まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

フルスイング

2012-12-31 15:46:13 | 教育のエチカ
昨晩はUNOをやると大敗するし、見たい番組も映画もなかったので、
コレクションのなかからもう古いドラマなんですが、
2008年にNHKで放映された 「フルスイング」 を引っ張り出してきて久しぶりに見ました。
元プロ野球選手で、若くして引退後30年間にわたり名打撃コーチとして活躍した、
高畠導宏氏をモデルにしたドラマです。 
その彼が打撃コーチも辞めて、58歳で福岡の高校に教育実習に行くところからドラマは始まります。
特に第1話は、主人公 (ドラマでは高林) ばかりでなく、校長先生や、
指導役の天童先生、事務員の女性など、名ゼリフの宝庫です。


校長 「ねぇ高林さん、コーチと教師は似ていると思いませんか。
    どちらも人を育てる仕事、人が育つお手伝いをする仕事です。
    あなたがプロ野球で30年培ったことは、
    行き詰まった教育現場に新しい風を吹き込むかもしれない。
    私はそう思って、あなたの教育実習を受け入れた。
    昨日あなたは生徒たちに将来の夢を尋ねたそうですね。
    生徒と教師が生き生きとしている学校を作る、それが私の夢です。
    思うようにおやりください。」


打撃コーチの職を失い、2週間の気分転換のつもりで教育実習に来た高林に対して、
その軽い気持ちを見抜いた指導教員・天童先生のセリフ。

天童 「あなた本気で教師になる覚悟はおありですか。
    生徒とのつきあいは3年だけじゃないんですよ。
    卒業したのちも生徒は教師を頼る。
    生徒と一生つきあう覚悟。
    それが教師の覚悟です。
    あなたにおありですか?」


その天童を 「漬け物石」 というあだ名で呼び、高林への期待を語る女性事務員のセリフ。

事務員 「私ら事務員は先生にほんのこつ期待しとります。
     学校ほど閉鎖的なところはなかぁ。
     みなさん大学ば卒業してすぅぐ先生になるでしょう。
     社会に出た経験のなかけん、なんというか、小さかぁ。
     金魚鉢の金魚のくせして、自分ばクジラみたいに思っちょる。」


実習生の高林が副担任として入っているクラスで、
誰にも心を開かず一言もしゃべろうとしない森君についての、
担任の時任先生とのやりとり。

高林 「コーチ時代、コーチの仕事は教えんこと。それが私の信念でした。」

時任 「コーチなのに教えないんですか?」

高林 「むりやり教えても選手はかわいそうじゃ。
    選手が苦しんで悩んで、タカさん指導してください、言うてくるまで待つ。
    大きな耳、小さな口、優しい目で待つんですわ。
    森君も待つことにしました。
    人には必ずそのときいうもんが来るから。」

時任 「でも森君は絶対に口を開きませんよ。」

高林 「そんな子どもがおりますか。
    わしは子どもらがかわいい。
    あの子らの味方になってやりたいと本気で思っております。」


教育実習、最後の授業で。

高林 「2週間前、わしはこの教室で夢は人生のなかで一番大事なものじゃと言うた。
    今もそう思っとる。
    なぜならね、夢は君らを強くする。
    夢は君らを励ます。
    夢は君らが迷ったとき道を照らす星になってくれるんじゃ。」

最後に、生徒たちの夢を書いたノートを見せながら。

高林 「ここに君らの夢がある。
    まだ若い夢じゃ。
    できたての夢じゃ。
    形のないもんだってあるが、かまいやせんぞ。
    君らの夢がわしの宝じゃ。
    これからわしゃ君らの夢を応援するで。
    どこにおっても、何をしとっても応援する。
    東京に戻っても、プロ野球のコーチに戻っても君らの夢を応援する。
    ええか、君らの夢を応援しとる人間が、
    この世に最低1人はおるっちゅうこと、ぜひ覚えておいてほしい。
    そしてな、もし挫折したり、挫けそうになったときには、
    ぜひそのことを思い出してほしいんじゃ。
    2週間ありがとうございました。」


けっきょく2日かけて全6話、全部見てしまいました。
号泣
大掃除もせずに何やってんだかなあ。

虚を衝かれた

2012-12-30 17:31:05 | 幸せの倫理学
ホテル華乃湯ではのんびり過ごしました。
昨日の夕食は豪勢で、牛タンシチューからカニ鍋までたらふく食べ、
浦霞の純米酒とともに満喫いたしました。
食後にさらにお風呂巡りをしようと目論んでいましたが、
あまりにもお腹いっぱいだったため、妻がとりあえず食休みと言って布団に横になりました。
まだ8時前でしたから私はとても眠る気にはなれず、
本を読んだりfacebookをやったりビールを飲んだりしていましたが、
妻は本格的に眠ってしまいましたので、私もやむなく寝てみることにしました。
しかし、なかなか眠りにつくことができません。
布団のなかで延々と苦悶したあげく、ちょっとウトウトしてはまた目が覚め、
起き出して少しガサゴソして、また布団に入って苦悶するということを繰り返していました。
そうこうしているうちに窓の外が白み始めてきてしまったのです。
けっきょく朝になっちゃったよ、朝風呂にでも入りにいくか、
と思ったはずなんですが、その後ちょっと意識を失ってしまいました。
そうしたら、「うわあ、もう9時だぁ」 という妻の声で叩き起こされました。

えっ、9時
よく意味がわかりません。
今、夜が明けたばかりだったはず。
えっ、9時
「ウソーッ、朝食9時までだよっ
朝食はバイキング会場で7時から9時までと言われていたのです。
チェックアウトはレイトチェックアウトで予約していたので12時まで居られるんですが、
朝食抜きではそこまでネバることができません。
ダメもとで朝食会場まで行ってみることにしました。
9時をすでに10分近く過ぎていましたが、
会場にはラストオーダーは8時45分までという非情な掲示が出ており、
料理はどんどん片付けられつつあります。
ほとんどお客さんもいなくなっていて、もうこんなですよ。



