まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q-2.先生はどんな盲点の窓を指摘されたことがありますか?

2015-04-30 00:31:55 | 幸せの倫理学
先日の修正質問の後半部分です。
私が指摘された盲点の窓は何かというご質問でした。
長く生きているといろいろあるのですが、とりあえずパッと思いついたものだけ。
いいものと悪いものを1つずつ披露しましょう。
まずいいほうです。

これはうちの学生たちや、特にゼミ生には全員に勧めているのですが、
「ストレングス・ファインダー」 というものがあります。
皆さんも就活前にはぜひやってみることをオススメします。
『さあ、才能 (じぶん) に目覚めよう』 という本を買うと、ウェブサイトへのアクセスI Dが付いてきて、
ウェブ上でたくさんの質問に答えていくことによって自分の強みの上位5つを診断してもらえるのです。
まずは本を読み、34個ある強みのなかで自分の上位5つはどれかを予想してみてください。
うちの学生たちにもそういうふうにさせています。
そのあとでウェブ診断をしてみると、もちろん自分の予想通りのものもあるのですが、
まったく自分が予想していなかったものが上位5つのなかに入っているのです。
今までいろいろな学生にやってもらいましたが、予想通りだった人は1人もいません。
必ず予想外のものがランクインしてきます。
というのも、自分の強みというのは自分にとってはできて当たり前の力ですから、
ふだん自分ではとりたてて強みだとは意識できずにいるのです。
そんなのは誰でもできることだろうと勝手に思い込んでいて、
特に有り難いものとも思っていないのですが、
他の人から見るとそれはまさにあなたにしかできない強みなんですよ、ということがありうるのです。
まさに 「盲点の窓」 ですね。

私の場合は 「着想」 というのが第1位の強みで、それはまったく予想していなかったものでした。
着想、つまり、新しいアイディアを思いつく力ということですね。
これは本当に盲点の窓でした。
本を読んで 「着想」 のところを読んでいてもまったく自分のことと思っていなかったのです。
しかし、それをストレングス・ファインダーによって指摘されてみて、
それを意識して自分のことを振り返ってみると、
まさに自分は着想の人間であったということに気づくことができました。
このことに気づいてからは今まで以上に生きるのがラクになりました。
というわけで、まずはこういうふうにまとめておきましょう。

A-2-1.私のいいほうの盲点の窓は、着想が得意であるということです。

次に悪いほうの盲点の窓です。
これもいろいろあるのですが、たまたま13期生のある方からこんな質問をもらっていました。

Q-3.多動症ですか?

この質問、すごいですよね。
多動症だと思ったからこその質問であって、そう思わなかったらこんな質問思いつきませんよね。
こんな質問は初めていただきました。
これってなんとお答えしましょうか。
質問者の方がどんな意味合いでこの質問をしてくれたかにもよりますね。
とりあえず、マジレスしておきましょう。

A-3.ちゃんと診察を受けたことはありませんが、発達障害、行動障害のひとつとされる、
    いわゆるADHD (注意欠陥・多動性障害) ではないんじゃないかと思います。

そういう病的な意味での多動症ということであれば、たぶん違うんじゃないかなと思います。
ただ質問者の方は注意欠陥のほうには触れずに、多動症のことだけを尋ねていました。
それでいうと実は思い当たる節があります。
相馬の看護学校ではありませんが、白河の看護学校でこんな質問をいただいたことがあります。

Q.授業中よく歩いているけど、歩くの好きなんですか?

今回の質問者もこれと同じような意味で 「多動症ですか?」 と尋ねられたのかもしれません。
その質問に対する答えのなかにも書いたことがあるのですが、
私は大学院時代、中萬学院という神奈川県の学習塾で働いていました。
その研修のときに、私の模擬授業を参観した先生から、
「教壇でふらふら動き回りすぎ。こっちが気が散ってしかたない。ビシッと一箇所に立ってろ」
と注意されたことがあるのです。
私としてはまったく自分がふらふら動き回っているという自覚がなかったので、
これはまさに盲点の窓でした。
そういう意味ではたぶん私は多動症なんでしょう。
イスに座っているときはじっとしていることができるんですが、
立っているときはじっと静止していることができず、何かしら動き回ってしまっているようです。
これは見ているほうからしたらものすごく鬱陶しいんでしょうね。
というわけで、悪いほうの盲点の窓はこうなります。

A-2-2.私の悪いほうの盲点の窓は、授業中にじっと静止していられないということです。

そういえばこの質問者の方の前半の質問はこうでした。
「Q.他人から (ネガティブな) 盲点の窓を指摘されたら、それをどうとらえますか?」
この問いにはすでに一般論としてはお答えしたわけですが、
A-2-2の盲点の窓に関してどうしたかお答えしておきましょう。
まずは冷静に自分の行動を振り返ってみました。
するとたしかに自分は教壇でふらふらしているということがわかりました。
これは受講生からすると気になるだろうなあとも思いましたので、改善する努力をしました。
授業中は動くな、動くなと自分に言い聞かせ、できるかぎりじっとしているようにしました。
しかしながら、これはしばらく注意していれば直る類いのものではありませんでした。
ちょっと気を抜くとやっぱりまたふらふら動き回っているのです。
最初に指摘されてから30年、塾から大学や看護学校へと活動の場を変えたにも関わらず、
あいかわらず 「歩くのが好きか」 とか 「多動症か」 と言われているわけです。
事ここに至るともはや改善の努力によって何とかなるような問題ではないのでしょう。
というわけで今は、授業中にふらふら動き回るのは私の個性なのだ、と受け入れるようにしています。
受講生に迷惑をかけるので申しわけないという気持ちはありますが、
直そうとしたけど直らなかったんだもんしかたないじゃん、と開き直っています。

今どきの大学や専門学校の授業でこんなに板書を多用するのは珍しいだろうと思いますが、
それも実はこの盲点の窓と少し関係があります。
パワーポイントとかを見せる授業だとよけいにじっとしていなくてはなりませんが、
板書形式なら板書のためにあちこち動き回るのは許されます。
また、みんなにワークシートを書かせているあいだに、
私が机間巡視するフリをしながら教室中をふらふらしていてもそれはそんなに怒られないでしょう。
こんなふうに現在の授業スタイルは自分の弱点を理解した上で、
ふらふら動き回るのを正当化できるように作り上げてきたものなのです。
ネガティブな自分も受け入れ、それを他人にも許容してもらえるように何とか工夫する、
それが私の自分の盲点の窓への対処法です。
いかがでしょう、参考になりましたでしょうか。

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