まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.先生のプライベートについて

2010-09-30 14:40:23 | 性愛の倫理学
今回はプライベートに関する質問が相当多かったので、
まずはそれらから簡単に片づけていくことにしましょう。

Q-1.院だけ法政ですか?

A-1.その通り、大学院だけ法政です。

学部は東京外国語大学のロシヤ語学科でした。
この選択は大失敗で、1年生で留年してしまい、その後なんとか卒業することはできましたが、
ロシヤ語はまったく身につかないまま、部活にのみ命をかけた大学生活でした。
そこらあたりの事情はここに書いてあります。
大学院からやっと哲学専攻に進むことにしましたが、
1年目は受験に失敗して浪人してしまい、2年目の受験のときに、
法政は私立大学だけど国立大学とほとんど学費が変わらない (当時) ということを知り、
受けてみたらなんとか合格して、法政大学大学院人文科学研究科哲学専攻に進学しました。
修士課程に2年間、博士課程には5年間在籍していました。


Q-2.結婚してますか?

A-2.はい、結婚しています。

この質問は今まで受けたことがなかったですね。
いつもは結婚指輪をはめていたからでしょうか。
結婚してもう20年経ちましたが、20年間はずっと結婚指輪をはめていました。
ところが2週間前から指輪を外しているのです。
もともと私は手が小さくて指が短いことがコンプレックスだったので、
結婚しても指輪をするつもりはまったくありませんでした。
しかし、結婚の直前だったか、男も結婚指輪をはめるべきかどうかということについて、
妻 (当時は婚約者) とディベートをし負けてしまったので、
(妻も大学院修士課程まで進んで、哲学を学んでいました)
しかたなく結婚後はずっと指輪をはめていたのです。
ところが最近になってその妻が身体や健康のことなどについてミョーに敏感になり、
あちこちからいろいろ怪しげな情報を仕入れてくるようになって、
そのうちのひとつとして、金属を身体に四六時中身につけておくのは、
健康によくないという理論を信奉するようになったのです。
で、自分も指輪を外すようになり、私にも外すことを薦めてきましたので、
20年ぶりに結婚指輪を外すことになりました。
今までは風呂入るときも夜寝るときも、
ハンバーグのタネをこねるときですら、ずっと指輪をはめっぱなしだったので、
久しぶりに外してみるとちょっとヘンな感覚ですが、
なんだかとても解放された感じです。
たしかに健康にいいかもしれません。
というわけで今は結婚指輪をはめていませんが、結婚はしています。


Q-3.家族構成は?

A-3.妻と私の2人だけです。

子どもはいません。
妻は修士課程で2年間学んだあと、東京の外資系広告代理店に就職しました。
妻が就職して1年くらいしたときに結婚しましたが、
そのときはまだ私は大学院生でした。
私も塾でバイトしてそこそこのお金を稼いではいましたが、
妻はその後どんどん出世して収入もどんどん増えていきましたので、
妻の収入に追いついたことは一度もありませんでした。
そういう状態だったので、子どもを作る機会に恵まれなかったのです。
私のほうが妊娠・出産できるならとっくに作っていたかもしれませんが、
映画 『ジュニア』 のような技術はなかなか開発されませんでしたね。
結婚4年目、私が福島大学に就職が決まったとき、
妻は仕事を辞めて福島についていってもいいと言ってくれたのですが、
ちょうど彼女の仕事がノリはじめていたときだったので、
もうちょっとがんばってみればと言って、私が単身赴任することに決めました。
あのとき一緒に福島に来ていれば、たぶん子どもを作っていただろうと思います。
が、けっきょくその機会を失い、単身赴任のままあっという間に16年が経ってしまいました。


Q-4.今の生活は楽しいですか?

A-4.とっても楽しいです。

よく単身赴任で淋しくないですかと聞かれます。
たしかに単身赴任を始めたばかりの頃はちょっと淋しさも感じましたが、
今から思えば、新婚時代の4年間は一緒に暮らすことができ、
その後は別々に住んで自分のペースで自分の仕事をしながら、
月に何度か週末を一緒に過ごすようになったというこの結婚形態は、
結婚を長続きさせるのに一番よかったのではないかという気がします。
最初から離ればなれでは続かなかったろうと思いますが、
ある程度時間が経ったところで物理的な距離を置いたことによって、
適切な関係が長く保てるようになったのではないでしょうか。
ずっと一緒に住んだまま、それぞれが自分の仕事に没頭し、
仕事での人間関係ばかりに時間を割くようになっていたら、
いろいろとすれちがいやケンカが発生していたかもしれません。
愛 (引力) と尊敬 (斥力) のバランスの話をしましたが、
あまり近すぎず、離れすぎず、ちょうどいい距離を保ってつきあっていくためには、
単身赴任というのはいい生活様式だったような気がします。
たまの週末一緒に過ごせるときには、
今日は何を飲み何を食べようかと相談しながら2人で買い物に行き、
ビールを飲みながら一緒に料理を作り、
あれやこれやいろいろと話しながらのんびりディナーを楽しんだりしています。
なかなか楽しい生活なのではないでしょうか。


Q-5.携帯は何を使っていますか?

A-5.会社は au で、機種は Sony Ericsson の W53S を使っています。

ていうか、なんでこんなことを知りたいんでしょうか?
不思議です、50回生。
私はずっとケータイを持たずにいたのですが、
さまざまな圧力に抗しきれなくなって、たしか6年前くらいに持ち始めました。
すでに妻はとっくの昔にケータイを使い始めていて、
待ち合わせのときとかに不便だから早く持てと圧力をかけてきていたのですが、
その妻が au を使っていたので、私も au にしました。
そして妻が、Sony Ericsson のジョグダイヤルが便利だよと教えてくれたので、
1台目も2台目も Sony Ericsson のジョグダイヤル付きのやつを選びました。
なんだかさっきから、私はまるで妻の言いなりみたいですね。
まったくそんなことはないんですよ。
指輪に関しては十分自分の主張を展開しましたし。
それよりも彼女が展開した理論のほうが整合的だったので、
ちゃんと納得した上で指輪をはめることを受け入れたわけですし。
ケータイに関しては自分なりに必要性を感じていましたし、
それ以上のどこの会社にするかどの機種にするかなんて、
まったく知識も関心もなくどうでもよかったので、
経験者の意見を参考にさせていただいただけですし。
というわけでケータイは au の W53S を使っています。
この情報はなにかの役に立ちましたか?
ちなみにケータイのアドレスはローマ字回文になっています。
これもどうでもいい情報ですが…。


今回は、倫理学に直接関係する質問はなかったので、
「哲学・倫理学ファック」 のカテゴリーに位置づけるのはヘンだろうし、
どこに分類するか悩みましたが、結婚生活に関する話が多かったので、
とりあえず 「性愛の倫理学」 のカテゴリーに入れてみました。
この 「性愛の倫理学」 カテゴリーの中には皆さんが本当は聞きたかったことについて、
いろいろと書いてあるかもしれませんので、ヒマだったらこちらも見てみてください。

倫理学の先生に聞きたいこと (インデックス版)