でもとにかく入れてもらい、残っているものだけでよければと食べさせてもらえることになりました。
ロールパンとスクランブルエッグとウィンナーと湯豆腐と味噌汁という、
和洋折衷のバイキングになんとかありつくことができました。
それにしても、いつもだったら旅館に泊まったときは、
朝食やあるいは朝風呂の時間に合わせて目覚まし時計を必ずかけておくはずなのですが、
今回はまったく眠れなかったために、起きられないなんてことを想定していませんでした。
バイキングにありつきながら 「虚を衝かれたな」 と独りごちたら、
妻に大笑いされてしまいました。
「虚を衝かれる」 というのはふだんピシッと抜かりのない人が、
たまたま油断をして隙を衝かれたりしたときに使う科白であって、
私のように抜かりっぱなしの人には使えないんだそうです。
さらには 「まあちゃんは私のおかげで朝食にありつけた」 と、
やけに恩着せがましい言い方までしてきます。
自分なんて目覚ましもかけず、朝食の時間も知らずに、13時間も寝続けていたくせに…。
たまたまぼくよりほんの少し早く目覚めただけで (しかも朝食時間は過ぎてるし)、
なんでこんなに上から目線なんでしょうか。
うーん、納得いかないなあ。

とりあえずなんとか朝食はすませ、その後また軽く食休みし、
それからふたっ風呂ほど浴びてチェックアウト時間ぎりぎりまでホテル華乃湯を満喫しました。
朝食は粗食だったためにお昼は仙台で豪勢な牛タン定食を食べることもできましたし、
今年最後の温泉旅行を堪能することができました。
いよいよ年の瀬です。
最後の一日をどう過ごすか、これからゆっくり考えたいと思います。

温泉での浴衣の使い方

2012-12-29 17:17:18 | 人間文化論
今日は温泉旅行です。
秋保温泉のホテル華乃湯に来ました。
震災前の年末に泊まる予定で予約を入れていたんですが、
連れが体調を崩し当日にドタキャン。
でも事情を話したら、「元気になられたらまたいらしてくださいね」と、
キャンセル料も取らずにキャンセルさせてくれて、
その応対がとっても気持ちよくて、また必ず来ようと心に誓っていました。
ところが、震災によりこちらのホテルは大きな被害を受け、
けっこう長いあいだ休業を余儀なくされていました。
やっと営業再開したとの噂を聞きつけ、
ダメもとで予約を入れてみたところ、年末だというのに取ることができ、
念願の華乃湯にとうとうやってくることができました‼
こちらはホテル内のあちこちにいろいろなお風呂があり、
さらに日帰り入浴用の「テルメ」という別館まであります。
すでに3つの浴場をハシゴしたあとにビールを飲み、
非常にいい気分になっております。

ところで、私は温泉旅館に来て浴衣を着るときって、
下着をまったくつけずに直接浴衣を着るのですが、
これって、身体を拭かずにバスローブを着るのと同じくらい、
当たり前の常識的な行動ですよね?
浴衣って風呂上りの汗や水分を吸い取るためにあるのですから。
でも脱衣所で見ていると、浴衣の下にパンツや、
場合によってはシャツまで着ている人をよく見かけるのです。
そして、逆に風呂から上がって下着もはかずに直接浴衣を羽織っている私が、
なんだか好奇の目で見られていたりするのです。
納得いかんっ‼
これこそ由緒正しい日本の文化だと思うのに。
バスローブなんかよりはるかに日本人の常識だと思うのですが、
皆様は温泉旅館に来たときどうされているでしょうか?
特にこちらの華乃湯さんのように、あちこちにお風呂が散在している旅館では、
いちいちパンツなんてはいていられないと思うのですが、
私が正しいのか異常なのか、皆様のご意見をうかがわせていただければと思います。

今どきの小学生

2012-12-28 23:40:34 | 教育のエチカ
今日は例年のように卒業生たちが福島に集まってくれました。

神奈川、静岡、宮城 (石巻)。

みんな遠いところからわざわざ集まってくれて本当にありがとうございます。

今日のメンバーは全員、学校教育に携わっていますので、

やはり学校の話がメインになります。

そのなかで小学校教員の人が、いまどきの小学生は幼くなっているという話をしてくれました。

彼が担任しているのは5年生なのですが、

今5年生たちのあいだで流行っているのはこんな遊びだそうです。

みんなで床に寝っ転がって教室の端に並び、

壁を思いっきり蹴ってどこまで滑ることができるかを競い合っているそうなのです。

それを聞いただけで洗濯をしなければならない親御さんのことを考えてしまうのですが、

5年生たちは、滑っていくときにあの子は手を使って漕いだとか漕がないとか、

もともと身長が高いからあの子はズルイとか、

そんなことで真剣にケンカしちゃうんだそうなのです。

カワイすぎるーっ

福島の子どもたちじゃなくて関東の子どもたちなんですよ。

子どもたちはまだまだ無限大の可能性を秘めていますね。

汚れちまって頬の垂れた大人ではなく、

まだ目がキラキラしている子どもたちに期待したいと思います。

日本もまだまだ捨てたもんじゃないぞ、と。

2013年 「問題児」

2012-12-27 22:37:44 | 幸せの倫理学
facebookに 「勝手に書き初め大会2013」 というアプリがあって、

こちらの個人情報を勝手に読み込んで勝手に書き初めでなんと書くかを診断してくれるんですが、

それによると私の書き初めはこうでした。





うーん、もういい歳だというのに 「問題児」 ですか。

そろそろ落ち着いてみたい気もしますが、

残念ながらまだまだいろいろとやらかしていかないといけないようです。

自分はどんな問題をやらかしてしまうんだろうとさらにネットサーフィンを続けていたら、

こんなページを見つけてしまいました。

「悪いけどこれは笑っちゃう! ギャグ漫画並みの不運な目に遭っちゃった人13連発」



これは皆さん、そうとう問題児です。

ぜひこちらから動画をご覧になってみてください。

2013年も問題を起こし続ける男、まさおさまをよろしくっ!

