まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

「てつがくカフェ@ふくしま」 朝日新聞で取り上げられる

2011-05-31 15:52:07 | 哲学・倫理学ファック
昨日の朝日新聞に、先日開催された第1回 「てつがくカフェ@ふくしま」 が取り上げられました。

「震災語る哲学カフェ」 というタイトルで、

仙台の 「てつがくカフェ@せんだい」 や 「仙台哲学カフェ」 などとともに記事になったのですが、

福島版ではなく、全国版の文化面に載ったので反響も大きいようです。

検索してみたところすでにいくつかのブログで関連記事が書かれていましたし、

私のところへ直接問い合わせのメールが来たりもしています。

私の名前は記事の冒頭に登場するのですが、

私のコメントは 「こんなテーマで始めたくなかったんですけど」 の一言だけでした。

まあ、実際に 「てつがくカフェ」 のときに私が話したのはそれくらいでしたので、

当然といえば当然です。

それにひきかえ純ちゃんはいいセリフが引用されていましたし、

ふんぞり返ってファシリテーションをしている姿も写真にバッチリ収められていましたので、

これで全国デビューまちがいなしでしょう

このような後押しを受けて第2回の企画も精力的に進めているところです。

まだ不確定要素がありますが、おそらく6月25日 (土) にA.O.Z.での開催となりそうです。

テーマは満を持して、「〈ともだち〉 とは誰か?」。

幻の第1回てつがくカフェのリベンジです。

これは皆さん、いろいろと語り合いたいことがたくさんあることでしょう。

前回参加できなかった方々もぜひお越しください。

美味しいコーヒーとともにお待ちいたしております。

はぐれタバコ

2011-05-30 10:58:32 | グローバル・エシックス
最近では居酒屋とかでグループで飲んでいるとき、

グループ内の大多数がタバコを吸わない人ばかりだったりすることがよくあります。

ひと昔前までは喫煙者のほうがマジョリティだったのに、変われば変わるものです。

さてそういう場合、たとえタバコを吸うことを許されたとしても、

喫煙者はテーブルの端っこのほうに座って、

みんなに気を遣いながら吸わせていただくということになります。

それはいいのですが、何が頭に来るって、

そういう団体の隣の席に座らされてしまった場合です。

件 (くだん) の喫煙者は自分のグループの仲間に配慮して、

タバコの煙をわざとこちらに向かって吐き出すのです。

おいおい、いい加減にしろよ、と。

なぜこっちに向かって煙を吹きかける?

彼の気遣いは自集団内部にしか及ばず、外部の人間にはおかまいなしなのですね。

まったく誰にも気を遣わない傍若無人なスモーカーに較べれば、

彼はまだなんらかの倫理感覚をもっていると言えるのかもしれませんが、

自分が所属するグループ以外の人たちに対してまったく無頓着であるというのは、

よき家庭人、よきドイツ人ではあったけれど、ユダヤ人虐殺にはなんの疑問も抱かなかった、

あのナチス党員たちと何の変わりもないではありませんか。

倫理が真の倫理たりえるためには、

どうしても自集団中心主義を乗り越えて、倫理を普遍化する必要が出てくるのです。

グローバル・エシックスとか共通価値といったものが要請される所以であると言えるでしょう。

居酒屋で飲みながらタバコの煙を吹きかけられて、

地球規模の倫理に思いを馳せる今日この頃でした。

母からのメール

2011-05-29 23:36:41 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
昨日は親戚一同が集まって父の法事を行いました。
小野原家の墓は九州の佐賀県にあるため、
そう簡単にお墓参りに行くことができません。
年忌法要と呼ばれる三回忌、七回忌、十三回忌など節目の年に、
家族のなかの少数精鋭を募って九州まで出かけ、墓参り&法事をするという感じです。
昨年は十七回忌だったので 「ルーツへの旅」 が決行されたわけですが、
そうそう毎年九州旅行をするわけにもいきませんので、
今年は東京での開催でした。
法事といってもお坊さんを頼んでお経をあげてもらったりするわけでもなく、
ただ親戚一同がお店に集まって大宴会を繰り広げるだけです。

この法事を開催するのはたいてい築地明石町にある 「鯛や」 という日本料理屋さんです。
地下鉄だと新富町の駅が近いですが、明石町とか新富町ってふだんはあまり出かけないところです。
なんでそんなところのお店で開催するかというと、
こちらのオーナーは、その昔うちの母が銀座で小料理屋をやっていたときに、
ずっと板前さんとして働いていてくださった方なのです。
私も学生時代、母の店に皿洗いのバイトに行ったりしていましたが、
狭い調理場の片隅でお皿を洗いながら、
料理の極意を盗むほどにはいたりませんでしたが、
ちらっと横目で盛りつけのテクニックなどは見せていただいたりしていました。
母の店がつぶれたあと、しばらしてその板前さんがこちらに店を構えられたのです。