2010-09-29 17:27:02 | 哲学・倫理学ファック
昨日から始まった看護学校の 「倫理学」 ですが、第1回目の授業では、
「倫理学の先生に聞いてみたいこと」 ということでいくつかの代表質問にお答えしてきました。
郡山の看護学校2期生の質問はとてもまじめなものが多く、
こちらが話したいと思っていた内容をちゃんと質問してくれてたいへん話しやすかったですが、
その分つい喋りすぎてしまってみんなを退屈させてしまったかもしれません。
それに対して、白河の看護学校50回生の質問はぶっ飛んだものが多かったですね。
答えるのに相当苦労しましたが、その場で考えるのはそれはそれで楽しかったです。
ただし、倫理学について理解を深めてもらえたかどうかが心配です。
第1問目から 「Q.男の人って何を考えているんですか?」 でしたからね。
その他、「Q.どうやったら両思いになれるんですか?」 とか
「Q.自分を好きになるにはどうしたらいいですか?」 とか
人間関係の悩みが多かったですね。
さらには、「Q.日本の総理大臣には誰がなるとよいと思いますか?」 から
「Q.車は何に乗っているんですか?」、「Q.内田先生とは仲が良いんですか?」 まで、
今までのどの学校のどの代でも聞かれたことのないような珍問の連続で笑いが止まりませんでした。

さて、代表質問に選ばれなかった質問にはブログの中でお答えしていく予定であると話しました。
このブログはすでに2008年の5月からやっていますので、
皆さんの先輩たちも聞いてくれた質問に対してはすでに解答しています。
左側の 「カテゴリー」 という欄の中の 「哲学・倫理学ファック」 というところをクリックして、
ずーっとさかのぼっていくと、私が昔書いた答えに行き着くのですが、
探すのはめんどうくさいでしょうから、下記からジャンプできるようにしておきます。
自分が出した質問、興味ある質問の答えを読んでみるようにしてください。
文字の色が変わっているところをクリックするとそのページに行くことができます。

まずは私のプライベートに関する質問に対して。

Q.何歳ですか?
Q.出身はどこですか?
  これらに関してはブログではなくホームページの 「プロフィール」 のところをご覧下さい。

Q.先生のモットーは何ですか?
Q.先生は自分自身がどういう人間だと思いますか?
  「汝自身を知れ」
  「汝自身を知れ (その2)」

Q.趣味は何ですか?
  「Q.趣味はありますか?」

Q.先生はいつもどんなことを考えて生活していますか?
  「Q.哲学の先生の頭の中では常に何を考えているのですか?」

Q.本は何冊ぐらい持ってるのですか?
Q.今までにどれくらい本を読んできましたか?
  「Q.たくさん本を読んだそうですが、どれくらい読んだんですか?」

Q.いつ頃から本を読んでますか?
  「Q.哲学をやろうと思ったきっかけは何ですか? (その0)」

Q.一番好きな本、感動した本があれば教えてください。
  「Q.大好きな本は何ですか?」


ここまでのところ倫理学と無関係な質問ばかりですが、やっと倫理学がらみの質問が出てきます。

Q.なぜ倫理学の先生になろうと思ったのか?
  「Q.哲学・倫理学の先生になろうと思ったきっかけは?」

Q.どうして倫理学の道を選んだのか?
Q.なんで倫理学者になろうとしたか?
  私にとって倫理学と哲学は同義語ですので、以下の4部作をご覧ください。
    「Q.哲学をやろうと思ったきっかけは何ですか? (その1)」
    「Q.哲学をやろうと思ったきっかけは何ですか? (その2)」
    「Q.哲学をやろうと思ったきっかけは何ですか? (その3)」
    「Q.哲学をやろうと思ったきっかけは何ですか? (その4)」

Q.倫理学ってわかりやすく言うとどうゆう内容なんですか?
  「Q.倫理学を一言でいうと何ですか?」
    参考までに 「Q.哲学を一言でいうと何ですか?」 もご覧下さい。
    それから 「Q.倫理学者は倫理的な人ばかりですか?」 も参考になるかもしれません。

Q.倫理学を勉強して役に立ったことはありますか?
  「Q.倫理学を学んで役に立つことって何ですか?」

Q.倫理学を学んで何を得たのか?
  「Q.倫理学を学んでよかったことは何ですか?」

Q.倫理学を学んで人生において得したことはありますか?
  「Q.哲学を学んでよかったことは何ですか?」
  「Q.哲学を学んでよかったことは何ですか? (その2)」

Q.先生にとって倫理学は楽しいか?
  「Q.先生にとって倫理とは何ですか?」

Q.倫理学の嫌いなところは何ですか?
Q.倫理学者にならなければ良かったと思うことはあるか?
  ちょっとこれらの質問に直接答えてはいないかもしれませんが、
    「Q.倫理学を教える上で難しいと感じることは何ですか?」 をお読み下さい。


代表質問に選ばれたような人生の悩みは先輩たちも出してきてくれていました。

Q.人の気持ちはなぜ変わるのか?
  「Q.変わらないものはないのか?」

Q.何もかも嫌になって、死にたいと思った時、どうすればいいでしょう?
  この質問に直接答えることはできませんが、関連することを書いたことがあるので、
    「Q.自殺をどう思いますか?」 を読んでみてください。
    それと、「Q.人間として一番大切なことは何ですか?」 に書いたことも関係あるかもしれません。
    私が教わった先生の中には、
    こんな話 (「自殺したくなったら」) をしてくれた方もいらっしゃいました。


だいたいこんなところでしょうか。
今後は、まだ答えたことがない質問に順番にお答えしていくことにしましょう。
7回目の講義が終わるまでにお答えしきれるといいのですが…。

看護学校授業開始 & Suica問題

2010-09-28 21:46:55 | お仕事のオキテ
本日、例年より数日早く、白河と郡山の看護学校での授業が始まりました。
朝6時53分の東北本線上りで白河まで行って2コマ 「倫理学」 の授業をやり、
白河厚生総合病院の最上階レストランで昼食をとったあと、
下りの東北本線で郡山まで戻って1コマ 「倫理学」 の授業をし、
17時12分の電車で金谷川まで戻ってきて福島大学に寄り、
雑用をすませるという超ハードスケジュールです。
なんだか疲れ切ってまだ頭がボーッとしている感じですが、
とにかく何とか1回目の授業を終わらせてきました。
どちらの学校でも例年通り第1回目は 「倫理学の先生に聞きたいこと」 の質問に、
その場で片っ端から答えていくという、頭を超フル回転させる苦行からスタートです。
代表質問に選ばれなかった質問には、このブログの中の
「哲学・倫理学ファック」 というカテゴリーの中で順次お答えしていくつもりですが、
今日はさすがに疲れ切っているので、それはやめておきましょう。

実は昨年から、今年になれば劇的に変わるのではないかと期待していたことがあったので、
その話をサクッと書くことにします。
タイトルにも書いたとおり、Suica問題です。
Suicaはもう皆さんご存知ですね。
JRの駅でピッとタッチさせれば自動改札を通ることができるICカードのことです。
私は東京にも活動圏がありますので、
福島でSuicaが使えるようになる以前からSuicaを利用していました。
福島でもSuicaを使えるようになって非常に便利になり、
毎日の通勤はすべてSuicaで行っています。