上~がり目、下~がり目、グルッと回って

2012-12-26 10:14:41 | 生老病死の倫理学
うちの父方の家系は、一重瞼だけどパッチリした大きな目をしていますが、

それに対して母方は、細くてタレ目の家系なんです。

母は3姉妹の3番目でみごとなタレ目ですが、

上の2人の姉 (私の伯母さんたち) はそれに輪をかけたタレ目です。

しかも年を取ってきて3人ともどんどん垂れてきているように思います。

今ではもうこんな感じです。



さて、私はというと、幸いなことに父方の血を受け継ぎました。

妹と弟は母方の目をしていますので、



私としては、こっちのグループに入らずにすんでホッと一安心といったところです。

ところが。

加齢というのは恐ろしいものですね。

母方3姉妹のタレ目をどんどん進行させている重力による牽引が、

最近になって私にも影響を及ぼし始めているのです。

これとかヤバくありませんか?



この写真は3.11の直前に広報用に撮った写真です。

これ以後は心労と飲み過ぎと悲しみの涙のためにさらに垂れてきてしまいましたので、

もうブログに写真をアップすることはできません。

明後日にはまた年を重ねてしまうわけですが、

今後、私の目はどうなっていくのでしょうか?

けっきょく母方のグループに包含されてしまうのでしょうか?

しかし垂れるだけならいいけれど、あれだけ細くなってしまうと、

本も読めなくなってしまうのではないでしょうか?

今のうちに大きく目を見開いて、たくさん本を読み、

見るべきものをたくさん見ておきたいと思います。

タレ目予防の健康食品とかマッサージ方法とかをご存知の方はぜひ教えてください。

ダンス部保護者の方からのクリスマス・カード

2012-12-25 13:58:41 | ダンス・ダンス・ダンス
メリー・クリスマス
いよいよ年も押しつまってまいりました。
イヴ3連休もずーっと飲みっぱなしで、年賀状もまだ完成しておりません。
他にも乗り気じゃない仕事とか、将来を左右する仕事とか目白押しですが、
まだまだ忘年会等の予定が立て込んでいて、
はたして年内にすべて終えられるか皆目見当がつかないといったところです。

さて、クリスマスの今日、大学に出勤してみたら、
見知らぬ方からクリスマス・カードが届いていました。
開けてみると、競技ダンス部の保護者の方からでした。
といっても福島大学の社交ダンス部ではなく、
東北学連のどこかの競技ダンス部の保護者の方のようで、
宛先は 「全東北学生競技ダンス連盟会長 小野原雅夫様」 となっておりました。
以下、全文引用させていただきます。


「小野原様

 11月に行われました全東北学生競技ダンス選手権大会での
 小野原様が書かれました 「~最後の試合に寄せて」 に感動いたしましたので、
 おハガキ送らせていただきます。(乱筆乱文で失礼いたします)
 子供の応援もかねて、大阪や北海道での大会も観に行きましたが、
 東北の学生達は、どこにいてもマナーが良く、いつも元気で、
 たくさんの感動やパワーをいただき、ありがとうございました。
 ダンスとは無縁でしたが、毎回楽しくて
 学生達みなさんの笑顔を見ることがとてもうれしくて
 本当にステキなスポーツでした
 子供の卒業とともに、大会へ行くことはなくなると思いますが、
 今後もみな様が楽しく踊って、見ている私達がしあわせな気持ちになる様な
 大会であり続けてほしいと思います。
 学生や先生のみな様、今までたくさんの感動をありがとうございました
 Merry X’mas」


保護者の方からこんなに熱いメッセージをいただいたのは初めてです。
私ですら見に行ったことのない大阪での全日本戦や、
北海道での対北戦にも観戦に来ていただいていたようで、本当に有り難いかぎりです。
学生たちの踊りがこうして感動やパワーを見る人に与えていたのだということを知れて、
全東北学生競技ダンス連盟会長としてたいへん誇らしく思います。
これからも全東北の学連が、日本中の学生競技ダンスが、そしてダンススポーツ全体が、
東北や日本全国に元気を与え続けてくれることを期待したいと思います。

ちなみにメッセージのなかで触れられていた私の挨拶文も、
ついでに引用しておこうと思います。
実を言うとこの文章、2006年の秋大会に寄せて書いた挨拶文で、
今回は原稿が間に合わず使い回させていただきました。
私はこんなに長く連盟会長をやるつもりはなかったので、
そろそろ挨拶文のネタも尽きてきてしまったというのが実情です。
6年前のものならたぶん誰も読んだこともないし、覚えてもいないだろうとの判断でしたが、
まさか保護者の方にこんなに真剣に読んでもらっているとは驚きです。
あんまり手を抜いてる場合じゃないなとちょっと反省しました。
でも、2006年といえば私が全東北学生競技ダンス連盟会長に就任した年で、
これが初めて秋大会のために書いた挨拶文ですので、
マンネリに陥る前のパッションが感じられる文章となっていたのかもしれません。


「          4年生の東北学連最後の試合に寄せて  
                                        全東北学生競技ダンス連盟会長 
                                         小野原 雅夫(福島大学教授)

