本日、白河から一週遅れで郡山の看護学校も講義終了いたしました。
これで今年度の非常勤の授業はすべて終了です (採点はすべて残ってるけど…)。
お祝いに郡山駅ビル内の 「サイゼリア」 でプチ打ち上げしてきました
さて、講義は終わりましたが最初に申し上げたように皆さんの倫理学はこれで終わりではありません。
これからも正解のない問いをずっと考え続けていってください。
皆さんに最初にいただいた質問にもまだ全部答え終わっていません。
答えやすい問いにはあらかたお答えしてしまいましたので、
ちょっと答えにくい質問ばかり残っていますからこれまでのようなペースで書くわけにはいきませんが、
今後も急に思い出したようにブログに書くかもしれませんので、
たまにはこのブログにもお立ち寄りください。
今日の問いもいろいろと答え方がありそうなので、
どう答えようかなあと悩んで後回しにしていたものです。
で、いろいろ考えた結果やっとひとつの答えに落ち着いたので、それをお答えしておくことにします。
ただ最終的にたどりついた答えは、実はすでにこのブログに書いたことのある答えでした。
そんなことならとっとと例の 「倫理学FAQインデックス」 に載っけて、
「ブログ参照」 としておけばよかったようなものですが、
この答えに落ち着くまでに時間がかかってしまったので申しわけありませんでした。
その答えはこれです。
A.私は最終的にはタッチャブルな学者になりたいです。
「タッチャブル」 という言葉は今年皆さんからいただいた、
「Q.自分が人に与えている印象はどんな感じだと思いますか?」 という質問に答えたときに、
すでに使ったことがありますし、
3年近く前にそのまんま 「タッチャブルな人間」 という記事を書いたこともあります。
それらのなかではこんなふうに 「タッチャブル」 を説明しておきました。
「アンタッチャブルが 『近づき難い』 という意味だとすると、
タッチャブルはその正反対で、『近づきやすい』、『手が届きやすい』 という意味になります。」
「学者然、教授然とした手の届かない存在ではなく、
気軽に話しかけられて、何でも聞くことができ、何でも相談できるような、
そんな教員でありたいと思っています。」
これらの記事を書いたとき、どちらかというと学者としてというより教員として、
タッチャブルな教員でありたい、という自分の願望を書いていました。
なので、今回の質問のように 「どんな学者になりたいか」 と聞かれたときに、
「タッチャブル」 という言葉もうっすらと頭のなかに思い浮かびながらも、
学者 (研究者) としても本当にそうありたいのか、
学者としては別の理想像があるのではないか、という迷いがあってずっと逡巡しておりました。
やはり第一線の学者・研究者としては、これまでの長い哲学・倫理学の蓄積の上に立って、
一般の人では及びもつかないような学問の高みを目指したい、
その意味で 「アンタッチャブルな学者」 でありたいという願望もないわけではないのです。
そういう思いもなきにしもあらずだったのでずっと悩んでいたのですが、
今回の質問には 「最終的に」 という限定が付いていましたので、
最終的に目指すところとしてはやはり 「タッチャブルな学者」 というところに落ち着きました。
どれだけ最先端の高度な学問研究を打ち立てることができたとしても、
(それ自体可能かどうかはなはだ疑問ですが…)
私の目標はそれでおしまいではなくて、それを現実社会に活かす道をも提示し、
一般の皆さんにわかりやすく伝え、共有していくところまで追求していきたいと思います。
ジョン・レノンの 「イマジン」 から出発した私としてはやはりそこを目指したいと思うのです。
「てつがくカフェ@ふくしま」 の活動に取り組んでいるのもたぶんその一環なんだろうと思います。
「タッチャブルな教員」 というのはすでにある程度実現できている気がするのですが、
その上さらに、最終的に 「タッチャブルな学者」 にもなれるのか?
