まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.文系・理系の偏りがないのですが、どうすればいいでしょうか?

2015-06-29 19:07:29 | 教育のエチカ
川口高校での講演会では、次のような長い感想もいただいていました。
最後に質問が付されていたので、先日のブログではまだご紹介せず、
今日まで温存しておきました。
これも全文をご紹介しましょう。

「今日の講演は僕にとってとても興味深いものでした。
 特に印象的だったのが、学ぶ事に対して根本的な部分から、
 つまり、サル、猿人の時代から考察していく所です。
 僕も勉強やそれ以外の事に関して根本的原理から考察する人間です。
 というか好きです。
 上記の方 [感想用紙の1番 (人はなぜ勉強しなくてはならないのだと思いますか?) の回答]
 を見ていただければ分かると思います。
 僕は今回、上記の事を書いた上で先生の講演を聞いたとき、とても驚きました。
 僕の考え方に近い考え方をしていたからです。
 僕は担任の先生 (林裕文先生) とよく話しますが、「哲学的」 だとよく言われていました。
 そのせいか先生の講演はとても共感できました。
 僕も大学を進路に考えている人間なのでがんばっていますが勉強はできません。はい。
 そんでもって文系か理系かの偏りがないです。
 というのも 「僕、全教科できすぎて偏りないからどっち行こうか迷ってんだよね~」
 という感じではなく (むしろこうなりたい)、社会、国語はできるが英語がダメ、
 理科は得意だが数学がダメといった感じです。どうすればいいでしょうか?」

ちなみに1番の質問 (人はなぜ勉強しなくてはならないのだと思いますか?) には、
以下のように答えてくれていました。

「人は古来より他の動物たちのような高い身体能力や筋力がなく、
 自然界では圧倒的に弱き種ではあったと思いますが、
 造物主より唯一与えられた産物が高い知的能力だったと思います。
 生物とは自らの持つ能力を駆使し、成長させ、高めて生きていくものだと思います。
 僕は人間である以上、その人間という種がもつ能力の向上のために勉強と向きあっています。」

どうです。
すっごいでしょう。
「おまいはオレか?」 と言いたくなるくらいです。
わざわざ私が金山町まで出向かずとも、彼に講演してもらえばよかったのではないか、と思います。
これだけ考え方が似ていると、私の講演を聞かずともわかりきった話ばかりだったかもしれませんが、
共感をもって聞いていただけたようで、それはたいへんよかったです。
そういう方から質問をいただいてしまったのでお答えしないわけにはいきません。

「Q.文系・理系の偏りがないのですが、どうすればいいでしょうか?」

なるほど。
深刻な問題ですね。
個人的には文系・理系というくくりが大雑把すぎると思っているので、
自分の得意な教科をガンガン伸ばせばいいんじゃないと言いたくなりますが、
大学受験ということを視野に入れると、そういうわけにもいかないのでしょう。
さて、どうすればいいのでしょうか?

要するに英語と数学が苦手なんですね。
この2つってある種、似ているところがあるかもしれません。
実は私、大学に就職するまでは学習塾でバイトをしていましたが、
中学生相手に英語と数学を教えていました。
大学受験のころ私は文系で英語はまあ得意科目でしたが、
数学はお世辞にも得意と言えるような状態ではありませんでした。
それがなぜ塾で数学を教えようと思ったのか?
人に教えようと思うと数学って教えるのは簡単なんですよ。
公式とか、要するに解き方の原理を教えて、あとは例題を解かせればいいだけなので。
社会とか国語ってそういう解き方の公式があるわけじゃなくて、
いろいろなことをイチから全部説明してあげなきゃいけないじゃないですか。
たくさんの言葉を暗記もしてもらわなきゃいけないし。
数学って意外と覚えること少ないんですよね。

逆に英語はものすごく数学に似ているところがあります。
本格的な小説とかを読むとまた違ってくるんだろうけど、
大学受験までの英語って基本的に口語調ではなく、
きちんと主語、述語、目的語、補語などが文法通りに正しく並べられている文章が中心だし、
内容も論説文が多いので、とても論理的にきちんと意味が取れるように構成されていて、
単語の意味さえ知っていれば、
あとは数学の問題を解くようにクリアに答えが導き出せるようになっている場合がほとんどです。
だからぼくのような教育の素人でも、英語と数学なら何とか教えることができたのです。

さて、質問者の方は英語と数学のどこが苦手なのでしょうか?
パズルとか苦手?
ぼくは英語と数学はパズルと一緒で、正しく考えていけば必ず正解が出る、
思考の訓練としては一番初歩的な教科だと思っています。
逆に、国語や社会や理科のどういうところが得意なのでしょうか?
たくさんの事柄を暗記するのが苦にならないタイプなんですか?
それともそれらの3教科は常識で答えられる感じ?
あるいは、正解がひとつだけ存在するとは限らない高度な問題を扱うところが好きですか?
いずれにせよ、国語、社会、理科ができるのであれば、
英語と数学は楽勝でやっつけられると思うよ。
たんに苦手意識をもっちゃってるから上手くいかないだけで、
それら2教科はただのパズルだということさえわかればまったく怖くなくなります。

ひとつアドバイスするとすれば、パズルを解くにはパズルのルールを、
初歩的なルールから順番に全部ちゃんと知っておかなくてはなりません。
高度で複雑なルールというのは、基本の初歩的なルールの積み重ねの上に作られているので、
一度どこかでつまずいてしまうと、そこから先には絶対に進めないようになっています。
だから、自分がどこでつまずいてしまったのかをさかのぼって発見するのが大事です。
高1レベルでつまずいたのかもしれないし、
ひょっとすると中学校のどこかでつまずいたのかもしれません。
そのときには恥ずかしがったり面倒くさがったりすることなく、
つまずいたところまでちゃんと戻ってやり直すことが必要です。
それを怠っていると、いくら先に進もうとしても絶対にうまくいきません。
ぼくは高校1年生のときに数Ⅰでつまずいちゃったので、そのまま文系に進みましたが、
国立文系コースだったので受験前には数Ⅰをやり直す必要がありました。
高1のときの数学の授業では最初の因数分解からさっぱりわからなかったのに、
自分で参考書を使って順番にルールを覚えていったら、
ものすご~く簡単なのでビックリした覚えがあります。
高1のときの先生がまったく基礎・基本の説明とかをしてくれなくて、
すぐに問題を解かせるタイプだったのでそれで落ちこぼれてしまったのですが、
ちゃんとパズルのルールが理解できると、パズルはいとも簡単に解けるし、
自分で解けるとやっていて面白くなってくるし、
あの先生はなんでちゃんと教えてくれなかったんだろうと本当に頭に来たことがありました。
数学とか英語って人それぞれつまずくポイントが違いますので、
クラス全員にわからせるのはなかなか難しいです。
自分で自分のつまずきを発見するよう独学で基本からやり直してみるか、
先生に個別的に相談して自分がどこでつまずいているかを診断してもらうか、
いずれかを試してみるといいと思います。

英語、数学が克服できると、
「僕、全教科できすぎて偏りないからどっち行こうか迷ってんだよね~」状態になっちゃいますね。
素晴らしいと思います。
現代の複雑で高度な問題は、文系とか理系とかって分業していても解けない問題が増えています。
すべての学問が 「学際的」 にいろいろな分野と積極的に関わっていくことが求められています。
大学でもそういう文系とも理系とも分類できないような学問領域がどんどん創設されています。
例えばこの福島の状況も、文系の知識だけでも理系の知識だけでも解決できない、
高度に複雑に絡み合った問題群から構成されています。
そうした難問を解きほぐし、福島の人々のため、日本中の人々のため、
世界中の人々のために貢献できるカッコいい大人になってください!
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Q.法律も文化から来たんですか?

2015-06-26 17:49:46 | 人間文化論
もう1週間以上前の話になってしまいましたが、川口高校での講演会で、
感想用紙にこんなことを書いてくれた人がいました。

「今日の講演を聞いて、人間は文化がないと生きていくことすらできないことがわかりました。
 そこで質問です。法律も文化からきたんですか?
 私達は、これからもずっと、文化を大切にしないと未来すらみえなくなってしまうと思ったので、
 私は、今からできることを探して、次の子供達に文化というすばらしいことを教えたいと思いました。
 今日はありがとうございました。」

私の話をとても深く理解してくださっていて、本当に有り難いかぎりです。
この感想のなかで質問もいただきました。

「Q.法律も文化からきたんですか?」

とてもいい質問ですね。
というか、いつもならちゃんと無形の文化の話もしているんですが、
今回は話の結論 (人はなぜ学ばなければいけないのか?) を急いでしまったため、
文化にも2種類あるよ、という話を省略してしまいました。
申しわけありません
お答えしましょう。

A.法律ももちろん文化 (人間が生み出したもの) のひとつです。
  法律は道具類とは異なる、無形の文化になります。

文化というのは、本能とは異なり、遺伝によって親から子へと伝えられる能力ではなく、
人間が生まれたあとに後天的に生み出していくものすべてのことである、とお話ししました。
イスや鉛筆や制服や私服や体育館など、
また、横穴式住居や高床式住居や高層ビルディングなどを例に出して、
私たちの身の回りにあるものはすべて文化だというふうに説明させていただきました。
そういうモノとしての形がある道具はわかりやすいと思いますが、
形がなくとも人間が決めたきまりごとのような、無形の文化もたくさんあります。
最初に挙げた言語というのも無形の文化ですね。
文字が生まれるとそれはもう有形の文化みたいな感じがするかもしれませんが、
文字が生まれたのはほんの数千年前のことであり、
それ以前の何十万年、何百万年のあいだは書き言葉というものはなく、話し言葉だけでした。
話し言葉だけだとすると無形の文化という感じがわかってもらえるのではないでしょうか。