ただし福島は全県Suica利用可能になっているわけではなく、
じょじょに利用可能エリアが広がりつつあるところです。
で、昨年の段階で郡山のちょっと南までSuicaが利用可能になっていて、
この調子でいけば今年には白河までの看護学校の旅で、
Suicaが使えるようになるんではないかなあと期待していたわけです。
これは劇的に旅がラクになります。
福島―白河間の運賃なんて覚えていませんから、毎回券売機のところで上を見上げて、
あっ1450円だなと確かめてから切符を買ったり、
帰りの白河―郡山間と郡山―金谷川間はたまたま金額が一緒で650円だなとか、
それをいちいち券売機で買う苦労とかが一切要らなくなります。
ふだんよりちょっと多めにチャージしておけば、
あとはピッ、ピッとスイスイ電車に乗れるじゃないですか。
そうなっていることを期待していたんです。

でもダメでした。
もう本当に惜しいところまで来ているんです。
白河駅の3駅手前の矢吹駅まではもうSuicaが使えるようになっているんです。
あとほんのちょっとじゃないですか。
矢吹と比べたら白河や新白河ははるかに利用客も多い立派な駅じゃないですか。
なのになぜまだ利用可能エリアになっていないっ
JR東日本しっかりしろっ
なぜそんなところで力尽きてる?
みんなキリキリ働けっ
クソーッ、来週までにはSuicaが使えるようになってるといいんだけどなあ。
白河在住ならびに白河に通勤通学している皆さん、
ぜひJR東日本に圧力をかけて、Suica改札を導入するよう促してください。
そしたら白河バーガーだってSuicaで買えるようになるじゃないですか。
なにとぞよろしくお願いいたします

P.S.
白河厚生総合病院付属高等看護学院のみんな、
国際メディカルテクノロジー専門学校看護学科のみんな、
これ読んでる?
なにか気になる記事があったらコメント書いてくれるとうれしいです。
あと6回、よろしくお願いします

柚子胡椒の賞味期限

2010-09-27 07:27:11 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
佐賀県には 「柚子胡椒」 という特産品があります。
佐賀県に固有なのかどうかよくわかりませんが、
我が家では誰かがお墓参りなどで帰省するたびに買って帰ってきていました。
最近では東京や福島のお店でもよく見かけるようになりましたね。
どこの特産品かということとは関係なく、メジャーな香辛料になりつつあるようです。
だいたいこんな感じでビン入りで売られています。



これがムチャクチャ辛いです。
我が家では味噌汁に入れたり、冷や奴や湯豆腐につけたりしますが、
ほんの少量で十分です。
ほんのちょびっとで柚子の香りとピリッとした辛みが効いて、
いろいろなものがとても美味しくなるのでたいへん重宝していますが、
量を間違えるととんでもないことになります。
見た目すりおろしたワサビに似ているので、
ワサビと同じ感覚で入れてしまう人がいますが、
そんなに大量に入れたらどんな料理も激辛料理になってしまいます。
耳かきの先ほども入れるか入れないかくらいで十分なのです。

さてこの柚子胡椒、1回に使う量がごく少量ですのでなかなかなくなりません。
特にうちは一人暮らしですし、ちゃんと毎朝お味噌汁を飲んだりもしないため、
残念ながら柚子胡椒を使う機会はものすごく少く、
よけいに柚子胡椒の消費量は限られてきてしまいます。
ですのでこの1ビンを使い切るのは容易なことではないのです。
何年もかかってしまいます。
で、うちにあるやつをいつから使っているんだったか調べてみたら、
なんとこんなことになっていました。



この写真はちょっと見にくいかもしれませんが、
製造年月日が07年8月25日、
賞味期限が08年8月25日となっています。
なんともう3年も前に作られたんじゃありませんか。
賞味期限も2年以上前にとっくに切れているし。
しかし、なんの問題もありません。
風味も辛みも開栓したときのままですし、
そもそも香辛料ですから腐ったりカビが生えたりということもまったくありません。
先日もちらっと書きましたが、私、賞味期限表示なんて信じていませんので、
嗅いでみたりちょっと食べてみて大丈夫そうなものは平気で食べてしまいます。
卵とかも冷蔵庫に入れておけば1ヶ月くらいは軽くもつでしょう。
(昔 『古畑任三郎』 で卵の消費期限が謎解きのカギになる回がありましたが、
 そんなことで犯人にされちゃたまらないなあと思って見ていました。)

だいたい消費期限とか賞味期限ってなにか科学的な根拠があって決まっているのでしょうか?
腐った物を食べて訴えられたら困るということで、
メーカー側が責任逃れのためにテキトーに決めているだけではないでしょうか?
最近、賞味期限の書き換えみたいな事件が起こっていて、
マスコミなんかは鬼の首を取ったように騒ぎ立てていますが、
私に言わせれば、賞味期限の切れたものはどんどん廃棄しなければならない、
という文化のほうがよっぽど問題だと思うのです。
まだまだ大丈夫なものであれば、当初想定していた賞味期限は切れましたが、
まだ美味しく食べられますよと安価で提供するとか、
あるいは最初から食品には製造年月日だけを記しておいて、
あとは消費者の側が自己責任でまだ食べられるかもうダメかを判断するようにする、
というほうがよっぽどいいと思うのです。
怪しいものを食べてお腹をこわしてしまったり、
最悪、食中毒になってしまったりしても、
それはそれで経験知が増えたなあと受け止めればいいのであって、
それをメーカーのせいにして訴訟を起こすなんて責任転嫁もいいところだと思うのです。
消費者の側が自分の五感を駆使して、
何が食べられて何がダメかを自分で判断できるようになることが大事だと思います。

というわけで今日は、我が家の柚子胡椒は年季が入っているという話をしていたつもりでしたが、
いつの間にか、賞味期限なんか要らないという私の年来の主張にすり替わってしまいました。
せっかくですので、農林水産省の方々、ご検討のほどよろしくお願い申し上げます。

脳死者の数は?

2010-09-25 09:37:19 | 生老病死の倫理学
先の記事の後、9月12日と18日に脳死・臓器移植が行われ、

臓器移植法改正後約2ヶ月のあいだに10例 (通算96例) が実施されたことになりました。

この10例のうち、ドナーカードによる意思表示をしていたのはお1人だけです。

改正前の臓器移植法によれば、脳死判定を受け入れ臓器を提供することを、

ドナーカードによって意思表示していないかぎり、

脳死判定すら行われないということになっていたのですから、

法律が改正されていなければ、この2ヶ月のあいだに脳死者はたった1人だけだったことになります。

他の9人の方々は人工呼吸器につながれて、脳死判定もされないまま、

そういう人たちが存在していることもけっして表に出ることはなかったのです。

もちろん、家族の同意だけで脳死・臓器移植が行われることには賛成できませんが、

今回の法改正により脳死者の存在が明るみに出たことはよかったことの1つだろうと思います。

今後、政府ならびに臓器移植ネットワークにお願いしたいのは、

脳死者の実数を明らかにしてもらいたいということです。

この2ヶ月間の脳死者は10人だけではないはずなのです。

つまり、脳死になってしまったけれどご家族が臓器提供を拒んだケースというのが、

はるかにたくさん存在するはずなのです。

そういう人たちも含めた脳死者の実数を公表するべきだと思うのです。

脳死・臓器移植を行ったケースだけ発表し報道するのでは、家族に対して、

臓器提供しなければいけないのではないかというプレッシャーを与えることになってしまいます。

そうしなかったケースがはるかにたくさんあるということは家族が知っておくべき情報でしょう。

そして、その人たちはその後どうなったのでしょうか?