看板はいかにもこじゃれた日本料理屋ですが、
店内に入ってみるとたぶん誰もが驚くでしょう。
こんな感じなのです。





おわかりになるでしょうか。
ミシュランのグッズやポスターなどが所狭しと陳列されています。
オーナーがクルマ好きということもあって、
タイヤメーカーのミシュランとお店の名前を掛け合わせたダジャレになっているわけです。
こちらのお店を借り切って小野原家の法事は決行されました。
とっても美味しい料理が次から次へと運ばれてきます。
フグの唐揚げまで出ましたが、フグを食べるのなんていつ以来でしょう。
そしてシメはこちらの名物、鯛めしです。



絶妙の出汁加減、そして鍋いっぱいに飾り付けられた鯛。
至福のひとときです。
何杯も何杯もおかわりしてしまいました。
そういえば、こちらの 「鯛や」 さんは、
「出没!アド街ック天国」 の 「築地明石町」 の回で取り上げられたそうです。
その後やはりお客さんが増えてしまったそうなので、
行ってみたいという場合にはあらかじめ電話予約しておくほうがいいでしょう。

さて、今回は別にこの 「鯛や」 さんのことを宣伝したかったわけではありません。
「鯛や」 さんでみんなで現地集合するにあたって、
前日に母にちょっと問い合わせのメールを出しました。
去年は十七回忌のためこちらでの集まりはありませんでしたし、
なんせ明石町やら新富町というのはアウェイですから、
2年ぶりとなってしまうとどうやって行ったらいいのか覚束ないものがあります。
というか地下鉄の新富町駅で下りればよいということすら思い出せなかったのです。
私はその手のお店情報はケータイに登録するようにしているのですが、
この前ケータイが死んでしまったときに 「鯛や」 さんのデータも根こそぎ失ってしまっていました。
というわけで、お店に行くにはどこの駅で下りればいいのか、
そして、念のためお店の電話番号も教えてほしいといって母にメールしていたわけです。
その驚愕の返信メールがこちらです。



ワン トゥー スリー



「〇さーさんごよんよんーごろくなないち。中央くー明石町十二ー十六メゾンドールニュー明石」



これが全文です。
なんじゃ、こりゃあ?
ゼロだけは変換できたみたいだけど、それも漢数字のゼロだし、
あとの数字は全部ひらがなかいっ
しかも長音記号がミョーに多用されているし…。
「よんー」 と伸ばさなきゃいけないんですか?
住所のほうは比較的それらしいですが、やはり 「中央くー」 と伸ばさなきゃいけないんですか?
昨年の11月に 「母からの面白すぎるメール」 というサイトをご紹介いたしました。
というか、ブログの師匠が私よりも先にそれをご紹介されていました。
あのときはただ他人事みたいに爆笑していましたが、
うちの母も同類だったんですね。
とりあえず 「鯛や」 に着いて一番最初にやったのは、
ケータイでどうやって数字を入力したらいいかの講習会でしたが、
まああれで使いこなせるようになるとはとうてい思えません。
電話番号その他、数字関係で聞きたいことがあるときには絶対に妹か弟に聞くようにしよう!
と固く心に誓った父の命日でした。


P.S.
ちなみに私の父の祥月命日は6月28日なのでまだだいぶ先です。
でも、法事法要は生き残った私たちの都合に合わせて、今回のように1ヶ月も前にやったり、
あるいは九州に行くときなんて、陶器市にあわせてゴールデンウィークにやってしまったり、
それはもう自由気ままに、生きている人間の都合に合わせてテキトーにやらせていただいています。
おそらく父は草葉の陰で、お前らオレのことなんてどうでもいいんだろう、
ただ飲む口実にオレを使っているだけなんだろうとグチをたれていることと思います。
でもお父さん、長い付き合いなんだから、ぼくたちがそういう人間だってことは、
生きている頃から骨身に沁みてわかっていたはずですよね。
今回もいちおう遺影はお店に置かせてもらいましたので、
酔っぱらいの大放談会にあなたもきっと同席されていたことと信じております。

修明高校模擬授業

2011-05-28 10:52:05 | 人間文化論
昨日は修明高校の3年生が福島大学に学校訪問に来てくださいました。
午前中に福島大学に関する説明を聞いたりしたあと、
大学生協でお昼ご飯を食べ、午後は二組に分かれて模擬授業です。
片や経済経営学類の先生が 「経済活動と東日本大震災」 というお話をされたそうですが、
もう一組は私が講師で、いつもの 「人はなぜ学び、なぜ働くのか?」 の演題です。
先方からわざわざご指名いただいてのリクエストでしたので、気持ちも引き締まります。
全部で約70名くらいの生徒さんがいらしているうちの半数、
37名が私の講義を聞いてくださいました。
時間は60分。
前半の話がちょっと長くなってしまいましたが、
ほぼ時間どおりに終えることができました。