形がなくとも、人間たちが決めたきまりはすべて文化です。
お互いに挨拶をするというきまりも文化ですし、
人の話は黙って聞くというきめごとも文化です。
人間には誰かと出会ったら挨拶をしてしまうという本能はありませんし、
誰か人が話していたらそれをじっと黙って聞いてしまうという本能もあるわけではありません。
人々が長い時間をかけて、お互いにそういうふうにしようねという文化を築き上げただけです。
そういった慣習とか道徳と呼ばれるようなきまりごとはすべて文化ですし、
それらのなかから成文化され法律として定められるようになったルールも文化です。
質問者の方は、法律も文化から来たんですか、と聞いてくださいましたが、
もともとあった慣習や道徳といった文化から生まれてきたという意味ではその通り、
「文化から来た」 という言い方もできますが、
誤解を避けるためには、法律もまた文化である、と言い切ったほうが正確でしょう。

無形の文化としては、さまざまな制度もまた文化と言うことができます。
「学校」 というと皆さんは校舎や校庭や教室といった形あるものを思い浮かべるかもしれませんが、
学校にとって大事なのはそういう目に見える建物ではなく、
血のつながっていない子どもたちを一箇所に集めて、
血のつながっていない専門職の大人がみんなに文化を伝えていくという仕組みが学校なのです。
人間は子どもたちを教育するためにそういう制度を考え出しました。
でも別に、そういう制度でなければ子どもを教育することができないというわけではありません。
それぞれの家庭で、血のつながっている親が自分の子どもに文化を伝えたってよかったわけですし、
じっさい人類は長い間そうやって学校なんてなくとも文化の伝達を行ってきました。
講演のなかで話したように文化というのは、自然本能によって決定されているわけではないので、
自由にどんな形のものでも新しく生み出すことができます。
ひょっとすると何十年、何百年後には学校という文化、制度もすたれて、
みんな自分の部屋でパソコンに向きあって文化を習得するという時代が来るかもしれません。

家族というのも制度・文化です。
ほとんどの生物は産んだら産みっぱなし、産まれたら産まれっぱなしで、
家族というものなど形成しません。
群れを成す動物はいますが、群れと家族は別物ですね。
鳥類や哺乳類など高等な動物になってくると家族に近いものが形成されてきますが、
その場合もその形態はさまざまです。
人間の場合の家族は本能によって作るのではなく、制度・文化として家族を作っているだけですから、
一夫一婦制であったり、一夫多妻制であったり、多夫一妻制であったりと多種多様です。
どの制度でなければならないということはなく、
それぞれの社会が一番いいと考える制度を選択しているだけにすぎないのです。
したがって、今後みんながそのほうがいいと考えるようになれば、
夫婦別姓制度になるかもしれませんし、同性婚も認められていくようになるかもしれません。
すべては文化なのです。

よけいなところまで話してしまいましたが、
そういうふうに文化のなかには形のないものも多々あって、
法律というのもそのようなタイプの文化なのです。
文化ですから、どんな内容のものであってもみんなで決めればそれは法律にできます。
昔は王様や貴族だけが優遇されるような法律が決められている時代もありました。
現代では民主主義という制度 (文化) が選ばれて、国民みんなが納得でき、
みんながそれによって幸せになれるような法律しか定めてはいけないことになっています。
しかし、民主主義の国であっても政府は自分たちに都合のいいような法律を望み、
国会がそうした法律を制定してしまうということが起こりえます。
君たちは18歳になったら選挙権を得ることになるでしょう。
そのときに、ちゃんと国民のことを考えて国民のためになる法律を制定してくれる人を選べるよう、
社会のことをきちんと学び、判断力や思考力を高めておいてほしいと思います。
何が国民にとってよいことか、日本はどういう国になっていったらいいのか、
ただひとつの正解があるわけではない難しい問題ですが、
その難しい問題を考え抜く力を養っていってください。
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誰にも気づかれない都会的ハイライト

2015-06-24 17:52:53 | 人間文化論
先日、15年くらい前の恥ずかしい写真をアップしましたが、

多くの皆さまから 「宅八郎みたい」 という暖かい声をかけていただきました。

ありがとうございました。

あの記事の最後にこう書いておきました。

「こんな懐かしい写真を今さらアップしたのは、

 実はこれとは別にご報告したいことがあるからなのですが、

 それはまた別の機会に譲ることにいたしましょう。」

本日はその別件のご報告です。

実はあの記事を書いたとき、Facebook のほうで、

当時を知る卒業生から 「また、やってみたら?」 なんていうコメントをいただいていたのですが、

実はそう言われる前にもうやってみていたのです。

さすがにもうこの歳ですからロン毛はムリですが、いつもの美容師さんが一緒に飲んでるときに、

ミョーに 「小野原さん、染めてみませんか」 と営業をかけてきていて、

ついその誘いに乗ってしまったのです。

彼がススメてきたのは昔で言うなら 「メッシュ」 ですが、

最近はもうそういう言い方はしないそうで 「ハイライト」 と言うのだそうです。

彼自身もそんなふうに部分的に染めていて、

彼の場合は染めている部分が外から見てはっきりわかるのですが、

「小野原さんの歳であんまりはっきり外からわかるように染めちゃうと下品だから、

 髪の毛をかきあげたときに茶色いところが見えるような都会的ハイライトにしましょう。」

たしかにこの歳で、メッシュにしたつもりが全体的にマッキンキンになったりしたら恥ずかしいですし、

これ見よがしに部分染めしているのがわかるというのもイヤらしいし、

とはいえいつまでもただの白髪染めのみというのも悔しいし、

というわけで、その耳慣れぬ 「都会的ハイライト」 というものに挑戦してみることにしたわけです。

これが何と言うか、自分的には出来上がりにけっこう満足していたんですが、

結果論として言うならば大失敗でした。

誰にも気づかれないのです。

てつカフェ仲間にも、ゼミ生にも、妻にも、本当に誰にも気がついてもらえないのです。

「ねぇ、ねぇ、何か気がつかない?」 とわざとらしく相手の目の前で髪の毛をかきあげてみせても、

まったくだーれも気がついてくれないのです。

これではせっかく勇気をもって挑戦してみた意味がありません。

それにしてもなぜ気づかれないんだろう?

こういう感じなんですよ。



反対側はこう。



わかりにくいですか?

まあ自分は毎日見慣れてるからわかるけど、

他人から見たら、ただの白髪染めの茶髪にしか見えないんですかね?

あ、髪洗った直後とかならわかってもらえるかな?



やっぱりダメ?

というわけで、誰にも気づいてもらえない都会的ハイライトのご報告でした。

伊藤さん、誰にも気づかれませんでしたよ、どうしてくれるんですか?
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奥会津金山町の川口高校で講演会

2015-06-23 17:33:20 | お仕事のオキテ
先週の木曜日、奥会津金山町の川口高校で講演をしてきました。
去年、エチカ福島の翌日におじゃましたところですね。
てつカフェ仲間の884さんが御指名で招いてくださいました。
当日は朝から雨模様でしたが、磐越自動車道を下りて国道252号線に入った頃には雨もやみ、
6年前に只見高校に行ったときと同じ、只見川沿岸の雄大な景色を眺めながらのドライブでした。
そういえばあの講演会も884さんが呼んでくれたのでした。

演題も同じく 「人はなぜ学び、なぜ働くのか?」。
今回は 「地域に貢献できる人づくりプロジェクト」 の一環としての講演会でしたが、
お聞きしたところ、実際に地元に残って就職する人はほとんどいないとのことでしたので、
地域の話はかするくらいで、一般論として人はなぜ学び、なぜ働くのかで行くことにしました。
このところ同テーマで話をしたときに、けっきょく結論 (というか問いの答え) は何なのだ、
という質問をいただくことが多かったので、結論をクリアにし、
特に前半のサルから人間への進化の話はできるだけ飛ばして、
人は、非遺伝的適応能力としての文化を後天的に身につけなければ生きていけないのだ、
だから勉強しなければいけないのだ、という点を強調して話したつもりでした。
自分としてはだいぶ話がわかりやすくなったんではないかなあと悦に入っていたのですが、
いつものように感想用紙で満足度をたずねてみると、残念ながら結果は3.97でした。
3.97といえば、福島三中で行ったメガ講演会の満足度と同じじゃないですか。
今回は高校だし、人数も120名ぐらいと適正だったし、全然暑かったわけでもないのに、
うーん、なぜだっ

今思い返してみて思い当たるところとしては、体育館でみんなイスに座っての講演会で、
しかし私は壇上には立たず、彼らと同じフロアに立って講演したので、
たった120名ほどであるにもかかわらず、話しているこちらから、
うしろのほうの生徒さんたちの顔を見ることができませんでした。
こちらから見えないということは生徒の皆さんからも私の顔が見えていなかったはずで、
プロの講師の方から、話者の顔が見えないと聞いてるほうは話に入っていけない、
という注意を受けたことがあったので、ひょっとするとそのせいだったのかもしれません。
話している段階で、うしろのほうの人たちの顔が見えないなあと気づいたのだから、
そのときに何か対処すべきだったのかもしれません。
うーん、難しいなあ。

