まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q-2.先生はどんな盲点の窓を指摘されたことがありますか?

2015-04-30 00:31:55 | 幸せの倫理学
先日の修正質問の後半部分です。
私が指摘された盲点の窓は何かというご質問でした。
長く生きているといろいろあるのですが、とりあえずパッと思いついたものだけ。
いいものと悪いものを1つずつ披露しましょう。
まずいいほうです。

これはうちの学生たちや、特にゼミ生には全員に勧めているのですが、
「ストレングス・ファインダー」 というものがあります。
皆さんも就活前にはぜひやってみることをオススメします。
『さあ、才能 (じぶん) に目覚めよう』 という本を買うと、ウェブサイトへのアクセスI Dが付いてきて、
ウェブ上でたくさんの質問に答えていくことによって自分の強みの上位5つを診断してもらえるのです。
まずは本を読み、34個ある強みのなかで自分の上位5つはどれかを予想してみてください。
うちの学生たちにもそういうふうにさせています。
そのあとでウェブ診断をしてみると、もちろん自分の予想通りのものもあるのですが、
まったく自分が予想していなかったものが上位5つのなかに入っているのです。
今までいろいろな学生にやってもらいましたが、予想通りだった人は1人もいません。
必ず予想外のものがランクインしてきます。
というのも、自分の強みというのは自分にとってはできて当たり前の力ですから、
ふだん自分ではとりたてて強みだとは意識できずにいるのです。
そんなのは誰でもできることだろうと勝手に思い込んでいて、
特に有り難いものとも思っていないのですが、
他の人から見るとそれはまさにあなたにしかできない強みなんですよ、ということがありうるのです。
まさに 「盲点の窓」 ですね。

私の場合は 「着想」 というのが第1位の強みで、それはまったく予想していなかったものでした。
着想、つまり、新しいアイディアを思いつく力ということですね。
これは本当に盲点の窓でした。
本を読んで 「着想」 のところを読んでいてもまったく自分のことと思っていなかったのです。
しかし、それをストレングス・ファインダーによって指摘されてみて、
それを意識して自分のことを振り返ってみると、
まさに自分は着想の人間であったということに気づくことができました。
このことに気づいてからは今まで以上に生きるのがラクになりました。
というわけで、まずはこういうふうにまとめておきましょう。

A-2-1.私のいいほうの盲点の窓は、着想が得意であるということです。

次に悪いほうの盲点の窓です。
これもいろいろあるのですが、たまたま13期生のある方からこんな質問をもらっていました。

Q-3.多動症ですか?

この質問、すごいですよね。
多動症だと思ったからこその質問であって、そう思わなかったらこんな質問思いつきませんよね。
こんな質問は初めていただきました。
これってなんとお答えしましょうか。
質問者の方がどんな意味合いでこの質問をしてくれたかにもよりますね。
とりあえず、マジレスしておきましょう。

A-3.ちゃんと診察を受けたことはありませんが、発達障害、行動障害のひとつとされる、
    いわゆるADHD (注意欠陥・多動性障害) ではないんじゃないかと思います。

そういう病的な意味での多動症ということであれば、たぶん違うんじゃないかなと思います。
ただ質問者の方は注意欠陥のほうには触れずに、多動症のことだけを尋ねていました。
それでいうと実は思い当たる節があります。
相馬の看護学校ではありませんが、白河の看護学校でこんな質問をいただいたことがあります。

Q.授業中よく歩いているけど、歩くの好きなんですか?

今回の質問者もこれと同じような意味で 「多動症ですか?」 と尋ねられたのかもしれません。
その質問に対する答えのなかにも書いたことがあるのですが、
私は大学院時代、中萬学院という神奈川県の学習塾で働いていました。
その研修のときに、私の模擬授業を参観した先生から、
「教壇でふらふら動き回りすぎ。こっちが気が散ってしかたない。ビシッと一箇所に立ってろ」
と注意されたことがあるのです。
私としてはまったく自分がふらふら動き回っているという自覚がなかったので、
これはまさに盲点の窓でした。
そういう意味ではたぶん私は多動症なんでしょう。
イスに座っているときはじっとしていることができるんですが、
立っているときはじっと静止していることができず、何かしら動き回ってしまっているようです。
これは見ているほうからしたらものすごく鬱陶しいんでしょうね。
というわけで、悪いほうの盲点の窓はこうなります。

A-2-2.私の悪いほうの盲点の窓は、授業中にじっと静止していられないということです。

そういえばこの質問者の方の前半の質問はこうでした。
「Q.他人から (ネガティブな) 盲点の窓を指摘されたら、それをどうとらえますか?」
この問いにはすでに一般論としてはお答えしたわけですが、
A-2-2の盲点の窓に関してどうしたかお答えしておきましょう。
まずは冷静に自分の行動を振り返ってみました。
するとたしかに自分は教壇でふらふらしているということがわかりました。
これは受講生からすると気になるだろうなあとも思いましたので、改善する努力をしました。
授業中は動くな、動くなと自分に言い聞かせ、できるかぎりじっとしているようにしました。
しかしながら、これはしばらく注意していれば直る類いのものではありませんでした。
ちょっと気を抜くとやっぱりまたふらふら動き回っているのです。
最初に指摘されてから30年、塾から大学や看護学校へと活動の場を変えたにも関わらず、
あいかわらず 「歩くのが好きか」 とか 「多動症か」 と言われているわけです。
事ここに至るともはや改善の努力によって何とかなるような問題ではないのでしょう。
というわけで今は、授業中にふらふら動き回るのは私の個性なのだ、と受け入れるようにしています。
受講生に迷惑をかけるので申しわけないという気持ちはありますが、
直そうとしたけど直らなかったんだもんしかたないじゃん、と開き直っています。

今どきの大学や専門学校の授業でこんなに板書を多用するのは珍しいだろうと思いますが、
それも実はこの盲点の窓と少し関係があります。
パワーポイントとかを見せる授業だとよけいにじっとしていなくてはなりませんが、
板書形式なら板書のためにあちこち動き回るのは許されます。
また、みんなにワークシートを書かせているあいだに、
私が机間巡視するフリをしながら教室中をふらふらしていてもそれはそんなに怒られないでしょう。
こんなふうに現在の授業スタイルは自分の弱点を理解した上で、
ふらふら動き回るのを正当化できるように作り上げてきたものなのです。
ネガティブな自分も受け入れ、それを他人にも許容してもらえるように何とか工夫する、
それが私の自分の盲点の窓への対処法です。
いかがでしょう、参考になりましたでしょうか。

Q.最近はまっていることは?