満足度は4.92。
これはむちゃくちゃ高い評価ですね。
これだけの人数相手のアンケート結果としてはダントツの最高得点です。
福島大学に悪印象をもたれたら受験のときにマズイから、
アンケートにはできるだけ高評価を書いておけと事前に引率の先生に言い含められていたのでは、
などと勘ぐってしまいたくなるくらいの好結果です。
いやいや、けっしてそんなことはなくて、
みんな本当に満足してくれたのだと素直にありがたくこの評価を頂戴しておくことにしましょう。
感想用紙には以下のようなコメントを書いてもらいました。

「今回、福島大学に来て良かったと思いました。
 初めは、福大なんて自分が行きたい大学と違うから、行っても意味ないと思ってました。
 でも、これから生きていく上でのことを学び良い経験になりました。」

「人間発達文化学類と聞くと難しい学類だと思っていました。
 でも、小野原先生の話は、とても分かりやすく、
 もっと学びたい勉強したいという気持ちになりました。」

「私は大学に進学したいけど、勉強があまり好きではないです。
 でも、今日の講演を聞き、なぜ人は勉強するのか、文化とは何なのかをよく知ることができ、
 将来を考えることができました。
 恵まれた者としての義務をはたすために、がんばろうと思います。」

「答えがない問題に対して考えていくには、
 日頃の積み重ねる勉強が大事なことが分かった。」

「この授業を聞いて、明日からの生活を変えられたら、
 勉強の仕方も変わると思うので頑張りたいと思います。」

「人間は1人では生きられないことを改めて良く知ることができたので、
 周りの人の大切さが身に染みました。」

「私は、けっこう 『当たり前でしょ』 って思っていたことも当たり前じゃないんだと気づけました。
 これからは、両親や友達、周りの人達にも感謝したいと思いました。
 『自分で考える』 ってことは大事だと思っていましたが、
 今まで以上に大事なんだと思えました。
 自分なりにちゃんと生きようと思います。」

「自分と関わっている全てのことに感謝することを忘れず生きていきたいです。
 大学へ進学し、沢山のことを吸収して社会に貢献できる様な人間になりたいと思います。」

「最後の 『世界がもし100人の村だったら』 を聞いて、
 自分はすごい確率で生まれてすごいと思いました。
 他の人のためにも、自分の幸せのためにも、
 幸せを分けてあげることのできる大人に成りたいです。」

「自分は、100人の中の恵まれた人間として、精一杯、生きていきたいと思った。」

「今回の講演で学んだことをこれからの自分の生活に取り入れていきたいと思う。
 『100人のうちの1人』 と 『人を幸せに出来る人』 を目指していきたい。」

「カッコイイ大人目指しがんばります。」

みんなちゃんと私の話を受けとめてくれたみたいで本当にうれしいです。
最後までご静聴いただきどうもありがとうございました。
修明高校のみんなっ、来年また福島大学で会おうっ

もうひとつ流れで

2011-05-27 14:21:49 | 人間文化論
昨日の話の流れでもうひとつ。

音楽棟の前にこんな立て看が掲げられています。



これを見て私は一瞬意味がわかりませんでした。

対面式の何なんだろう?

「対面式団員募集」 というのはおかしいよなあ。

新入部員の面接を対面形式で行うのかなあ (「対面式面接」)。

でもそれって普通だよなあ。

楽団とお客さんが対面してコンサートやるのかなあ (「対面式コンサート」)。

でもそれも普通だよなあ。

対面式の何なのかがどこかに小さく書いてあるのかなあと、

細かく探してしまいそうになったときにやっと気づきました。

この 「対面式」 は 「対面形式で行う」 という意味の形容詞ではなく、

誰かと誰かが 「対面」 する 「式」 (=セレモニー) を表す名詞なんですね。

たぶん、上級生と新入生が初めて対面する会かなにかのことなのでしょう。

形容詞と名詞では 「対面式」 のイントネーションが変わるのですが、

ちょっと文章では上手く表現することができません。

とにかく私は完全に勘違いしておりました。

どうも最近、日本語に弱くなってきているようだ。

つられて

2011-05-26 19:22:13 | 人間文化論
先日スーパーで買い物していたら、こんなポップを見かけました。




「へぇ、生きてるクラゲかあ、珍しいなあ」 と思って覗き込んでみたら、

ナマのキクラゲでした。

1人失笑。

「生」 という漢字のあとにひらがなの 「き」 が続いていたので、

ついつられて 「イキクラゲ」 と読んでしまったんですね。

だいたい野菜売り場なんだからこんな所でクラゲを売ってるわけないと気づこうよ。


Q.哲学と看護理論の関連性は?

