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まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

遅刻したために割愛せざるをえなかった話

2018-06-14 12:48:43 | 幸せの倫理学
一昨日の 「倫理学概説」 では幸福の話に入っていったわけですが、

私がやらかしてしまった自然休講ぎりぎりの30分近い遅刻のために、

いろいろと端折って話をしなければなりませんでした。

特に、カントの幸福の定義を紹介し、

(「幸福とは、自らの欲求・欲望が満たされて、自分の状態に満足していることである」)

私はこの定義を知った学生時代に、この定義から自動的に導き出される、

幸福になる方法も同時にわかってしまい、それ以来ずっと幸せだと話したわけですが、

時間がなくて肝心のその幸福になる方法について話すことができませんでした。

ワークシートではやはり、話してくれなかった話を聞きたいという声が数多く聞かれました。

そりゃそうですよね。

というわけで、このブログ上に記しておきたいと思います。

といっても実はもう何回かに分けて書いたことがありますので、

以下に、リンクを張り付けておきますので、そちらをご参照ください。

  「幸福になる方法 (その1)」



  「幸福になる方法 (その2)」



いかがだったでしょうか。

簡単と言えば簡単でしょう?

学生の皆さんのなかにも惜しいところまで考えられた人、

ばっちり正解の人も何人かいました。

惜しかったのはこちら。

「社会学で 『現代の人間の欲望は無限化している』 とあった。
 カントの幸福の定義だと、現代人は皆不幸になってしまうなと思った。」

まさにその通り。

私の授業のなかでも自由の話をしたときに、

人間の欲望は他の動物と違ってどんどん肥大化していく、と説明しました。

「(その1)」 のなかで書いたとおり、そのままだとみんな幸せになれません。

そこでその先の消極的な努力が必要になってくるのです。

その先まで考えてくれたのはこちらのお2人。

「『自らの欲求・欲望が満たされていること』 が幸福の条件ならば、
 欲の深い人ほど幸福には程遠いと思いました。
 欲望・欲求を抑えることで幸福のハードルが下がり、
 より幸福を感じられるというのは興味深い。」

「私は自らの欲求・欲望を自分でしっかり認識して
 それを叶えられれば幸せと感じると考えました。
 また、あまり良くはないかもしれないけれど、
 自分で満たすことができるようなハードルに欲求を下げ、
 実行すれば幸福だと思えるのではないかと考えました。」

2人とも私が大学時代に到達したのと同じ真理に到達してくれています。

カントの幸福の定義からするならば、幸福になる方法はこれしかないと言えるでしょう。

ただし最後の方はその方法に関して、

「あまり良くはないかもしれないけれど」 とコメントしてくれています。

そうなんです。

欲求・欲望を抑える、ハードルを下げるというのは、

体育会系の競争性の強い人にとっては敗北主義のように映るらしく、

これまで 「もっともっと、がんばれがんばれ」 と

尻を叩かれて育ってきた若い人たちには評判が悪いんです。

こういう具体例を書いてくれた人もいました。

「妥協した目標では達成しても不満が残る。
 高い理想に向かって前進している、
 と実感している間が一番幸せといえるのだろうか」

この方も妥協した目標には納得いかず満足できないようです。

ただこの方は高い理想を実現・達成できたときのみ幸せになれるというのではなく、

それに向かって前進しているときが幸せなのではないかと言ってくれています。

まさにその通りで、これもまた欲求・欲望を抑えることの一例となっています。

目標自体は下げないまま、

その高い目標を達成できた場合にのみ満足するのではなく、

そのプロセスに満足するという戦略です。

これはこれでハードルを下げているというのがわかるでしょうか。

あと、私の場合は、目標は下げるんだけど、

あまり下がったように感じない下げ方というのも編み出しました。

それについてはこちら↓をご覧ください。

  「Q.先生の好きな言葉は?」

というわけで、幸せになりたいのならば、

自らの欲求・欲望がむやみやたらと肥大化しないようコントロールし、

自分の状態に満足していつでも幸福を感じられるよう、

幸せの感受性を高める練習を日々の生活のなかで積んでみてください。

以上が、授業時間中に幸せな午睡をむさぼっていた不届きな教員による幸福論でした。

ご静聴ありがとうございました。

Q .一番大切にしている物は何ですか?

2018-04-28 00:27:31 | 幸せの倫理学
これまでにお答えしたことがあるんじゃないかなと思って、

自分のブログのなかをあちこち探し回ってみましたが、

意外とこういう形では聞かれたことがなかったんですね。

「大切なこと」 というのであれば、先日の質問もその手の質問だったわけですが、

「大切な物」 についてはほとんど書いたことがないようです。

これがせめて 「物」 という漢字ではなく 「もの」 とひらがなで書いてあれば、

今ならば文句なく 「子ども」 と答えられるわけですが、

子どもがいくら大事でも、「大切な 【物】」 とは言えませんからね。

それじゃあ私の大切な物は何なんでしょう?

うーん、あまり思い浮かばないなあ。

どうも物に執着するタイプじゃないみたいですね。

代表質問のときにお答えしたように、クルマも自分で買わない主義で、

何でもいいから人からもらえればいいと思っているくらいですから。

うーん、何だろう?

食器とかグラスとか、そこそこ好きかもしれないなあ。

でもそういう割れ物って割れて当然だと思ってるから、

雑に扱ったりはしてないけど、そこまで大切にしてないしなあ。

「身代わり理論」 を信奉していますしね。

あと、本は大事かな。

ショーバイ道具ですし。

カント全集とかホント大切だなあ。



ただ、ぼくの場合、本に書いてある内容が大事なのであって、

本そのものへのフェティシズム的な愛着はありません。

初版本を集めたりとか、直筆原稿に憧れたりというような執着はないんです。

だから本そのものはそんなに大切にしてないかもしれません。

ガンガン書き込みとかしちゃうし、汚れたら買い換えればいいと思ってますし。

そういう意味では、本は大切な 「物」 ではないかな。

うーん、じゃあ何だろう?

ショーバイ道具といえば、パソコンは大切かもしれないなあ。

うん、そうだ、パソコンだ。

でもこれもパソコンそのものが大事なわけではありません。

パソコンに記憶されているこれまで書きためてきた文書のデータが大切なのです。

うん、それは大切だっ。

パソコンというよりもハードディスク?

いや、これもやはり物としてのハードディスクが大切なわけじゃなくて、

ハードディスクのなかのファイルが大切なんだな。

データとかファイルというのは 「物」 と言っていいんでしょうか?

情報は物?

その情報は電気信号という形でハードディスクのなかに実在していて、

その電気信号が大切なんだから、

データやファイルは大切な 「物」 と言っていいんじゃないかな?

ちょっと哲学的な問いに迷い込んでしまいそうですが、

そこまで突き詰めて考えるのはやめて、

今日のところは以下のようにお答えしておきましょう。


A.私の大切な物は、これまで自分が書きためてきた文書ファイルです。

  すでに出版・公刊されているものはまあいいですが (それも意外と大事)、

  まだ世に出せずに書き散らしてためてきている文書ファイルが失われたら、

  家族や恋人を失った人間のように私はオイオイと泣き続けるでしょう。

Q.長所と短所は何ですか?

2017-04-19 23:16:42 | 幸せの倫理学
今日は再び相馬の看護学校でいただいた質問です。

私の長所と短所について聞いてくださいました。

これに関して説明する前にまず、長所と短所は同じものだ、

ということを理解しておいてもらいたいと思います。

これは福島大学の1年生必修の 「キャリア形成論」 のなかで毎年話していることです。

こちらの記事のなかに書いておきましたので、ぜひ読んでみてください。

  「300人自己分析 ・ 90分一本勝負」

要するに、長所と短所というのは、あるひとりの人間の同じ特徴を、

ポジティブに表現するかネガティブに表現するかだけの違いなのです。

そのことを踏まえて私の長所と短所を考えていくことにしましょう。

といってもこれもすでに書いたことがありますので、既存の記事を読んでいただければと思います。

まずは外見的な短所と長所についてです。

  「頭がデカイ」

タイトル通り、私の頭はデカイという話ですが、お読みいただければおわかりのように、

頭がデカイということは若い頃は単純に短所だと思っていましたが、

歳をとるにつれて同時に長所でもあるということに気づいてきました。

頭がデカイということですら長所になりえるわけですね。

同じく外見的な問題としてこんな短所、長所もあります。

  「Q.自分が人に与えている印象はどんな感じだと思いますか?」

初対面の人に 「怖そう」、「冷たそう」、「近寄りがたそう」 と思われるという話です。

これもフツーに考えたら (ヤクザや警官でないかぎり) 短所と思われがちですが、

後述するように、実際にはそういう人間でないのだとしたら、

最初から 「やさしそう」、「近寄りやすそう」 と思われるよりは、

第一印象とよく知ってみての実際との間にギャップがあるということは長所だと言えるでしょう。

そして、今の点と関わって、内面というか対人的な特徴としては、以下の記事をご覧ください。

  「これでいいのだ」

私はまわりの方々にとって 「タッチャブルな人間」 でありたいと願い、

実際にそういう人間でありえているというのは、自分としては長所であると思っています。

ただ、気軽に話しかけられて、近寄りやすい人間は、

尊敬の対象とはなりにくいわけで、人から軽んじられてしまいがちなのは否めず、

それは短所であるのかもしれません。

短所は長所であり、長所は短所であるわけです。

けっきょくすべてはものの見方次第ですので、

ネガティブにものを見る人にとってはすべては短所であり、

ポジティブにものを捉える人にとってはすべては長所であるということになります。

私は後者の人間ですので今回の質問には次のようにお答えしておきましょう。


A.私の長所はたくさんありますが、一例を挙げるとするならば、

  外見的には頭が大きいので人に覚えてもらいやすく、

  初対面では冷たそうな近寄りがたそうな印象を与えるので人から距離を取られるのですが、

  実際に付き合ってみるととてもフレンドリーな、タッチャブルな人間であり、

  初対面の時とのギャップもあってみんなの記憶に残りやすいというところが私の長所です。

  短所はありません。

Q.人生の中で最もつまらなかったことは何ですか?