 4年生の皆さん、4年間本当にお疲れさまでした。1年のときあれだけたくさんいた新入部員の中で、今日の日を迎えることができたのは果たして何人いるでしょうか。大学ごとに事情は様々だと思いますが、4年間ダンス部で戦い続けるのは並大抵の苦労ではなかったでしょう。学業との両立、お金の問題、部内の人間関係、技術的な壁、試合の成績、カップル間のいざこざ、就職活動との兼ね合い等々、途中でやめようと思えば、いくらでもやめる理由はあったろうと思います。そしてもちろん、やめるという選択肢はけっして間違った選択でも、弱さの表れでもなく、その人が真摯に自分の大学生活や人生のあり方を考えた上での、ひとつの正しい選択だったのだろうと思います。しかし、皆さんはやめるという道を選びませんでした。どれだけ苦しいことがあっても、踊り続けることを選択しました。まずはそのことに拍手を送りたいと思います。今日の試合結果はどうあれ、今朝の練習ヒートに立ったというそのことだけで、すでに皆さんは勝者です。この4年間踊り抜いたという経験は、そしてダンス部を4年間支え続けたという経験は、これからの皆さんの人生にとって途轍もなく大きな糧となることでしょう。ダンス部に注いできた汗と涙と笑いのすべてをフロアにぶつけるつもりで、今までで最高の踊りをライバルや後輩たちに披露してあげてください。

 1年生、2年生、3年生の皆さん、4年生を慰労するために少し苦しい面ばかりを強調しすぎてしまいました。ダンスは、そしてダンス部はそんなに苦しいことばかりではありません。いや、それどころか色々な苦労や苦悩をすべて吹っ飛ばしてくれるくらい、楽しくて面白くて深い感動を与えてくれるものでもあります。皆さんも4年生の先輩方が本当に楽しそうにダンスについて語り、一心不乱に踊り、熱心に指導してくれたのを覚えていることでしょう。今日は、先輩たちの踊りを目に焼き付けておくと同時に、先輩から教わったすべてを披露して、先輩たちの苦労に報いてあげてください。

 ご来場の皆さま、東北学連秋大会に足をお運びいただき誠にありがとうございました。とりわけ、選手の御家族の皆さま、これまで彼らの課外活動を応援くださり、本当にありがとうございました。彼らの晴れ舞台を最後までごゆっくりお楽しみください。」


『魔女の宅急便』 その後

2012-12-22 11:01:31 | お仕事のオキテ
毎度あなじみMixiの 「笑える画像」 コミュで拾ってきた画像です。

『魔女の宅急便』 のその後だそうです。





キキはあれからしばらく空飛ぶ箒で宅急便の仕事を続けていましたが、

依頼が殺到して、箒で1個1個運ぶのでは間に合わなくなり、

悩んだあげく運転免許を取ってクロネコヤマトの宅急便の配下に屈したそうです。

ただし、彼女はマスコットガール的な位置づけを与えられ、

彼女のトラックだけ 「クロネコヤマト」 ではなく 「ジジヤマト」 と記されているそうです。

「魔女は飛ぶものです」 がモットーの彼女は仕事で飛ぶのはあきらめ、

町のクィディッチ・チームに入団し、週末の試合では、

シーカーとしてそこそこの成績を収めているとのことです。

魔女や魔法に憧れていたトンボは、キキに教わっていろいろ試してみましたがうまくいかず、

「消える魔法を覚えたよ」 と言って、人ごみに紛れる技術を磨いたそうです。














めでたし、めでたし。

福大オケ第41回定期演奏会

2012-12-21 18:16:27 | 人間文化論
来週、福島大学管弦楽団の定期演奏会が開催されます。

昨年は第40回記念演奏会で、

嶋津先生の新曲やらモーツァルトのピアノ協奏曲やらが披露されましたが、

残念ながら私は聴きに行けませんでした。

そして、今年はゼミ生がオケに入っていて最後の演奏会だというのに、

なんとゼミの忘年会とダブル・ブッキングしてしまい、

また聞きに行ってあげられなくなってしまいました。

何をしておるのだ、まさおさま

特に 「文化創造論」 を履修中のみんなは私の代わりに聴きに行ってあげるように。

「科学技術と環境の倫理学」 を受講中のみんなも、

科学技術の進歩がどれほど音楽に影響を及ぼしているか、

また逆に音楽が環境にとってどれほど重要であるかを認識するために、

コンサートに足を運んでみてください。


第41回福島大学管弦楽団 定期演奏会

■日時
 12月26日 (火)
 開場/17:30 開演/18:00

■会場
 福島市音楽堂大ホール

■プログラム
 指揮者 : 本多優之
 シュトラウスⅡ世 こうもり序曲
 ブラームス ハンガリー舞曲集より1・3・5・6・7・10番
 チャイコフスキー 交響曲5番ホ短調

人と動植物は対等ではないのか?

2012-12-20 19:41:47 | 哲学・倫理学ファック
「科学技術と環境の倫理」 の授業で、環境倫理学の3本柱について説明してきました。
「自然の権利」、「世代間倫理」、「地球全体主義」 の3つです。
私としては 「自然の権利」 というアプローチではうまくいかないと思うと述べ、
残りの2つに関しては、私の意見としてではなく、一般的な反論だけ紹介しておきました。
その上で、それぞれの考え方に対して賛成か反対かワークシートに書いてもらいました。
すると、ひとりの学生さんから 「先生の意見には大反対です」 と、
ワークシートの裏面まで及ぶ長文の反対意見を頂戴しました。
いやあ、うれしいですねえ、こういう意見を書いてもらえるのは。
先生の言うことを鵜呑みにせず、間違っていると思ったことに関しては間違っていると言い、
その主張のひとつひとつに対して反論していく。
これこそ、哲学・倫理学の営みですし、科学・学問の根幹です。