2011-05-25 17:39:30 | 哲学・倫理学ファック
2年前の看護教員養成講座の生徒さんから質問を頂戴しました。
正確には以下のような質問でした。

「Q.看護理論の根本には哲学があると言われていますが
   本に出てくる内容を読んでも哲学と看護理論の関連性がよく解りません。
   先生はどのようにお考えですか?」

さて、どのようにお答えしたらいいでしょうか。
私の授業では一番最後に 「看護師は哲学者である」 というお話をさせていただいたのですが、
覚えていらっしゃいますでしょうか?
看護師は 「身体のケア」 と同時に 「魂のケア」 も行わなければならず、
また、現代ではデス・エデュケーションもしなければいけないという意味で、
「魂の教師」 でもなければならない、
「魂のケア」 を行う 「魂の教師」 とはまさに哲学者のことなのだから、
看護師は哲学者でなければならないのだ、という話でした。
まあ、これは私の勝手な三段論法ですが、
そういう意味で私的には、看護理論の根本には哲学があると確信しております。

また、哲学とは答えのでない問題を考え続けることである、という観点からしても、
看護理論の根本には哲学があると言えるのではないでしょうか。
看護学校で 「哲学」 の授業を終えると多くの学生さんが次のような感想を書いてくださいます。

「こんなに考えて受けた授業は初めてで、最初はめんどくさかったけど、
 今ではいろいろなことに対して、疑問を持ったり、よく考えることが楽しくなった。」

「私は哲学の授業があって良かったと思いました。
 哲学という授業がなかったら、『死』 に対して深く考えなかったし、
 看護師の仕事、必要性はなんだろうと思わなかったと思います。」

「哲学の授業を受けて、残りの人生は哲学者として生きようと思ったりしました。
 常に考えていることが大事だと思いました。」

ただし、私の看護学校での 「哲学」 の授業では生死や医療や病気等について考えてもらいますので、
まあ、そういう意味で私の 「哲学」 の授業を受ければ、
それらの看護に深く関わる問題について少しは考えるようになるのは当然かもしれません。
これは、私の 「哲学」 の授業にのみ当てはまる話であって、
一般に哲学が看護理論と関連があるということの説明にはなっていないかもしれません。

どんな本のなかで、「看護理論の根本には哲学がある」 と書いてあったのでしょうか。
どういう方がどういう文脈のなかでそう言っていたのかがわからないので、
ここからは想像になってしまうのですが、
おそらくその言葉は一般論として述べられたのではないかと思うのです。
一般論としてであれば、この手の話はよく耳にします。
つまり、「理論の根本には哲学がある」 という一般図式です。
これは、それぞれの個別分野の理論に関しても適用可能で、
「教育理論の根本には教育哲学がある」、「政治理論の根本には政治哲学がある」、
そして、「看護理論の根本には看護哲学がある」 ということになるわけです。
つまり、「看護理論の根本には哲学がある」 と言われていたときの 「哲学」 とは、
プラトンやカントやハイデガーたちが築き上げた一般的な意味での 「哲学」 ではなく、
「看護の哲学」 という意味での 「哲学」 だったのではないでしょうか。

哲学というのはラディカル (根本的) に考えることですから、
何を考える場合にも、物事の根っこの部分から問い直していきます。
一般的な哲学は、個別分野の問題ばかりを考えているわけではありませんが、
たまに教育や政治や看護などの特殊な問題について考えるときには、
やはり、それらに携わっている人たちがふだんは気にしておらず、
当たり前だと思っているような根本的な問題から考えていくわけです。
命があるのがよいことで死は悪いことなのか、
医療とはどういう営みなのか、
そもそも治癒とはどういうことか、病とは何か、等々。
医療に携わっている人が考えもしないようなことも哲学者は考えます。
そして、理論というのはそういう根本的なところから出発しないと、
構築することができないのです。
したがって、「看護理論の根本には (看護) 哲学がある」 ということになります。
その場合の 「哲学」 というのは哲学者が考える小難しい理論としての哲学ではなく、
看護理論の根本を支えている 「看護観」 や 「医療観」 のことを指しているのではないでしょうか。
そういうふうに理解すれば、「看護理論の根本には哲学がある」 という言葉の意味も、
なんとなく捉えやすくなってくるのではないでしょうか。
途中からは私の想像でのお答えになってしまいましたので、
まだこれでも腑に落ちないという場合はまた質問してください。

第1回 「てつがくカフェ@ふくしま」 終了!