ただ、私としては話しているときはけっこう楽しく、気分よく話していました。
生徒の皆さんの反応がよかったからで、
それを反映するかのように講演終了後に4つも質問を受けてしまいました。
今まであちこちで講演をしてきましたが、こんなに質問をいただいたのは初めてです。
たぶん川口高校の生徒さんたちには批判精神がちゃんと育っていて、
ただ人の話をありがたがって聞くだけでなく、それを自分なりに捉え返し、
いいものはいい、ダメなものはダメ、わからないことはわからないと、素直にはっきり思えるし、
口に出して聞けるし、主体的に批判できる力が身に付いているのかもしれません。
そういう意味での3.97だったのだとするならば、
とても意味のある低評価だったとも受け止めることができるでしょう。
感想用紙にもびっしりといろいろ書いてくれている人がけっこういました。


●学びに対する考え方が変わりました。これからも学びを通して生きる力を身に付けたいです。

●聞いていてとてもおもしろいなって思った。授業とか受けてみたいなとか思えたが、サイトで見た方が早いからそっちにしようと思いました。

●高校に入って勉強ができるようになったので、この講演会でもっともっと頑張ってみようと思えました。本能に関するところが印象に残りました。本を買って読んでみたいと思いました。

●普通だと思いましたが、文化や本能など言葉の使い方や考え方を教えていただいて納得しました。もう少し、息継ぎして話してほしいです。

●倫理を学ぶために、人類の初めから考え、仮説をつくるところの話がおもしろかったです。私も今、倫理を学んでいますが、授業とつながってくる部分もあり、深く学ぶことができました。文化を吸収し、社会に役立てて先生の言う ”かっこいい大人” になれるよう、今を過ごしたいと思いました。

●今まで自分だけではなかなか答えの出ない、”人はなぜ学ぶのか” という題目について、今回の講演で様々な考えをめぐらせることができました。”文化=生きる力” や、”有り難い” など、印象に残った言葉は多くありましたが、強いて言うならば、”恵まれた者の義務 (ノーブレス・オブリージュ)” という言葉が一番印象に残りました。せっかく学べる環境に生まれることができたのに、それを生かせずにいるのは勿体ないことだと思うので、”義務” の果たせる人になれるように、学んでいきたいと思います。とても面白い講演でした。有り難うございました。

●答えがない世界で生きていけなければならないのだと感じた。でも答えがないからこそ、色々な発想、発見を見つけ出せるのではないか思った。しかし、必ずそれが成功するとは限らない、へたをすれば死を招く事だって十分に有りえると思う。それでもなにかする、もしくは文化をつくっていく人はすごいと思う。でもそれをする人も結局は何かしらプロセス (学び) をしてきたのではないかと思うから、イヤなものであっても、最終的に学ばなければならないと思い、考えた。

●講演の中で、「人間は本能の壊れた動物」 という言葉が強く印象に残っています。本能を頼りに生きていけない人間は、そのために人生で沢山なやみ、苦しみ、悲しんでいくことになるのかなと思いました。人間の生活には全てにおいて 「当たり前」 ではない。本能の替わりに文化を頼りに生きているからこそ、「生きている目的」、「働く意味」、「学ぶ意味」 が分からなくなることがあるんだと感じました。そう考えると、他の動物は感情がないのかなと思いました。人間は本能ではなく感情で生きています。文化をつくり、その中でいろいろなことを感じながら生きています。本能にたよって生きている動物は苦しみも悲しみも幸せも…自然界にはない 「文化」 なのかなと思いました。そして、人間はなんのために学ぶのか、それは、人の作った 「文化」 の中で生きていくため、だから今、私たち学生は、「生きるための方法」 を学んでいるんだと思いました。人間は 「文化」 の中で生き、それを身に付けて、伝えて、生きていく。だから勉強もする。学校に行く。そして、生きるために 「文化」 でできた 「社会」 に出る…。人間の毎日に、今日の話を聞いて理解できた気がします。これから、誰かのために自分の身に付けた 「文化」 で力になれるような生き方を目指していきたいと思えました。

●話してることは、「そうだなぁー!」 と思えることが多くて、「そうなんだ!」 と思うことがありましたが、なんかもっとひきこまれるように話してくれたらねないで聞けたと思います! でも目の前でねててすいませんでした! ほかの話を聞きたいと思いました。いろんな人に質問をしながら話したほうがみんなもねないで聞いてくれると思います! 国語の時間に1分間スピーチというのがあるのですが、みんなの前で話すのは大変なのはわかりますが、みんなをまきこんで、自分の考えだけをずばずば言うよりは話を聞いてもらえますし、みんなが考えてくれると思います。また川口高校に来て話を聞かせてほしいと思います! ありがとうございました。(^^)!!!


ねっ、すごいでしょう。
最後は完全に人前での話し方についてアドバイスもらってしまいました。
また来て別の話題で話してもいいよとお誘いいただきましたので、
ぜひイチから出直して人前での話し方の文化を学び直して再挑戦したいと思います。
感想用紙に質問を書いてくれた人も何人かいらっしゃいました。
そのうちお答えできたらと思います。

講演会後は884さんが泊まりがけで打ち上げの会を準備してくださっていました。
それまで時間があったので、金山町から三島町まで少し戻り、
先生方オススメの 「つるの湯」 に行って、五十肩の湯治をしてまいりました。



雄大な只見川の流れを見ながらの露天風呂はサイコーでした。



懇親会場は去年泊まった民宿 「朝日屋」 さんです。



豪勢なしゃぶしゃぶ鍋つきのコース料理をいただきながらの宴会でした。



校長先生やら教頭先生まで参加してくださって、
学校全体が一丸となって教育に取り組んでいる姿勢がひしひしと伝わってきました。
校長先生は何年か前まで福島東高校にいらっしゃったとのことで、
私の盟友である故加藤国彦先生や、彼の仲間であったF先生やO先生のこともよくご存知で、
いつまでも話は盛り上がりました。
川口高校の生徒の皆さん、教員の皆さん、とても素晴らしい学びの時間をありがとうございました。
I Shall Be Back!
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衝撃情報! キュウリはギネスブックに載っていた

2015-06-22 19:59:36 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
元院生幹事さんからこんなサイト情報を教えていただきました。


「きゅうり」 世界一栄養がないとしてギネス認定


こちらはまとめサイトのようで、元ネタは管理栄養士の方が書いたこちら↓のようです。


不名誉なギネス認定に待った!「世界一栄養がない野菜」の真実は…


久々に朗報です。

サイトごとなくなってしまうと残念なので、こちらに記録としてとどめておきましょう。


不名誉なギネス認定に待った! 「世界一栄養がない野菜」の真実は…

暑い日が増えてきて、熱中症や熱射病などが心配な時期になってきました。

夏に限らず、季節に合わせた日々の健康法の1つとして、“旬の食材” を食べることがありますが、これからやって来る夏が旬のアノ野菜が、なんと “ギネスブック” に掲載されたことがあるというのです。

といっても名誉な評価での掲載ではなく、とっても “残念なこと” で掲載されてしまっているんです。今回は、そんな不名誉な認定を受けたアノ野菜について、管理栄養士の筆者がご紹介いたします。

■世界一栄養のない野菜!?

夏が旬の野菜といえば、トマト・ピーマン・高原キャベツ・ズッキーニなどの夏野菜たち。これらの野菜にはこの時期嬉しい、美白作用の高い “ビタミンC” 以外にも紫外線ダメージを予防するカロテン、むくみ予防のカリウムなどが含まれ、食欲が減退しやすい夏でも栄養価が摂れ重宝します。

そんな嬉しい旬の野菜ですが、夏野菜の代表とも言える “きゅうり” は特段目立った栄養成分がないのです。このことから、“世界で一番栄養のない野菜” とギネスブックに認定されてしまっているのです。

■夏に積極的に摂りたいビタミンCまでも壊してしまう!

さらに、きゅうりにはビタミンCが多少含まれていますが、ビタミンCを酸化させる成分 “アスコルビナーゼ” も含まれています。ですので、きゅうり自身はもちろん、トマトやピーマンなど他の夏野菜と一緒に摂ると、せっかくのビタミンCを酸化させてしまいます。

すぐに食べればいいのですが、調理後に時間を置いて食べると本来のビタミンCの体に嬉しい働きが減ったり、崩壊されてしまいます。

特に空気に触れたり、繊維が傷つけられたりしたものに対してアスコルビナーゼは活性を増しますので、たたききゅうりや、きゅうりを入れてミキサーにかけた野菜ジュース、きゅうりと刻み野菜のサラダなどはビタミンCの酸化リスク大!

ちなみにアスコルビナーゼは、人参やリンゴにも含まれていますので、きゅうりと同様に、ビタミンCを摂りたいときには食べ合わせには気をつけたいところですね。

■体温調節の効能は期待大!

不名誉なギネス認定を受けてしまった残念な野菜 “きゅうり” ですが、主成分が水分ということからも、食べることで、熱がこもった体を芯から冷やしてくれます。このことから、夏の火照った体には積極的に摂りたい野菜なんです。

夏の猛暑が心配ですので、栄養成分としては残念なきゅうりでも、体温調節の効能としては大活躍が期待できます!