2017-04-13 17:55:42 | 幸せの倫理学
引き続き昨日と同じ方の質問に答えてしまいましょう。

「Q.人生の中で最もつまらなかったことは何ですか?」

こんな質問、今までもらったことなかったですねぇ。
ある意味、斬新です。
こういう角度から自分の人生を捉えたことがなかったですから。
ただ難しいですねぇ。
質問をいただいて一生懸命考えてみているわけですが、
人生の中で最もつまらなかったことって全然思い浮かんでこないんです。

以前に 「Q.人生で一番の失敗はなんですか?」 という質問はもらったことがあります。
これに対しては最終的には、
「A.人生に失敗はない、すべてはよい経験である」 とお答えしたわけですが、
とはいえ、そのブログではある大きな失敗談を披露いたしました。
他にもそんな質問をもらったことはないのでブログに書いたことはありませんが、
人生で最も悲しかったことは? とか、最も苦しかったことは?、最も辛かったことは?
といった質問であるならば、何かしら答えが思い浮かぶだろうと思うのです。
だけど最もつまらなかったことって本当に何も思い浮かんでこないのです。

これが 「つまらなかったこと」 ではなくて、「つまらなかった本」 とか、
「つまらなかった映画」、「つまらなかった授業」 とかならどうでしょう?
これも難しいでしょうねぇ。
今現在進行形で読んでいる本とか見ている映画、受講中の授業とかであれば、
ああこの本 (映画、授業…) はつまんないなあ、と思うことはあるでしょうけれど、
例えば、小学校時代に読んだ本でつまらなかったのは何ですか?とか、
中学校でつまらなかったのは何の授業でしたか?とか聞かれたときに、
何かさっと思い出せるでしょうか?
たぶん思い出せないと思うんですよ。
なぜ思い出せないかというと、それはつまらなかったからです。
おもしろかったものなら思い出せますね。
それだけ記憶に残っているからです。
だけどつまらなかったものは、インパクトがないから記憶に残らないのです。

で、今回の質問に戻ってみると、
聞かれているのは 「人生の中で最もつまらなかったこと」 ですからね。
「最もつまらない」 ってことは最も記憶に残らないってことじゃないですか。
それは当然、思い出せっこありませんよね。
と思うのは私だけでしょうか。
質問者の方はずいぶん 「つまらないこと」 に人生のスポットを当てているようですから、
いろいろと 「つまらなかったこと」 を覚えていらっしゃるんでしょうか?
残念ながら私はそういうタイプの人間ではないので、
今回の質問に対しては以下のようにお答えさせていただきます。

A.人生の中で最もつまらなかったことはたぶん何かあったんだろうと思いますが、
  最もつまらなかっただけに最も記憶に残りにくいので、
  それが何だったのかを思い出すことができません。

というわけで今回も質問に対して真正面からお答えすることができず申しわけありません。
哲学をやっているとつい問いを問い直してしまいますので、
こんな感じの、問いからちょっとずらした回答が多くなってしまいます。
こういう答え方も含めて哲学なんだとご理解いただければと思います。

我が家にもクリスマス・シーズン到来!

2016-11-26 19:19:52 | 幸せの倫理学
本当のこと言うとまだ全然今年やるべきことが片付いたわけではないのですが、

やはり日本カント協会の学会を福島大学で開催するという一大イベントが終了して、

気分的にだいぶ楽になったのは間違いありません。

本来なら今日も休日出勤していろいろ残務処理をするべきだったのかもしれませんが、

このところずっと大学に泊まったりなどして自宅をほったらかしだったため、

家のなかが荒れ放題荒れていたので、今日は1日掃除や洗濯や洗い物などをしていました。

そして、家のなかが少し片付いてくると気分も明るくなって、

そうだ、もうクリスマス・シーズンだということも思い出すことができ、

一気にクリスマス・デコレーションもやっつけてしまいました。

階段箪笥のほうは例年と変わり映えしませんが、

というか、飾り付けが終わってこのブログを書こうと去年の写真と比べてみたら、

どの段に何を置くかというのもまったく同じだったので唖然としました。



自分、どんだけコンサバティブなんだろう

まあ、若干アイテムが増えているのでそれでよしとしましょう。

アイテムが増えているといえば、ソファのほうにこんなアイテムを増やしました。



ピンクパンサー好きの人、見るとこはピンクパンサーではありませんよ。

その両脇のクッションを見てあげてください。



うーん、クリスマス気分満点です。

ここに引っ越してきて以来10年、

クッションカバーを替えたことなんて一度もありませんでした。

特にこんなふうに季節限定のクッションカバーに替えてみようなんて思ったことありませんでした。

だって自分、コンサバティブなので…。

だけどこういう気分転換っていいものですよね。

というわけで今日はもう掃除してる最中からずっとクリスマスソングが流れています。

May Your Days Be Merry And Bright, And May All Your Christmases Be White

号泣 『ハリー・ポッターと呪いの子』

2016-11-24 18:41:31 | 幸せの倫理学
昨日あたりから関連映画が上映開始になることは知っていたものの、

小説の新作が出るなんていう話はまったく微塵も知らないまま、

このあいだたまたま本屋で見つけて即買いした 『ハリー・ポッターと呪いの子』

一気に読破してしまいましたっ!



「8番目の物語。19年後。」 だそうです。

ハリー・ポッター・シリーズはあの7部作で完全に完結したと思っておりましたので、

これっぽっちも続編を期待していませんでしたが、出たとなったら心踊らざるをえません。

何の事前情報もないまま本を開いてみたら、こんなことになっていて驚かされました。



書き出しが 「第一幕 第1場 キングズ・クロス駅」 なんです。

そして、ト書きとセリフで埋められた紙面。

あれっ、何だろうこれ? と思ってもう一度表紙を見てみます。



たしかに買うときに表紙に 「第一部・第二部」 と記されていたのには気づいていて、

どういう意味だろうなとは思っていましたが、改めてよく見てみると、

一番上には 「スペシャル リハーサル エディション スクリプト」 と書いてあります。

本書の最後に記されていた説明によると、今年の7月にロンドンで舞台劇が公開されたらしく、

これはその脚本を翻訳したものだったのです。

読み始めのうちはちょっと戸惑いましたが、すぐに物語に引き込まれ、

小説ではなく脚本であることなどすっかり忘れて、一喜一憂しながら読み進めることができました。

本書の主人公はハリー・ポッターの次男、アルバス・セブルス・ポッターです。

ちょうどシリーズ最終作 『ハリー・ポッターと死の秘宝』 の最終場面のところからスタートします。

が、ホグワーツに向かう特急のなかでアルバスは誰と友だちになるのか、

ホグワーツに着いて組分け帽子によってどこの寮に配属させられるのか、

それらに関する読者の期待がすぐに裏切られてしまうので、最初から波瀾万丈の展開となりました。

物語のなかでは過去に戻ることのできる 「逆転時計 (タイムターナー)」 が重要な役割を果たします。

私は7部作のなかで第3作 『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』 が一番好きでしたが、

あのときに大活躍したのが逆転時計でした。

今回はあの第3作よりもさらに逆転時計の比重が大きくなっています。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』 において描かれていたタイムトラベル・クライシスが、

ものすごい規模で発生しまくっていて、若干首尾一貫性が怪しくなっているところもありますが、

それはそれでとにかくハラハラドキドキしながらラストまで一気に読まされてしまいました。

実は昨日、8月末に公開されていた福大研究振興課の Facebook ページをご紹介しましたが、

あれを今ごろ紹介したのは、あのインタビューの最後でこんなことを述べていたからでした。

「Q.最後に、先生のおすすめの本など、お気に入りのものを教えてください。
 A.倫理学に関わる本と、それとは関係なく僕の好きな本をご紹介させていただきます。
〇2冊目:ハリー・ポッター・シリーズ(J.K.ローリング 著) ミステリーは好きでよく読むのですが、僕はハリー・ポッター・シリーズを、ファンタジーではなく、ミステリー小説だと捉えています。各巻それぞれ最後に意外な犯人が明らかになり、そしてシリーズ全体としては、スネイプを巡るミステリーになっています。ハリー・ポッター・シリーズを読んだことのない人はもちろん、読んだことがある人も、そういう視点で読み直してみると、これまでと違った感想が出てくると思うのでおすすめしたいです。」

そこで述べたことは今作にもそのまま当てはまります。

本作も今まで同様のミステリーとなっていました。

さすがにもう慣れてきていますので割と早い段階で誰が犯人かは予想がつきましたが、

だからといって興ざめするということはありませんでした。

それよりも何よりも、逆転時計のおかげで本作にもあのセブルス・スネイプが登場してくれるのです。

しかもたんにスネイプがまだ生きていた頃に戻るというような単純な話ではなく、

あっと驚くような登場の仕方でした。

その場面は再び、涙なしには読めない名シーンとなっております。

もう号泣ですよ、号泣

というわけで、ファン必読!