2011-05-23 11:16:56 | 哲学・倫理学ファック


土曜日に第1回 「てつがくカフェ@ふくしま」 が開催され、

なんとか無事に (?) 終えることができました。

その記録は 「てつがくカフェ@ふくしま」 のブログのほうにアップしておきましたので、

ぜひご覧になってみてください。

初っぱなからたいへん難しいテーマを取り上げてしまいましたが、

参加者の皆さんから様々な御意見を聞かせていただき、

私としてはものすごくいい刺激をもらうことができました。

このテーマはもう少し時間が経って、頭の中が整理されてきた頃にまた取り上げてみたいと思います。

次回からしばらくは、もっと考えやすくみんなが話しやすいテーマにして、

哲学カフェの楽しさをわかってもらえるようにしたいと考えています。



当日は、予告どおり2次会を開催しました。

参加者の半数以上の10名が参加して、

ローゼンケラーで美味しいビールを頂戴しながら延長戦を楽しみました。

東京や仙台など遠方から参加されていた方々とはここでお別れし、

福島組はさらに Bistro Suzuki に流れて3次会に突入。

実はこちらのマスターも開店前の忙しい時間を割いて、

「てつがくカフェ」 に参加してくださっていたので、

素敵なオードブルや赤ワインを肴に、さらに議論は深められました。

今後とも 「てつがくカフェ@ふくしま」 を継続していき、

いろいろな方々の出会いと交流の場になれればと思いました。

皆さん本当にありがとうございました。

相馬看護学校 「哲学」 終了!

2011-05-20 17:09:54 | 哲学・倫理学ファック
早いもので、相馬の看護学校の非常勤科目 「哲学」 が本日をもって終了しました。
毎回2コマずつ、それを週2のペースで通いましたので、
受けてる皆さんもたいへんだったことと思いますが、
苦労した甲斐があって、4月18日から始めて約1ヶ月のあいだに、
30時間の授業を終えることができました。
お疲れさまでした。

今年はあの未曾有の大震災の直後だったということもあり、
また、個人的に御家族を亡くされた学生さんが複数いたということもあり、
死について考えるのは例年以上に辛かっただろうと思いますが、
みんな最後まで苛酷な課題についてきてくれて本当にありがとうございました。
授業全体を振り返っての感想では、次のような意見が多くの人から出されていました。

「哲学は難しく重いものという最初のイメージどおり、難しくて重い授業でした。
 ただ、考えて良かった重さであり、
 真剣に考えるから、自分とむき合うから難しいんだと思いました。
 最初は考えたくないときもあったし、わからないこともたくさんあったけど、
 回を重ねるごとに考えて良かったなって思えました。」

「授業を通して今まで 『考えることを避けて生きてきた物事』 を話したり、
 考えてきたなと思います。
 それは決して答えがでるわけではなく、今後も考え続ける課題であると思います。
 今後、生きていても答えがでるかわからないですが、
 看護師として働くことで考えを深めていきたいです。」

こんなふうに思ってもらえたというのは教師冥利に尽きます。
答えが出ない問題を考え続けていくことの意味を理解してもらえたとするならば、
この授業の目的は完全に達成されたことになります。
いくら教える側が明確な目的をもっていたとしても、
それを受け止めてくれる学生さんたちがいなければ、目的は達成されませんので、
いい受け手に出会えたことは、本当に有り難いことだったと思います。
どうもありがとうございました。

授業の中で最後に話すのを忘れてしまったことを2点付け加えておきます。
今日書いてもらった 「ワークシート7」 はできるだけ早く返却するつもりです。
遅くともレポートを執筆する頃までにはお返ししますので、
今日書いたワークシートを参照しながら、レポートを作成してください。
それから、第1回目に出してもらった 「哲学の先生に聞いてみたいこと」 に対して、
まだ全部お答えしきれておりません。
今後ゆるゆるとブログ上でお答えしていくつもりですので、
これからもたまにはこのブログを覗いてみてください。
時にはコメントとかも書いてもらえるとうれしいです。

それでは、まずは実習を楽しんできてください。
(患者さんに真剣に向き合うのはもちろんですが、そんなことは言うまでもありませんね。)
そして国家試験なんかも軽くやっつけちゃってください。
「我はわが力の限りわが任務の標準を高くせんことを努むべし。」
夢と理想をできる限り高いところにセッティングして、
誰にもマネできないようなものすごい看護師になってください。

いよいよ第1回 「てつがくカフェ@ふくしま」 開催!