2015-04-28 15:06:37 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
もう本当に哲学とは何の関係もない質問ばかりですね。
まあ、それを覚悟の上での問いかけだったのですし、
哲学と関係のある質問もたくさん頂いているのに、
どれも答えにくい質問ばかりなので私のほうがあえて避けて回っているのですから、
喜んでお答えしていくことにいたしましょう。

最近はまっていることですか。
うーん、何だろう?
このところ仕事に追われていて、新たに何かにはまっている余裕がないので、
まだはまっているとまでは言い切れないのですが、
最近のごくホットな話題として、はまりかけているものをご紹介しましょう。

A.最近、ココナッツオイルにはまりかけています。

一昨年は 「糖質制限ダイエット」 というものにはまって、
半年で12kgほどの減量に成功しました。
その後は気がすんじゃったので、当時のような情熱で続けてはおらず、
4~5kgリバウンドしたらまた糖質 (炭水化物などの主食類) を控えるようにする、
という程度でやっているところですが、
Facebookの 「糖質制限」 愛好者の会みたいなグループに入っていて、
それを見ているとダイエットに関する最新情報がいろいろと流れてくるんです。
そのなかで最近よく見かけるようになったのが 「ココナッツオイル」 という単語でした。
何なんだろうなあとは思っていたものの、特に惹かれてはいませんでした。
ところが先日たまたまあるお店で、ココナッツオイルとそれに関する本を一緒に売っていて、
活字中毒の私はついその本を手に取ってしまったんですね。
そうしたらそこに懐かしいお名前を見つけてしまいました。



『健康 ココナッツオイル 使い方&レシピ84』 という本でしたが、
監修者はアンチエイジングの第一人者、白澤卓二先生だったのです。
以前にこのブログでこの方の本をご紹介したこともあります。
あの白澤先生がココナッツオイルを推奨していたんですね。
その場ではパラパラッと本をめくっただけでしたが、
そこには 「アルツハイマーを予防・改善」 とか、
「アンチエイジング」、「三大生活習慣病に効く」 などの魅惑的なフレーズが飛び交っていました。
そうした文字情報に踊らされてついココナッツオイルを買ってしまったのです。
これです!



白く濁っていますが、25℃くらいまではこんな状態↓で、



それを超えると溶けて液体になるのだそうです。
とにかく香りが特徴的で、ココナッツミルクと同じココナッツの匂いがします。
タピオカとかナタデココのあの香りです。
これを使って初めて作った作品がこちらです。



「豚肉と野菜のココナッツオイル炒め」 とでも命名しておきましょうか。
たまたま冷蔵庫に残っていたキャベツ、にんじん、しめじなどと、
新たに買ってきた豚バラ肉をココナッツオイルで炒め、
オイスターソースやコチュジャン、醤油などで味付けしたやっつけ料理です。
見た目はフツーの肉野菜炒めですが、やはり香りが圧倒的にココナッツ臭です。
その甘い香りとコクでとても美味しく食べられるのですが、
けっきょく毎日こればかりだと飽きてしまうだろうなと判断し、
後日、レシピ本も購入することになりました。



もちろん白澤先生のあのバイブルも購入しました。
白澤先生らしく、ひじょうに医学的・科学的に、
なぜココナッツオイルがいいのかが詳細に解説されていました。
ココナッツオイルというのは中鎖脂肪酸が豊富で、肝臓まで届いてケトン体を生成する、
それがアルツハイマー型認知症の予防と改善に役立ち、
また、抗酸化酵素を活性化させて活性酸素を無害化してくれるため、
アンチエイジングやガン予防に効く可能性があるのだ、とか、
同じく中鎖脂肪酸がサラサラ血にしてくれて、
心疾患、脳卒中のリスクを減らしてくれるのだ、等々と説明されていました。
ただよく読んでみると、それこそ白澤先生らしく、
すべてはものすご~く慎重な言い回しになっています。
「役立つ可能性があります」 とか 「効果が期待できます」 とか、
「今後、研究による効果の実証が注目されます」 などなど。
なんだよ、まだ実証されてないのかよ、とも思いましたが、
よくある情報番組のように効果効能をあることないこと喧伝するのではなく、
科学的に正確な表現を心がけているところに好感が持てました。
あの白澤先生が期待して注目しているのならそれだけで十分かもしれません。
記憶力に問題を抱えていて 「アル中ハイマー」 と呼ばれている私としては、
効果効能が科学的に立証されるよりも先に、第一人者としての白澤先生のカンを頼りに、
ココナッツオイル健康法をちょっと試してみようかと思っているところです。

アルツハイマー予防やアンチエイジング対策のためには、
1日大さじ2杯分くらいのココナッツオイルを摂るといいそうです。
先にも言ったように、毎日料理に使っていると南国風味一色ですぐ飽きそうです。
簡単な摂取法は、コーヒーやスープに入れて摂る方法だと書いてありました。
というわけで、さっそく朝のコーヒーで試してみています。



このように↑固形のままコーヒーに入れるとすぐに溶けてこうなります↓。



油が浮いてる感じで見た目は悪いですが、特にベタベタするわけでもなく、
ココナッツの香りがかすかに漂い、フレーバードコーヒーになっていい感じです。
あんまりいいコーヒーでこれをやるのはちょっともったいないですが、
少し風味が落ちてきたり、飲み飽きたコーヒーでやるといいアクセントになります。
はたしてこれで記憶力が回復し、アンチエイジングの力で150歳まで生きられるようになるのか、
自らの身体を提供して人体実験をしてみようと思います。
というわけで、最近はまりかけているものはココナッツオイルでした。

Q.親子丼についてどう思いますか?

2015-04-25 21:33:13 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
たまにこういうピンポイントな質問をいただくことがあります。

答えやすいのでいいと言えばいいのですが、なんでこんなに限定的に聞かれるのか不思議です。

例えばこんな感じ。

「Q.レバー好きですか?」

「Q.泳げますか?」

「Q.キリン好きですか?」

「Q.人間は死んだらコオロギになると思いますか?」

そして今回はテーマが限定的であるわりに、問い方が漠然としています。

例の 「どう思いますか?」 という質問です。

今までこんなのがありました。

「Q.ガリレオをどう思いますか?」

「Q.金縛りについてどう思いますか?」

「どう思いますか?」 という漠然とした質問に対してはどう答えていいか悩んでしまいます。

どんな答えを期待されているのかちょっとつかめないところがあるのです。

今回は 「親子丼についてどう思いますか」 と聞かれたわけですが、

はたしてどうお答えすればいいのでしょうか?