ファンではなくともシリーズ全作品すべて読むか見たかしたという人にもオススメです。

シリーズ7部作を読んでもいないし見てもいないという人にはさすがにこれはムリでしょうが、

でもこれを機会に最初から全部制覇した上で、『呪いの子』 に挑戦するというのはありだと思います。

ああ、誰かこれ読んだ人と熱く語り合いたいなあ。

今はネタバレしない程度にギリギリの感じで書いていますが、全部ぶっちゃけて語り合いたいです。

誰かもう読んだ人、ぜひ手を取り合い涙を流し合って語り合いましょう!

ゴドリックの谷で待つ!

Q.考え方に人それぞれ癖というのはあるんですか?

2016-10-05 23:12:54 | 幸せの倫理学
しばらくサボってましたが、引き続き看護学校の学生さんからいただいた質問に答えていきましょう。
今回の質問は正確には次のように2問から成っていました。

「Q-1.考え方に人それぞれ癖というのはあるのか?
 Q-2.あるとしたらどうすればよいのか?」

これもどうお答えするか難しい質問ですね。
どうしましょうか。
では、先日ご紹介したあの本を使ってお答えしてみることにしましょう。
あの本というのはこの本です。



この本では人間の強みを34個に分類していました。
本のなかでは触れられていないのですが、その34個は大きく4つのカテゴリーに分類できるようです。
実行力、影響力、人間関係構築力、思考パターンの4つです。
(正確には4番目のカテゴリーは 「戦略的思考力」 と名づけられていますが、
 34の強みのなかに 「戦略性」 というのがあるので、
 それとの混同を避けるためにここでは思考パターンと名づけておきます。)
今回のご質問には、この4番目の思考パターンのことをご紹介してみるのがいいかと思います。
思考パターンに分類される強みは8つあります。
内省、分析思考、戦略性、着想、学習欲、収集心、原点思考、未来志向の8つです。
ひとつひとつ簡単に説明してみましょう。

内省・・・理論的に理解を深め考え続けられる。物事を1人で深く概念的に考え続ける。
分析思考・・・複雑さの中にシンプルな原理を見つけ出せる。事実を基に冷静に物事の原因・理由を明らかにする。
戦略性・・・先を予測し、適切な最善策を見出せる。状況に応じた最善策を考え出す。
着想・・・まったく新しい何かを思いつく。リスクや既成概念に囚われずに考える。
学習欲・・・アンテナを張り関心の持てることをキャッチする。興味関心の惹かれるものを学習するプロセスを楽しむ。
収集心・・・役立ちそうなものや情報を集め、必要に応じて提供できる。周囲の役に立ちそうなものをとことん集める。
原点思考・・・出来事を正確に記憶、記録している。先人や過去の出来事を大切にする。
未来志向・・・未来のビジョンを創造する。未来のビジョンを描き、周囲に語る。

この中では最初の 「内省」 が一番ざっくりしていて、
とにかく考えるのが好きな人はだいたいみんな内省をもっています。
で、内省という強みを持っている人はそれだけでは終わらないで、
では具体的にどんな考え方をするかということで、
残り7つのうちのいくつかをさらに持っている場合が多いようです。
「分析思考」 というのは理系的な、データに基づき原因や法則性を突き止めていく考え方です。
「戦略性」 は現実の複雑な場面のなかでどう最適解を導き出すかという応用型の思考法です。
「着想」 はもうとにかくアイディア勝負です。
これらは互いに重なり合っているようでいて、
実は全然ベクトルの異なる異質な考え方だというのはご理解いただけるでしょうか。
同じく考えるのが好きといってもそれぞれまったく考え方の癖が違うわけです。
「学習欲」 と 「収集心」 というのは今の3つとはまた方向性がだいぶ違います。
「学習欲」 の人はとにかく勉強するのが好きです。
誰に強制されたわけでもないのに何カ国語もマスターしちゃうような人はこれを持っていたりします。
「収集心」 は思考パターンに分類していいのか若干悩ましいところで、
物の収集に走る場合は思考パターンというわけではないかもしれませんが、
情報の収集が好きという場合はたしかにこれも思考パターンのひとつと言えるでしょう。
こういう人は図書館に行くのとか大好きだったりしますね。
「原点思考」 は原語が 「Context」 なので 「文脈」 と訳したほうがいい気がしますが、
とにかく前後のつながりというか、過去が気になる人です。
どういう歴史的経緯を踏まえて現在に至ったのかということをものすごく大事にします。
歴史好きな人はほぼ間違いなくこれを持っています。
「未来志向」 の人はそれとは逆に未来のほうを向いています。
将来こうなりたい、こうなるべきだという方向に頭を使う人です。

こうやって並べてみると、同じ考えるのが好きといっても、
考え方は人それぞれまったく違うということがおわかりいただけるでしょうか。
私は上位5つのなかに内省、着想、戦略性が入っていました。
そして、ちょっとよけいにお金を出して1位から34位まで全部調べたことがあるのですが、
なんと最下位5つのなかに学習欲と原点思考が入っていました。
考えるのが好きといっても、アイディアや戦略を自由に考えているのが好きなだけで、
きちんと勉強したり、歴史的経緯を調べた上で考えるというのは大の苦手なんですね。
というわけで、一番目の質問には次のようにお答えしておきましょう。

A-1.考え方には人それぞれ癖があります。
    同じ考えるのが好きにしても、得意な考え方、苦手な考え方は人によって千差万別です。

考え方に癖があるとしたらどうしたらいいのか、というのが2番目の質問でしたが、
以前にも書いたように、『さあ、才能に目覚めよう』 という本だったら以下のように答えるでしょう。

A-2.自分の得意な考え方をガンガン伸ばせばいいです。
    自分の苦手な考え方は自分で何とかムリしてやってみようなんて思わずに、
    それが得意な人にやってもらえばいいのです。

苦手なところを補ってみんなと同じようにやっていけるようにする、
というのが日本的な教育観かもしれませんが、
私はストレングス・ファインダーの考え方のほうが好きです。
強みというのは、特に意識しなくてもできてしまうことだし、本人やっていて楽しいことなので、
それを発揮している分にはまったく苦労もストレスもありませんし、
それでいてそこから生み出されるパフォーマンスはハイレベルなわけですから、
強みを活かして貢献したほうが自分にとっても周りにとっても幸せなはずです。
自分の苦手なところを克服するのではなく、強みをとことん伸ばしたほうがいい結果を残せるでしょう。
そのために大事なのは、まずは同じ考えるといってもいろいろな思考パターンがあることを知ること、
そのうち自分の得意な思考パターンが何であるのかを知ること、
他の人は自分と同じ思考パターンを持っているわけではないということを肝に銘ずること、
チームを組んだときに自分と違う思考パターンの人がいるとストレスがかかるので、
ついつい自分と同じ思考パターンの人ばかりを選びがちになってしまいますが、
たんなる友だち関係ならそれでもいいけれど、
何か仕事をしなきゃいけない、結果を出さなきゃいけないという場合には、
意図的にそれぞれ異なる思考パターンの人を集めるようにすること、等々です。
自分の苦手な部分は人に任せられるという状況を作っておいたほうが、
自分の得意なところを思う存分発揮できるはずです。
学生のうちはまだよくわからないかもしれませんが、
社会に出たときにはぜひ意識して実践してみてください!

Q.初対面の人と無理なく自分らしく接するにはどうすればいいのですか?