2011-05-18 18:05:47 | 哲学・倫理学ファック
今週の土曜日に第1回の 「てつがくカフェ@ふくしま」 が開催されます。

テーマがちょっと堅いので二の足を踏んでいる方もいらっしゃるのかもしれませんが、

今のところ参加のご連絡をいただいた方が少なめです。

少ない人数でじっくり話し合えるのは、それはそれで主催者としては望むところなのですが、

困るのは、当日参加の方がどっといらしたりすると、

今回が初めてということもあり、事前の準備ということからしても、

スムースな運営ができなくなってしまう可能性もありえます。

もちろん、当日参加でもかまいませんが、

絶対に参加するぞとすでに固く心を決めていらっしゃる方は、

できればあらかじめ fukushimacafe@mail.goo.ne.jp までご連絡いただければと思います。

いよいよ3日後です。

今、福島でどんな出会いがあり、どんな対話を交わすことができるのか。

主催者一同、たいへん楽しみにしておりますっ



   第1回 「てつがくカフェ@ふくしま」

テーマ : 「いま、〈ふくしま〉 で哲学するとは?」

日 時 : 2011年5月21日(土) 15:00~17:00

場 所 : パセナカミッセ・地域交流スペース (福島市置賜町8-8)

参加費 : 珈琲代200円


線量計の支給

2011-05-17 20:05:51 | 生老病死の倫理学
授業再開にあたって学内の放射線量がどうなっているかチェックする必要がありますので、

線量計がたくさん欲しいと大学から政府に要求していたそうなのです。

すると、なんと1400個も線量計が届けられたそうです。

素晴らしい!

それだけあったら教職員に全員1台ずつ行き渡るのはもちろん、

学生たちにも何人かに1台の割合で持ってもらって、

みんなで常に計測しながら身の安全を守ることができるではありませんか。

日本政府太っ腹だあ。

さすがにやるときはやるなあ。



ただし現状ではちょっと問題があるそうです。

この支給された線量計、計測単位がミリシーベルトなんだそうです。

だから、今の段階ではいくら測ってもピクリともしないのです。

これって現状の福島第一原発では大活躍するかもしれないけれど、

避難区域やその他の原発の敷地内だってこれを活用することは難しいでしょう。

うーん謎だっ。

こういう線量計を1400個も送ってくれたというのはどういう意味なのでしょうか?

全部メルトダウンしていることだし、これから必要になるということなのでしょうか?

おおっコワッ

Q.哲学者は実験とかするんですか?

2011-05-16 18:58:32 | 哲学・倫理学ファック
今までのブログを読んでくれていれば、もうこの問いの答えは明らかだろうと思いますが、
念のためお答えしておくことにいたします。

A.哲学者は実験はしません。
  実験によって答えを出せるのであれば今ごろ実証科学になれていたはずです。

もとはといえば、哲学とはすべての学問のことであった、
そこから実証科学がどんどん独立していってしまい、
実証によって答えを出せない問題だけが、現代の哲学に残されたのだ、
という話をずっと書いてきました (「Q.どこからが哲学なんですか?その2」)。
したがって、哲学は基本的に実験はしません。
というより、できないのです。
実験では答えが出せないような問題ばかりを扱っているからです。

質問のなかには 「Q.心理学と哲学のちがいは何ですか?」 という問いもありました。
この問いを例に取りながらもう少し説明してみましょう。
心理学もずっと長い間、哲学のなかに含まれていました。
心理学は psychology (サイコロジー) と書きますが、
この言葉の元になったのは psyche (プシュケー) というギリシア語です。
この語はもともと 「息」 を意味していて、そこから 「生きること」、「いのち」 を意味するようになり、
さらには 「魂」 や 「心」 を意味するようになりました。
古代ギリシア時代の頃から人間は、息や生命や魂や心に関心をもっていましたから、
そういう psyche について考える psychology という学問が生まれたのです。
アリストテレスも 『気息論』 とか 『霊魂論』 と訳されるプシュケーについての本を書いています。
哲学の歴史のなかでずっとこのわけのわからないプシュケーについて考えられてきました。
カントも有名な 『純粋理性批判』 のなかで 「純粋心理学」 について論じています。
これは 「心理学」 と訳されていますが、私たちが現在想像するような心理学ではなく、
霊魂は死後も存続するのか否かといったことを考える学問でした。

その後約100年ほどして、19世紀の後半になってやっと、
死んだらどうなるかみたいな実証できないことで悩むのではなくて、
観察や実験によって実証的に心について研究していこうという試みが始まりました。
これが成功を収めて、心理学も実証科学となることができたのです。
実験心理学の祖と言われているヴィルヘルム・ヴントは大学では哲学の教授でした。
しかし、彼はそれまでのような自分の頭だけで考える哲学的な (形而上学的な) 心理学を批判し、
実験によって実証的に研究を進めていく心理学を推し進めようとしました。
彼は1879年にライプツィヒ大学に 「心理学実験室」 を公式に開設し、
このときが新しい意味での心理学の誕生した瞬間とされているそうです。