好きかキライかという意味であれば、とりあえずこんなふうにお答えしておきましょう。


A-1.親子丼については特にどうとも思っていません。


こう聞いてくださった方は親子丼に対して相当な思い入れがあって聞いてくれたのだと思いますが、

誠に申し訳ありませんが、親子丼については正直なところ私はどうとも思っていません。

特にキライでもないし食べられないというわけでもありませんが、

かといって積極的に好きというわけでもありません。

いろいろな丼を売っているお店に行って、わざわざ親子丼を頼んだことはないように思います。

以前、飯坂温泉のほうに 「木鶏」 というお店があって、

そこは手打ちそばと川俣シャモ料理のお店でした。

ここはおそばも美味しかったんですが、親子丼が絶品で何度かいただいたことがあります。

たぶん自分で親子丼を注文したのはその店だけだったのではないでしょうか。

しかし、残念ながらそちらは店じまいされてしまったので、

その後はまったく食べていないと思います。

なんか思い出したら懐かしくて無性に食べたくなってきてしまいました。

あの質問、親子丼と言われて何を思いますかという意味だったのだとすれば、

こうお答えしたほうがよかったのかもしれません。


A-2.「木鶏」 の親子丼が懐かしくてまた食べたいと思います。


こんなお答えでよろしかったでしょうか?

質問してくれた方は親子丼についてどう思っていらっしゃるのでしょうか?

もしもよろしかったらコメント欄で教えてください。

Q.この学校の他にどんな学校・大学で哲学の授業をしていますか?

2015-04-23 19:35:41 | 哲学・倫理学ファック
早いもので、今日はもう3回目の看護学校の授業でした。

今日からとうとう死の話題に入りました。

このあとはもうずっと死のことばかり考えていただきますのでよろしくお願いいたします。

哲学FAQのほうは当初想定していたよりはハイペースでお答えしていますが、

どうということのない簡単に答えられそうな質問ばかりを選んで答えている感は否めません。

今回選んだのもその類いの質問ですね。

まったく頭を使わずに答えられそうですよね。

当面こんな感じでご勘弁ください。

さて、どういうふうに手抜きしながらお答えしましょうか。

これなんか楽チンでいいかな?


A.このブログではなく私の公式ウェブサイトの 「プロフィール」 のページをご覧ください。


以上おしまい。





でもいいんですが、簡単に補足説明を。

私のウェブサイトは 「小野原雅夫 倫理学 癒やしの広場」 という怪しい名前でアップされています。

最近はブログのほうばっかりやっているので、あまり頻繁に更新していませんが、

過去の情報はそう変わるわけではありませんし、

ここ数年は非常勤講師の仕事も増えていませんので、

「プロフィール」 のページのなかの 「略歴」 のところに書いてある情報がすべてです。

それで見ると、「哲学」 の授業は過去に福島医大と農業短大と福島医大の看護学部でやりましたが、

いずれもお払い箱になりましたので、今は相馬看護専門学校だけです。

ただし、「哲学」 という名前ではなく 「倫理学」 という名前の授業を、

白河厚生総合病院付属高等看護学院と国際メディカルテクノロジー専門学校看護学科でやっていて、

科目名称は違うもののまったく同じ内容の中身をやっていますので、

そういう意味では今回の質問に対しては、この2つの学校の名前を挙げるべきでしょう。

そのほか単発の仕事としては、ウェブサイトの 「講演・出前講座」 のページのなかの下のほう、

「公開講座等」 のなかに 「5.平成21年度看護教員養成講習会」 というのが載っています。

これは看護学校の教員 (阿部先生みたいな方々) を養成するための講座で、

コマ数は若干少ないのでダイジェスト版になりますが、

みんなにやっている授業と同じ内容を疑似体験してもらったりしています。

(このページは更新されていないけど2012年にもやって、相馬のある先生も受講していました。)

また同じところに 「10.生と死の倫理学 (放送大学、面接授業)」 というのがありますが、

これが今日ちらっと話した、臨死体験をした人が2人も受講していたという授業で、

これもほぼ似たような内容でやっている集中講義です。

こんな感じでしょうか。

こう振り返ってみると、あっちこっちで同じ話を使い回しているのが目に付きますが、

90分の授業を15回分も作るのは並みたいていの苦労ではありませんので、

その努力の分を何とか回収しようと躍起になっているのだとご理解ください。

なお、相馬看護専門学校以前に開講していた医大や農短での 「哲学」 は本格的な哲学の講義で、

しかも、こちらが一方的に話すだけというスタイルでやっていましたから、

みんなぐっすり眠ってくれて、私は小っちゃな胸をキュンと痛めていました。

東北大学でやっていた 「思想の世界」 という授業は本格的な倫理学の講義で、

これは少しは工夫してやっていたのでみんなに寝られるということはありませんでしたが、

看護学校でやっている 「哲学」 や 「倫理学」 とはまったく違うタイプの授業でした。

おっと、簡単に補足説明のつもりが長くなってしまいました。

それにしても、こんなこと聞いて何か役に立ちましたか?

Q.授業で寝てしまう人のことをどう思いますか?