未だに人工呼吸器につながれたままなのでしょうか?

それとも延命治療を停止して人工呼吸器を外し、心臓死を迎えることになったのでしょうか?

私の前々からの持論ですが、臓器提供をするかしないかとは関係なく、

脳死した人々をどう扱っていいのか、どう扱うべきかというのは大問題だと思うのです。

現代医学が心臓死 (心停止、呼吸停止、瞳孔散大) に干渉することができるようになり、

脳死状態をいくらでも長引かせることが可能になっている今日、

(脳死になったらほんの数日のうちに必ず心臓死に至るなんて遠い過去の話です)

何が死で、私たちはどうやったら死ねるのか真剣に考え直す必要があるだろうと思います。

そのためにも脳死者の実数と現状について正確な情報を提供してもらいたいと思います。

小野原月間

2010-09-24 08:56:42 | 人間文化論

ご覧頂いている写真は、昨日ふなちょから送られてきたものです。

「こんなのがありまつお」 という一文が添えられていましたが、

どこにビックリポイントがあるのか写真を見ただけではよくわかりません。

サンドされている黒っぽい丸い物体が何なのかよく見えませんが、

私が干しぶどうが苦手だということを知っていて、

わざわざ干しぶどう入りのお菓子の写真を送ってきてくれたということでしょうか?

しかし、キュウリ嫌いはあちこちで公言していますが、

干しぶどうは苦手ではあるけれどもまったく食べられないわけではないし、

したがって 「干しぶどうなんか嫌いだ」 なんて宣伝した覚えはありません。

この写真で私に何を伝えたいのかがよくわからなかったので、

「もうちょっと寄りで撮って、ビックリポイントを明確にしてくれ」 と頼んだところ、

アップの画像を送ってきてくれました。



なるほど 「小野原サブレ」 でしたか。

それはビックリです

パッケージなんてそれはもう小野原です。



どこの誰が 「小野原さぶれ」 なんて作っているんだろう、

遠い親戚の小野原さんだろうか? なんて考えていたところ、

さらに次々と写真が送られてきました。



「今度はラーメンだ~」 だそうです。

「ラーメン来来亭」 の 「小野原店」 ですか。

これでやっとわかりました。

大阪のほうに小野原という地名があるということは知っていましたが、

ふなちょはそこに遊びに来ているのですね。

きわめつけはコレです。



「今度はご飯

ふーむ、「小野原食堂」 ですか。

いくら地名とはいえ雑なネーミングですね。

今どき 「郡山食堂」 とか 「金谷川食堂」 なんていう店名にしたりする人がいるでしょうか?

それはさておき、ふなちょのおかげで 「小野原」 を堪能することができましたが、

そもそもなんでふなちょは小野原におでかけしたりしたのでしょうか。

大阪在住の人間がわざわざ訪ねていかなければいけないほどの土地とも思えないのですが。

そう尋ねるメールを送ってみたところ、次のような返事が戻ってきました。

「今日は小野原さんのことをずーっと心の片隅に置いておく会でした

いっこうに要領を得ない返事ですので、

同行しているもうひとりの方にも聞いてみますが、その方からも、

「今は、小野原さんが私たちの心の主役月間なのです

というさらにわけのわからない回答が返ってきただけでした。

何をしておるのだ、君たちは

ケータイのピポパ

2010-09-23 15:56:35 | お仕事のオキテ
今、新幹線に乗っているんですが、左斜め前方に座っている女性が 「ピポパおばさん」 でした。
大声で延々としゃべり続ける女性グループ、
ケータイの呼び出し音が鳴り続けているのにまったく気づかなかったり、
逆に座席に座ったまま平気で電話を受けて大声で商談を始めるオヤジ、
赤ちゃんがどれだけ泣き叫ぼうとも何もしようとしないニグレクト両親、
子どもたちがどれだけ騒ごうが、席で飛び上がったり、前の座席を蹴ったり、
折りたたみのテーブルをガタンガタン開けたり閉めたりし続けようが、
やりたい放題にさせておく放任両親などなど、
新幹線で乗り合わせたくない同乗者っていろいろ居て、
それらに比べれば迷惑度はそれほどでもないかもしれませんが、
それでもやっぱりピポパおじさん、ピポパおばさんが近くに乗っていると、
旅は台無しになってしまうと言えるでしょう。

え? ピポパおじさん、ピポパおばさんて何のことかわかりませんか?
私が勝手に命名したのでムリもないかもしれません。
えーっと、ケータイ電話って初期設定のままにしておくと、
ダイヤルを押すたびにピ、ポ、パって音が鳴るじゃないですか。
普通の人は新しい機種を買ったらすぐに、
「機能設定」 → 「音設定」 → 「キー操作音」 → 「off」 というふうに、
音が鳴らないように設定し直しますよね。
それをしないままの人がこの世には何パーセントかの割合で存在するのです。
そういう人々のことを私は 「ピポパおじさん」、「ピポパおばさん」 と呼んでいるのです。

彼らはたぶん、悪意があってそうしているのではなくて、
そういう設定変更ができるということを知らないか、
そもそもキー操作のたびに音が鳴っているということに
まったく気づいていないかのどちらかだと思います。
だから、その罪は彼らにあるのではなく、
旧態依然とした因習にとらわれ続けているケータイ電話製作会社のほうにあるのだと思います。
ケータイの初期設定で、キー操作音が鳴るようになっているのは、
ケータイを未だに電話機だと思って作っているからだろうと思います。
電話機はダイヤル式からプッシュホン式に移行したときに、
1個1個のボタンがそれぞれ別の音を鳴らすように設定されたのです。
それはまあいいでしょう。
電話番号なんて10ケタくらいのもんですから10回音を聞けばいいだけです。
しかもイエ電の場合、近くにその音を聞かされる他人は存在しません。
しかし、ケータイの場合はそもそも近くに他人がいるような場所で使えることがウリなわけですし、
しかも、メール機能が標準装備されるようになって以来、
ケータイのキーは電話のプッシュボタンというよりも、
パソコンのキーボードと同格のものに変化したはずなのです。