2016-09-23 20:08:00 | 幸せの倫理学
昨日の続きの技術と倫理の関係に関する深遠な考察は先に取っておくことにして、
今日はまったく毛色の違う質問を取り上げることにします。
初対面の人と無理なく自分らしく接するにはどうすればいいのかという、
倫理学とは何の関係もない質問にお答えしてみることにしましょう。
こうした問いに対する本格的・学問的な答えを求めるとするならば、心理学や、
そこから発した人間関係論、コミュニケーション論等の先生に聞いてみたほうがいいと思います。
いちおう 「何でも倫理学」 を標榜している以上、私もお答えしてみますが、
どうせ素人の意見ですので、眉につばを付けながら軽く聞き流してください。

まず私は、こういう質問をいただいたこと自体に驚きました。
質問者の方は、初対面の人と無理なく自分らしく接したいと思っていらっしゃるのですね。
元来、内気で激しい人見知りの私は、初対面の人と無理なく自分らしく接するなんていうことが、
人間にとって可能であるとも必要であるとも考えたことがなかったので、
どうすればそうなれるかなんて、そういう問い自体が成り立つと思っていませんでした。
どうなんでしょう?
今どきの若い人たちはみんな、初対面の人と無理なく自分らしく接したいなんて思っているんですか?
あるいは、身近にそういう人がいて、それがあこがれの対象になっていたりするんですか?

うーん、たしかにそう言われて思い返してみると、
私のまわりにもそれっぽい人がいたかもしれません。
初対面の人相手でどうだったのかは定かではありませんが、
とにかくコミュニケーション能力に長けていて社交性抜群という人はたまに存在します。
自分が内気で人見知りだからといって、人類みんながそうだと決めつけてしまってはいけませんね。
人間にはいろいろなタイプの人がいるのです。

第1回の授業のときには関連する質問が出なかったのでご紹介しませんでしたが、
ぜひ皆さんにオススメしたいのは 『さあ、才能 (じぶん) に目覚めよう』 という本です。



この本はアメリカの調査会社が各界で活躍している人々に大量インタビューを行って、
その結果、社会で活躍するために必要な力 (強み=ストレングス) を34個に分類し、
さらにはストレングス・ファインダーというシステムを開発して、
ネット上でたくさんの質問に答えていくことによって、
自分の強みのうちのトップ5を診断してもらえるというものです。
これによって自分の強みを知ることができるというのも画期的なんですが、
それよりも面白いのは人間ひとりひとり、
それぞれの強みってまったく違うんだなということがわかることです。
福島大学の学生さんたちクラス全員にこれをやってもらって一覧表にまとめてみたりすると、
本当にひとりひとりみんなバラバラです。
ごくまれに似たような強みの組み合わせがランクインしている人たちがいたとしても、
その順位は異なっていて、何が一番の強みかというのは人それぞれだったりするのです。

さて、その本の中で紹介されている強みのひとつに 「社交性」 というのがあるのですが、
これをトップ5のうちに持っている人というのは、私とはまったく異なる行動を取ります。
例えば、駅や街中の雑踏でちょっと離れた向こうのほうに知り合いを見つけたとして、
まだ相手はこちらに気がついていなかったら、あなたはどうしますか?
ぼくだったら、相手がこちらに向かって近づいてきているのであれば、
相手が気がついた時点で挨拶したり、よっぽど親しければ立ち話くらいするかもしれませんが、
もしも相手も自分と同じ方向に向かって歩いていて、
こちらから声をかけないかぎり相手に気づかれずにすむという状況であるならば、
間違いなく歩くスピードを緩めたり、行く方向をちょっと変えたりして気づかなかったふりをします。
私の場合 「社交性」 はものすご〜く下位のほうにありますので、
ムダな接触はできるかぎり避けたいのですね。

ところが 「社交性」 が上位にランクインしている人というのはまったく違います。
知り合いを見つけると自分からその人のところへ小走っていって声をかけるのです。
相当離れていてかなりの距離があっても小走ります。
そして、本当にここで会えてよかったというふうに挨拶を交わし、親し気にいろいろ話し始めるのです。
その人は、私と一緒に話しながら歩いていても、遠くに誰かを見つけると突然駆け出していき、
その人をつかまえて話し始めます。
そして、2人が話しているところへ私がゆるゆると近づいていくと、
これも間違いなく、私をその人に、その人を私に紹介してくれます。
私なんて知り合い相手ですらできればあまり話したくなくて、初対面の人なんて絶対ムリなのに、
社交性人間は、ここで2人を引き合わせることができて本当によかったというふうに、
会心の笑みを浮かべるのです。
たぶん本人はこういう機会があればぜひいろいろな人に紹介してもらって、
いろいろな人と知り合いになりたいと思っているんでしょうね。
で、どんな初対面の人相手でも、お互いの共通の話題をみつけたり、
それがなくとも、相手が持っている自分のまったく知らない世界について、
目をキラキラ輝かせて耳を傾けたりすることができるんでしょう。
こういう人はたぶん初対面の人とも無理なく自分らしく接することができるのでしょう。

さて、質問者の方にお聞きします。
あなたはこういう人になりたいのですか?
こういう社交性人間に憧れますか?
もしもそうだとしたら、たぶんあなたはこういう人にはなれないでしょう。
先ほどご紹介した 『さあ、才能に目覚めよう』 という本によれば、
人間の強みというのは生まれと環境によって幼い頃にほぼ固まってしまい、
後から弱い部分をなんとか補おうと努力して、若干の改善が見られたとしても、
それが強みに転ずることはないということだそうです。
この本の面白いのは、人は自分がすでにもっている強みだけをガンガン伸ばせばいい、
苦手な部分は自分で補おうと思わずに、それが得意な人に任せてしまえばいい、
と言い切っているところです。
たぶん初対面の人と無理なく自分らしく接することができるのは、
あの 「社交性」 という強みをもともと幼い頃からもっているような人だけでしょう。
そうでない一般の私たちは、そんな高みを目指していくら努力してみたとしても、
ある程度、初対面の人とそこそこにやっていけるというくらいにはなれたとしても、
無理なく自分らしくいられるというところまでは到底達することはできないだろうと思うのです。

とはいえ、これだけの回答では今回の質問者に対して酷ですね。
ですので、私もあなたと同じ、「社交性」 を上位の強みとしてもっていない人間として、
そういう人間が初対面の人となんとか付き合ってやっていくためにはどうしたらいいかについて、
あくまでも自分の経験にもとづくだけなので他の方にもうまく当てはまるかどうかはわかりませんが、
いちおうアドバイスとして次のようにお答えしておきたいと思います。

A.私たち一般庶民は初対面の人と無理なく自分らしく接することなんてできません。
  初対面の人と無理なく自分らしく接するようになれなくてもいいんだ、
  初対面の人相手の場合は何かしら無理しなきゃいけないし、
  最初っから自分らしく振る舞うことなんてできるわけないんだとあきらめてしまうと、
  けっこう気が楽になって、初対面の人ともあんまり無理することなく、
  ある程度自分らしさも発揮しながら接することができるようになりますよ。

私はこんなふうに考え方を転換することによって、
少しは楽に初対面の人とも接することができるようになりました。
まあだまされたと思って、一度試してみてください。
それと、ぜひストレングス・ファインダーはやってみてほしいと思います。

Q.『青い鳥』 の物語って哲学的にどういうお話なんですか?

2016-07-11 16:26:07 | 幸せの倫理学


これは看護教員養成講座の受講生の方からいただいた質問です。

正確には次のように聞かれました。

「Q.絵本の 『青い鳥』 の世界を哲学で説明するとどういう話なのか教えてほしいです。

   今回の講義を聞いたら私にも分かるようになりますか?」

いかがだったでしょうか?

私の 「哲学」 の講義を聞き終わって、あれがどういう話なのかわかるようになったでしょうか?

たぶんならなかったでしょうね。

あれに直接関係するような話はしませんでしたからね。

というか、私だってあの物語がどういう話なのかよくわかっていません。

だいたいのあらすじくらいなら聞いたような覚えはありますが、

子どものころにあの絵本を持っていたような気はしないし、

だからそもそも 『青い鳥』 のお話をちゃんと読んだことってないんじゃないかな?

ざっくりまとめると、チルチルとミチルという兄妹が幸せの青い鳥を探しに旅に出かけたけれども、

まったく見つけられずに家に戻ってみたら、我が家で前から飼っていた鳥が実は青い鳥だった、

というお話ですよね。

そのあらすじだけから判断するに、人は幸福をどこか遠いところに求めたがるけれど、

実は気づいていなかっただけで、幸福というのは自分の身近なところにあるんだよ、

ということを訴えている物語のように思えます。

それだけだとするならば、これは私がこのブログ (特に 「幸せの倫理学」 のカテゴリー) のなかで

常日頃から唱えていることと軌を一にすると言ってもいいでしょう。

はたしてそういうことを訴えたかったお話だったのでしょうか?