2015-04-22 16:27:02 | 教育のエチカ
これも初めてもらった質問かもしれません。

こういう質問を書いてくれた人は、「哲学」 の2コマ続きの授業が耐えられなくて、

きっと自分寝てしまうだろうなあ、と恐れているのでしょう。

だけどそれでとどまらずに、相手の立場に立ってみて、

教員の目から見ると、授業中に寝ている人はどう映っているんだろうと想像してみたり、

それを実際に聞いてみてくれたりしたわけで、それはとても倫理的なことだと思います。

相手がどう思うかなんてまったく気にせず眠いときは寝るという猛者もけっこういますからね。

せっかく聞いていただいたので、こういう機会にこちらの思いを打ち明けておきましょう。

ご質問は授業で寝てしまう人のことをどう思うかでしたね。

これに関しては2段階のお答えがあります。

まずはこう思います。


A-1.この人は眠いんだろうなあ、と思います。


もしも質問で 「授業でみんなが寝ていたらどう思いますか?」 と聞かれていたら、

私の授業はつまらないのかと思って小っちゃな胸がキュンと痛みます、と答えたでしょうが、

そういう状況に関してではなく、寝ている1人1人について聞かれたわけですから、

上記のように答えるしかないでしょう。

前回、人間のすることに当たり前はないという話をしましたが、

人間には誰かが話していたらそれを黙って一生懸命聞いてしまうという本能はありません。

むしろ私語したくなったり、眠くなってしまうほうが生物として自然です。

眠ってしまうのもたいていは話がつまらないからなのかもしれませんが、

しかし、話は面白くてぜひとも授業を聞いていたいのだけれど、

前日に夜更かししてしまってどうしても起きていられないというケースもありえるでしょう。

私は大学時代、1時間目にパンキョーの 「哲学」 の授業があって、

一番好きな授業だったのだけれど、水商売のバイトを夜遅くまでしていたために、

どうしても睡魔に抗えず負けてしまったということが何度もありました。

自分自身のそういう経験がありますので、

「授業中に眠っている=この授業に興味がない」 と短絡的に解釈したりもしないのです。

ですので、眠っている人がいたら、ああこの人は眠いんだろうなあと思うだけです。

これはあくまでも私という特殊ケースのお話ですので、

他の授業の先生も同じだろうとは思わないほうがいいです。

フツーの日本人は幼い頃から、誰かが話しているときには最後まで起きて聞いているべきである、

眠るのは話してくれている人に対して失礼である、という文化を叩き込まれて育っていますから、

自分が話しているときに眠られるとそれを非礼とか侮辱と受け止め、怒り出すかもしれません。

眠いのに学校に来てくれてありがとう、なんて感謝するのはぼくぐらいですから、

誰彼かまわず寝たいときは寝るなんていうことはしないほうがいいと思います。

そして、第2段階ですが、いくらお人好しのぼくでも、

眠くてしかたないんだね、ゆっくりおやすみ、と思うわけではありません。

この人はホントは眠りたくないのに眠っちゃってるんだろうといい方向に解釈していますので、

第2段階はこうなります。


A-2.起こしてあげなくちゃ、眠気を覚ましてあげなくちゃ、と思います。


眠ってる人をそうっと寝かせておいてあげたりはしません。

何とか起こしてあげようとします。

私は授業中に寝てる人を起こしてあげるための、いくつかのメソッドを確立しています。

しかも、ただ起こすのではなく、眠気が覚めるくらいにいじり倒すやり方です。

それは今後授業の中で追い追い披露していきましょう。

というわけで、最後に一句。


眠るなら 起こしてみせよう ホトトギス     まさおさま

どげんかしたったい2015

2015-04-21 16:10:00 | お仕事のオキテ
「どげんかしたったい」 というのは、東国原元宮崎県知事がかつて流行らせた
  「どげんかせんといかん」 の対語としてまさおさまが勝手に考案したフレーズであって、
  はたしてそんな宮崎弁 () が本当に存在するかどうかは保証のかぎりではありません。


どげんかしたったい

どうです、見てください。



久しぶりに研究室のテーブルの木目を見ましたあっ

研究室は長らく荒れ放題で、

たぶんこの3月に卒業した卒論生たちはこの部屋でゼミをやったことがなかったはずです。

(まあ8人もいたのでどっちみちムリでしたが)

しかし今年度は、学類の卒論ゼミも大学院の修論ゼミもこの部屋で行えています。

研究室でゼミができると、すぐに辞書や参考文献の現物を見せることができて便利です。

とはいえ、今回研究室の片づけを断行したのは、研究室でゼミをしたかったからではなく、

仕事の効率化をはかるためでした。

机やテーブルの上が瓦礫の山と化すと何が困るって、仕事に必要な物が見つからなくて、

仕事を始めるまでにいろいろな探索のためにものすごい時間を取られてしまうのです。

昨年度末から人生最大に追い込まれているわけですが、

いっこうにはかどりネコさんが来てくれないのも、仕事そのものに集中できず、

何かしようと思うとまず文房具やら資料やらの物品探しから始めなければいけなかったからでしょう。

新学期が始まってしまうと、授業や会議に時間を取られてよけいに原稿執筆時間がなくなります。

そんな中で着実に少しずつでも執筆を続けていくためには、

探し物によって奪われる、仕事に取りかかるまでの時間を節約するしかないと判断したわけです。

とはいえこんな状態↓でしたから (実際の片づけ前の様子ではなくイメージ図)、



これを片づけるには相当な時間がかかるのは必至です。

(ただ捨てるだけならすぐすむでしょうが、私は捨てられない男なので…)

本当はもう掃除をする時間も惜しいくらい追い込まれているわけですが、熟慮の結果、

長い目で見たらやはりここは1日、2日を棒に振っても掃除をしておくべきだと判断しました。

実際に1日半くらいかかってしまいましたが、結果的にこの作戦は功を奏したようです。

研究室が片づいていると、戻ってくるたびに仕事しようという気分になりますし、

なんといっても物を探さずにすぐに仕事に取りかかれるというのはきわめてストレスフリーです。

この状態をキープできるといいのですが、はたしていつまで保てるやら。

これまで何度も何度も繰り返してきた同じ過ちですので、

2009年4月5日2009年4月8日2009年8月2010年9月2011年3月2011年4月2012年3月2012年10月2013年4月

これはたぶん改善しようのない自分らしさなんだろうなあと受け入れてしまっていますが、

とりあえず今の仕事に区切りをつけるまでは何とかこのまま維持したいと思います。

Q.指摘された盲点の窓をどうとらえたらいいんですか?

2015-04-20 09:41:29 | 幸せの倫理学
先日、「Q.先生の盲点の窓は何ですか?」 という問いに対して、
盲点の窓は盲点なので自分にはわからない、というようなお答えをしたのですが、
それに対してその質問者の方から次のようなコメントをいただきました。

「先生講義でお世話になってます。
 先生の説明が下手ではなく、自分の質問が上手くありませんでした。すみません。
 先生の説明は講義でよくわかりました。
 改めて質問を訂正させてください。
 『自分が気づかない盲点の窓を他人から指摘された時、先生はそれについてどうとらえますか?
  特にそれが指摘されてあまりポジティブじゃない面を言われたら。
  よければどんな盲点の窓を指摘されたことがあるかも教えください。』
 講義の際、自分はグループのメンバーに指摘された盲点の窓が受け入れがたいものでした。
 しかし、指摘されているのだからそれを含め自分だと思うように努力します。
 お忙しいと思いますがお時間がありましたら回答をよろしお願いします。」

なるほど、そういう意味の質問でしたか。
私も問いを問い直す努力をせず、もらった質問を字義通りに受け止めて答えてしまっていました。
こちらこそたいへん失礼いたしました。
さて、質問は2つありましたね。

Q-1.他人から (ネガティブな) 盲点の窓を指摘されたら、それをどうとらえますか?
Q-2.先生はどんな盲点の窓を指摘されたことがありますか?

順番にお答えしていきましょう。
まず、盲点の窓は盲点だったわけですから、ポジティブなものであれネガティブなものであれ、
指摘された当初はなかなか受け入れにくいでしょう。
とても自分のこととは思えないという場合が多いのではないでしょうか。
それがネガティブなことだった場合は、否認だけではおさまらず、
怒ったり鬱気味になったり、キューブラー・ロスの死の受容のような段階を踏んでいくかもしれません。
そこからどうやって受容していくか?