その意見に対して再反論するというわけではありませんが、
いくつか補足説明が必要な点があったので、それを論じておきたいと思います。
いろいろな論点が挙げられていましたが、今日はまずそのなかから、
人間と動植物は対等ではないのか、という問題について補足しておきます。
質問者は 「人と動植物は対等ではない、が理解できない」 と書いておられました。
なぜそう言えるのか、その根拠は何か?
理性があるかないか、言語が話せるか否かで区別してしまうのか?
しかし、人間どうしだったら知能が高いとか低いとかで価値に優劣をつけたりしないのに、
なぜ話せないからといって人間以外の動植物を 「低属」 とみなすのか?
これは質問というよりも反語であり、反論だと受け止めました。

この問題はビミョーですねぇ。
たしかに私は、人と動植物、人と自然は対等ではないと考えています。
しかし、「対等ではない」 イコール 「低属とみなす」 ことになるのか?
ある意味でそう受け取られるのはしかたないところもありますし、
私自身、動植物や自然を人間よりも低い存在者と考えていなくもないような気もします。
(ものすごーく持って回った言い方ですね)
しかし、私が両者は 「対等ではない」 と言ったとき、
それは直接、どちらが上でどちらが下ということを言いたかったわけではないのです。
義務や権利や責任といったことを配慮することができるのは人間だけである、
ということを私は言いたかっただけなのです。
「自然の権利」 という考え方を認めるとした場合でも、
自然や動植物の権利を守ってあげることができるのは人間だけです。
自然自身や動植物自身は自分たちに権利があるだなんてまったく考えていませんし、
だから自分たちの権利を主張したり守ろうとしたりもしません。
ましてや自然や動植物の側が、人間にも権利を認め、人間の権利を守ろうとする、
なんていうことはけっしてありえません。
義務や責任という言葉に置き換えても同じことですが、
権利も義務も責任も、それは人間にとってのみ意味のある言葉、概念です。
ですから、それらを守ったり果たしたりすることのできるのは人間のみです。
自然や動植物は守られる対象になることはありえても、
守る主体になることはありえないのです。
そのことを指して、「対等ではない」 と言いました。
それは人間と自然、人間と動植物の決定的な違いだと思いますが、
だからといって、人間が上、自然や動植物は下ということを言いたいわけではないのです。
どちらが上、どちらが下ということとは関係なく、
人間と自然、人間と動植物は決定的に違っており、だから 「対等ではない」 のです。

価値の優劣の話は置いておくとして、このような決定的な違いがあり、
したがって対等ではないということに関してはご理解いただけるでしょうか。
この基本的な違いについてはきちんと理解しておかないと、
環境倫理学のすべての議論はセンチメンタルな感情論になってしまうと思います。
しかしながら、この違いを認めたからといって、
自然には何の権利も与えなくていいという結論が直接導かれるわけではありません。
そこが権利概念と、義務や責任といった概念との違いです。
義務や責任に関して言えば、自然や動植物の側には義務や責任は生じません。
自然や動植物は義務や責任の主体にはなりえず、
ということは自然や動植物は義務も責任ももたないのです。
自然や動植物を守る義務や責任は、上述したように人間の側にのみあります。
したがって自然や動植物にとっては義務や責任といった概念は無用なのです。
しかしながら権利に関して言うならば、自然や動植物は権利の主体となることはできませんが、
それでも、自然や動植物にも権利がある、と言うことは可能なのです。
これは質問者が例を出してくれていたとおりです。
「幼い子どもや重度精神障害者や脳損患者など」 話すことのできない人たちは、
自ら権利を主張する主体となることはできませんが、
しかし当然のことながら彼らにも人権は認められており、それによって彼らは守られています。
それと同様に、自然や動植物にも権利を認めることは可能なのです。
この問題はけっこう厄介で難しいです。
疲れてきたので、この問題はまた明日以降に考えることにしましょう。

私たちの声は届くのか?

2012-12-19 18:33:42 | 哲学・倫理学ファック
今週日曜に迫ってきた 「シネマ de てつがくカフェ」 ですが、

A・O・Zの都合により会場が変更になりました。

視聴覚室ではなく大活動室3ですので、皆さまお間違えなく。


第1回 シネマ de てつがくカフェ

テーマ作品 : 『声の届き方』
(日本/2011/日本語/40分 撮影地:宮城県・仙台市/制作:伊藤照手/撮影協力:長谷川あい)

1.開催日時 : 2012年12月23日 (日) 16:00 ~ 18:00

            ※土曜日ではなく日曜日です!
            ※最初の40分間DVDを視聴します!  
            ※伊藤照手監督が一緒に参加します!

2.場所 : A・O・Z (アオウゼ、MAXふくしま4階) 大活動室3

            ※会場が変更になりました!

3.費 用 : 100円 (珈琲などドリンク飲み放題)

4.事前申し込み : 不要 (直接会場にお越しください)



このあいだの日曜日にはあんなことになってしまいました。

大きな損害を被り未だに明白な危険と隣り合わせで生きている私たちが、

どんなに窮状と危険性を訴えても、離れたところにいる人たちにその声は届かないのか。

私たちの声をどうやって届けていったらいいのか、みんなで一緒に考えたいと思います。

ペヤング劇辛!やきそば

2012-12-18 18:10:00 | 飲んで幸せ・食べて幸せ


これは 「ペヤング激辛!やきそば」 です。

辛いもの好き、やきそば好きの人間にはたまりません。

一時期、中央通りのサンクスに売っていたのだけれど、夏が過ぎてから見かけなくなって、

淋しいなあと思っていたら、4号沿いのカワチで見かけたので買いだめしてきました。

「激辛!」 の看板に偽りはありません。

すでにこの赤い外装が凶悪さを暗示しています。

よく見ると小さく 「辛さレベルMAX!!」 とまで記されています。

しかし、この赤い外装フィルムを剥がしてしまうと、

フツーの 「ペヤングソースやきそば」 となんら変わりはありません。



お湯を注いで調理してみますが、3分間温めたあとも同じです。

特に危ない感じはいたしません。



ただし、袋に入ったソースはよ~く見てみると、端のほうが若干赤みがかっていて、

なんか怪しい雰囲気を漂わせてはいます。

では、そのソースをかけてみることにします。



お箸でグリグリと混ぜ、出来上がり図がこれです。

いかがですか?