したがって心理学と哲学のちがいは何かというと、

A.心理学は心の問題を実験や観察によって究明していく実証科学です。
  哲学は心の問題も扱いますが、扱うのは心の問題だけではありません。
  また、心の問題を扱うとしても実験や観察によってではなく、
  ただ思考によって捉えようとする学問です。

ということになるかと思います。
実験によって究明するということは、逆にいうと実験できないことは扱わないということです。
どんなに心に密接に関係する問題であろうとも、実験によって実証できないのであれば、
実証心理学の対象とはならないのです。
実は、心の働きそのものを観察や実験で捉えるというのは意外とできません。
そこで現在の心理学は、心ではなく、行動のみを対象にしている場合が多いです。
人間が頭の中でなにを考えているか感じているかというのは捉えにくいので、
外から見てはっきり捉えられ記録できる人間の行動のみを扱っているのです。
私は現在の実験心理学のほとんどは 「心理学」 という名にふさわしくないのではないかと思っています。
「心理学」 と言われると人間の心の中がわかるようになるのではないかと勘違いして、
多くの若者が心理学にあこがれているように見受けられますが、
あれは誇大広告であって、本来は 「人間行動科学」 と名づけるべきなのではないかと思うのです。
心理学というのは人文系の学部のなかに置かれている場合が多いですが、
私に言わせればあれは自然科学にほかなりません。
正確に実験をして、データを取り、データ分析をして、言えることだけをきちんと言うという、
非常に理系的な学問ですので、
人間について興味があって人の心がわかるようになりたいなんて思っている、
ざっくりした文系人間には向いていませんので気をつけてください。
どんなに面白いテーマを抱えていても、心理学の先生に、
「それは実験によって証明できないから卒論テーマにはなりません」 と、
門前払いを食らわされることになるでしょう。
そういうときは哲学の先生の下で人間の心について自由に思考をめぐらせたほうがいいかもしれません。
実験もデータ分析もしなくて大丈夫ですよ。

水ナスのサラダ

2011-05-14 20:33:14 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
昨年 「ナスを生でいただく」 というブログを書きました。
東京の行きつけのレストラン 「スゲロ」 で 「生ハムと水ナスのサラダ」 を食べたら美味しかったので、
その後、自分で作ってみたくて、スーパーで探したけど水ナスは見当たらなかったという話です。
その記事に 「天ぷら ひら井」 の平井さんが、
「言ってくれればいつでも取り寄せますよ」 とコメントをくださいました。
ブログ上ではそこまででしたが、実はその後ある日、急に平井さんから電話がかかってきました。
市場に行ったら水ナスを見つけたけれど買ってきましょうか、という電話です。
わざわざ私のためにたいへんありがたかったのですが、
市場でってことは大量に仕入れなければいけないはずです。
1箱で20個以上ありますけどということでしたので、残念ながら断念しました。
平井さんもお店で使うというのであれば、そのうち1つ2つ頂けるとうれしいですが、
水ナスは天ぷらには適さないとのことで、
1人暮らしの私が2週間以上もえんえんと水ナスのサラダばかり食べ続けるわけにもいきません。
まあ平井さんも 「ネタとして電話してみただけです」 とのことでしたが…。
とっても愉快な方です。

そんなことがあってから1年近く経って、このあいだMAXで買い物していたら、
なんと見つけてしまったんです、水ナス。
1個ずつバラ売りしていました。



1個180円とちょっとお高めですが、これは買うしかないでしょう。
さっそく生でいただいてみました。
買い物のときに自分の去年のブログを確認したりはしなかったので、
「スゲロ」 では水ナスのほかに生ハムもルッコラも入っていたとは思わず、
ただ水ナスだけをオリーブオイルやバルサミコ酢などで和えればいいかと思って、
他のものは何も買ってきませんでした。
まあまずは水ナスを純粋にいただいてみるということで、よしとしましょう。
調理前にもブログを確認しなかったので、
皮をちょっと厚めにむかなきゃいけないということもすっかり忘れていましたが、
とりあえず皮は全部むかれていたということだけは覚えていました。
エクストラバージンオリーブオイルとバルサミコ酢と粉チーズ、塩、コショウで和えればいいということは、
覚えていたというより、まあだいたい想像がつきました。
切って和えるだけですから簡単にできました。
こんな感じです。



自分なりのアレンジで、オレガノ、バジル、レッドペッパー (粒ごと) をあしらってみました。
「スゲロ」 で食べたような本格的な味ではありませんが、
素人の料理としては十分ではないでしょうか。
生のナスの甘みと食感を1人で楽しみました。
せっかくならこの料理はお客さんがいるときに作りたかったですね。
でも水ナスはいつでも手に入るわけではありませんから、
なかなかパーティ料理として供することは難しそうです。
うーん、もったいない。

