まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

今度のてつカフェはアイドルだっ!

2017-02-16 09:37:15 | 哲学・倫理学ファック
自分のブログで告知するのを忘れておりましたが、

明後日の土曜日は 「第42回てつがくカフェ@ふくしま」 です。



今回のテーマは 「アイドルは永遠か?」。

このテーマも前回のてつカフェ後の懇親会において、参加者の方から提案されたものです。

たしかその方は、「アイドルを消費してしまっていいのか?」 といった問題意識をお持ちでした。

昨今のアイドルはもてはやされるだけもてはやされて使い捨てにされてるんじゃないか、

そういうファンやマスコミのあり方を問い直したいとのことでした。

なるほどとも思いましたが、そこだけにフォーカスを当てると話が広がらないかもしれません。

私としては、そもそも日本におけるアイドルのあり方に以前から疑問をもっておりました。

「タレント」 という言葉はもともと 「才能」 を意味し (その邦訳が 「芸能人」 でしょう)、

歌や踊りや演技などに秀でた才能を持っている少数の選ばれた人々が、

タレントとしてショービジネスで活躍するというのが本来のあり方だと思いますが、

日本のアイドルはそれとは異質な存在のような気がします。

「アイドル」 という言葉は 「偶像」 という意味です。

そこには本来、信仰崇拝の対象とするべきでないものをあがめたてまつってしまう

偶像崇拝という意味が込められています。

日本型のアイドルは本来のタレントとは異なり、圧倒的な才能やカリスマ性をもつというよりは、

誰にでも手が届きそうな親しみやすさを売りにすることで人気を博してきました。

その大して上手いわけでもない歌や踊りや演技に、

多くの日本人が熱狂しているのが不思議でしょうがありませんでした。

ショービズの世界がこんなふうに発展を遂げているのって、

世界的に見て日本くらいではないでしょうか?

そういう問題関心からすると 「アイドルとは何か?」 という問いも浮かびましたが、

これもテーマとしてはイマイチです。

以前のテーマをもじって、「アイドル? 好き? きらい? 必要?」 なんていうのも考えてみましたが、

それもちょっと外れてしまうしなあ。

というわけで最終的にとりあえず今回のようなテーマを立ててみました。

アイドルが永遠かどうか、それ自体を突き詰めたいわけではなく、

アイドルという日本的な現象について広く様々な角度から切り込んでみたいと思います。

私のようなアイドル嫌いのジジババばかりが集まって議論しても大して深い話はできないでしょう。

アイドルの追っかけを現役でやっているというような若い方々もぜひご参加ください。
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本日の夕食は…

2017-02-09 22:29:36 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
なんか今日はヘトヘトに疲れました。

なので食事を作る気にもなれなかったのですが、

しばらく前から残っていた食材を食べてしまわなきゃなあと思い、

ささっととんでもなくジャンキーな食卓にしてみました。



これが本日のディナーの全貌です。

メインの肉料理にソーセージ、主食は厚揚げ。



そして栄養バランスを考えて野菜はポテトチップ。



ポテチは買い置きなかったよなあと思っていたら、棚の奥のほうから発掘されました。

どれもビールに合いますが、ジャンキーなことこの上ありません。

しかも、これらにはすべて問題があります。

拡大して見てみましょう。



まあ、これらは前から冷蔵庫にあったよなあと思っていましたが、

もうこんなに賞味期限を過ぎてしまっていましたか。

今日って何日でしたっけ?

厚揚げは1週間前、ソーセージは2週間以上前に賞味期限が切れていますね。

それよりもビックリしたのはポテチにも賞味期限があるんだってことでした。



たしかにこのポテチ、食材庫の奥のほうから発掘されましたが、

こんなに前に製造されて、1ヶ月前に賞味期限が切れていたとは!