ちゃんと読んだ記憶がないのでまずはちゃんと読んでみる必要がありますね。

さすがに絵本を注文はしませんでしたが、ネット時代は便利なもので調べてみれば出てくるものです。

こんなサイトを見つけました。

「青い鳥」

あの物語が相当詳しく載っています。

これがどの程度要約されているものなのか、

それとも元々の物語がそのまま載せられているのか私にはわかりません。

が、先ほどざっくりまとめたあらすじに比べるといろいろな要素が入っているように思います。

最後の2文はこんなふうにまとめられていましたね。

「こうしてチルチルとミチルは、幸福とは気がつかないだけでごく身の回りに潜んでいるもの。

 しかも自分のためだけでなく、他人のために求めるとき、

 それははかりしれなく大きくなることを知ったのです。」

私が覚えていたのは最初の1文だけでした。

幸福とは自分のためだけではなく、他人のために求めるときはかりしれなく大きくなる、

というのもこの物語のテーマだったということについては今回初めて知りました。

これについても私は 「まさおさまの幸福の倫理学」 という講演をするときにはよく話をしていますが、

『青い鳥』 との関連は考えたことがありませんでした。

今後は 「幸福の倫理学」 の講演をするときには 『青い鳥』 の話を例に出してもいいかもしれません。

ただまあ、たしかに最後の2文はあのようにまとめられていましたが、

あの物語をあの2文に収斂するように読まなければいけないというわけでもありません。

トマス・マンの 『魔の山』 の一節を皆さんに解釈してもらいましたが、

絵本や小説などは、たった1文だけでも無限の解釈の可能性を秘めています。

ましてや哲学は、唯一の正解を認めない (どんな答えも疑っていく) 学問ですので、

「『青い鳥』 の世界を哲学で説明するとどういう話なのか教えて」 あげられるほど、

確固たる解釈なんてたぶん存在しないでしょう。

というわけで今回のお答えは次のようになります。


A.『青い鳥』 の世界を哲学で説明するとどういう話なのか教えてあげられるほど、

  確固たる解釈があるわけではないし、私の講義を聞いてもわかるようにはならないと思います。

  何度も何度も自分で読んで、自分なりに考えていくしかないのではないでしょうか。


ちなみに私がやっている 「てつがくカフェ@ふくしま」 では、

ときどき 「本deてつがくカフェ」 というものをやっています。

これは課題図書を1冊決めてみんなで読んできて、

そこに含まれる哲学的/倫理学的テーマについて語り合う会です。

これをやってみると、同じ本を自分とはまったく違ったふうに読んでいる人がいて驚かされます。

ぜひ質問者の方も、いろんな人と一緒にこの 『青い鳥』 を読んでみるといいと思いますし、

そのうち 「本deてつがくカフェ」 でも 『青い鳥』 を取り上げてみたいなと思いました。

そのときにはぜひご参加ください

Q.小さい頃の将来の夢は何でしたか?

2016-07-02 10:10:49 | 幸せの倫理学
これは相馬の看護学校でいただいていた質問です。

これもどこかで書いたことある気がしてブログ内検索してみましたが見当たりませんでした。

ちょいちょい小出しに書いてはいたみたいですが、まとめて答えたことはなかったようです。

小さい頃の将来の夢ですか。

特に変わった夢は抱いていませんでしたよ。

特に哲学と出会う前までは。

何も考えないフツーの男の子でしたから、フツーにヒーローに憧れる毎日でした。

たぶん一番最初に抱いた夢はパトカーの運転手とかじゃなかったかな?

子どもにとってパトカーというのは夢の乗り物であり、その運転手はまさにヒーローでした。

当時の私はパトカーの運転手が警察官であるということはわかっておらず、

警察官になりたいのではなく (警察官というと交番勤務というイメージでした)、

あくまでもパトカーを運転できる特別な人間になりたいと思っていました。

それが一番最初の夢で、次がウルトラマンになりたいとかじゃなかったかな。

ウルトラマンが放映されたのが1966年から翌年にかけて、私が4〜5歳のときでした。

当時はウルトラマンが実在すると完全に信じていました。

しかもドラマのなかでハヤタ隊員はウルトラマンと衝突事故を起こして死んでしまい、

その責任を取るためにウルトラマンはハヤタ隊員に自分の命を預けるという形で一体化しましたから、

フツーの人間がウルトラマンになることは十分に可能だったわけです。

ウルトラマン、なりたかったですね。

毎日、妹や弟相手に怪獣をやっつける練習をしていました。

スペシウム光線を発射できないことがもどかしくて仕方ありませんでした。

いつくらいだったでしょうか、ウルトラマンが架空の物語と気づくまでは、

将来の夢はウルトラマンでした。

小学校に入学して、怪人20面相やルパン、ホームズの小説を読み始めるようになってから、

将来の夢は私立探偵になることになりました。

少年探偵団手帳とか買ってもらって、水溶性の紙に秘密のメモとかよく書いていました。

ただ探偵ごっこってけっきょく何やっていいんだかよくわからないところがあって、

探偵になる夢はそんなに長続きしなかったような気がします。

それよりもすぐに江戸川乱歩やコナン・ドイルをまねて探偵小説を書き始めましたので、

推理小説家になりたいというのが次の夢になりました。

とはいえ小学校中学年くらいでトリックや暗号を考えたりするのは至難の業でしたから、

その夢も間もなく立ち消えになりました。

それからしばらくの間、中学卒業くらいまでは何の夢も持っていなかったような気がします。

附属中学校に通っていたので、同学年にはきらびやかなスターがたくさんいて、

そんなみんなに憧れながら、あんなふうにはなれないということを思い知らされて、

あの頃が一番自己嫌悪が激しく、将来に夢なんてまったく持てなかった頃だったように覚えています。

高校に入る頃にジョン・レノンの 「イマジン」 に出会いました。

その出会いによって、それまでの夢とはタイプの違う夢を抱くようになりました。

世界平和という夢です。

これは自分の将来の職業の夢とかいうのとはちょっと違いますね。

この夢はたぶんそのまま、今に至るまでずーっと抱き続けています

そして、将来の職業に関しては、世界平和を実現するための手段として、

じゃあどんな仕事に就いたらそれに貢献できるだろうかというふうに考えるようになりました。

実際に何を目指すかというのは、いろいろと変遷がありました。

最初は自分を変えたいということもあって軽音楽部に入部し、ドラムやヴォーカルをやって、

ジョン・レノンのようにロックスターとして世界平和を訴えていこう、

なんていう途方もない夢を見たりもしましたが、

音楽の才能に恵まれていなかったのですぐにそれはあきらめました。

ロック評論家というのも一瞬考えましたが、世界平和には直接結びつかなさそうでやめました。

東京外国語大学に入学した最初の1ヶ月くらいは外交官なんていう夢もありましたが、

早々にロシヤ語から落ちこぼれてその夢もあえなく潰えました。

その後、某創価学会とかいう新興宗教団体に入信したのも、思えば世界平和実現のためでした。

今となってはまったく信じられないかもしれませんが、

創価学会とか公明党って世界平和の実現を標榜していたこともあったのです。

まさか彼らが自民党と連立することになるなんて、時代が変われば変わるものですね。

けっきょく宗教頼みでもダメと気づき、最終的に選んだのが哲学・倫理学の道でした。

それはそれで世界平和に向けては迂遠な道ではありますが、

自分に合ってるという意味でこの道を選択して今に至っています。

こう考えてみると、小さい頃のヒーロー願望を卒業して以来は、

紆余曲折はあったものの自分の夢を一途に追い続けているのかもしれません。

このような質問をいただいたおかげで自分の半生を振り返ることができました。

どうもありがとうございました。

Q.happy と lucky の違いは何ですか?

2016-06-25 13:34:42 | 幸せの倫理学
一昨日、マクドナルドのハッピーセットはハッピーかについてお答えしたわけですが、
今回はもうモロこんな質問です。

「Q.happy と lucky の違いが不明瞭です。
 運の要素で区別するのか、その後悪い影響を及ぼす際は lucky なのですか?
 宝くじに当たるのは lucky で、金持ちの子に生まれるのも lucky ですか?
 おいしいものを食べられたら happy で、
 それをたまたま居合わせた金持ちにおごってもらったら lucky ですか?」

いやあ困っちゃいますねえ。
happy と lucky の違いなんて日本人の常識じゃないんですか?
親御さんはご家庭でお子さんに happy と lucky の違いを教えていないんですか?
日本の幼小中高どこかの学校教育で全員にきちんと教えてあげていないのですか?
ぼくからすると 「幸福」 と 「幸運」 なんて火を見るよりも明らかに違うと思うのですが、
大学生でもまだそういうふうにわかってくれてはいないんですね。
教わっていないのであればしかたないので、私が教えてあげることにしましょう。

「幸福 happy」 というのはある状態に満足するかどうかという受け止め方の問題です。

「幸運 lucky」 というのはたまたまの偶然が巡ってくるかどうかという運の問題です。

多くの場合、幸運と幸福は重なります。
だからこの2つの違いがわかりにくくなってしまうのですが…。
例えば、幸運にも宝くじが当たれば、それまで買えなかった好きな物が買えるのですから、
たいていの人はその状態に満足し幸福を感じるでしょう。
幸運にもお金持ちの家に生まれれば、日々の生活に悩むことなく裕福に暮らし、
学費の心配もせずに十分な教育を受けて進みたい進路に進める可能性が高くなりますので、
多くの人はその状態に満足し幸福を感じるでしょう。
その場合は幸運と幸福はぴったり重なっているわけです。
しかし、幸福というのは受け止め方の問題ですから、
ある幸運な状態が与えられても全員が必ずそれに満足するかというとそうとは限りません。
人によって別の受け止め方をするという可能性もあるのです。