若干フツーのカップ焼きそばより赤っぽい仕上がりなんですが、

この写真で見てわかるほどではないかもしれません。

ただ、この段階で臭いはもう完全にヤバイです。

ハバネロ系の若干酸味がかった攻撃的な刺激臭がしています。

さっそくいただいてみましょう。

ヒーハー

「辛さレベルMAX!!」 の謳い文句はダテではありません。

舌と鼻と喉に突き刺さってくるような辛さです。

いくらティッシュで拭っても唇はいつまでもヒリヒリし続けます。

嚥下したあとも胃に落ちていって、胃壁を攻撃しているのがわかります。

いや、素晴らしいっ

よくぞこんなものを商品化した。

これ食べられる人ってそんなにいないんじゃないかな。

辛いもの好きの闘争心に火をつける好敵手でした。

これからもさらに辛いものに挑戦し続けていきたいと思います。

さあ、日本中の辛いものたちよ、どっからでもかかってこいやぁ

『悪の教典』 エークセレーント!

2012-12-17 18:54:37 | 教育のエチカ


映画 『悪の教典』 をやっと見てきました。

小説を読んでいたのですが、まさかこれが映画化されるとは思っていませんでした。

試写会かなにかでAKB48の誰だかが 「この映画嫌い」 と言って、

上映途中で退席したなんていう話が伝えられたりしていましたが、

そりゃそうなるわなと納得せざるをえないストーリーなのです。

私は小説は楽しく読みましたが、そんな私でも映画化されたものを見たいかというと、

ちょっと二の足を踏んでしまうぐらいのインパクトのあるお話でした。

なんせ映画のキャッチコピーが 「クラス全員、皆殺し。」 ですからね。

ま、「よくぞこの小説を映画化した。エークセレーント!」 と言っておきましょう。

私は小説を読んだとき、まったく何の予備知識もなく読み始めたので、最初は、

ただの典型的なナイスガイというわけではない、ちょっと悪知恵の働く高校教師が、

現代の教育現場のさまざまな難問に立ち向かっていくお話かと思っていました。

そうしたら途中からハチャメチャなことになって、最後は 「クラス全員、皆殺し。」 ですよ。

いやあ、ぶったまげました。

倫理学者として、教員養成に携わる大学教員として、

この本を面白いと言ってしまってはいけないのかもしれませんが、

しかしムチャクチャ面白くて、上下2巻本を一気に読んでしまいました。

その小説が映画化されると聞いて、

そもそも小説を読んでしまったあとに映画を見ることに懐疑的な私は、

この映画に実はほとんど期待していなかったんです。

上下2巻本を1本の映画にするのも大変でしょうし、そして何よりも殺戮シーンだらけですし、

ただのグロい、心理描写もストーリーもよくわからないものにしかならないだろうと思っていました。

ところが、先に見た人たちの評判がなかなかよくて、やっぱり劇場で見てみることにしたのです。

たしかに、主人公の蓮見聖司を伊藤英明にしたキャスティングはハマってるなあと思っていましたが、

それだけでなく全体的に小説の映画化としてはみごとな成功だと評価してあげていいと思います。

エクセレントを超えて、マグニフィセントと形容してあげてもいいかもしれません。

ただまあ、だからといってみんなにオススメしたいかというと、やはりそういう映画ではありません。

特にうちのゼミの教員志望のあの子なんかがこの映画を見たら、

自分が途中退場するくらいでは収まらず、

「先生はなんでこんな映画見るんですかっ」 と逆にこっちが怒られちゃうだろうなあ。

あの小説の世界にハマることのできた人にだけこの映画をオススメしたいと思います。

ただ、映画館でビックリしたのは、けっこう女子高生のグループが見に来てたっていうことです。

特に映画の途中で観客の悲鳴が聞こえたり、鳴き声が聞こえたりということはなく、

上映終了後みんな楽しそうに話しながら帰って行っていましたので、

いまどきの高校生ってこれを平気で受け入れられちゃうんだなあと驚きました。

そういう意味では、教員志望の純粋な学生さんはこういう映画を見て、

リアルな高校生の感覚に触れておく必要はあるかもしれませんね。

私としてひとつ心残りなのは、この日曜日、投票したあとすぐこの映画を見に行ったのですが、

できれば、選挙結果が出たあとに見ればよかったなあと思いました。

次々と殺される被害者たちをあの人やあの人たちに重ね合わせて見ていれば、

少しはモヤモヤした気分をスカッとさせられたかもしれません。

いや、やっぱムリかな、いたいけな高校生に、不遜なしたり顔のおっさんをダブらせるのは。

むしろ主人公の薄笑いにダブってしまって、逆に皆殺しにされる気分を味わうことになったかも。

あー、ヤダヤダ(>_<)。



P.S.

小説のなかでいちばん好きなセリフは 「Say,”I am my teacher’s pet.”」 だったんですが、

そのセリフはシーンごと割愛されていました。

グロい場面をここまで映画化したんだから、

エロいシーンも忠実に再現してくれればよかったのに。

残念っ!