まずは、冷静になって自分を振り返ってみる必要があるでしょう。
本当に自分にはそういうところがあるのかどうか、
ふだんの言動を意識してみるといいと思います。
そうするとたいていの場合は、あ、ホントだ、自分ってこうだったんだと納得できるだろうと思います。
意外と自分のことは自分ではよくわかっていなくて、
まわりのみんなのほうがわかってくれていたりするものです。
それに気がついたら、あとはポジティブなものならそれも自分として受け入れればいいでしょう。
ネガティブなものの場合は、改善できそうなら改善するように努力すればいいでしょうし、
改善できなさそうなら、どうせ自分はこういう人間ですよと開き直るしかありません。

冷静に自己分析してみてもまったく当てはまらないように思えるという場合もあるかもしれません。
こういうときは厄介です。
指摘してくれたのがじっくり話し合えそうな相手なら、どうしてどういう場合にそう思ったのか、
具体的に聞いてみるといいでしょう。
それを聞いてみて納得できればOKですし、
ひょっとするとこちらの思いと相手の受け止め方がズレていて、誤解が生じているのかもしれません。
じっくり話し合えば誤解を解くことができるかもしれません。
ただし人間関係というのは基本的に 「受け止め方のゲーム」 ですので、
誤解した相手が悪いと思うのではなく、誤解させた自分に非があるのであって、
誤解された自分もそれはそれで自分であると思ったほうがいいでしょう。
その後は誤解を生まないような言動を心がける必要があるでしょう。

相手がじっくり話し合える相手ではない場合は、指摘した本人ではなく、
自分の身近な人 (しかも遠慮なくズバッと言ってくれる人) に聞いてみるといいでしょう。
こんなことを言われたんだけど、自分には本当にそういうところがあるのかどうか、と。
すると、その通りだと言われるかもしれませんし、
全然そんなことないよと言ってくれるかもしれません。
前者の場合は、受け入れるか改善するかの努力をしていきます。
後者の場合はいちおう一安心ですが、その場合もそのように誤解される原因がなかったかどうか、
その相談相手と一緒に反省会をしてみたほうがいいかもしれません。

なお、今回の話は基本的に善意の第三者による意見であることを前提としています。
ごくまれに、あなたはこういう人だよとわざと事実と違うことを言うことによって、
相手にそう思い込ませて相手を支配しようとする邪悪な人がいますので、
そういう人には近づかないようにしましょう。
万一そういう人に何か言われてしまった場合には、けっして1人で思い悩んだりせず、
身近な信頼できる人に相談してみることをお勧めします。

というわけでQ-1に対する答えを簡潔にまとめるとこうなります。

A-1.盲点の窓を指摘されたら、自分を振り返ったり、誰かに聞くなどして、
    自分に本当にそういうところがあるのかないのかをまずは確かめます。
    それが改善したくて改善できることであれば改善の努力をします。
    それがいいことであったり改善しようのないことであれば、
    開き直ってそれも自分なんだと受け入れるようにします。
    誤解に基づくものであったなら今後は誤解されないよう言動を改めます。

うーん、こうやってまとめてみると、当たり障りのないどうでもいい答えだなあ。
しかしまあ、私はこうやっていますということで。
もう十分長くなってしまったのでQ-2はまたの機会にお答えします。

Q.『アルジャーノンに花束を』 の見どころは?

2015-04-18 15:04:43 | 生老病死の倫理学


相馬の看護学校の第1回目の授業の翌日から、
TBSドラマ 『アルジャーノンに花束を』 がちょうど始まるところだったので、
特に深い意味もなく日常茶飯事の一例として口に出してしまったために、
このような質問をいただくことになってしまいました。
ダニエル・キイスの原作はめちゃくちゃ感動の名作なんですよ。
何度読み返し、そのたびに何度涙したことか数えきれないくらいです。
その名作を山Pが演じるというので、期待というよりはむしろ不安に包まれていました。
『ドS刑事』 の黒井マヤを多部未華子が演じるというのよりもさらに危険な感じがします。
そんな関心を抱いていたため、特に授業の内容と関係もないのについ口に出てしまったのでしょう。
そういう流れで、今回のような質問をいただくことになったわけです。
せっかくご質問いただいたのでお答えすることにすると、
ドラマであれ映画であれ 『アルジャーノンに花束を』 を映像化するという場合、
その見どころは何と言っても以下に尽きるでしょう。

A-1.『アルジャーノンに花束を』 の見どころは、
    知的障がいをもつ主人公が手術によってものすごい天才に変貌していくそのプロセスや、
    それに伴う喜怒哀楽、人間関係の変化等をどこまでリアルに描けるか、にあるでしょう。

ですので、まずはスタート時点において主人公の知的障がいがきちんと描かれなければなりません。
そこにリアリティがなければ、この物語はすべて崩壊してしまうでしょう。
はたしてそれを山下智久が上手く演じることができるのか。
それが何よりの不安材料でした。
天才に変貌したあとの主人公はいくらでも想像できるんですよ。
知能がムチャクチャ高いイヤミなヤツをきっと山Pは上手く演じてくれるでしょう。
しかし、知的障がいをきちんと演じきることができるのか?
あまり、というかほとんど期待せずにおそるおそる初回放送を見てみたわけです。

見てみた感想はと言いますと、まったく期待していなかったのがよかったのでしょうか、
そんなに違和感なく見ることができました。
もちろん 『レインマン』 のダスティン・ホフマンや、
『アイ・アム・サム』 のショーン・ペンなんかとは比ぶべくもありませんが、
『ピュア』 の和久井映見に迫るくらいの演技ではあったのではないでしょうか。
多部未華子=黒井マヤには心底ガッカリさせられただけに、
(これは多部未華子のせいというより脚本やキャスティングのせい)
山Pの健闘がよけいに光りました。
第2回目の放送では初回よりもさらに板に付いてきているように感じました。
巷の噂では視聴率はそれほどよくなかったらしいですが、
視聴率なんて関係なく、いいドラマ (=記憶に残るドラマ) になりそうな予感です。

もうひとつの見どころは今回、映画ではなくドラマだということです。
原作は中編小説ですので、内容的に映画1本分強くらいのストーリーしかありません。
それを11~2回分の連続ドラマに仕立てなければいけないわけですから、
原作にないエピソードなどをいろいろと付け加えなければなりません。
しかも舞台を現代日本に置き換えて映像化するためには、
細部に至るまで具体的な作り込みが要求されます。
これまで2回見たかぎり、登場人物が相当増やされていますし、
それぞれの家族やら背景も描かれていて、原作に縛られることなく、
自由な群像劇として再構成されているようでした。
というわけで、もうひとつの見どころは以下です。

A-2.ダニエル・キイスの名作を、野島伸司がどのようにふくらませ、
    現代日本を舞台とする連続ドラマへと作り替えていくのか、
    そのお手並みを拝見するのが、『アルジャーノンに花束を』 のもうひとつの見どころです。

知りませんでしたが、『アルジャーノンに花束を』 は2002年に、
ユースケ・サンタマリアを主人公としてドラマ化されていたようです。
そのときははたしてどんな脚本だったのでしょうか?
それと比べて今回はどう展開していくのでしょうか?
正直ドラマを見ている場合ではないんですが、どうやら目を離せなくなりそうです。
原作をまだ読んだことのない人は、ドラマが終わってからでもいいですし、
今のうちでもかまいませんので、ぜひ読んでみてください。
ドラマを2倍以上楽しめること、まちがいなしですっ

Q.先生の盲点の窓は何ですか?