そのことを示すために授業では、宝くじに当たったらラッキーだけど、
持ちつけない大金を手にして生活が変わり不幸になる人もいるとか、
お金持ちの家に生まれてきたらラッキーだけど、泥沼の遺産相続争いなどに巻き込まれて、
アンハッピーになることもある、といったようなことを挙げたりしました。
この例がいけなかったんでしょうね。
質問者の方が、運の要素で区別するのか、その後悪い影響を及ぼすかで区別するのか、
と聞いてくれたのは、私の挙げた例に引きずられてそう考えてしまったのでしょう。
後々悪い影響を及ぼすかどうかということは関係ありませんので一切忘れてください。
繰り返します。
幸運は運の要素の問題です。
それに対して幸福は満足の要素、受け止め方の問題です。

例を挙げるときに、時間的経過を盛り込んで後々不幸になったという例を出してはいけませんね。
それでは幸運と幸福の違いをきちんとわかってもらうことはできないでしょう。
以前にこのブログで、街で福山雅治に声をかけられたら、という例で説明したことがあるので、
まずはそれを読んでみてください。

  「幸福になる方法 (その2)」

この記事のなかでは特に幸運については触れていませんが、
街で福山雅治に声をかけられるなんていうことは、そうそうめったにあることではありませんから、
それ自体はひじょうに lucky な出来事と言っていいでしょう。
ただその同じ幸運な出来事をどう受け止めるか、幸福と感じるのか、何も感じないのか、
むしろ不幸に思うのかは人によってさまざまなのです。
たまたま派遣会社から、福山雅治が住むマンションのコンシェルジュに派遣されたりしたら、
街で声かけられるなんていうよりもさらに確率の低いことで、
ラッキーなんていう言葉では表せないぐらい強運な出来事と言えるでしょう。
しかし、そのことに満足するのか、満足しきれずにもっともっとという欲求がふくらんで、
その欲求が満たされずに不幸を感じたあげく犯罪に手を染めてしまうのか、
それはその人の受け止め方次第なのです。

日本という平和な先進国に生まれてきたというのも超ラッキーなことです。
日本には今のところ平和憲法がありますし、
その平和憲法下では今のところ戦争はせずにすんでいますし、
そのおかげで経済的繁栄を達成してきて、
今のところほとんどの国民が食べる物に困らずに生きています。
今のところ基本的人権も守られて男女もいちおう平等に生きていくことができます。
どこの国に生まれてくるのか、それは私たちが選択できることではありませんので、
砲火の下で逃げまどう国、飢餓や貧困にあえぐ国、女性ばかりが過酷な仕打ちを受ける国
などに生まれてきたとしてもおかしくなかったのですが、なんの偶然か、
私たちはたまたまこの日本という今のところ恵まれた国に生まれてくることができました。
しかし、日本に生まれてきたことによって幸福を感じている人はそれほどいないでしょう。
日本に生まれたことの幸せを日々感じている人はいらっしゃいますか?
それよりも日本のなかでさまざまな欲求・欲望が満たされず、
不幸に感じている人が数多く存在することでしょう。
自殺率の異様な高さがそのことを如実に表しています。
幸運だからといって幸福とは限らないのです。

おっと、ちょっと暗い話になってしまいました。
この問題を考える上でとてもいい映画があるのでご紹介しておきましょう。
リンジー・ローハン主演のラブコメ、タイトルもそのまんまの 『ラッキー・ガール』 です。



主人公はむちゃくちゃ幸運に恵まれた女の子で、
そのおかげで最初のうちはめちゃくちゃ幸せです。
しかし、あるときむちゃくちゃ不運なある男性とキスをした瞬間に、
その運・不運が入れ替わってしまうのです。
さあ、その後どうなるか。
ぜひ見てみてください。
この映画を見れば、lucky と happy は全然違うということがわかってもらえるでしょう。
この男性の生き方、ぼくはけっこう好きです。

Q.嫌いな人(上司)を克服するにはどうしたら良いですか?

2016-06-22 12:53:27 | 幸せの倫理学
これは看護教員養成講座のほうでいただいた質問です。

うーん、困りました。

申しわけありませんが私は2つの理由でこの質問にお答えすることができません。

1つは、嫌いな人を克服しなきゃいけないと思ったことがないので、

こういう問いを考えたことがないし、問われて考えてみましたがまったく答えが浮かんでこないのです。

人に限らず嫌いなものって克服できるものなんですか?

嫌いだったものがいつの間にか好きになってたってことはありますよね。

私は子どものころはすごい偏食で、ホウレンソウ以外の野菜はすべて嫌いでしたが、

いつの間にか食べられるようになり、今では大好きになった野菜もいくつかあります。

でもそれってたんに好みが変わっただけで、克服したという感じはしません。

未だにキュウリは大嫌いのままですが、それを克服しようという気はしませんし、

克服できるともまったく思えません。

人間に関しても嫌いだった人が好きになったということはありますが、

それもたまたま変わっただけで、努力して克服したわけではないように思います。

なので、嫌いな人を克服しなきゃいけないというふうにはあまり思わないのです。

ただ、こういうふうに考えられるのは、自分がひじょうに恵まれた職場にいるからだという気はします。

それが2つめの理由になるわけですが、大学という職場は研究室が個室なので、

ほとんど人と接することなく過ごすことができます。

人に会うのは授業と会議とお昼ご飯のときだけなわけです。

ですので、嫌いな人がいたとしてもほとんど接することなく生活することができるのです。

さらにすごいのは、大学教員には基本的に上司がいません。

学長とか学部長とか委員長といった人はいますが、それは上司というよりは私たちの代表であって、

その人たちの命令に従わなければならないという関係にはないのです。

まあたまーに勘違いして上司風を吹かせる人がいないわけではありませんが、

そういう人がいたとしても、その関係は未来永劫続くわけではないので、

その人の任期のあいだだけ我慢していればすむわけです。

実際には歴代の学長や学部長や委員長の方々を思い出してみても、

若干の例外を除いて、ほとんどみな尊敬できる人たちばかりでした。

なんか自分で書いていて、大学ってなんて素晴らしい職場なんだろうという気がしてきました。

職場に嫌いな上司がいる人にこんな話するとドン引きされてしまうかもしれませんね。

そんなわけですので、今回の問いには私からお答えしてあげることはできません。

しかしゼロ回答では申しわけないので、代わりにヤホーでググってみたところ、

こんなようなページがあって、それぞれいろいろなアドバイスが書かれていました。

私のような脳天気な人間に聞くよりよっぽど役立つのではないでしょうか。

何かご自分の状況に合いそうなものを見つけられるといいですね。


嫌いな人とうまく接していくための7つの対処法

苦手な人と上手に付き合う8つの方法

もう嫌!職場で嫌いな人との接し方が楽になる3つの解決策

職場(会社)の嫌いな人や苦手な人との付き合い方

むかつく上司をサクっとかわす対処法

Q.ナルシシストは常に幸せなんですか?

2016-06-21 13:34:29 | 幸せの倫理学
「倫理学概説」 では自由についての講義をひととおり終えて、先週から幸福のテーマに移りました。
自由についての質問にもまだ全部お答えし終わっていないというのに、
先週のワークシートではさっそく幸福についていろいろと質問をいただいてしまいました。
しかたないので自由と幸福、いろいろと取り混ぜながらお答えしていくことにしたいと思います。
とりあえずは欲張りにもいっぺんに3問も質問してくれた人がいたのでその人から。

Q1.先生は福山雅治が好きなのですか?
Q2.カントは「自己の欲求が満たされて、自身に満足していること」と幸せについて言っていましたが、
   常に自身に満足していると思われるナルシストと言われる人々は常に幸せなのでしょうか?
Q3.マクドナルドのメニューにある 「ハッピーセット」 は
   自分の意志で買って食べて幸せを感じていると思うので 「ハッピー」 は適さないと思います。
   先生は 「ハッピーセット」 について適切だと思いますか?

Q1に関しては、幸福はひとりひとりまったく別のものなのか、
それとも万人に当てはまる幸福の共通の条件みたいなものはあるのかということを説明する際、
前者の例として福山雅治の 「幸福論」 という歌のことを例に出したので、
こういう質問をいただいてしまったのでしょう。
たぶんこの質問者の方 (男子) は福山の 「幸福論」 をご存知なんでしょうね。
自分の幸福観を書けという設問に対し、
幸せとは 「それぞれの年齢、性格、体質によって変わるべきもの」 と書いていらっしゃいましたから。
そして、シングルカットされているわけでもない曲の歌詞をそらんじているということは、
福山雅治のファンなんでしょうね。
さて、Q1に対する私の回答は以下をご覧ください。

  「Q.福山雅治好きですか?」

続いてQ2ですが、これはいくつかに分けてお答えしなければなりません。
その前に言葉の訂正ですが (昨日もそんなことをやったな)、
質問者は 「ナルシスト」 と書いており、日本ではその言い方で通用してしまっていますが、
元の英語は narcissist ですから正しくは 「ナルシシスト」 となります。
大人の教養として覚えておいてください。
まずこの方が書いてくれたような限定的な質問はこういう質問でした。

Q2-1.常に自身に満足しているナルシシストと呼ばれる人々は常に幸せなのでしょうか?