毛虫の横断

2011-05-13 20:17:31 | 生老病死の倫理学
今日は相馬の看護学校で、「理想の死に方」 について講義をし、
突然死ぬのと、あらかじめわかっていて死ぬのとどっちがいいか、
なんていうことを考えてもらったりしていました。

そしてその帰り。
「そば処 間乃次郎庵」 で月曜日の代金をお支払いした上で、
また 「とろろそば」 を食べ、帰途につきました。
朝方は空はぐずつき気味で、ちょっと気温も低く肌寒い感じがしていたのですが、
お昼には空も晴れ上がり、気温も10度くらい上がって25度。
ちょっと暑いくらいですが風もあるし、とてもいい天候になっていました。
そのなかを気分よく115号ドライブして帰っていったのですが、
うーん、そういう季節なのでしょうか、道路にやたらと毛虫が多いのです。

毛虫が115号線の舗装道路を横断しているのですよ。
その数が尋常じゃないんです。
たぶん福島に帰り着くまでに20匹くらいは見たんじゃないでしょうか。
5分に1匹なんてもんじゃないくらい大量に出会いました。
君たちは何がしたいのだ?
どこへ行きたいのだ?
道路のこっちからあっちへ渡ったからといって何が変わるというのだ?

毛虫はノロノロと横断していますが、
見かけたらいちおう轢いてしまわないようにと気をつけるじゃないですか。
わたし的には1匹も轢き殺さずにすんだと思っておりますが、
はたしてどうだったんでしょうか。
たまたま対向車が来ていたら大きくよけることはできませんし、
間一髪で轢かない程度と思ってハンドル操作はしていましたが、
タイヤがどこを通っているかなんて正確に把握しているわけじゃないですから、
実は間一髪で轢いてしまっていたかもしれません。
風が強かったので木の葉や枝がたくさん道路に落ちていましたから、
それらに紛れていた方を踏んづけていたかもしれませんし、
日なたから日陰に入る境目でよく見えなくて轢いてしまったということもありえます。

たとえ私が轢かなかったとしても後続車に轢かれてしまった方もいたでしょうから、
その無謀な横断によって命を落とした毛虫は、今日1日だけでも相当な数に上ったものと思われます。
もうちょっとで蝶になれたかもしれないのに、
なにが目的でわざわざ舗装道路に出てきていたんでしょうか?
天気がよかったからつられて出てきてしまったんですかねぇ。
彼らもきっと蝶になって人生を満喫してから死にたかったことでしょう。
鳥に食べられるならまだしも、クルマに轢かれちゃうなんて、
そんな不条理な死に方は想像していなかったんではないでしょうか?
まあ、彼らにとってみれば突然の死でしょうから恐怖はなかっただろうと思いますが…。
それとも、行き交うクルマにヒヤヒヤしながら死ぬ思いで横断していたんでしょうか?

「理想の死に方」 なんていう講義をしていても、
実は私自身がそんなに死を身近に感じていなかったのですが、
死はけっして私たちと無関係な遠くの出来事ではないし、
死が突然に訪れることもあるということを思い知らせてくれた115号ドライブでした。
ひょっとして私にそのことを気づかせるためにあなた方は決死の横断をしていたのですか?
万が一私に轢かれた方がいらしたとしたら、本当に申しわけありませんでした。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

ふくしまLOVEイベント

2011-05-12 07:20:18 | 飲んで幸せ・食べて幸せ

今度の日曜日、街なか広場とパセナカMisseでイベントが開催されるそうです。

名づけて 「LOVE! LIFE! LIVE! ふくしま」

「地元ふくしまを愛するミュージシャンと飲食店がタッグを組んだ、郷土愛あふれるイベント」 だそうです。

昨年、「街なかマルシェ」 というイベントが開催されたのに、私は参加できなくて残念でしたが、

今年はばっちり行けそうで、楽しみです。

私のブログに登場したことのある 「ひら井」、「とと炉」、「マジーノアール」、「味乃桃の井」 をはじめ、

福島中の名店が参加しています。

これでまた昼間っから飲んで食って音楽を楽しんで、福島復興に貢献できるぞっ!

幸せだぁ



  LOVE! LIFE! LIVE! ふくしま


【開催日時】 2011年5月15日 (日) ※雨天決行


【第1会場】 街なか広場    11:00~16:00 (ライブ&屋台)


【第2会場】 パセナカMisse  11:00~19:00 (アコースティックライブ)


【問合わせ】 がんばろう!福島 LIVE 実行委員会 ( 024-597-7381)