パソコンのキーボードは押すたびに音が出たりするでしょうか?
オフィス中のパソコンが全部キー操作するたびにピポパ、ピポパって言ってたら、
そこで働いている人々は全員気が狂ってしまいませんか?
しかも、ケータイはキーの数が少ない分、キーを押す回数が飛躍的に多いです。
例えば 「おとうさん」 て打とうと思っただけで、
ピピピピピポポポポポピピピプパパパと計17回も音が鳴ってしまいます。
そうなんです。
ピポパおじさん、ピポパおばさんて、この調子で延々と、
ピピピピピピ、ポポポポポポ、パパパパパパとメールを打ち続けてしまうのです。
これはどう考えても電話製造会社が悪いですよね。
初期設定をキー操作音無効にしておいてくれるだけでいいのに。
そして、キー操作音が鳴らないと困るという人にだけ、
販売のときにおねえさんがキー操作音を on にしてあげればいいと思うのです。
というわけで、電話製造会社のせいで福島から東京までずーっと、
ピポパ音を聞かされ続けることになってしまいました。
あーっ、うるさかった
まあ、怒りにまかせてブログが1本書けてしまったのでそれでよしとするか、チクショー。

学内車道無用論

2010-09-22 17:32:00 | ドライブ人生論
先日、福島大学の学内を猛スピードで走っているクルマを見かけました。
福島大学の学内は制限速度が時速20kmとなっておりますので、
どれほどスピードオーバーしていたのでしょうか。
まあ制限速度20kmというのはありえないくらい遅いスピードですので、
実際にそれを守っているクルマを見たことがないくらいですが、
それにしても大学の施設内をあんなにスピード出すなんて危ないったらありゃしません。
その昔、寮生が (福大の学生寮はキャンパス内にあります)、
図書館の先の下り坂になっている急カーブのところを猛スピードで走っていたら、
曲がりきれなくてクルマが横転する大事故を起こしたことがありました。
単独で事故るのは自業自得だからかまいませんが、歩行者を轢いたりしたら大惨事です。
時速20kmで走れとは言いませんが、学内はできるだけそーっと走ってもらいたいものです。

ところで、私は福島大学に来たときから気になっていたことがあります。
そもそもなんで学内に自動車用の舗装道路が通っているのでしょうか?
そんなものを作るからみんなスピードを出したくなるのです。
例えば、皆さんの小学校や中学校や高校の敷地内に車道なんてありましたか?
舗装はされていたかもしれませんが、センターラインまで引いてあって、制限速度まで指定してあって、
どうぞクルマで通過してくださいなんていうような道路はなかったはずです。
基本的に学内というのは児童・生徒が歩行するわけですから、
たとえクルマが乗り入れることができたとしても、
肩身を狭くしながらそーっと通らなければいけないような作りになっていたはずなのです。
それを福島大学みたいにきっちり車道が整備されて、
歩行者の側がクルマを気にしながら歩かなければならないなんていうのは本末転倒なのです。
福島大学の場合、車道だけはあって歩道すら設置されていない、
ないしは、道路の片側だけにしか歩道がないという箇所が多々ありますから、
学内を歩く人間のほうがものすごーく肩身の狭い思いをしなきゃいけないことになってしまっています。

ちなみに私は学部時代は東京外国語大学 (今はなき西ヶ原キャンパス)、
大学院時代は法政大学 (市ヶ谷キャンパス) に通っていましたが、
どちらのキャンパスにも自動車用の舗装道路なんてありませんでした。
もちろん学内にはクルマは乗り入れ可能でしたし、駐車場も若干ありましたが、
クルマのほうは大学の敷地内に入ったら、
闊歩する歩行者のジャマにならないように慎ましく駐車場まで静かに移動するしかありませんでした。
外語大も法政大もあまりキャンパスが広くなかったからそうなっていたと言えるかもしれませんが、
福島大学だって、数ある大学の中では本当に小さなもんです。
こんな小さなキャンパスに舗装道路をくまなく張りめぐらせた設計者の神経が理解できません。

今回のテーマから引き出される、人生全般に応用可能な教訓は次のようなものです。
人間の行動はシステムや環境に依存している部分が大きいので、
個人の善意やモラルに訴える前に、システムや環境を整える必要がある。
人が危険な行為に走ってしまう誘因を突き止めて、
それを根絶してあげれば、問題を飛躍的に改善することができる。
以上の2点です。
というわけで、福島大学から車道を撤廃すべきだ、というのが今日の結論でした。

女の常識 ・ 男の非常識 (その3) ・ タイツ類

2010-09-21 02:56:31 | 性愛の倫理学
1、2年くらい前からでしょうか。
あるいはもっと前からなのかもしれませんが、私が気がついたのはその頃でした。
女性が冬でなくてもタイツを履くようになっていませんか?
私が知っている範囲内では、
ストッキング (正確にはパンティストッキング) の厚いやつがタイツであり、
それは防寒のために厚いのだから、タイツは冬用であると思っていました。
ここで私が最近仕入れた知識を惜しげもなく披露してしまうならば、
「デニール」 という単位があるそうなのです。
繊維の太さを表す単位で、
この値が大きければ大きいほど厚くて暖かいタイツということになるのだそうです。
どうです男性諸君、そんな単位聞いたことなかったでしょう。
今度彼女が超厚のタイツを履いていたら 「それ最新の230デニール?」 って聞いてみたら、
女性文化に詳しいのねと一目置かれること間違いありません。
(同時に気色悪がられるだろうと思いますが…)

この 「デニール」 も女性には常識でも男性はまったく知らない概念という意味で、
「女の常識 ・ 男の非常識」 のひとつだと思いますが、
今日取り上げたいのは別のことです。
本来、防寒用、冬用であったはずのタイツが一年中着用されるようになったのと同時に、
いろいろな形状のものが出回り始めていたことには男性諸君も気づいていたろうと思います。
くるぶしの上で切れてしまっているタイプのものや、
それに足の裏に引っかける紐 (?) がくっついているタイプのものなどです。
これらにはそれぞれ名前がついていたってご存知だったでしょうか?
「ニーハイ」 とかは男性だって聞いたことがあるでしょうが、
(「絶対領域」 も男にとって大事なことばです)
タイツ類の呼び名は男性にとってまったく未知の領域なんではないかと思います。
今日はそれを勉強しましょう。

タイツというのは上述したようにパンティストッキングが厚くなったもので、
爪先まで覆う形状のものを指します。
これが基本形です。
これの足首から先がなくなってしまった、男性用で言うならば 「ももひき」 みたいなやつが、
現在では 「レギンス」 と呼ばれているようです。



ただしこの名称はどうも怪しいようで、
ウィキペディアによるならば、レギンスというのはタイツ類の名称というよりは、
細身のパンツを意味する 「スパッツ」 と同義語だったようで、
我々が思う下着に限らず、ぴっちりした女性用ズボンのことを指すことばだったようです。
(膝上が 「スパッツ」 、くるぶし上が 「レギンス」 という呼び分けもあるそう)
しかし最近では、足先のないタイツのことを特に指して、
「レギンス」 と呼んでいる女性が多数派のように見受けられます。
ちなみに男性はスキーのときとかにスキーウェアの下に履くアンダーウェアのことも、
「タイツ」 と言うと思いますが (足先がないやつ)、
昨年 「ユニクロでお買い物」 の記事を書いたとき、
「タイツを買ってきました」 と書いたら、
男の人もタイツ (足先まで覆われてるやつ) なんて履くの?といぶかられたことがあります。
ユニクロでは 「ヒートテックタイツ」 という名称で売っていましたので、
「タイツを買った」 と言っただけだったのですが、
女性にもわかってもらうためには 「レギンスを買いました」 と書くべきだったのでしょう。