2015-04-17 22:29:20 | 哲学・倫理学ファック
看護学校では 「汝自身を知れ」 というワークで哲学入門をしてもらっているのですが、

実際にやってもらっているのは哲学というより心理学のワークです (そのほうがとっつきやすいので)。

ですので、説明のときには 「ジョハリの窓」 という完全に心理学系のお話をしたりしています。

そこでこんな質問をいただきました。

正確にはこんなふうに聞かれました。

「Q.先生が自分自身で理解している盲点の窓はどんなことですか?

   それについてどう考えていますか?」

うーむ。

それにしても、こんな質問をいただいてしまうとは

どうやら私の説明が下手くそだったようです。

盲点の窓というのは、他人は知っているけれど自分では気がついていない自分のことです。



この右上の部分ですね。

ここは自分では気がついていないし理解していないから 「盲点の窓」 なわけです。

ですので、「自分自身で理解している盲点の窓」 っていうのはそもそも定義上ありえないわけです。

以前に私の 「秘密の窓」 について聞かれたこともありますが、

よく考えるとそれもおかしいですよね。

秘密の窓なんですから秘密なので、いくら聞かれてもお答えすることはできません。

盲点の窓はそれ以上にどうやったって答えられるわけがないのです。

ですので私の盲点の窓に関しては私に聞かないで、私の親しい人に聞いてみてください。

自分としては自分のことをすべてわかっているつもりですので、

盲点の窓なんてほとんどないだろうと思っているのですが、

まあそう思っている人ほど盲点があったりするのかもしれません。

はたして私の盲点の窓は何なんでしょうか?

ご存知の方はぜひコメント欄で教えてください。

Q.ニュースエブリーのキハラさんに似ていると言われませんか?

2015-04-15 14:26:35 | 哲学・倫理学ファック
毎年、似てると思いますか、似てると言われますか系の質問はよく出されるのですが、

今年はこの1問だけでした。

それにしてもこれは初めて言われました。

とりあえず端的にお答えしておきましょう。


A.キハラさんに似ていると言われたことはありません。

  ていうか、ニュースエブリーのキハラさんって誰ですか?


自分のまったく知らない人に似てると言われてビックリしています。

このように言われてみていちおうググってみました。

そもそも 「ニュースエブリー」 を知らなかったんですが、

日テレ系列の夕方のニュース番組のようですね。

まず私の場合、日テレって政治的理由によりあまり見ないようにしていますし、

しかも夕方の番組となるとフツーの社会人はなかなか見られませんから、

私がこの番組を知らなかったとしてもしかたないところでしょう。

したがって番組ウェブサイトの 「キャスター紹介」 のところを見てみても、

藤井さんと陣内さんくらいしか見覚えがありませんでした。

で 「キハラさん」 というのはお天気キャスターの木原実さんのことでしょうね。

この方だそうです。



初めてお会いしました。

こういう方がいらっしゃったんですね。

うーん、どうでしょう?

似てますか?

とにかく人から似ていると言われたことはないですね。

これまで看護学校の授業で聞かれたことがあるのは以下です。


Q.誰かに似ていると言われますか?

Q.先生はペ・ヨンジュンかリリー・フランキーに似てると言われたことがありますか?

Q.ジョン・レノンに似ていると言われたことはありますか?

Q.自分ではペ・ヨンジュンと福山雅治に似てると思いますか?


その他、看護学校以外で言われたことがあるのは、沢田研二とか将棋の羽生善治名人とかです。

うちの母親に小泉今日子に似ていると言われたこともありますが、

それはいくらなんでもかけ離れすぎているでしょう。

いろいろ言われたなかで、自分的にも納得しているのは羽生名人くらいでしょうか。

それ以外はたんにメガネをかけているという程度の共通点しかないように思っています。

木原さんに関しても似てるのはメガネをかけてるとこだけのような気がするのですが…。

皆さんはどう思われるでしょうか?

ご意見等、ご自由にコメント欄にお書きください。

福島復興支援エレキライブ

2015-04-14 16:03:13 | 人間文化論
先週末のてつカフェは、人生のパートナーについて大いに語り合いました。

毎度のことながら、テーマ設定の妥当性も含めて、

そもそもパートナーとは何か、人生とは何か、人生のパートナーとは何なのかと、

根源的な議論が交わされました。

初めての 「イヴのもり」 もたいへん知的な雰囲気の漂う会場で、

哲学対話をよりいっそう刺激してくれましたし、

2次会も美味しくて身体によい料理と聞いたことのないたくさんのカクテルで盛り上がりました。

帰り際、オーナーの齋藤さんからイベントの告知をお願いされました。

今度の日曜日、イヴのもりが主催する復興支援ライブがテルサで開催されるそうです。

福島と仙台のエレキバンドが競演するライブだそうで、懐かしい曲をいろいろ聴けるようです。

例によって私は福島を留守にしているため行けませんが、

皆さまぜひお誘い合わせの上、足を運んであげてください



 福島復興支援エレキライブ
場所 : イベントホール・テルサ FTホール
日時 : 4月19日 (日)
      13:30~ 開場
      14:00~ 川俣パワーズ
      15:00~ 仙台ベンチャーズ
入場チケット : ¥1,000 (全席自由)
お問い合わせ : 菜と根の会 090-5843-4686(齋藤)

Q.ブログの更新頻度はどれくらいですか?