さらに、アスコルビナーゼは加熱したり、酸や酢につけたり、発酵したりすることで活性を失うので、レモン果汁をかけたり、炒め物や漬物にしたりすればビタミンCの酸化を防げます。

いかがでしたか? 今回は “世界で一番栄養のない野菜” とギネスブックに認定されてしまった残念な野菜 “きゅうり” についてご紹介いたしました。

たとえ栄養価が低くても、緑色が食卓に華を添えたり、パリパリという歯ごたえが食事の満腹感を与えたり、ダイエットに活用できたりと体への嬉しい効果も色々と期待できます。

きゅうりは、鮮度あるものはそのまま食べても美味しい食材。ぜひ夏バテ予防に、ダイエットに、きゅうりを活用してみてはいかがでしょうか?



とてもいい記事です。

世界一栄養がない野菜としてギネスに登録されているというだけでなく、

ビタミンCを酸化させてしまう特性まで持っているということで、

タイトルは 「不名誉なギネス認定に待った」 とあり、

最後には何とかキュウリの効能を持ち上げようといろいろ書いてありますが、

けっきょくのところ水を飲むのと同じってことですよね。

だからといって、自分のキュウリ嫌いを正当化しようとしたり、

皆さんがキュウリを食べるのに反対しようとは思いませんが、

私としてはキュウリを食べるくらいなら水を飲んでいようと思います。
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東北学生競技ダンス初めての福島大会

2015-06-21 18:42:04 | ダンス・ダンス・ダンス
本日、福島大学で全東北学生競技ダンス連盟の夏大会が開催されました。

公式戦の開催は初めてのことです。

朝、福大の第一体育館に着いてみると、すっかり大会会場と化していて感慨深いものがありました。





今大会のパンフレットのために執筆した挨拶文をここに掲載しておきましょう。


               初めての福島大会にようこそ

                                   全東北学生競技ダンス連盟会長 
                                                 大会会長 
                                     小野原 雅夫 (福島大学教授)

 東北学連の皆さん、福島へようこそ。私は全東北学生競技ダンス連盟 (以下、東北学連と略記) の会長であると同時に、福島大学競技ダンス部の顧問でもありますので、本日は大会会長も兼務していることになります。その立場から御挨拶させていただくことにいたします。
 福島大学競技ダンス部 (発足時は社交ダンス部) は1998年に発足し今年で17年目を迎えます。2000年に東北学連に加盟し大会に参加させていただくようになってから15年が経ちました。その15年目の今日、初めて福島大学で東北学連の公式戦が開催されることになったのです。
 福大の顧問としては本日の大会をうまく運営できるのか心配で心配でたまらないというのが真情です。皆さんもご存知の通り、福島大学の競技ダンス部は他大と比べて圧倒的に部員数が少ないです。そもそも大学の規模が劣っておりますのでこれはどうにもいたしかたないところですが、それにしてもこのところはさらなる部員減に悩まされており、学年によっては部員が1名のみという事態もしばしば発生しています。福島大学では、東北学連史上初めてパートナーが部長や主将を務めるという事態も過去にすでに発生しており (ちゃんと調べていませんがひょっとするとこれは全日本学連史上初めてのことだったのかもしれません)、実は今年の3年生もパートナー1名だけですので、とうとう大会実行委員長を女性が務めるということになってしまいました。私の本業は倫理学者ですので男女平等推進派ですから、別に部員数に困っていない他大学でも、パートナーが部長や主将を務めるということがこれからはどんどん増えていって然るべきだと思っています。ただ男女を問わず執行部の3年生が1人だけとかほんの数名しかいないという事態は本当にかわいそうで、そんな状態で初めての公式戦を運営しなければならなくなったというのは、福島大学にとってはひじょうに不運なことであり、その原因を作った山形大学に対しては恨み言のひとつもこぼしたくなります。
 とはいえ愚痴ばかりを言っていてもしかたありません。公式戦開催は初めてですが、東北大学、山形大学とともに三大学だけで「南東北戦・天下一舞踏会」という非公式戦を毎年5月に開催してきていました。ジュニア戦と新人戦のみ、椅子もない中での試合でしたが、そうした疑似体験は積んできています。また今回、初の公式戦開催にあたって、東北学連や各大学からは様々な形で多くの御助力を賜ることができました。この場で感謝申し上げさせていただきます。本日はOB・OGも総出でこの大会の運営にあたってくれていることと思いますが、それにしても人手不足、経験不足は否めず、大会参加の選手の皆さんにはいろいろとご不便をおかけしてしまうことも多々発生してしまうことでしょう。上記のような事情ですのでそこは広い心で大目に見ていただいて、東北学連の良さである和気藹々としたフレンドリーな関係性を発揮して、福大部員が気づいていなかったり抜けていたりするところをそっと指摘したり率先して手を貸したりしてあげていただけたらと思います。初めての福島大会、はたしてどんなことになるかまったく予想もつきませんが、最後までゆっくりお楽しみください。



というわけです。

こちらが、おそらく日本学生競技ダンス史上初と思われる女性大会実行委員長。



案の定、いろいろありましたが、何とか無事に (?) 大会は終了しました。

福島大学の体育館で色とりどりのドレスが舞うのを見られる日が来るとは思っていませんでした。

こちらはスタンダード4種目戦。



こちらはラテン4種目戦。



何とか大役を果たすことができてホッと一安心ですが、

今日までずっと胃の痛い日々が続きましたので (ちょっと誇張気味? 私自身は何もやってません)、

来年度以降は謹んで山形大学にこの大役を返納申し上げたいと思います。

1日も早い山形大学の活動再開をお祈り申し上げます。
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「科学技術と環境の倫理学」 最終ワークシート2014

2015-06-20 15:24:21 | 教育のエチカ
一昨日、奥会津金山町の川口高校に講演に行ってきましたので、
その報告をしたいところなんですが、感想用紙の集計をするヒマがないので、
一昨日に引き続き、昨年度末にアップしたと思って (忘れて) いた記事をアップいたします。


昨日、「科学技術と環境の倫理学」 の学生アンケート結果をご報告しましたが、
講義の最終日には、あのアンケートのほかに最終回のワークシートも記入してもらいました。
その最後に次のような質問を設けておきました。

「この講義を受けてきて、どんな力が身についたり伸びたりしたと思いますか。
 その理由も書いてください。」

アンケートの自由記述はみんな一言だけ書いてくれているぐらいでしたが、
それは、こちらのワークシートでみんな詳しく書いてくれていたので、
もう力尽きて、あちらの記述は手薄になっていたわけです。
今回はこういう質問ですので、授業に対する不満や要望は拾うことはできません。
ある種、誘導尋問にも近いわけですが、こういう問いを最後に投げかけることによって、
半期の講義を振り返って、自分の学びをしっかりと定着させてもらおうと目論んでいます。
卒業してから 「大学では何も学ばなかった」 と思われるよりは、
大学の授業を受けてこんな力が付いたよな、成長したよなと思えるほうが、
本人にとっても幸せなことではないでしょうか。
それではご紹介していきましょう。


●生活の中で必ず関わる科学、技術、環境の問題を経済、国際また現代から未来に時間的幅でも考えることで、どう個人として、また社会集団としてあるべきか考える力が身についたと思いました。問題が大きく個人でどうこうできるものではないと思ってしまいがちだったが、科学だけ、技術だけ、環境だけと囚われず、様々な観点から考えることで、個人でどうするべきかを考えることができたため。

●これからの科学技術と環境について考える力が伸びたと感じた。講義を受けて様々な理論や知識を聞き、ドラマや映画を鑑賞するとそれまでとは違って階段を1階上がったような考えができるように思われた。

●授業を通して、将来社会人として働くようになったときにその職業のプロフェッショナルとして守るべき倫理の重大さや環境問題に対してどのように向き合っていかなければならないかを考えることができた。

●自分の意見・考えを持ち、その後に気づくという力。授業の中で何回か、先に自分の考えを書いたり、ディスカッションをする機会があったが、その際に自分の頭で問題に対して考えることができた。聞くだけではなく、考えてから次に進むことで、気づきを得られたことが多かったと思う。

●たくさんの倫理観に触れていく中で、自分自身の考えを言葉に表す力が身についたと考えます。自分の意見をまとめるのに時間がかかってしまい、ワークシートを記入するのがたいへんだと感じた事もありますが、以前よりも一つひとつしっかりと簡潔に文章にまとめ、整理できるようになったと思います。また、以前小野原先生の別の授業を受けた時よりもたくさん短い時間のうちに書けるようになった気がします。

●この講義を受けて身についた力の一つに「言葉の意味を考える」というものがあると思います。「世代間倫理」とは何なのか、「リスクマネージメント」とは何なのか。以前までは言葉の意味を理解せずにそのまま講義を受けていましたが、この講義を通して「それは一体どういうものなのか」ということを考えて講義を受けることができるようになったのではないかと思います。

●科学技術も環境倫理学も両方とも一点だけを見れば、理解できるような考えではなく、多種多様な見方・考え方が必要であることをこの講義を通して、必要な力であると気づくことができ、多種多様に見て考えるようになったと思う。それが、他の授業の中でもレポートを書くときに考えるようになったと感じることが多くなったと思える。

●科学や技術の発展をただ享受してきたが、実はその裏でどんな事が起こっているのか、考えるべきことがあるのか疑う目線を持つ力がついた。それは、科学技術が私たちに与えた影響を良い面だけ見るのではなく、人類や環境に与えた悪い面や考え直さなければいけない面について学ぶことによって、様々な視点から観察し、自分たちに都合の悪い事でも目をつぶって思考停止するのではなく、理解し考え変えていくことの大切さを学んだからである。

●自分の意見とは違った考え方についても柔軟に考えることが少しできるようになったかもしれない。また、一方から考えるのではなく何事も様々な角度から見ることが大切であると学ぶことができた。