異文化交流プレゼン振り返りディスカッション

2012-12-15 17:46:20 | 教育のエチカ
一昨日の 「文化創造論」 では、「異文化交流プレゼン振り返りディスカッション」 を行いました。
それがどんなものかということは以前に書いたことがあるので、そちらをご覧ください。
何を話し合ったらいいか事細かに指定してある 「実施要領」 を配布し、
それにしたがってディスカッションをしてもらいます。


「異文化交流プレゼン振り返りディスカッション実施要領 

異文化交流プレゼンを振り返って以下の要領でディスカッションを行ってください。

①自己紹介 (大きな声でゆっくりと自分の氏名とチーム名、プレゼンの時の役割) …約2分
・全員が紹介を終えたら、タイムキーパー役を決める。

②グループ内のメンバー (5~6名) のチームのプレゼンを振り返って話し合い …約40分
・プレゼンを見た人たちから、プレゼンの感想(特によかったところなど)
・プレゼンをした人から、自分たちの狙いや補足説明など
・疑問に思ったことやもっと聞きたかったことについて追加の質疑応答
   ※各チームにつき7~8分ずつで全チーム (5~6チーム) について行う。

③グループのメンバー以外のチームから、内容面と形式面それぞれ1位を決定 …約15分
・できるだけ全部のチームのプレゼンを思い出しながら、それぞれのよかったところを話し合うようにし、たんなる多数決で決めたりしないこと。
・レポートに書いた1-②や③を参考にしてもよいが、新たにグループとして選出するつもりで、グループ全員が納得いくものを決めること。

④レポートの 「3.最後に」 を使ってフレーリーゲーム …約15分
・レポートを閉じたまま、時計回りに隣の人に渡す (順番が来るまで開いてはいけない)。
・トップバッターを決め、その人は手にしたレポートの 「3.最後に」 のところを開き、みんなに聞こえるように大きな声でゆっくりと読みあげる。
・読み終わったらすぐに、その自分が読んだ 「3.」 に対して、2分間コメントを述べる。
・その場で頭をフル回転させ、とにかく2分間は話し続けること。
・次の人も同じことをしていき、一巡したら異文化交流プレゼンというワーク全体を振り返っての感想や改善点などについて、最後のまとめの話し合いをする。」


ここまで細かく決めてあると学生たちも安心して話せるのでしょうか。
お互いにあまり親しくない、スポーツ、音楽、美術の混成グループでしたが、
どのグループも授業終了時間を忘れて話し合ってくれていました。
ディスカッション終了後、ワークシートに次のテーマで記入してもらいました。
「異文化交流プレゼン振り返りディスカッションを行って、それぞれのテーマ (②~④) に関して一番印象に残ったことや、このような話し合いをすることによって感じたことなどを詳しく書いてください。」
いくつか紹介しましょう。


「自分のプレゼンに関して感想をもらうことで、自分たちが伝えたいことがうまく伝わっていたのかということを確かめることができた。プレゼンをして終わりではなく、こうして話し合いを行うことは、プレゼンをしていた人間からはわからないことを聞くことができ、自己評価することができるので積極的に行いたいと感じた。1番良いと思うチームを話し合う場では、自分が見つけることのできなかった良さというものが多く知れた。なにげなく聞いていたところでも、そういうふうに聞けるような工夫が細かくあったのかと思うと、私ももっと意識して話したかったなーと感じた。自分の考えだけで終わってしまうことよりも、こうやって多くの人で伝え合う場を作ることで、考えを共有したり発見でき、学びがもっと深まるし、考え方が広がるのだと知ることができた。枠にとらわれず広い視点で物事をみれるように様々なことに触れていきたい。」

「②最初はぎこちなかったが、自分の話やグループ内でそれぞれのプレゼンに関して感想を述べるうちに和気あいあいとしてきて良かったなと思った。それで、ほめられると嬉しいし、ほめると嬉しそうな顔をしてくれるのでそこが印象的だった。詳しくきくと、他チームの質問から、自分が本当に伝えるべきこと、伝えたいことをしっかりもってみんな準備してきたのだなと感じることができた。裏話も聞けたり、質問できたりとよい機会だったと思う。
 ③それぞれ自分が1番心に響いているものは違っているなと改めて思った。でもこのチームのここが良かったからというのは共通していて、わりとあっさり決まったように思う。
 ④人の感想を見てみんな 「確かにな~」 と思ったようで、自分に重ね合わせて意見を述べる人がほとんどだった。みんな苦労はしたけど得るものは多く、学び次に生かしたいことも多かったようだ。他人の感想を読む、きくというのは新鮮で、でもおもしろいと思った。こうやって自分がいつもいる人とは違う人の話をきけるというのは今後大いに役立つ経験なのだと思う。」

「このような話し合いを通して、プレゼンでは伝えきれなかった魅力が伝わったのではないかと思う。また、プレゼン中に思った疑問を解決する場にもなり、この最後のディスカッションにより、プレゼンそのものがより深いものになったのではないかと思う。さらに④のフレーリーゲームでは、他人の意見を瞬時に判断する能力やそれをふまえてどのように自分の考えを導くかが求められているのではないかと思った。②~④の全体を通して強く感じたことは、異なる文化に触れることで、自分の考えや知識を深めることができ、より幅広い視野で物事を捉えることができるということである。これを機に、これからも多くの文化に触れいろいろなことを学んでいきたい。」

「各チームについての話し合いでは、それぞれ人によって感じることが違っていて、新しい観点からそれぞれのプレゼンについて見つめ直すことができた。また、チームの人の補足等も聞けて、プレゼンター自身が一番伝えたかったことをちゃんと知ることで、自分が聞いていた内容とそれが一致した時は、プレゼンターのやり方は間違っていなかったということになるなと思った。グループ内の人だけではあるが、改めて質疑応答の時間が確保されていて、プレゼンの時疑問に思ったことを解決できて良かった。私はスポーツを専攻しているが、スポーツではなく芸術などの人たちとコミュニケーションをとる時間は本当に貴重だなと感じた。スポーツとは違った観点から話を聞くことが出来て、新たな世界を知ることが出来た異文化交流になったと思う。
 フレーリーゲームではやはり、その場で自分の考えをまとめて述べることは難しいと思った。しかし、これは社会に出る時には必要不可欠な能力であり、これから慣れて、しっかり自分の考えを相手に伝えられるようにしなければと思った。
 人見知りなので、ちゃんと話せるか不安だったが、このような機会がこれから増えていって、人見知りも直していけたらいいなと思った。」