ここまで限定された特殊な意味でのナルシシストに関してであれば次のように答えられるでしょう。

A2-1.常に自身に満足しているナルシシストと呼ばれる人々は常に幸せだと思います。

私はカントの幸福の定義を援用して、自身の状態に満足していることを幸福と定義したわけですから、
その定義に照らせば、常に自身に満足している人は常に幸せに決まっている、ということになります。
これはトートロジー (同語反復) にほかなりません。
ただ、これだけお答えしたのでは学問的に不正確な知識を与えることになってしまいますので、
もう少し問いの形を変えてお答えしておきましょう。

まず、「ナルシシスト」 という言葉は 「常に自身に満足している人」 のことではないので、
そこはきちんと覚えておいてください。
ナルシシストとは、自己を愛し、自己を性的対象とする人のことです。
はたから見るとそういう人は 「常に自身に満足している」 ように見えるかもしれませんが、
そこはイコールではないのできちんと区別しておくようにしましょう。
そこで質問者による限定を外して次のように一般化して問うてみましょう。

Q2-2.ナルシシストと呼ばれる人々は幸せなのでしょうか?

A2-2.自己を愛し、自己を性的対象とする人々が幸せかどうかは人によりけりだと思います。

これはもうひとりひとりに聞いてみるしかないでしょう。
つまり、そういう状態に満足しているかどうかですね。
満足しているということもありうるし、満足していないということもありえるでしょう。
ここまで一般化してしまわないで、もうちょっと限定的に心療内科的な意味で考えてみましょう。
心療内科の世界には 「自己愛性パーソナリティ障害」 という病気があります。
この 「自己愛性」 のところが narcissistic ですから、
「ナルシシスト的パーソナリティ障害」 と訳してもよいでしょう。
心理学や精神分析学、心療内科のほうで 「ナルシシスト」 という言葉を使う場合は、
現在ではこの 「自己愛性パーソナリティ障害」 のことを指して言うようになっていますので、
この意味で問いを立ててみましょう。

Q2-3.自己愛性パーソナリティ障害の人々は幸せなのでしょうか?

A2-3.中には幸せと感じている人もいるかもしれませんが、
     多くの人はこの病気で苦しんでいるのではないかと思います。

まあ、病気のひとつに数え入れられているくらいですからね。
そりゃあお気楽に幸せとばかりは言っていられないでしょう。
本人の自己認識とまわりからの客観的評価とが大きく隔たってしまったりするわけですから、
社会のなかではいろいろと傷つくことも多いだろうし、
生きていくのが困難になってしまうような場合もあるんじゃないでしょうか。
詳しくは先のウィキペディアや、ここここなんかを見てみてください。

書き始めたときはQ2をこんなに場合分けして答えようとは思っていませんでした。
もうすでに十分長くなっちゃったし、Q3は内容的にまったく別の問いなので、
別稿にてお答えすることにいたします。

橘高校進路講演会 「まさおさまの幸福の倫理学」

2016-04-06 18:03:20 | 幸せの倫理学
もう先月のことになりますが、橘高校で進路講演会を行ってきました。

例のグダグダなゼミ送別会の翌日ですね。

というか進路講演会だったということもよく知らされておらず、

知り合いの先生 (仙人さん) から何でもいいから1年生に話してくださいと頼まれて、

前日までずーっと悩んでいました。

進路講演会だってわかっていたらいつもの 「人はなぜ学び、なぜ働くのか?」 でよかったのですが、

あの話ももうそろそろ手垢がついたというか、話しすぎてちょっと飽きてきてしまったので、

別の演目にすることにして、「まさおさまの幸福の倫理学」 を話すことにしました。

一昨年、学祭のときに話した内容ですね。

その演目で3月16日に講演を行い、無事に終了したのですが、

その報告をまだしておりませんでした。

今回は橘高校の1年生全員300名弱を相手にしての講演だったので、

感想用紙の集計がなかなか終わらなかったのです。

というか、枚数が多いので集計作業をする場所がなかったのでした。

先日やっと研究室を片づけて、エイプリルフールの日にテーブルの上に広げていたのが、

そのときに橘高生に書いてもらった感想用紙でした。



5段階評価の点数ごとに分類して枚数を数え、ブログに掲載するものを選別していたわけです。

集計の結果、満足度の平均値は4.03でした。

300人相手の巨大講演会ですから4.0を超えたのでよしとしましょうか。

選別した感想を評価ポイントごとに分けてご紹介していきましょう。


【評価1の人】 (記入者全員)

●話が長くて、理解するのに苦労した。とても疲れた。

●比較的恵まれた環境にある自分たちが幸せになった上で、他者を幸せにしていくべきなのだと思った。


【評価2の人】 (記入者全員)

●資料は良かったが、何を伝えたいのかあまりわかりませんでした。

●100人の村の話が印象に残りました。

●自分が幸せじゃないと人を幸せにできない、というのが印象に残りました。

●幸福について考えることができました。ありがとうございました。

●「幸せ」 という目に見えない実体の無いものに対して、ここまで深く考えることができるとは思ってなかった。

●幸福の向き合い方が分かった。質問を聞いていていろんな意見があるなと思った。

●おもしろい話が聴けて良かったです。この講演会だけでは、まだまだ幸福について説明できないと思います。自分の力で、幸福について追求できたらと思います。


【評価3の人】 (抜粋)

●幸福感の話が印象に残りました。もう少し簡潔だと理解しやすいです。まわりを幸せにすることを心がけたいと思いました。物事のとらえ方によって幸福感が得られるというのがためになりました。

●”幸福を感じた人が幸福”。幸せって自分で決めていいんだなと思いました。って考えると自分の幸せって案外小さいんだなと思いました。辛いときとか死にたいときとかあったけど、小さい嬉しいことで気持ちがリセットできたし、そんなものかあと改めて思いました。今日はありがとうございました。これからも頑張って下さい。

●毎日こうして学校に来れて、友達と生活していることがどんなに幸せなのかが分かった。今までそれは 「当たり前」 だと思っていたけれど、今日の講義で自分が 「幸せ」 なのだと感じることができた。

●人はめったに何もしてくれないから、何かしてくれたときにありがたいと感じるから、「ありがとう」 と言うんだよとおっしゃっていました。だから、これからはもっときちんと 「ありがとう」 と言えるようになりたいと思いました。一番印象に残ったのは、「幸せな人しか人を幸せにすることはできない」 という言葉です。一人でも幸せな人が増えるように、私たちが頑張っていかなければならないと思いました。

●幸せの定義について、「しか」 と考えるのか 「も」 で考えるかで生活が変わっていくことうを改めて理解できた。自分で欲求や欲望をコントロールすることによって、よりよい生活がおくれると思った。お話であったように、勝つことは難しいかもしれないが、試合で点が入ったり、前はできなかったことが出来るようになることも1つの幸せだと感じること、思うことで人生がより豊かになっていくと思った。

●言葉が幸福に大きくかかわっていてることがわかった。前向きな言葉をつかっていくことが、幸福を得ることにつながるとわかった。「小さな幸せ」、その積み重ねが幸福だと感じることにつながると思うから、小さな出来事への考え方を変えたいと思う。また、1つのことに対しても考え方1つでいろいろなとらえ方ができることを改めて知ることができた。日ごろの生活で、あたりまえだと思い込んでしまっていることが多くあった。あのひとつひとつを考えてみると、自分がとても幸せだと感じることができると思った。すべて 「ありがたい」 ことだと思う。人と人をつなぐあたたかい言葉 「ありがとう」、この言葉を胸に忘れることなくこれからの人生を歩んでいきたいと思う。


【評価4の人】 (抜粋)

●「試合に勝つこと」 に幸福を置かないことって難しいです。「あの技ができたのに…」 って絶対思います。私は勝負については考え方が固いので、他のことは柔らかく考えてみようと思います。「この服が着れてうれしい」、「この人と話せて楽しい」 とか日常生活の何気ないことの1つ1つに喜んでいきたいです。

●何でもない一日がどれだけ幸せか、話を聞いて自分は恵まれているんだなと思いました。幸せの定義が話の後と前で変わりました。話を聞いた後は人に幸せを分けることが自分の幸せにもつながるんだなと思いました。

●幸福について考えるのは難しいし、答えのない問題にもやもやすることもありました。でも、幸福は身近なところにあるのかなと思うことができました。人を幸せにすることが最大の喜びという言葉が印象に残りました。人を幸せにすることは難しいと思うし、他者の幸せはわからないけれど、それでも人を幸せに出来たと思えることが1度でいいから経験できたらいいなと思いました。