まさおさまの今後の健闘にご注目ください。
7回の講義にお付き合いくださいましてどうもありがとうございました。
お互いに自分の理想を実現できるよう頑張りましょう
これで今年度の非常勤の授業はすべて終了です (採点はすべて残ってるけど…)。
お祝いに郡山駅ビル内の 「サイゼリア」 でプチ打ち上げしてきました
さて、講義は終わりましたが最初に申し上げたように皆さんの倫理学はこれで終わりではありません。
これからも正解のない問いをずっと考え続けていってください。
皆さんに最初にいただいた質問にもまだ全部答え終わっていません。
答えやすい問いにはあらかたお答えしてしまいましたので、
ちょっと答えにくい質問ばかり残っていますからこれまでのようなペースで書くわけにはいきませんが、
今後も急に思い出したようにブログに書くかもしれませんので、
たまにはこのブログにもお立ち寄りください。
今日の問いもいろいろと答え方がありそうなので、
どう答えようかなあと悩んで後回しにしていたものです。
で、いろいろ考えた結果やっとひとつの答えに落ち着いたので、それをお答えしておくことにします。
ただ最終的にたどりついた答えは、実はすでにこのブログに書いたことのある答えでした。
そんなことならとっとと例の 「倫理学FAQインデックス」 に載っけて、
「ブログ参照」 としておけばよかったようなものですが、
この答えに落ち着くまでに時間がかかってしまったので申しわけありませんでした。
その答えはこれです。
A.私は最終的にはタッチャブルな学者になりたいです。
「タッチャブル」 という言葉は今年皆さんからいただいた、
「Q.自分が人に与えている印象はどんな感じだと思いますか?」 という質問に答えたときに、
すでに使ったことがありますし、
3年近く前にそのまんま 「タッチャブルな人間」 という記事を書いたこともあります。
それらのなかではこんなふうに 「タッチャブル」 を説明しておきました。
「アンタッチャブルが 『近づき難い』 という意味だとすると、
タッチャブルはその正反対で、『近づきやすい』、『手が届きやすい』 という意味になります。」
「学者然、教授然とした手の届かない存在ではなく、
気軽に話しかけられて、何でも聞くことができ、何でも相談できるような、
そんな教員でありたいと思っています。」
これらの記事を書いたとき、どちらかというと学者としてというより教員として、
タッチャブルな教員でありたい、という自分の願望を書いていました。
なので、今回の質問のように 「どんな学者になりたいか」 と聞かれたときに、
「タッチャブル」 という言葉もうっすらと頭のなかに思い浮かびながらも、
学者 (研究者) としても本当にそうありたいのか、
学者としては別の理想像があるのではないか、という迷いがあってずっと逡巡しておりました。
やはり第一線の学者・研究者としては、これまでの長い哲学・倫理学の蓄積の上に立って、
一般の人では及びもつかないような学問の高みを目指したい、
その意味で 「アンタッチャブルな学者」 でありたいという願望もないわけではないのです。
そういう思いもなきにしもあらずだったのでずっと悩んでいたのですが、
今回の質問には 「最終的に」 という限定が付いていましたので、
最終的に目指すところとしてはやはり 「タッチャブルな学者」 というところに落ち着きました。
どれだけ最先端の高度な学問研究を打ち立てることができたとしても、
(それ自体可能かどうかはなはだ疑問ですが…)
私の目標はそれでおしまいではなくて、それを現実社会に活かす道をも提示し、
一般の皆さんにわかりやすく伝え、共有していくところまで追求していきたいと思います。
ジョン・レノンの 「イマジン」 から出発した私としてはやはりそこを目指したいと思うのです。
「てつがくカフェ@ふくしま」 の活動に取り組んでいるのもたぶんその一環なんだろうと思います。
「タッチャブルな教員」 というのはすでにある程度実現できている気がするのですが、
その上さらに、最終的に 「タッチャブルな学者」 にもなれるのか?
まさおさまの今後の健闘にご注目ください。
7回の講義にお付き合いくださいましてどうもありがとうございました。
お互いに自分の理想を実現できるよう頑張りましょう