●客観的に物事をとらえ、深く掘り下げて考えることができるようになったと思う。知識が浅く、学ぶ意欲がないから偏見が生まれるのであり、一つの事に様々な側面があることを知ることは、人々の環境や科学に対する無関心や偏見を無くすきっかけとなると感じる。

●私は自分のことを「良い意味でも、悪い意味でも素直」だと考えている。感情に流されたり、訴えることが多いと感じるが、この講義で取り上げられた項目は「感情」でとる行動より、人として「理性」でなすべき行動だったり、今の時代だけではなく、未来の地球にまで視野を広げることの必要性を学ぶ機会が多かったと感じた。自分だけの利益ではなく他人や人間以外のモノへ対する考え方が身についたと思う。

●自分の立場(一般的な消費者)以外の視点で、各問題について考えることができるようになった。自分は今もこれからも、ただ技術の恩恵に一方的に享受するだけだと思っていたけど、享受する側にも守るべき倫理があるのだと気づくことができたので、自分は社会に変革を与えるような技術の発明はできないけど、せめてその技術を生み出す側の人たちにとって障害にならない社会づくりには貢献できると思った。

●物事を多面的に見る力。この講義で取り扱った事項は全て絶対的に正しいものではなく、ある側面から見ると正しいが、違う側面から見ると正しくないというものが多かった。その中で色々な視点で物事を考えること、全ての行動にあるメリットとデメリットを考えることができました。

●巨大かつ複雑化している問題に対して、論理的に向き合うためにどのようなプロセスを踏めばよいのか、道筋が明瞭化したことで、論理を組み立てる力が身についたと思う。また、「科学技術」「環境」といったある意味では身近で具体的なテーマだったことで、生活の他の部分で出会う別の問題などとリンクさせたり、応用する力も伸ばすことができた。

●抑制理論のところで反論に対する再反論を考えたことで意見をより深める力を身につけられた。今回は学説(?)に対する反論をもとに考えたが、これは自分の意見や考えをまとめるときにも使えると思う。自分の意見を100%客観的に見るのは難しいため、粗いところを見つけて反論していく方法を使えば、ただ読み流して考えの偏りを見つけるよりも容易に自分の考えの偏りや矛盾に気づくことができるのではないかと思った。

●どうしようもないことというものは考えても無駄で、専門家に任せればいいと思っていた。しかし、この授業で科学や環境の問題について学んで、専門家や政治家だけでは手におえないものであり、また法律だけでは手が届かない、あるいは更なる問題を招いてしまうことがあると分かった。さらに、個人の行動の積み重ねが問題にかかわっている以上、私たちはどうしようもないような問題を答えを出すべき問題として持ち続け、できるだけ早くベストな答えが出るようできる限り考えを出し続けることが必要なのではないかと考えるようになった。なかなか解決できない問題を生み出している人間として自分を認識できたこと、産み出した問題を未来に残す可能性を持っている人間としてこれからどう責任を持って生きるかを考えられるようになったことがこの授業での大きな収穫であると思う。

●一つの事柄や事象に対して、常に疑問を持つということはできるようになったとは思います。環境倫理学の反論に対する再反論のときに、一見正しいと思えることでも、それに対して反論しなければいけないという状況になることで、提示された理論の信憑性について真剣に考え、様々な疑問点に気づくことができたからです。

●私はこの講義を受けてから、科学や技術を取り巻く事柄について、当事者(内部)の視点からも問題や倫理について考えることができるようになりました。それまでは、外部からの視点でした。例えば、工事などで期限をオーバーした際、外部からは、早く終わってほしいと思われてしまうこともありますが、内部としては簡略化された方法で早めに終わらせてはいけない、などといった事情があることを知り、外部の人間がせかしたりしたら、簡略化されたものになってしまいその工事の信頼性は失われていってしまいます。このように、私は外からではなく内部の事について更に理解を深めなくてはならないと思うようになりました。

●様々な立場からの意見、反論、再反論を見て考えることで、ある意見・主張に対してどこに穴があるか、どんな反論を行うべきか等を組み立てられるようになったと考える。また、様々な考えに触れることで、自らが教育や社会によって当然と刷り込まれていた考えを疑い、それに対して反論することができるようになったと感じる。

●「無理」や「不可能」という言葉は嫌いだ、と仰っていましたが、この授業を受けて私は“老けた”ように感じる。倫理的に取るべき行動でも、それを取らない人は存在するし、そういう人に強制することはできない。だから、まぁまずは自分が誰かに理解されなくても、取りあえず一人で“倫理的に生きるように努力するべきなのだ”という意識を新たにした。そういう意味で、他者性を慮ろうとする力は伸びたのではないかと思う。

●今まで持っていた概念全てに疑いのようなものを感じた。さらに、何が正しくて誤っているのかなど様々な事を考えさせられた。結果的に、自分の中ではこの世界には正解がないところがたくさんあるので、自分で物事を考えていくべきだという結論が生まれた。この結論が正しいのか間違っているのかは分からないが、この授業では自分で考える力が育ったように思う。

●後半の「環境倫理学」において、自由主義経済の問題点などについて学ぶことで、消費者という立場において、自分がどのように環境倫理学の実現に貢献していくかを見直すことができた。

●知識はあまり身についたとは思えないが、考えて考える、深く追及することが多少はできるようになったと思う。ワークシートが埋まるようになった。

●この講義を受けてきて、普段は何気なく思っていたことや、考えもしなかったことを違う視点から見直すことができるようになった気がします。あとは、自分の将来のことでいっぱいいっぱいだったが、すみません...まとまってなくて頭の中がグチャグチャです。物事を判断するときは、状況をなるべく詳しく調べ、その上で判断すること、それが大事だなと思いました。

●与えられたテーマ・問題に対して、自らの意見を考えること、そして、相手の意見や自分の意見に対しても反論することで考え方の転換や考える力が伸びたと思う。

●ある意見に対する反論、そしてそれに対する再反論、また一つの事柄について自分以外の意見を聞くことでそれらを踏まえて、もう一度自分の意見や反論を述べる、という考え方をした方が良いと思うようになった。また、自分の意見があったら、その事柄について他の考え方ができないかを意識してみようと思うようになった。

●多角的な視点に基づき、物事を分析する力。抑制理論について、反論とそれに対する再反論を挙げることができた。

●自分の意見とともに、それに対する反論を考察する力。授業の中で多角的な考え方を紹介していただいた中で、自分の考えの中の不十分なところに気づかされ、自然と自分に向けられるであろう反対意見について事前に考察するようになった。

●授業名の通り、科学技術と環境問題につて倫理学の観点から考えることができるようになった。今まではマスメディアや文献の押し売りでしか物事を考えることはなかったが、この授業をきっかけに主要な言論・視点以外の第三者の観点から物事を見つめようとする気になった。

●板書はなるべく先生が言っている内容の意味を理解しながら、スピードを落とさず書けるようになったと思います。また、科学や技術の観点から、環境の観点からお互いを見て、倫理を学ぶことができました。どちらも傷つけないような未来があればいいと思います。

●環境問題を知るには、自然科学・倫理学・経済学・政治学など、様々な学問の知識が必要だと知り、どんな学問も一つを極めてだけでは語れないのだということが分かった。だからこそ、一つの問題に対して様々な角度から見ることの重要さを知ることができた。

●自分の身の回りにあるものが本当に必要なものなのか、どう扱っていくべきなのかを考える力が身についたと思います。今まではその様なことは考えずに生活してきましたが、よく見てみると、身の回りには無駄なものや危険なものが多いということに気づきます。その力を今後も伸ばしていきたいです。

●グループディスカッションなどで、自分では考えつかないようなものの見方を知ることができた。また、抑制理論とそれに対する反論、再反論では自らの意見を見直し、その問題をつくということも学べた。

●「考える力」。反論、再反論など頭を使って色々考えることをしたし、ただ聞いて書くだけではなく、自分の意見を考えたから。

●倫理はこれまでに高校や大学で講義として学習することはほとんどなかったので、倫理について考える機会が増えたと感じる。それは科学技術や環境についての報道を見るときに他の生態系の影響とかが報道されなくても、自分なりに「これは本当に良い事なのか、自己の利益追求のためには仕方のない事なのか」と考えるようになったからである。

●そもそも倫理とは何だろう?というレベルでしたが、この講義を受講しました。「考える」という力は私はあまりなかったと思います。ユニークに「考える」機会が与えられたのがこの講義だったと思います。

●反証する姿勢、自分が「正しい」と思っていることでも反証することで見えてくるものがあるということが分かったことが最も大きな収穫です。


皆さん、いろいろ力を付けてくれたようです。
その力をぜひ社会人になってから、あるいは就活のときに役立ててください。
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「科学技術と環境の倫理学」 授業改善学生アンケート結果2014

2015-06-18 10:26:35 | 教育のエチカ
今さらながらすごいこと (ひどいこと) に気がついてしまいました。
昨年度の後期に開講していた科目の 「授業改善のための学生アンケート」 の結果ですが、
すでに集計し、感想も打ち込んであり、ブログ記事も書いていたのに、
下書き状態のままほったらかしにしてあって、まだ公開されていなかったことが判明しました。
あのころ以来ずっと追い込まれていたせいなんでしょうが、
追い込まれていたからこそ、ちゃんと入力してある記事はとっとと公開すればよかったのに、
何をやっておるのだ、私は
集計や打ち込みを手伝ってくれた院生さんにも申しわけないことをしてしまいました。
アウトオブシーズンなことこの上ないですが、遅ればせながら発表していきたいと思います。