このレギンスに、足の裏に引っかける部分がくっついたやつ、
逆に言うと、タイツから爪先とかかとの部分がなくなっているやつが 「トレンカ」 です。



ウィキペディアによると 「トレンカレギンス」 の省略形のようです。
最近これが増えましたね。
レギンスよりもトレンカのほうがよく見かけるかもしれません。
男性の私から見ると、土踏まずのところが気になってしょうがないんじゃないかなあ、
と心配になってしまい、タイツかレギンスでいいんじゃないのと思ってしまうのですが、
女の子的にはこれがオシャレということになっているのでしょう。

ていうかそもそも夏場はこんなタイツ類なんて履かないで、
ナマ脚を見せてくれた方がよっぽどいいと思うのですが、
女の子たちの間でかわいいと流行っているものが男にとっては魅力的でも何でもないということは、
ファッション関係ではよくあることですね (これについてはまたそのうち論じます)。
しかしながら、この手のことについては真っ正面から議論したりせず、
「うん、かわいいね」 と受容してあげることが大事だと最近わかってきました。
男性の皆さん、この機会にぜひ、タイツ、レギンス、トレンカ、
この3種類の名前とそれぞれの違いを覚えて、
さりげなく日常生活の中で使ってみるようにしましょう。
この流行もいつ去ってしまうかわかりませんので、
女性文化に対する理解を示すことができるのは今のうちだけかもしれませんよ。

祝 ・ 全東北学生競技ダンス連盟創設40周年

2010-09-19 12:13:27 | ダンス・ダンス・ダンス
本日は、全東北学生競技ダンス連盟創設40周年の記念式典です。
これから仙台に行って連盟会長として挨拶をしてきますが、
記念誌に挨拶文をすでに寄稿してありますので、
一足お先にそれをブログに転載しておきます。
40年というのはやはり長い歳月ですよね。
とはいえ別の見方からすれば、たったの40年とも言えるわけです。
そういう歴史の重みについて考察してみました。
40周年おめでとうございます。



           全東北学生競技ダンス連盟40周年に寄せて

                                     全東北学生競技ダンス連盟会長
                                          小 野 原  雅 夫

 全東北学生競技ダンス連盟創設40周年おめでとうございます。私は福島大学の社交ダンス部の顧問になってから10年ちょっと、当初はまだ福島大学は全東北学生競技ダンス連盟(以下、学連と略記)に加盟しておりませんでしたので、私が学連とお付き合いするようになってからまだ10年も経っておらず、30周年のときのことすら何も知らない状態です。そんな私が2006年から学連会長を務めさせていただくことになり、もう早5年目となります。このような私ですので、学連40年の歴史について語ることはできません。その点は神宮副会長にお任せすることとして、一般的に40年の歴史をもつ大学の部活動というものに関して一言述べさせていただこうと思います。
 大きな目で見るならば、40年の歴史というのはそれほど長いものではありません。もう戦後65年くらい経っており、多くの国立大学(現在では国立大学法人と生まれ変わりましたが)は1949年の国立学校設置法によって創立されていますので、昨年60周年を迎えた大学が多かったことと思います。伝統ある部活というのは大学創立とほぼ時を同じくして創設されているはずですから、50年、60年の歴史をもつ部活がたくさんあるはずです。また、東北大学のような旧帝国大学はもっとはるかに長い歴史をもっていますので(東北帝国大学の場合は1907年創設)、100年を超える伝統をもつ部活というのも、大学によってはあってもおかしくないのです。
 そんな中で40年の歴史というのは、それほど際立って長い歴史ではないと言うことができるでしょう。それは、そもそも競技ダンスというものが新しいスポーツだからです。世界的に見ても、初めての世界選手権が開催されたのが1922年ですから、東北大学ほどの歴史もないわけです。日本で初めての全日本アマチュア選手権が開催されたのは1932年ですが、本格的にスポーツとして広まっていったのは戦後になってからのようです。日本舞踏競技連盟は1950年に創設、それに先んじて日本学生舞踏連盟が1949年に創設されていますので、学生競技ダンスのほうが新制国立大学と同じ長さの歴史をもっていることになりますが、いずれにせよやはり、戦後になってやっと広まり始めたスポーツだということになるでしょう。もっとも戦前や戦時中に社交ダンスや競技ダンスなんかをやっていたらどんな迫害にあったかもしれませんので、平和な時代になってからこのスポーツが発展していったということは、慶ぶべきことだろうと思います。
 そして、ずっと競技ダンス部がなかった東北地区に、神宮副会長の御尽力等もあってやっと学連が誕生したのが1971年。歴史の浅い競技ダンスというスポーツの中にあっても、東北学連の40年の歴史というのが本当にまだほんの駆け出しにすぎないということがわかってくるでしょう。とはいえ、そんな歴史のことなんて意識しないまま、その歴史の中に投げ込まれた皆さんにとっては、40年というのはやはり長く重たい重圧としてのしかかってくるのではないでしょうか。皆さん20歳前後だとすると、東北学連はおよそ皆さんの倍くらいの時間を生きてきているわけです。そして、その40年のうち、皆さんが直接学連に携わることができるのは、たった4年だけです。4年が過ぎてしまえば、あとはOB、OGとして見守ることぐらいしかできないのです。そのそれぞれの4年間を、自らのダンスの修練と、各大学ダンス部の運営と、東北学連の発展のために捧げてくださった先輩各位に心から感謝申し上げたいと思います。特に黎明期において、何の伝統もないところに新しい歴史を築いていくのは並大抵の苦労ではなかっただろうと拝察いたします。ここまで東北学連の基礎を作り上げてきた皆さんの努力に敬意を表します。また、神宮副会長をはじめ、歴代の会長を務めてくださった先生方、各大学の顧問の先生方にも厚く御礼申し上げます。皆さまの温かい励ましとサポートがなければ、けっして今日のこの日を迎えることはできなかったでしょう。そして現役生の皆さん、この40年という長くて短い歴史を有り難く感謝しながら受け継いで、次の世代へと確かにバトンタッチし、これから東北学連が100年、200年と歴史を重ねていく、その中興の祖となるよう頑張ってください。

健康診断対策ならびに公式記録

2010-09-18 19:05:07 | がんばらないダイエット
一昨日は年に一度の健康診断でした。
例のごとく夏休み中というのは飲む機会が多いので、
一番状態の悪いところで健康診断を受けなければならなず、ひじょうにマズイです。
先週から今週にかけてもよく飲んでいましたので、特に肝臓の結果が心配です。
しかも健診の2日前にはダンス部の合宿打ち上げがあり暴飲暴食してしまいました。
一夜明けて健診前日、前日飲み食いしたものがまだお腹に残っている感じで、
朝食はいつものように野菜ジュース一杯ですませましたが、
お昼もあわただしく過ごしているうちに、昼食を取る機会を逸してしまいました。
まあ、そんなにお腹も空いていなかったのでこれでよかったのでしょう。