「自分でレポートを書きながら振り返っただけでもたくさんの発見ができたと感じていたが、他人の意見を聞くことで、よりたくさんの発見があった。自分が全然気にしていなかったポイントに注目していたり、自分とは違う印象を受けているところも多々あり、色々と考えるきっかけになった。
 また、自分のプレゼンに対する意見を聞けたこともとてもよかった。自分が伝えようと思ったことがしっかり伝わっている部分、そうでない部分が見つかり、これからの様々な機会に役立てることができると思う。また、自分がちょっと失敗したかなと思っていたところを逆に好評価してくれていた人もいて、受け取り方はひとそれぞれだと気づいてとてもおもしろかった。
 プレゼンはやりっぱなしでなく、その後の振り返りの仕方によってより収穫あるものにできると実感するきっかけになり、とても実りある時間だった。」 

「話し合いを進めていく中で、話がとぎれることなくディスカッションを行い、「あれはどうなの?」 っていう質問が次々と出てきた。問われた側も自分の専門なので、しっかりとした返答をしてくれた。
 フレーリーゲームでは、読んだあとに感想を述べるが、思ったことをそのまま話せたと思う。コミュニケーション力は、社会に出たときにとても大切になってくる。ここでの話すという作業は今後にも必ず活きてくると思うので、こういう機会を大切にしたいと強く感じた。
 話し方や声のトーンも重要で、相手がききとりやすい声なのかどうかも気にしていかないといけない。先生から前回あったプレゼンのポイント、心得と、今回のコミュニケーション能力を大切にし、今後の学習などに活かしていきたい。そして社会で恥じない力をつけていこうと思う。」

「このプレゼンを振り返るという作業によって、自分が発表した○○のプレゼンについての感想を聞くことができた。自分が伝えたかった○○の裏側を理解することができたという声があり、みんなの○○に対する考え方を少しは変えることができ、とても良かった。自分が伝えたいことが伝わるととても気持ち良いし、うれしかった。
 今日のグループで内容面と形式面の1位を決める時に、1つ1つのチームについて振り返り、自分がそのチームに思った印象だけでなく、みんなの考えを聞き、さまざまな見方ができるなと改めて思った。
 最後のフレーリーゲームでは、2分間話すことの大変さを感じた。感想を読んですぐにそれについての考えを言うのは、とても大変だが今後の自分にすごくためになるトレーニングだと思った。
 全体的に、この文化創造論の授業で多くのことを学べた。パワーポイントの作り方、人への物の伝え方など形式的なことも学べたし、この授業のおかげで専門だけになっていた視野を広げられた。大変な授業だったが、とても学ぶものが多くためになるものだった。」

「各チームの伝えたいことというのが、他の人の感想と一致しているものが多く、良いプレゼンだったと思う。その中でも疑問をもたせているところや新たな疑問がうかんだところも多くあった。そのような他者からの評価を聞くことで、説明不足だった点等が分かり、さらによいプレゼンにしていく上でとても重要な機会となった。
 ③を決める際に、それぞれ選んだチームが異なっていた。受け取り方や感じ方、視点などはやはり人それぞれであり、だからこそこのような文化の交流が意味をなすものになり、世界を広げるきっかけになるものになるんだなと思った。決定時にもみりょくを分かり合ったり、相手の意見を尊重しつつ話し合うことで、全員が納得する2つのチームを選出することができた。違う考えをもった人たちが話し合いの中で1つの答えを出すというように、意見の伝え方、聞き方も上達したと思う。
 最後に、スポーツと芸術は真逆なものだと思っていたが、本当は似ており、これらは 「人」 に感動など多くの影響を与えることのできるものだという締めで終わった。本当に色々なことを考え、学ぶことができた活動であったと改めて思った。」

「一番印象に残ったのは、小野原先生がとても慈愛にあふれた笑みで学生を見つめていたことですかね。
 さて、本題に入ると、一番印象に残ったことは、②で発表の感想を生で聞けたことである。発表して、レポート作って終わり。ではなく実際に見た人がどんな風に聞いて、伝えたいことがちゃんと伝わっていたか、確認できて本当によかった。又、上手くできていたのになぁ、と思っていたチームの人が実は準備不足があったなど、その不足を感じさせないフォロー力はすごいなぁ、と感じた、
 自分のプレゼンの良い所、ダメだった所を客観的に見れてよかった。ありがとうございました。」


プレゼンを準備したり実施したりというのはこの授業のなかでもメインイベント的な位置づけですが、
しかし、教育効果という点からすると、このディスカッションのほうが重要だろうと思っています。
この日は最初の20分ぐらいを使って、グループ分けをし、
ディスカッション実施要領を配ってやり方を説明したら、あとは全部学生任せです。
私は残りの70分間まったくやることはないので、最後の学生さんが書いてくれていたように、
あとはただ 「慈愛にあふれた笑みで学生を見つめていた」 だけでした。
そうやってボーッとしていただけだったにもかかわらず、
学生たちはこれだけたくさんのことを学んでくれているのですから、
教師としてはしてやったりですが、でもそれ以上に学生たちがすでにもっている底力に脱帽です。
さて、受講生の皆さん、授業の山場は越えましたがまだ授業は続きます。
最後はこれまでの学びを踏まえて、新しい文化を創造するミッションに取り組んでもらいます。
プレゼンとレポートが終わったからといって気を抜いたりせず、
最後まで出席するようにしましょう!