2015-04-13 17:08:45 | 哲学・倫理学ファック
さて、いよいよ相馬の看護学校でいただいた質問に答えていかなくてはいけないのですが、

こんな質問は今までいただいたことはなかったですね。

初めての質問です。

授業中に 「このところ追い込まれているのであまりアップできないかも」 と断ったので、

それでじゃあどれくらいの頻度で書き込んでいるんだろうと疑問に思われたのかもしれません。

2009年から2010年にかけては毎日更新なんていうこともしていました。

必ず1日に1本は記事を書くというようにしていたのです。

それをちょうど1年間続けてさすがに疲れたので、毎日更新はやめました

その後はムリして毎日更新するのはやめましたが、

飲んだ日とか学会やら旅行に出かける日などを除いて、それ以外はたいてい何かしら書いていて、

月に20日以上は更新していたのではないでしょうか。

昨年2014年で数えてみたところ、一番少ない月で21本、多い月で27本、

平均で月24本の記事を書いていました。

本来の私のブログ更新頻度はだいたいそれぐらいだと言えるでしょう。

ところが今は追い込まれているので、そんな余裕がありません。

今年に入ってから、1月は13本、2月と3月はそれぞれ9本ずつと、

明らかにペースダウンしています。

大きな仕事をまとめなければいけないところへ本当に追い込まれていますので、

いろいろと書きたいことはあるのですが、書いてる場合ではないのです。

この調子だと、相馬に通う8週間のうちに、皆さんからいただいた質問に答えきるのはムリでしょう。

そうでなくとも答えにくい質問とかがたくさんあるので、

これまでも先輩たちの質問で積み残してきたものはたくさんあるのです。

今後は折を見て、答えやすく、あまり時間をかけずに答えられそうな質問から、

順番にゆっくりと答えていくことにしたいと思います。

こういう状況ですので、なぜ私の質問に答えてくれないの、などと思い詰めたりすることなく、

答えてもらえればラッキーくらいの気持でのんびりとお待ちください

ちなみに私のブログは Twitter や Facebook と連携していますので、

フォローや友達申請してもらうとブログ更新情報をゲットできます。

見逃したくないという方はぜひどうぞ。

哲学FAQインデックス (2015年相馬編)

2015-04-10 17:35:52 | 哲学・倫理学ファック
相馬の看護学校 「哲学」 の授業が始まりました。
また 「哲学FAQ」 の季節ですね。
今年から相馬の看護学校は全15コマちゃんと開講しなければいけなくなりました。
これまでは毎回2コマずつ7週間通って授業を14コマやり、
あとはテストで計15コマというカウントになっていたのですが、
授業をちゃんと15コマやり、テストは別カウントにしなければいけないと、
監督官庁から指導があったようです。
というわけで12年間続けてきたカリキュラムに少し手を入れ、
2コマ×7週間にプラス1コマ授業をやらなくてはいけないことになりました。
というわけで全部で8回のお付き合いとなります。
なにとぞよろしくお願い申し上げます。

授業期間中、看護学生の皆さんにはこちらのブログをご覧いただきたいと思います。
第1回目の授業で皆さんから出していただいた質問のなかで、
代表質問に選ばれなかったものに関してはこの場で少しずつお答えしていきます。
ちょっと今年は追い込まれているので、あまりブログ更新できないかもしれませんが、
少しずつお答えしていく予定ですので、授業期間中だけと言わず、
授業終了後もときどき訪れていただければと思います。

さて、皆さんからいただいた質問の多くはすでに先輩からも出されていたので、
すでにブログのなかに書いたことがあります。
ですのでまずは過去ログを参照していただければと思います。
どこを見たらいいか、インデックスというか目次的なものを作っておきますので、
こちらからあちこちへ飛んでみてください。
そして、インデックスもすでに何度も作ったことがありますので、
まずは下記のインデックスを順番に見てみてください。
そのなかに自分の質問と同じか似たものが見つかるはずです。
もちろん自分がした質問でなくても興味があったらぜひ読んでみてください。
なお、私にとって 「哲学」 と 「倫理学」 は同義語ですので、
「倫理学」 と書いてあるところは全部 「哲学」 に置き換え可能ですので、
そのつもりで読みたい記事を探してみてください。
(哲学と倫理学の関係についてはこちらをご覧ください。)

以前のインデックス
  「看護学校 「倫理学」 FAQインデックス (2014年版)」
  「哲学FAQインデックス (2014年相馬編)」
  「倫理学の先生に聞きたいこと (インデックス版)」
  「哲学の先生に聞きたいこと (インデックス版2012)」
  「看護学校教員養成講座・インデックス2012」
  「倫理学FAQインデックス (2012年白河編)」

これらのインデックスに載っていなくてすでに書いたことのあるものや、
載ってはいるけれど問い方が違っているから見つけにくいと思われるものは以下です。

Q.なんでブログを書こうと思ったんですか?
  「Q.ホームページやブログを始めたきっかけは何ですか?」

Q.生きやすく生きるにはどうしたらいいですか?
  「Q.哲学を学んでよかったことは何ですか?」

Q.どんな性格ですか?
  「Q.自分のことを一言でいうとどんなですか?」

Q.特技は?
  「Q.趣味・特技は何ですか?」

Q.先生の楽しみは何ですか?
  「Q.先生の最も幸せを感じることって何ですか?」

Q.好きな言葉は?
  「Q.先生の好きな言葉は?」

Q.哲学で先生自身がすごく考えたテーマはありましたか?
  「Q.先生の目標は何ですか?」

Q.先生が看護師に求めるものは何ですか?
  「Q.どんな看護師がいたらうれしいですか?」

Q.自分にとって哲学とは?
  (私にとって)  「Q.哲学って何ですか?」
  (看護学生にとって)  「Q.哲学と看護理論の関連性は?」

Q.哲学は人によって解釈が全く異なるのですか?
  「Q.哲学を学んでよかったことは何ですか?」

とりあえず以上です。
今度お返しするワークシートの質問のところに 「ブログ参照」 と書いてあったら、
以上のどこかを見れば答えが載っているはずです。
代表質問として取り上げられたものは 「スミ」 と記しておきました。
解答済みという意味です。
代表質問にはならず、ブログ上ですでに答えてもいない質問に対しては、
「そのうちブログに書くかも」 と書いておきました。
先にもお断りしておいたようにいつになるかわかりませんが、
そのうちブログに書くかもしれませんのでときどきチェックしてみてください。
読んだらコメントも書いていただけるとうれしいです。

BMWリコール完了!