先日、「科学技術と環境の倫理学」 が終了し、
いつもの 「授業改善のための学生アンケート」 を実施いたしました。
まずは、お決まりの5段階評価からです。

「1.教員の授業に対する姿勢はよかったですか。
 (観点:授業の準備、授業への熱意、学生への対応等)」・・・・・・・・・・・・・・・・4.81

「2.教育の方法は適切でしたか。
 (観点:質問への対応、発表・討論の機会、シラバスの記述内容等)」・・・・・・4.73

「3.授業の内容は適切でしたか。
 (観点:魅力あるトピック、教材・教科書の適切性、参考文献の提示、
  授業の進度、シラバスに記述された目標の達成度等)」・・・・・・・・・・・・・・・・4.84

「4.総合的にみてこの授業に満足しましたか。」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4.84

なかなかいい結果ではないでしょうか。
3番、4番の問いに関して言うならば、
前期の 「倫理学概説」昨年度の 「戦争と平和の倫理学」 よりも高評価です。
ロジャー・ボイジョリーのケーススタディなどもやりましたしね。
自由記述を見ていくことにいたしましょう。


【自由記述】
●ワークシートで自分の考えをまとめることによって授業中に習ったことを復習しやすかった。

●反証を繰り返すこと。思い込みがガチガチにならないで柔軟な思考を保つために必要だと思った。黒板の字がもう少し大きくてもいいかもしれません。

●環境について個人から国際レベル、そして世代間での取り組みが必要だという点とその詳細について。

●科学技術など、身近な課題から倫理を考えることができたので分かりやすかった。グループワークの課題が難しかった。

●テストが大変そう。テストが長い1問ではなく、少し短い3問とかの方が良い。

●グループ活動を増やしてほしい。

●取り上げた課題は重くても、堅苦しい雰囲気のない授業で学びやすかった。

●環境倫理学での抑制理論に対する反論の部分。少しぞっとするような考えでも、一見筋は通っているのが面白かった。

●グループワーク、話し合いなどを多く設け、色々な人の意見を多く取り入れることができた。映像やロールプレイングなどで、実際に見たり体験するということができたらより入り込みやすいのではないかと思います。

●様々な視点から問題をとらえることによって、新しい発見が可能になった。とても良い授業だと思います。

●今のままで良いと思います。

●とても面白い講義内容でした。今後何かに生かせればいいなと思います。自分が技術者になったつもりで何か物を制作するプレゼンテーションを盛り込んで面白いと思う。

●身近だけれども取り組みづらい科学技術や環境に関連する問題をどう捉えるのか、とても実践的な学びを得ることができた。環境倫理学においては、今後就活などで企業を見るための参考になりそうな要素もあり、他のことに応用・活用していきたいと思った。今回はグループワークが少なかった分、インプットが多くてアウトプットする時間が取りづらかったかなと思った。

●環境倫理学を実行するために解決すべき課題。自分たちで考える手立てとして、もっと様々な資料を提示してほしい。

●最初にグループワークを行い、自分の考えを表すことで、その後講義を受けた後の考えとの差異を明瞭にし、考えの再構築をする際、自分の学びの深まりがよく分かった点。少しだけ話のペースが速くなって、話の理解に追いつかせるのに少し苦労したと感じた。

●グループを作り、意見を交換する場が設けられたのは良かった。

●科学技術が持つ正確性と安全性に対する責任、それを使う人間の責任は重大だと感じた。ワークシートを書く時間が少し足りなかった。あと5分ぐらい。

●哲学カフェの告知はともかく、出席点で釣るのはいかがなものでしょうか。

●科学技術の倫理、プロフェッショナル倫理、環境の倫理学について学ぶことができ、それを通して思考を深めることができた。

●例示がユニークで分かりやすかった。最後のワークシートを書く時間をもう少し長くしてもらえるとありがたいです。

●ビデオ教材を取り入れていた点が自分の中で興味を持って授業に臨めた点の一つなので、とても良かったです。

●話も楽しく、とても印象に残りやすいです。板書の筆圧をもう少し濃くして頂けると嬉しいです。

●一番最初の教室の倫理学は面白かった。先生の意見・考えが説明されるの納得できて良いと思う。私が受けた他の授業との違いは「気づく」ことにあると感じた。自分の意見・考えを持った状態で授業を受けることで、そのギャップを感じ、「気づく」ことができるのだと思う。レジュメではなく、ノートを取る形式も眠くならなくて良い。ディスカッションの機会があと一回あっても良かったかもしれないと感じた。また、ワークシートの質問がすごく細かいと答えやすいが、大きな規模・抽象的なときは答えづらいときがあった。それが考える力を養っているのかもしれないが。

●反論への反論を行ったこと。

●自分の意見を述べて、グループで話し合うなどしてから専門的な意見を示すという教育の手順が良いと思った。授業内容とリンクした資料を配ってみるのも良いかと思う。

●具体例などで挙げられるものが、あまり聞いたことがないユニークなものが多かったので、とても面白くて興味深かった。

●ワークシートに記入する時間をもう少し下さい。

●理想論に説得性を持たせることができたらいいなと思う。

●個人にも様々な立場があり、どんな問題の二者対立のどっちの立場にもなりえるため、相方の理解と、どうあるべきかを考えていかなければならないことを学んだ。課題を話し合う活動をもう少しあれば良いと思った。自分だけの立場や考え方だけでは理解しづらいことも、他者からの意見で理解・納得することもあった。

●ボイジョリーの行動についてが特に印象に残りました。安全の為に尽くしたその姿勢とシャトル打ち上げの結果を経てその後の行動を講義で知り、ボイジョリーのような人間でありたいと考えました。今までも十分に満足できる授業だと思います。何か挙げるとするならば、おすすめの映画本などの作品をテーマに絡めて教えていただけたら嬉しいです。

●活動をもっと取り入れて考える機会を増やす。居眠り防止にもなると思う。

●ワークシート書く時間足りない。


なるほど。
ボイジョリーのケーススタディよりも、環境倫理学のところで抑制理論に対する反論を考え、
さらにその再反論を考えるというワークがけっこう印象に残っていたのかもしれません。
要望としてもグループワークをもっと増やしてほしいという声がけっこう上がっています。
やはり今の時代はそういうアクティブラーニングのほうがウケがいいのでしょう。
大学教員としては最低限の知識を身に付けた上でグループワークに取り組んでもらいたい、
という思いもありなかなか難しいところです。
また、ワークシートを書く時間が足りないという声もいくつか出されていますが、
書くのが早い人と遅い人がいるので、授業内に書いてもらうという場合、
どこに合わせるのかというのはこれも難しい問題です。
遅筆な人に合わせて心ゆくまで時間を取っていると、
やはり基礎的な講義をする時間やグループワークの時間がなくなってしまいますし…。
今後は、自分で考えて書くのは全部宿題に回して、
各人の書くスピードに合わせていくらでも時間をかけて考えてきてもらって、
授業中はその分、講義やグループワークに回すというのがいいのかもしれません。
でも、ホントにそんなことしていいの?
ちゃんとみんな宿題やってきてくれる?
今ひとつみんなのことを信じ切れないなあ。
1人でやる作業を宿題にしておいたら、ほとんどみんなやってきてくれてなくて、
グループワークがグダグダになってしまったということがこれまで多々あったんだよなあ。

それから1人の方が 「哲学カフェの告知はともかく、
出席点で釣るのはいかがなものでしょうか」 と書いてくれていました。
これに関しては本当に申しわけないと思っています。
ただ、ひとつだけ言い訳させていただくと、
私が主宰している 「てつがくカフェ@ふくしま」 に関しては、
告知はしても出席点で釣ったりしたことはなかったはずです。
今回、出席点で釣るということをしたのは、多文化関係学会のなかで、
牧野先生の講演てつカフェ番外編への参加を促したときだけでした。
あれは、多文化関係学会と福島大学の共催になり、
学会参加者数を確保するための動員を課されることになったため仕方なかったんですよ。
出席点でもあげないことには誰も来てくれなかったでしょ?
来てくれた人にたった2点プラスアルファであげただけで、
来られなかった人から減点したわけではないので、
そのへんの大人の事情、ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。

さて、そして私が 「授業改善のための学生アンケート」 のなかで一番重視している、
授業外学習時間に関する集計結果です。


【授業外学習時間】
3時間以上・・・・・・・・・・・18人(48.6%)
2~3時間未満・・・・・・・・11人(29.7%)
1~2時間未満・・・・・・・・・7人(18.9%)
30分~1時間未満・・・・・・1人( 2.7%)
30分未満・・・・・・・・・・・・・・0人(  0%)
0分(何もしなかった)・・・・・0人(  0%)


うーん、これれは引き分けって感じですかねえ。
前期の 「倫理学概説」昨年度の 「戦争と平和の倫理学」 と比べてみると、
毎週2時間以上学習した者の割合は80%弱とほぼ一緒ですが、
3時間以上学習した者の割合は、「戦争と平和の倫理学」 よりは多いですが、
「倫理学概説」 よりは10ポイントも減ってしまっています。
これはやはり負けを認めざるをえないでしょうが、
1時間未満という不届き者はたったの1人になっており、
全体としては授業時間外に学習をするようになってきていると言えるのではないでしょうか。