そして夕食。
朝から何も食べていないのでガッツリ食べたいところですが、
冷蔵庫を開けてみたらしばらく前に買った納豆と豆腐が目に入りました。
いつか食べようと思って買っておいたのですが、
外食が続いてしまったのでずっとほったらかしになったままで、
見てみるといずれも賞味期限を数日過ぎてしまっています。
私は賞味期限表示なんて信じていない人間ですので、
明日は健診だし、よし今日はこれで健康的なディナーにしようと決めました。
納豆3パックを一気にかきまぜ、ミニ豆腐4丁を全部湯豆腐にしてしまいます。
納豆には、これも賞味期限切れの野沢菜じゃこ
(野沢菜のみじん切りとちりめんじゃこのミックスされたもの) をたっぷり入れ、
豆腐にはすりゴマをどっさりかけることによって、
よりいっそう健康食っぽさを強調します。
夕食はこの2品だけ。
ひじょうに豆豆したディナーになりました。
当然アルコールも抜きです。
これで血液サラサラ、肝臓の値もよくなること間違いなしです。

健康診断の当日はあいにくの雨で、ちょっと肌寒いくらいの感じでしたが、
何度も脱ぎ着する手間を考えてTシャツとGパンとサンダルで行ってみました。
それにしても今年はミョーに待ち時間が長かったですねえ。
業者が変わったんでしょうか。
心電図とレントゲンなんて屋外に停めてある専用車の外で待たされるのですから、
雨の中、傘をさしてじーっと佇んでいなければなりませんでした。
それはさておき健診の結果はどうなるでしょうか。
結果が出次第またご報告させていただきますが、とりあえず今の段階でひとつだけ朗報が。
体重が64.5kgでしたっ
このところの暴飲暴食でリバウンド気味でしたが、
前日2食抜いた上に、夕食も豆だけにしたのが功を奏したのでしょうか。
65kgを下回る数字を叩き出すことができて本当によかったです。
ていうか、健康診断での体重測定って全部洋服を着たまま、
実測値から一律1kg引くという乱暴な量り方ですので、
ふだん自宅で量っている数値のほうがよっぽど正確だし意味があるんですが、
しかし健康診断の場合、公式の記録としてずっと残りますので、
ここで65kg未満の数字を残せたことはとてもうれしいです
このままリバウンドしてしまったとしても、
この半年の実績は永遠に記録に残ることになりました。
よかった、よかった

Dancing’s All About the Line.

2010-09-15 18:24:45 | ダンス・ダンス・ダンス
「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」 という映画をDVDで見ました。

80歳の姿で生まれた赤ん坊が、歳を取るにつれてだんだん肉体的には若返っていくという物語です。

最近はコンピューター処理でなんでもできるんだなあと感心しました。

ブラッド・ピットが、まだちっちゃいんだけど老人というところから、

見た目10代なんだけど壮年というところまで演じきっています。

お話としてはよくできていて、泣いてしまうところもありましたし、いい映画だったと思いますが、

よく思い返してみると、この突飛な設定によって何を伝えたかったのか、

今ひとつはっきりしないところもあります。

まあ、それはいいでしょう。

この映画で私が一番魅きつけられたのは、ヒロイン役のケイト・ブランシェットでした。

このあいだスカパー!で 「バンディッツ」 をやっていて、

元カノに似ている (あくまでも私の印象) ということもあってけっこう気に入っていたんですが、

「ベンジャミン・バトン」 ではさらに美しさに磨きがかかっていました。

その彼女が本作ではバレエ・ダンサー役で、私はバレエのことはよくわかりませんが、

素人目には、この女優さんもともとバレエ・ダンサーだったんじゃないの?

と思ってしまうくらいみごとにバレエ・シーンを美しく演じていました。

で、標題の ”Dancing’s All About the Line.” というのは、

交通事故のために第一線から退いて、子ども相手のバレエ教室をやっている彼女が、

子どもたちが帰ったあと1人鏡の前で踊ってみるのだけれど、

昔のようには踊れなくなってしまっているところをブラピに見られて、つぶやいた一言です。

字幕ではあっさり 「ダンスはラインなの」 と訳されていましたが、

私だったら 「ダンスはラインがすべてなの」 と訳したいところです。

これはダンスの本質を突いた名セリフだと思いました。

そうです、ダンスはラインがすべてなのです。

特に初心者はステップやら動きやらに気を取られてしまいがちですが、

大事なのは、そのひとつひとつのステップや動きの中で、

常に最高のラインを作り続けることができるかどうかなのです。

ダンサーの皆さんはぜひこの映画を見て、

ケイト・ブランシェットが作り出すみごとなラインを確認してみてください。

女優さんがちょっとした訓練で演じることができるんですから、みんなにできないはずはありません。

万歩計もザ・ブランド

2010-09-14 16:29:40 | がんばらないダイエット
万歩計を買いました。
メーデーのときにK学類のK先生が持っているのを見て、
ちょっと欲しいなあと思っていたのです。
しかし、最近のは私が思っていたようなのとはもう全然ちがうんですね。
わざわざベルトに着けなくとも、ポケットやバッグの中に入れておいても測れるみたいだし、
歩いた時間や距離、消費カロリーなんかも教えてくれます。
いろいろ悩んでこんなのを買いました (大きさはタバコと比べてこれくらい)。

    

ポケットに軽く入る大きさなので毎日持ち歩いています。
それにしても1万歩歩くのって並大抵のことじゃありませんね。
もうこれを使い始めて1ヶ月以上経ったと思いますが、
1万歩を超えたことは一度しかありません。
だいたい画面に映っているように2千歩くらいがいいところです。
しかし、こういうモノを持っていると、
ちょっと遠回りしようかなあとか寄り道していこうかなあとか思いますので、
それだけでも効果があると言えるのかもしれません。

ところでいつものようにウィキペディアで調べてみたら
「万歩計」 というのも登録商標だとわかりました。
一般名詞として正しくは 「歩数計」 と言わなきゃいけないそうです。
「万歩計」 は一般名詞だと思っていました。
やるな、山佐時計計器株式会社
「万歩計」 は完全にザ・ブランドだと言っていいでしょう。
ただし私はTANITAの製品を買ってしまいました。
ちなみにウィキペディアでは、平賀源内が改良に携わり、
伊能忠敬が測量に用いたという話まで書いてありました。
うーん、意外に歴史があるんだな、万歩計には。
ぜひとも毎日1万歩歩けるようになりたいものです。

研究室復活!

