作るのが、アンプラグド。
型どおりの音楽にこだわるクラプトンにとって、これほど「はまる」パフォーマンスは、ない。
そこでの彼は、ロック・ミュージシャンではなく、アコースティック・グループをバックに従えたシンガーなのである。
それはつまり、自分を「シンガー」の枠に閉じ込めた、究極のアーティストの姿であると言っていい。
その方式が、歌手の個性を引き出す一つの魔法であると気づいたミュージシャンたちが、その後アンプラグド・ライブを行ったが、その方式が成功した例を私はあまり知らない。
何十年も自分の型にこだわり、麻薬中毒になるまで自分を追い込んだ音楽センスに秀でたミュージシャンには、誰も適わなかったようだ。
60半ばを過ぎた伝説のギタリスト。
彼には、過去の歌を歌う伝説の人としてではなく、また新たに「新しい型」を持った音楽をぜひ世に送り出してほしいと思う。
音楽センス抜群の彼なら、絶対にできる、と私は確信している。