「倫理学概説」 で新記録を打ち立てたのでこの調子で記録更新したかったのですが、
やはり、自由や幸福をテーマにしていた 「倫理学概説」 に比べると、
科学技術や環境問題をテーマにした今回の授業の場合、
日頃からこれらのテーマに関してアンテナを張るのは難しかったのかもしれません。
だとするとよけいに、こちらからの誘導が必要だったのかもしれません。
やはり上述したような、ワークシートの課題を宿題にして、
授業時間外に考えて書いてきてもらうといった対策が必要なのかもしれません。
この件に関して学生の皆さんのパブリックコメントを募集いたします。
このブログのコメント欄でもいいですし、直接私宛てのメールでもいいので、
そういう宿題を出されたらちゃんとみんなやってきてくれるかどうか、
皆さんのご意見をお聞かせください。



とまあ、こんな具合に意見聴取のお願いもしていたのですが、
その後、誰も何のコメントもくれないなあと少し残念に思っていたのでした。
でもアップされていないんじゃ意見の出しようもないですよね。
昨年度、受講した方がもしもこの記事を目にされましたら、ぜひご意見お寄せください
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ロン毛で茶髪の大学助教授

2015-06-17 13:43:34 | 教育のエチカ
研究室の大発掘をしていたら、とんでもない写真を見つけてしまいました。

ていうか、学生たちと撮った写真ってどこにも見当たらないなあと思っていたんですが、

特にそれらを探そうとしたこともなく、今回もたまたま開かずの引き出しを開けてみたら、

そこから長年撮りためた写真 (ほとんどは学生からもらったもの) が大量に発見されたわけです。

ひどいもんです。

学生や卒業生たちと写っている写真が多いのですが、

酒席での写真はたいがいベロベロです。

女子と肩を組んでたりする程度はまだいいほうで、

まあちょっとここで公開できないどころか、説明するのもはばかられるような写真がけっこうありました。

何をやっておったのだ、私は。

そんな中で、とても懐かしい髪型の写真も見つかりました。

こういう感じです。



これは1994年に福大に着任して、その年の新入生の助言教官を引き受けることになったのですが、

その子たちが卒業する直前に、みんなで安比スキー場に行ったときの写真だと思います。

福大に赴任したときはちゃんと真面目な助教授だったんですが、

だんだん授業をするのにスーツを着ることもなくなり、髪型もいろいろ自由に遊ぶようになってきて、

この1998年前後というのが一番ぶっ飛んでいたときだと思います。

この写真は逆光なので髪の毛の色がよくわかりませんが、ホントはこんな色でした。



見た感じ全体に茶髪な感じですが、本来はメッシュに染めていたはずです。

白髪が急に増え始めて、美容師さんにどうしようと相談したら、

メッシュに染めるのを薦められたんだったような記憶があります。

こっちの写真のほうがメッシュっぽいかなあ。



それにしても髪長いですね。

こんなに伸ばしたのは高校のとき以来だったと思います。

こんな髪でみんなと旅行に行ったりすると、女子たちにもてあそばれて、

こんな目に遭わされたりしていました。



編み込みですね。



編み込んでも相当シッポが残っています。

まあさすがに編み込み姿で外を出歩くことはありませんでしたが、

夏の暑い日などはよく後ろで縛ったりしていたものでした。

うーむ。

若気の至りだっ

こんな懐かしい写真を今さらアップしたのは、

実はこれとは別にご報告したいことがあるからなのですが、

それはまた別の機会に譲ることにいたしましょう。
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第30回てつがくカフェ@ふくしま・ポスター完成!

2015-06-15 11:50:55 | 哲学・倫理学ファック
「てつがくカフェ@ふくしま」 のウェブサイトのほうにアップしたのですが、

あちらは訪問者数が少ないし、福大生であちらのサイトを見ている人は少ないと思うので、

こちらにも同じ内容をアップしておきます。

共通領域 「倫理学」 を受講中の皆さんは、

てつカフェに参加すると授業外学習時間にカウントすることができますし、

特に今回は 〈病〉 がテーマですので授業内容ともろかぶってきますから、

ぜひ参加してみてください!


今週の 【以下転載】 土曜日、「第30回てつがくカフェ@ふくしま」 が開催されます。

またポスターを作成いたしました。

「イヴのもり」 店内と福島大学M棟の掲示板にて公開しておりますが、こちらです。



今回は病気がテーマということで、病院っぽい配色にしてみました。

(あくまでも私のイメージの病院です。)

ところがこれもやはりプリントアウトしてみたらまったく色味が変わってしまい、

私のイメージの病院とはかけ離れてしまいました。

今回のテーマのサブタイトルが 「病気が教えてくれたこと」 なので、

以前にご紹介した本の画像も配しておきましたが、

残念ながらこの本は絶版になってしまったので、もう入手することはできません。

もちろん今回は 「本 de てつがくカフェ」 ではないので、

この本をあらかじめ読んでおく必要はないのですが、

一般の方々が書かれた、体験談を交えた短いエッセイを120本集めた本なので、

とても読みやすいですし、なんといっても涙ちょちょぎれるほど感動的です。

これをほんの数本読んで、見よう見まねで書いてみた看護学生たちのエッセイも、

いずれもたいへん感動的でした (こちらこちらをご覧ください)。

ですので、必須というわけではありませんが、

次回のてつカフェに参加される方はぜひいくつか読んでみるといいと思います。

本は絶版になってしまいましたが、もともとウェブ上で公開されていたもので、

そのサイトは今も閲覧可能です。

本が出版される以前はちょっと見にくい設計で、

たくさんのエッセイを全部読むのは一苦労だったんですが、

出版とともにサイトも整備されたようでだいぶ見やすくなりました。

ぜひ一度こちら↓をご覧になり、

アステラス製薬エッセイコンテスト 「病気が教えてくれたこと」

ご自分もマネしてエッセイを書いてみてから参加されてはいかがでしょうか。

病気とは何なのか、みんなでともに語り合いましょう!



P.S.

ちなみに今回のテーマは以前に話し合った 「老い」 の問題ともリンクしている気がします。

あのときの議論も復習しておくといいかもしれません (こちら)。

その後にまさおさまが書いたブログ記事も関連するかも (こちら)。
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Q.「アニメで分かる心療内科」 の主人公に似ていると思いますか?

2015-06-13 10:46:14 | 哲学・倫理学ファック
2ヶ月ほど前に書いたブログ記事に対して、

「Q.ニュースエブリーのキハラさんに似ていると言われませんか?」

次のようなコメントを頂戴しました。

「『アニメで分かる心療内科』 というアニメを見ていて、

 主人公の臨床心理士の先生が誰かに似ているなぁ、

 と思って頭に浮かんだのがまさお先生でした。

 どうでしょうか?」

どうでしょうかと言われてもそんなアニメ知りません。

さっそく調べてみました。

これですね (「アニメで分かる心療内科』 公式サイト)。

今なら第1話が無料で試聴できるようなので、それも見てみました。

主人公はこの方です。



心内療というお名前だそうです。

この手のアニメにありがちなお手軽なネーミングです。

さて、どうでしょう?

似ているでしょうか?

まあ、メガネと髪型ですかねぇ。

外見だけに関して言えば、似ていると言ってもいいのかもしれません。

ただ、アニメを見てみると、この人けっこう声が高いんですよ。

自分はこんな声じゃないよなあと思いつつ、

しかし、ホントの自分の声って自分では聞くことができないじゃないですか。

録音された私の声を聞くとけっこう甲高い情けない声ですので、

ひょっとすると声も含めて私は心内さんに似ているのかもしれません。

けっきょくこういう問題は本人よりも第三者の意見のほうが信頼おけますので、

私以外の皆さん、この件に関するご意見をお待ち申し上げます。
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本日から 「がってん」 スタート!

2015-06-11 18:45:05 | 人間文化論


告知が遅くなってしまいました。

本日から福島大学人間発達文化学類の美術の4年生たちによるプレ卒展 「がっ展」 が、

MAXふくしま4階のA・O・Z (アオウゼ) で開催されています。

福大の皆さんは生協大学会館前に巨大な立て看が立っていますので、すでにご存知のことでしょう。

彼らの展覧会は毎年ヘンな名前が付けられるので印象的ですが、

「!」 とか 「○○○○展」 とか 「レ展」 などなど)

今年は 「がってん」 だそうです。

そうですか。

いろいろと思いつくもんですね。

今年のポスターは少し離れて見ないと、近くで見ても何やらよくわからない、

なかなかシャレたデザインになっています。

日曜までなので週末出張が控えている私はちょっと行けないかもしれませんが、

お時間のある方はぜひ足を伸ばして見に行ってあげてください。
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生協食堂出食カウンターでのムダなやりとり

2015-06-09 20:12:12 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
私が利用している goo ブログでは最近、

「【大募集中】あなたがアクセスアップした "体験" や "方法" を書いた記事をお待ちしてます!」

とのことで、 「アクセスアップ」 というジャンルが新設されました。

ジャンルというのはパソコンだと各記事の本文の下 (トップページでは表示されません)、

ケータイだと各記事の本文の下にCMが入ってきてその下に表示されるやつです。

これを機会に私も 「このブログについて」 というカテゴリーを新設し、

過去に最多アクセスを更新したときの記事を全部そこに移動させ、

それらを 「アクセスアップ」 のジャンルに振り分け直しておきました。

まあ、私としてはどうやったらアクセスアップするかなんてまったくわかっていないし、

(なんせ歴代最多アクセスは女子高生もののまとめサイトの紹介にすぎないんですから)