2015-04-08 13:18:04 | お仕事のオキテ
昨年の10月にお知らせが届いたBMWのリコールですが、

郡山のディーラーに連絡を取ったら、しばらく部品が入荷しそうにないので、

入荷したらご連絡しますと言われたまま半年が過ぎ、

すっかり忘れられてしまっているんだろうかと心配になった頃にやっと連絡が来ました。

やっと部品が入荷したので交換に来てください、と。

一瞬、こっちは追い込まれてるんだ、そっちが取りに来いと言いたくなりましたが、

常識的な社会人ですのでそんなクレーマーを演じたりはせず、

逃避も兼ねて郡山まで行ってまいりました。

交換は1時間半ほどで終了しました。

(その間にてつカフェのポスターを作成していたので、有意義な時間を過ごすことができました。)

交換した不良品のエアバッグの写真を撮らせてもらいました。



この写真で言うと、下側部分が奥に入り、上側が手前に来て事故のときには膨らみます。

思っていたよりもはるかに小さかったのでビックリしました。

タバコか何か大きさを比べるためのものを一緒に撮ればよかったですが、

タバコは買わない主義なので持ち合わせがありませんでした。

帰りがけには、ご迷惑おかけしましたということで粗品を渡されました。



BMWの文字が入った軽めの箱です。

この箱がちょうど先ほどのエアバッグと同じくらいの大きさです。

タバコはありませんが、マウスと比較してみました。



小さいでしょ。

軽さから予想していたとおり、箱の中身はこれでした。



タオルです。



正方形なのでタオルというよりもハンドタオルとか雑巾と言うべきでしょうか。

特にBMWのロゴなどは入っていませんでした。

郡山までの交通費にはまったく足りないでしょうが、

せっかくもらったので何かに有効活用したいと思います。

世界を震撼させた半年がかりのリコール問題、やっと決着いたしました (私に関しては)。

今後こういうことが繰り返されないよう、

技術者の皆さまには技術倫理、製造責任の徹底をお願いしたいものだと思います。

エイプリルフールではございません!

2015-04-02 17:35:10 | お仕事のオキテ
昨日、クララが当たった知らせを受けて、
研究振興課の事務職員の方々に御礼メールを送っておきました。

*******************************************************************
○○さま、□□さま (Cc:△△さま)

人間発達文化学類の小野原です。
先ほど△△さんより科研費交付内定の速報を総合案内に掲示した、
とのお知らせをいただきました。
おそるおそる見てみたところ、みごと一覧の中に自分の名前がありました!
今日は4月1日ですが、これはエイプリルフールとかではないですよね?

昨年の申請時は、締切に遅れてしまったというのに、
研究振興課の皆さまには私の申請書を細かくチェックしていただき、
いろいろと御指摘、御助言をいただきました。
そのおかげで科研費を獲得することができました。
本当にありがとうございましたm(_ _)m。
*******************************************************************

そうしたら本日次のような返信を○○さんからいただきました。

*******************************************************************
小野原先生

福島大学研究振興課の○○です。
おはようございます。

採択、おめでとうございます!
わざわざご連絡いただきありがとうございます。
エイプリルフールではございません!

こちらとしても、一歩踏み込んで申し上げたために
少し勇気がいるところもありましたが、
このように結果に少しでもご助力できたことがわかると
励みになります。大変うれしいです。

今後は執行関係でご協力できればと思います。
なにかございましたらご連絡いただけますと幸いです。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
*******************************************************************

おお、やはりエイプリルフールではなかったんだ。
「なんちゃってぇ」 じゃなくてよかったあ
この返信の中で 「一歩踏み込んで申し上げた」 と書かれているのは、
昨年秋の段階で下記のようなやりとりをしていたためです。

*******************************************************************
小野原先生

福島大学 研究振興課の○○です。

いつもお世話になっております。

研究申請書の事務チェックを行いました。

修正が必要と思われる個所と、
事務で拝見しての率直な疑問・意見等を記載した内容を
添付ファイルの通りお送りします。

必須で訂正が必要な内容以外の修正は、先生のご判断の上訂正いただければ幸いです。
申請まであまりお時間もないので、今週中に手直しいただけるお時間があれば、
データをお戻ししたいと思いますがいかがでしょうか。

ご連絡をいただけますと幸いです。
*******************************************************************

このメールとともにA4用紙1枚半にわたる修正意見書と、
私が書いた申請書に直接赤を入れたPdfファイルが届けられていました。
それを見てビックリして私は次のように返信したのでした。

*******************************************************************
小野原です。
返信遅くなって申しわけありません。
提出が遅れたにもかかわらず、とても丁寧に中身までチェックいただき、
誠にありがとうございました。
いただいた修正意見はどれももっともと納得してしまいました。
かつてここまで詳しく内容に踏み込んで助言いただいたことはありませんでした。
本当に感謝申し上げます。
ぜひとも修正したいと思いますので、どのようにしたらよいか御指南ください。
*******************************************************************

それに対してすぐに次のような返信をいただきました。

*******************************************************************
小野原先生

研究振興課の○○です。
ご連絡ありがとうございます。

共同研究手続きなどを担当している
□□さんにも確認を手伝ってもらった結果、
今回のようなご提案になっています。

獲得につながれば幸いです。

さて、データについてお戻しいたしました。
お手元の調書を直し、システム上で差し替えが済みましたら
ご連絡いただけますと幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします。
*******************************************************************

とまあ、このようなやりとりをしていたので、
今回○○さんと□□さん宛てに礼状を送ったわけです。
直接の窓口となったのは○○さんで、
○○さんとはあの時期、何度やりとりしたか数え切れないくらいです。
上記のメールのあともさらに私はいろいろとミスを重ねていて、
最終提出はこの5日後のことでした。
しかも私は○○さんとも□□さんとも直接お会いしたことはなくて、
これだけやりとりをしているというのにお顔も存じ上げないのです。
昔は科研費申請書は5部だったか10部だったか両面印刷してのり付けし、
研究種目ごとに定められた色マジックで線を引いて提出しなければならなかったので、
研究振興課 (当時は別の名称だったような気もしますが) に直接出向き、
係の皆さんとも面識があったのですが、
何年か前から電子申請に変わったために、すべてはウェブ上ですませられるようになりました。
その意味で事務と教員の関係はドライになったと言えなくもないのですが、
しかし、このやりとりの中にもあったように、
事務方は申請者全員の申請書を細かくチェックして、
勇気を振り絞って研究の内容にまで踏み込んで指摘してくださいました。
こういう協力関係こそが大学の研究や教育を支えてくれているのだと思います。
よく事務方と教員とがいがみあっているような大学の例を聞きますし、
大学教員の中には事務方を敵対視して何かにつけて怒鳴り込んだりしている人もいるようです。
そういうギスギスした関係ではなく、素晴らしいスタッフに支えられて、
教育・研究を行えることをたいへんうれしく思います。
私の教え子たちの中にも大学の事務職に就職した人がけっこういますが、
大学教員から頼りにされる事務職員に成長してもらいたいものです。
みんな頑張ってくれたまえよ!