リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

型にこだわる天才

2011-10-20 08:54:19 | オヤジの日記
むかし、CREAMというロックバンドがあった。

大御所ギタリスト、エリック・クラプトンが在籍したグループだ。

私の記憶に間違いがなければ、ロックバンドとして、初めてインプロヴィゼーション(即興演奏)を取り入れたグループだ。

クラプトンのほかに、ベースにジャック・ブルース、ドラムにジンジャ・ベイカーがいた。
つまりスリーピース・バンドだった。

クラプトンのギターが卓越していたのは、もちろんのこと、ベースやドラムの技術も卓越していた。

ジンジャ・ベイカーのドラムは、当時のドラマーの中では「おかず」(メインのリズムパターンと少し違うリズムを叩くこと)が多い人だった。
そして、「おかず」が多いにもかかわらず、リズムの破綻が極端に少ない人だった。

ジャック・ブルースは、即興演奏に三連符を多用して、神がかり的な音を編み出す人だった。


だが、この天才たちのグループは、長くは続かなかった。
おそらく活動期間は、2年程度だったと思う。

それぞれが、自分の技を誇示しあったため、曲としての完成度はともかくとして、3人の心のうちに、お互いをリスペクトする心がなくなってしまったのではないか、と私は推測している。

「俺がリーダー」という意識が、3人とも強すぎたのかもしれない。


このグループの中で、エリック・クラプトンは、特別目立ったわけではなかった。
みんなが同じようなハイレベルのパフォーマンスを繰り広げたから、彼一人のテクニックだけがクローズアップされたわけではない。
つまり、それほど密度の濃いバンドだったとも言える。

ただ、テクニックだけの他の二人に比べて、音楽的なセンスは、クラプトンが確実に抜け出ていたと思う。

その音楽センスが、彼を今のようにビッグにした最大の要因だった、と私は思っている。


短かかったが、ロックの歴史に大きな足跡を残したクリームは、結局いま「クラプトンがいたバンド」という位置づけになってしまっている。

同じように最高のテクニックを見せたブルースとベイカーは、クラプトンの輝かしい歴史に、彩を添える存在として記憶されているに過ぎない。

それは、たとえその時代、至高のテクニックを誇っていたとしても、そのテクニックは、いつか追いつき追い越される運命にあるからだ。
演奏技術は、楽器の進歩に合わせて、時代とともに進化、進歩している。

ブルースとベイカーのテクニックは、その時代は卓抜したものではあったが、その技術を目標としたら、才能を持った人が追いつくのは、決して難しいことではない。

しかし、音楽センスだけは、なかなか追いつけるものではない。
クラプトンには、そのセンスがあった。


私は、音楽センスというのは、「時代を読み取る才能」だと思っている。


ロックの即興演奏で、新しいロックの道を開いたクラプトンは、今度は即興ではなく、枠にはまった音楽を目指したように思える。

その後、オールマンブラザースと競演した傑作アルバム「デレク&ドミノス」では、ブルースの枠からはみ出さない良質のサウンドを作り上げた。
ゲストとして参加した幾つかのセッションでは、彼はサポートに徹して、「型どおり」のブルースギターを披露した。

完全にソロになって出したアルバムでも、彼は枠を決してはみ出すことなく、その制約の中で、自分のギターとヴォーカルを研ぎ澄ますことに懸命だった。

その型どおりの音楽を作り上げることがストレスになって、重いコカイン中毒になってしまったのは、彼の真面目さゆえだったと思う。


コカイン中毒から抜け出た彼が作ったアルバムの数々は、どれもやはり型どおりだったが、音楽センスは失われていなかった。

アンプラグド・ライブを流行らせたのも、クラプトンだ。
電気楽器をなるべく排除して、アコースティック主体の音を形作るのが、アンプラグド。

型どおりの音楽にこだわるクラプトンにとって、これほど「はまる」パフォーマンスは、ない。

そこでの彼は、ロック・ミュージシャンではなく、アコースティック・グループをバックに従えたシンガーなのである。


それはつまり、自分を「シンガー」の枠に閉じ込めた、究極のアーティストの姿であると言っていい。


その方式が、歌手の個性を引き出す一つの魔法であると気づいたミュージシャンたちが、その後アンプラグド・ライブを行ったが、その方式が成功した例を私はあまり知らない。

何十年も自分の型にこだわり、麻薬中毒になるまで自分を追い込んだ音楽センスに秀でたミュージシャンには、誰も適わなかったようだ。


60半ばを過ぎた伝説のギタリスト。

彼には、過去の歌を歌う伝説の人としてではなく、また新たに「新しい型」を持った音楽をぜひ世に送り出してほしいと思う。



音楽センス抜群の彼なら、絶対にできる、と私は確信している。