そもそもアクセスアップ自体にもあまり興味はないのですが、

女子高生ものにかぎらず2チャンネルまとめサイトの紹介はどれも高アクセスですし、

ジブリ映画のレビュー記事なんかもよく読まれていることはよくわかっています。

で、最近気づいたんですが、大学生協関係の記事を書いたときも、

まあ爆発的とまでは言わないまでも、けっこうアクセス数が伸びていることが多いのです。

というわけで、なかなか高アクセスだった前々回に続いて生協食堂の話を書いてみようかと思います。

これでアクセスアップしたら生協ネタは鉄板っていうことになりますね。


さて、以前から生協食堂の出食カウンターでちょっとイラッとさせられることがありました。

ふだんはたいてい、バランス惣菜と、何か肉か魚のメイン的なものと、味噌汁という、

きわめて糖質制限ダイエットに忠実なランチを食べているのですが、

メインを一品メニューのなかの 「チキンおろしだれ」(付け合わせの野菜付き) とかにせず、

サイドメニューのなかの 「ぶり照り焼き」 とか 「サバみそ」 とかから選んでしまうと、

全体のボリュームがちょっと少なくなってしまうということが起こります。

そういう場合にもう一品増やすのではなく、

味噌汁を豚汁に変えることでなんとか腹持ちをよくしようなんていうことを実践しているのです。

で、出食カウンターで豚汁を注文するのですが、

毎回いちいち 「サイズはどうなさいますか?」 と聞かれてしまうのです。

それがちょっとわたし的には気に入りません。

だってカウンターにはこんなふうなポップが並べられているのです。



この2つを見た上で私は 「豚汁をください」 と言ってるんですから、

それは当然、右側の108円の大きいほうに決まっているじゃないですか。

小さいほうがほしければ最初から 「小豚汁をください」 と言います。

読み方が 「ことんじる」 であるということもローマ字表記によってわかっています。

それにサイズを言えと言われても右側のやつはどういうサイズなのかわかりません。

普通盛りなのか中なのか大なのか明記されていないので、

こちらとしては 「豚汁」 としか言いようがないじゃないですか。

あえて言うとしたら 「小 (こ) じゃないほう」 とでも言えばいいのでしょうか。

お客にサイズを言わせたいのだとしたら、このポップの表記は改めるべきでしょう。

例えば、ライスとかと同じように 「豚汁 中108円 小75円」 とするのが普通でしょう。

ただし、それだとやはりみんな 「豚汁」 としか言ってくれなくて、

またいちいち 「サイズはどうなさいますか?」 と聞かなくてはいけなくなるので、

今と同じようなポップのままで、右側のやつをこう書き換えるのがいいと思います。

「大豚汁・108円」(で、下の行に 「OOTONJIRU」)。

こうすればこれはもう商品名ですから、みんなは黙っていても最初っから、

「おおとんじるください」、「ことんじるください」 と言ってくれるでしょう。

サイズに関するムダなやりとりは一切省略することができるようになるのです。

混雑時の大行列を解消しようと思うなら、

こういう細かいところから改善していくべきだと思うのですがいかがでしょうか?


P.S.

はたして、これでアクセスアップするか注意深く見守りたいと思います。
コメント (2)
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DVD 「ただしいおはしのもちかた」

2015-06-05 17:01:55 | 教育のエチカ
今年は大学院の 「地域生活文化コミュニティ」 という授業を担当しています。

これは福島大学大学院人間発達文化研究科が創設されたときに新たに配置された必修科目で、

地域文化創造専攻の地域生活文化領域に所属する1年生と2年生が同時に受講する科目です。

大学院というと修論研究に関しては、指導教員と修論生だけで研究指導が行われていたものですが、

大学院生にももっと広い視野を身に付けてもらわなければならないということで、

こういう学び合いの授業が置かれるようになりました。

現在、私の所属している地域文化創造専攻・地域生活文化領域 (昔で言う社会科と家庭科) は、

1年生も2年生も過年度生も全員が社会人学生ばっかりで、

この 「地域生活文化コミュニティ」 の授業では私も平均年齢を下げるのに一役買っているほどです。

そして、なんといっても家庭科の院生たちと触れ合うのは私にとっては初めてのことで、

受講者5名中2名いる家庭科の院生は2人とも学校給食センターの栄養教諭の方々なのです。

そのうちのお一人、井間真理子さんの研究が 「福島民友」 に取り上げられました。

こちら↓です。



井間さんは 「学校給食における箸の指導」 というテーマで研究を進めているのですが、

正しく箸を持てない子どもたちにわかりやすく教えるために、

「ただしいおはしのもちかた」 という替え歌を作り、

さらにそのDVDまで制作したということで記事になっちゃったのです。

DVD見せていただきましたが、なかなかの出来映えでした。

歌詞もよくできていますし、養護の先生に手タレをお願いし、自分たちで歌を歌い、

DVD作成も校長先生がやってくださったそうですが、素人の作とは思えないクォリティです。

YouTube にアップしたら世界中からアクセスが殺到すること間違いなしでしょう。

世代的にインターネットにすぐさま対応できる感じではないのですぐにはアップできなさそうですが、

修了までには何とか全世界向け公開を果たしてもらいたいところです。

以下に、「ただしいおはしのもちかた」 の歌詞を載せておきましょう。

これを 「もしもし亀よ」 のメロディーに乗せて歌っていくと、

あら不思議、これであなたも箸名人です。


♪ただしいおはしのもちかた♪  (作詞・井間真理子)


1.おはしを1本もちましょう

  まんなかよりも上にもち

  えんぴつもちでもちましょう

  お兄さん指でささえてね


2.わっかのなかにもう1本

  おはしをそろえて入れましょう

  お姉さん指でささえてね

  じょうずに ただしくもてたかな


3.おはしの先をカチカチと

  うごかすおはしは上だけよ

  ただしくつかえば こぼさずに

  きれいに食べられ はしめいじん
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生協食堂レシートの間違い探し

2015-06-04 15:56:29 | 教育のエチカ
本日、生協大食堂で昼食をとったときのレシートです。

このレシートにはおかしなところがあります。

それはどこでしょう?



おわかりになりましたでしょうか?

昼食を14時20分なんて遅い時間にとってるのがおかしい?

そこではありません。

ライスを購入していないので糖質制限をしてるっぽいけど、

「チキンおろしだれ」 はつけ合わせがキャベツじゃなくてフライドポテトだから、

このメニューだと糖質けっこう摂取してるはずだし、

緑が0.9とそこそこ野菜をとってるふうにも見えるけど、

それもジャガイモが野菜としてカウントされているからにすぎず、

けっきょく536キロカロリーも摂取してるなんてデブにあるまじき行為だ?

いやいや、そこでもありません。

見ていただきたいのはここです。



このアンダーラインを引いた注意書きの部分です。

「11:30~12:30快適にご利用頂く為

 お席でのパズドラ、モンスト

 ラブライブ等はお止めください」

何なんでしょう、これは?

しばらく前からレシートにこの注意書きが入るようになりました。

最近のレジはよくできていて、こんなふうに季節ごとにメッセージを入れられるみたいです。

それはいいのですが、この注意書き、いろいろな意味でおかしくないですか?

まず 「パズドラ、モンストラブライブ」 って何なんでしょうか?

パズドラは聞いたことがあります。

おそらく 「パズル&ドラゴンズ」 というゲームのことでしょう。

「モンストラブライブ」 は何でしょうか?

これもゲームの名前のような気がしますが、「モンストラブライブ」 ではヒットしません。

読点はありませんでしたが改行してあったので 「モンスト」 で調べてみました。

するとヒットしました。

「モンスターストライク」 というゲームのようです。

そういえば何かテレビのCMで見たことがあるような気がします。

とすると 「ラブライブ」 というのもゲームなのでしょうか?

調べてみると、「ラブライブ」 というのは今はもうなくなった芸能事務所だったようです。

パズドラやモンストとはちょっとかけ離れすぎています。

ウィキペディアのなかに、

「アイドルを題材としたメディアミックス作品については 『ラブライブ!』 をご覧ください」

と書かれていました。

そこで 「ラブライブ!」 のページに飛んでみましたが、

いくら読んでも何が書いてあるのかいっこうに意味がわかりません。

マンガなのかアニメなのか音楽グループなのか、

まあメディアミックスというくらいだからそれらが一緒くたに展開されているのでしょう。

下のほうにゲームという項目もありましたから、

けっきょくあのレシートが禁じていたのはゲームとしての 「ラブライブ!」 のことだったのでしょうか?

それにしてもあの注意書き、なんでこの3つ限定なのでしょうか?

いや、もちろん最後に 「等」 と付けられていましたが、

せめて 「等のゲームをするのは」 というふうに、

ゲーム一般を禁じているということは明記すべきだったのではないでしょうか?

今の学生たちはもうドラクエFFはやらないのでしょうか?

モンハンなんてもう流行ってないんですか?

今どきの若者にとってはゲームといえばパズドラ、モンスト、ラブライブ!の3つだけなんですか?

というわけで、間違い探しの正解を発表いたしましょう。

第1に、「モンスト」 のあとに読点がないというのがヘンですし、

第2に、ゲーム一般を禁じないで、特定の3つのゲームだけに言及しているのがヘンですし、

なんといっても第3に、大学生が大学で (しかも大混雑の生協食堂で) ゲームなんかをやっていて、

生協から 「お止めください」 と懇願されているという事態が大間違いなのでした。

混んでる時間帯に食事終わっても座席を占領しているのは悪いことである、

という程度のことがわからないような人間に大学で学んでいてほしくないし、

福大卒を騙って社会に出てほしくもないと強く思う今日この頃でした。
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