●自分はものすごく良い環境で育ってきたんだということを改めて実感した。お母さんが家事をするのは当たり前だと思っていたし、お父さんが働くのも当たり前だと思っていました。でもそうではないと気がつけたので、しっかり感謝を伝えたいと思いました。

●私は5年前の大震災で家の電気が止まったり水が出なかったりして不自由な生活をしていました。その時、今まで普通に過ごしてきた日常は当たり前のようで当たり前じゃないことに気付きました。なので今回の講義は共感する部分が多かったです。今回教わったことを忘れずに過ごしたいです。今日は本当にありがとうございました。

●親切にしてくれる人には、「めったにないことだ」 という意味で 「ありがとう」 と言うことを知ると、重みを感じながら感謝の気持ちを伝えられそうです。また、勉強をしていると、自分は大学に行く為だけにやっているのかと思ってしまうこともあるが、よく考えてみれば人の役に立たない仕事なんてこの世にないのであって、頑張ってやっていけば人の幸せに一役立てることがわかり、考えが変わりました。

●合格発表のことを思い出してみると、すごく夢と希望にあふれていたな…と思いました。実際入学してみると思い描いていたスクールライフではなく、勉強や部活との両立に追われる毎日でした。でも、大変だからこそ学べることもあると思うので、2・3年生も頑張らないといけないなと思いました。

●人間発達文化学類は答えのないものを追い求めると言ったが、「幸せ」 こそまさにそれなのだな、と思った。具体的に 「こういうこと」 が幸せ、というものはなく、様々な 「幸せ」 の形があるからこそ、幸せを探求する価値があり、得る価値があるのだな、と思った。ただ、自分のあだ名でもある 「まさお」 について色々言われたことは、少し気に食わなかった (えらそうですみません)。

●「幸福を感じられることが幸福」 という言葉を聞いて、確かにそうだなと思いました。病気の人や障がいをもっている人が体が悪いだけで幸せになれないなんてことがあるはずないですし、人それぞれに幸せを感じることが違うということを改めて感じることができました。「『してくれないのが当たり前』 と思うことで 『ありがとう』 と言える」。そんなことを考えたことがなかったので、とても新鮮でした。いつも 「感謝しなきゃいけない」 という思いで 「ありがとう」 と言っていましたが、これからは、心の底から思えるようになりそうです。


【評価5の人】 (抜粋)

●資料にのっていた「どんなに恐ろしい病気でも、『こころ』 までは絶対に奪えない」 の文を読んで、今までにそういうことを考えたことがなかったので衝撃をうけました。そして、よく考えたらそうだとも気づきました。それからの、今日の幸せに対しての話はとても興味深かったです。人にはそれぞれの幸せの価値観が違うことや、限界があるといった、現実的ではあるけれど、とても納得のできるものでした。おもしろかったです。

●幸福を感じたことが幸福であるということがとても印象に残っている。受け止め方によって、その事実が幸せとなるか不幸となるかが大きく変わってくることがよく分かった。そう考えてみると、自分の生活をふり返ったときに幸せだと感じる場面はたくさんあったということに気づいた。これから先、運命という言葉で片づけられないことがたくさんあると思うが、どんな事実も幸せと感じられる受け止め方をしたいと思った。

●自分の思う幸せが他人にとってはどううつるかなんて考えた事が無いけれど、この話を聞いて幸せの形は人それぞれで、それを他人が否定することはできないなと思いました。自分の状態が不幸だろうが幸せだろうが、他人の不幸を取りのぞいてあげたほうが自分の自信につながるかなと感じ、自分の事だけ考えればいいと思っていた考えを改善することができた。目の前の小さな幸せを見つけ、さらに上へと努力していける人間になりたいと思いました。

●私はときどき 「なんとなく毎日が物足りない、毎日がつまらない」 と思うときがあります。そこでよく考えてみると、両親、友達の顔が思い浮かび、私らしく生きられているから私は幸せだと、とふと気づきます。正直なところ、自分は何をしているときに ”楽しい” と感じるのかよくわかりません。だから 「毎日が物足りない、毎日がつまらない」 と思うことがあるのです。何が自分らしいのか、何をすれば楽しいのか、何が幸せなのか、これから見つけていきたいです。

●幸福は、その人の受けとり方によって幸福にもそうでないものにもなりうることがわかった。また、言葉は銃弾になりうるという言葉は、とても印象に残った。何げなく言ったことでも相手の受け取り方によっては幸福にも不幸にもなることが分かった。これからは相手のことを考えて言葉をいいたいと思う。先生のお話を聞いて、考えさせられることがたくさんあった。私には何が出来るのか、どうすればいいのかということをこれから考えていきたいと思う。

●幸せに対する考え方が変わった。幸せと感じる基準をかえれば、今まではたいしたことと思っていなかったことも、満足できるのだということが分かった。人と人の間の幸せに対する価値観が違うからこそ、争いが起こってしまうのだ。だけど、お互いに認め合うことで、本当の 「幸せ」 をつかむことができる。これからは、当たり前の日々の中から幸せを見つけていきたい。そして、その幸せをくれた人達に感謝して精いっぱい生きて行こうと思った。

●私は日本というめぐまれた国に生まれて、毎日美味しいご飯を食べたり、橘高校で学ぶことができたり、そういうことに慣れてしまっていることは問題だなと気づきました。この現状に危機感を持って、どうしたら世界中の人々が少しでも幸せになれるか、不安なことを取り除けるか、考えてみたいと思いました。

●幸福は客観的なものでなくて、自分自身が幸福に感じるよう努めることが大切なのだと分かりました。同様の事柄をプラスに受け取るかマイナスに受け取るかで大きな違いが生まれてくるのだと思います。また、私は自分を発信源に相手へ影響を与えて感情が伝染していってしまうと思っています。今回の講義をお聞きしたことでさらに、明るい未来を思い、良い方向へ考える思考を大切にしていきたいと思いました。(白馬の王子様はいないことも印象に残りました(笑)。) ありがとうございました。


いいことを書いてくれていたものはまだたくさんあったのですが、

さすがに全部は紹介しきれません。

橘高校の皆さん、私の話に最後までお付き合いくださりありがとうございました

講演会後にいただいた2つの質問も、とても的確ないい質問でした。

質問者ばかりでなく、他のみんなにとっても私の話をより深く理解するために重要な問いでした。

感想用紙のなかでさらに突っ込んだ質問を書いてくれた方もいらっしゃいましたので、

それについては近々お答えできればと思います。

新学期が始まってしまって大忙しですので、すぐには返事できないかもしれませんが、

いずれ私の気が向くときまで気長に待っていてください。

それではみんな、幸せの感受性を高めて幸福な人生を送ってください。

運の無駄遣い

2016-01-31 20:03:44 | 幸せの倫理学
お昼に 「緑のたぬき」 を食べようと思ったんですよ。

お湯を沸かしフタを開けてみたら、あれっ?

何か異物が混入しています。



何でしょう?

これはまた何か事件なのでしょうか?

スープの袋とその下の異物を取り出してみました。



なんとカードでした。



ドラゴンボールのカードですね。

『ドラゴンボール』 は一度も読んだことも見たこともありませんが、

孫悟空やかめはめ波くらいはクールジャパニーズの常識として知っています。

きっと裏にも何か書いてあるんでしょうね。



カードゲームはまったく知らないので、何のことやらさっぱりわかりません。

それよりもなんでこんなものが 「緑のたぬき」 に入っていたのでしょうか?

と疑問に思ってからフタに何か書いてあるのに気づきました。



なんだかよくわからないけど、超SUPERキャンペーンのようです。

「カードが入っていれば当たり!」 ってことはこれは当たりだったのかな?

このカードを現金か何かと交換してもらえるのでしょうか?

と、ちょっとウキウキしていたら、フタの裏に詳しい説明がありました。



要するにカードが入っていれば当たりで、入っていなければハズレ、

カードそのものが景品で、カードは1種類しかないから、

孫悟空でかめはめ波だからラッキーということではない、

このカードは 「ドラゴンボールヒーローズ」 というデジタルカードゲームで使えるらしい、

等々のことがわかりました。

たしかに一緒に買ったもう1個も開けてみたところそちらには入っていませんでした。

キャンペーン始まって最初の 「緑のたぬき」 でみごと当たりを引き当ててしまったようです。

どうでもいいわっ

こんなカードもらってどないせえっちゅうんじゃい

これが当たって私が喜ぶとでも思いましたか?

なんか日本の資本主義は迷走している気がするなあ。

史上初のマイナス金利らしいし。

何のことかまったくわからないけど…。

誰かこのカード欲しい人いらっしゃいませんか?

袋入りの新品で~す。

ゴッドアビリティ (?) 付きですよ。

お安くお譲りしますよ。

でもみんな持ってるんだろうなあ。

なんせ2,000,000名様に当たるみたいだし。

あーあ、新年早々運の無駄遣いしちゃったなあ。