2010-09-13 17:47:28 | 幸せの倫理学
昨年の夏休みに 「エントロピー増大」 という記事を書きました。
その前の春休みに研究室の大掃除をして自己効力感が上がっていたのだけれど、
前期のあいだにそれが崩壊してしまい、なんとかしないとマズイという内容でした。
そのときの写真がこれです。



けっきょくあの夏休みのあいだにこれを片づけることはできないまま、
後期に突入してしまいました。
後期は木曜日に授業が3連チャンであり、
講義から戻ってくるととりあえず荷物をテーブルの上に置き、
休む間もなく次の授業に出かけるということをしなければならず、1日終わるともうグッタリして、
しっちゃかめっちゃかになったテーブルや机の上を片づけようという気にもならないまま、
重たい身体を引きずるようにして帰るということを繰り返していましたので、
エントロピーはさらに増大していきました。
特に後期は、「文化創造論」、「教養演習」、「公民科授業研究」 という、
いわゆる講義型ではなく、学生に課題を与えていろいろなことをやらせるタイプの授業が多いので、
必要な器材や資料、学生の提出物などが多く、なかなか片付けることができないという状況でした。
そのため研究室とは名ばかりで、
ほんの1~3名相手の卒論・修論指導もこの部屋のテーブルで行うことはできず、
論文を書くために机の上に各種文献を広げることはおろか、試験の採点をするスペースすらなくて、
地理学実習室や6階の空き部屋を転々としながらなんとか授業と仕事をこなすという毎日でした。
何度も片付けようとしたことはありましたが、エントロピー増大のスピードには抗いがたく、
とうとうその後の冬休みにも春休みにも掃除が成功することはなく、
うちのゼミ生たちはまるまる1年間、研究室でゼミをやることができずに、
ずっとボヘミアン生活を強いられていました。
今年の夏休みに突入したときには、テーブルや机の上ばかりでなく、
下にもモノがあふれ返り、こんな感じになっていました。

    

というわけで今年の夏の最重点課題は、研究室の掃除だったのです。
翻訳やら論文執筆やらホントはやるべき仕事が山積していますが、
研究室で研究できないのではお話になりませんので、
まずは環境整備から行っていかなければなりません。
まあ、はっきり言って今年の夏はほぼこの仕事に費やしたと言っても過言ではないでしょう。
途中、締切のあった論文執筆や採点はすべて自宅で行いました。
研究室ではもっぱら研究ではなく掃除をしていたのです。
しかし、ほとんど1年半分の堆積物ですから撤去作業は難航し、
遅々として進まないまま、何度も途中であきらめかけました。
そこをなんとか意志の力を振り絞って頑張り続け、
やっとここまで片付けることができたのです。

    

おおっ、素晴らしいっ
まだまだ完全とは言えませんが、
久しぶりにテーブルの木目や、机のグレーの作業面を見ることができました。
これで思いっきり研究や学生指導に打ち込むことができます。
ウウッ、うれしい
ぼくだってやればできるじゃないかっ。
問題は、また後期の授業が始まったときに、魔の木曜日をどうやって乗り切るかですね。
これで安心してしまうのではなく、ここからがエントロピーとの闘いの始まりです。
4年生やM2の子たちが卒業するまでこの部屋でゼミをやれるよう、
なんとかがんばっていきたいと思います。

福島の誤植看板

2010-09-12 12:36:54 | 人間文化論
誤字脱字ってすごく気になるんです。
すぐに気がついちゃいます。
うちのゼミ生はおかげでいつも卒論指導の時にボコボコにされています。
「誤字1つでマイナス1点ね」 とか言ってます。
これを厳密に実行すると誰も卒業できなくなってしまうかもしれません。
先日 「貸りる収納」 についてご報告したところ、
東京の方から 「私も見た」 というコメントを頂戴しました。
関東圏の電車の中に張り出す広告で誤植というのは、
ちょっと考えられないくらいの大失態で、
ウン千万単位の損害賠償が発生するんじゃないかと心配しているんですが、
(まだ撤去されていないということは今のところ誰も気づいていないのでしょう)
しかし、福島ではこの手の誤植はザラに見かけます。
誤字のチェックなんてゼミの時だけにしたいのに、
飲みに行って町中を歩いてると次々に発見してしまいます。
以前にMixiでは紹介したことがあるのですが、
こちらにも転載しておきましょう。
まずはこれです。



「LENTAL ROOM」 !
これはよくある基本的なパターンですね。
RとLのまちがい。
まあこれはいたしかたない面もあります。
rental という形容詞は、
rent 「賃借りする」 という動詞から作られた派生語ですが、
英語には lend 「貸す」 という逆の意味の動詞もあって、
これが lend - lent - lent と不規則変化するので、
rent と lent が混乱するというのは、
「貸す」 と 「借りる」 を間違ってしまうのと同じ構造と言えるかもしれません。
これは大目に見てあげることにしましょう。
でもこれはいかがですか?



「PUB LESTAURANT」 ?
同じRとLのまちがいなんですが、これは許しがたいっ!
「レストラン」 のスペルってなかなか覚えづらくて、
「レスタウラント」 と覚えた人もいたのではないでしょうか。
真ん中あたりが au になるところ、語尾に t が付くところなど、
難関がいろいろと待ちかまえています。
それらをすべてクリアしているのに、
なぜ restaurant ではなく lestaurant になってしまうんですか?
辞書を引いてスペルを確かめたんではないんですか?
この店は念が入っていて、
外から見えるだけでも3つ4つ看板を出しているんですが、
どれもきっちりと 「PUB LESTAURANT」 と表記されていました。

以上だけだと、福島の人は誤植が多いというよりも、
たんに英語に弱いという話になってしまいそうですので、
ここはひとつ日本語の例を。
次の写真をご覧ください。
福大のそばのアパート脇で見つけました。



「焼えるゴミ」 ?
「ヤエルゴミ」 ?
むろんこれは 「燃えるゴミ」 のことです。
たしかに 「焼く」 と 「燃える」 は意味が似てますけどねぇ。
この隣にはきっちりと 「焼えないゴミ」 の集積場もありました。
やってくれるなあ、福島。
Mixiに書いたときには、次のように意見を述べさせていただきました。

「ああイライラするっ。
 誤植だけならまあ許しましょう (すごく気になるけど)。
 人間にはミスはつきものですし。
 何が頭に来るって、これが看板だということです。
 大家さんが手書きで書いた貼り紙とかじゃないんです。
 プラスチックの板にきっちりレタリングされてます。
 つまりこれらはプロの仕事なんです。
 発注した人がいて、製作した人がいて、
 これに金払って受け取った人がいるんです。
 誰かがどこかで気づかなかったんでしょうか?
 こんな仕事に金を払ったのか?
 看板屋にプライドはないのか?
 きっちり下調べしたりしないのか?
 まあそういうとこがルーズな土地柄なんだろうなあ。
 鷹揚でいいというか。
 福島の大らかさを感じさせる怪でした。」

当時は、福島は誤植の多い町だなあというイメージでしたが、
でも今思えばこれらはたかが看板ですからねぇ。
お金が発生しているといってもウン十万するかしないかといったところでしょう。
それに比べるとやはり 「貸りる収納」 のインパクトははかりしれません。
テレビのテロップなんかでも最近は誤植が目立つようになってきましたし、
日本語に弱くなってきているというのは、福島に限った問題ではなく、
東京など大都市圏も含めて全国的な傾向なのでしょう。
日本中の国語の先生、日本語は風前の灯です。
日本文化がきちんと伝承されていくかどうかは皆さんの双肩にかかっています。
健闘を祈ります