今日は疲れ切っていてよかったです。

何かちゃんと作るだけの元気があったら、これらはまだお蔵入りしたままでした。

すべて美味しくたいらげましたが、今のところまだお腹が痛くなったりはしていません。

明日もしも私が大学に姿を見せないようだったら、どなたか自宅まで私の安否をたずねに来てください。

よろしくお願いいたします。
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「科学技術と環境の倫理学」 授業改善学生アンケート結果2016

2017-02-06 16:06:28 | 教育のエチカ
衝撃の修士論文を提出した院生から、
恥ずかしいから早く新しいブログを書いて、あの記事を過去ログにしてくださいと頼まれたので、
後期の授業で行った 「授業改善のための学生アンケート」 の結果報告をさせていただきます。
実を言うと、「人生で一番忙しい年」 だったために、
(引き続き 「人生で一番忙しい年度」 継続中ですが…)
前期の授業のアンケート結果をまだご報告していません。
あの院生に頼んですでに集計は終わっているし、自由記述も打ち込みずみなんですが、
ブログ記事に仕上げるヒマがないままに今日に至り、
そしていつしか、このごった返した研究室のなかのどこかにデータが埋もれてしまいました。
新年度が来る前にはまた一度研究室の整理をしたいと思っており、
発掘され次第、ブログを書けたらと思っております。
とりあえず、先ほどあの院生から渡されたばかりの、
後期の 「科学技術と環境の倫理学」 のアンケート結果を忘れないうちに発表しておきます。

まずは5段階評価から。

「1.教員の授業に対する姿勢はよかったですか。
 (観点:授業の準備、授業への熱意、学生への対応等)」・・・・・・・・・・・・・・・・4.89

「2.教育の方法は適切でしたか。
 (観点:質問への対応、発表・討論の機会、シラバスの記述内容等)」・・・・・・4.93

「3.授業の内容は適切でしたか。
 (観点:魅力あるトピック、教材・教科書の適切性、参考文献の提示、
  授業の進度、シラバスに記述された目標の達成度等)」・・・・・・・・・・・・・・・・4.86

「4.総合的にみてこの授業に満足しましたか。」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4.89

一昨年もけっこういい評価で、さすがにもう打ち止めだろうと思っていたのですが、
(上から順に4.81、4.73、4.84、4.84)
その記録をさらに更新してしまいました。
ありがたいことです。
一昨年のアンケートで 「ワークシートを書く時間が足りない」 という意見が散見されたので、
その点を気を付けるようにしたのがよかったのかもしれません。
「2.教育の方法は適切でしたか」 の回答が一番高得点になっているのはそのおかげでしょうか。
今年の自由記述欄では授業内容や授業方法に関する苦情はひとつもありませんでした。
(テストに関する苦情が1件のみ…後述)
では、自由記述を見ていくことにしましょう。
問いは 「あなたが、この授業を通じて学んだことで、特に印象に残っているのはどのようなことですか。
授業への感想や意見も含め、自由にご記入ください」 となっております。

【自由記述】
●NASAのような例示VTRがとても面白くて勉強になりました。

●グループワークを取り入れられたため、他の人との意見交換が出来た。

●それぞれの倫理について考えることによって、これからどのように生活していけば良いのかということを毎回考えることのできる授業だった。環境倫理の話が一番印象に残った。

●特に印象に残った授業は、「チャレンジャー号爆発事故の際の技術者の行動」です。長年の経験上、技術者側の視点と経営者側の視点の相反する立場から、相互の心理レベルにまで触れられたことです。実務では、利益相反、境界問題の中での判断が求められるので、判断する軸を見つけられたと思います。ありがとうございました。

●自分の専門分野では全くない領域ですが、内容的に興味があったので、受けさせて頂きました。私の知らない事や、今までの考えが覆されるものばかりでとても良い刺激になりました。講義を聴いていてとても面白かったです!! また、学類や学年で違う人たちと意見交換をすることが出来てとても貴重な経験でした。ありがとうございました。

●久しぶりに黒板の文字を写し続け、やっぱり書いた方が頭に入るなあと思いました。自分の意見を考えてから、先生の考えが聞けたので、自分が考えていたことと照らし合わせながら授業を聞くことができ、普段受けている授業より、有意義な時間になっていたと思います。

●技術者がとった行動の予測や、科学技術における反論、再反論などを考えることによって、より学びが深まったと思う。またグループワークで意見交換をするのは新しい視点に気付く機会なので面白かった。

●科学技術に対する科学者の倫理、私たち使用者の倫理や政府との関連についてが特に印象にのこりました。このままだとどうなるのか、より良く技術を運用するにはどうすればいいのか考えていきたいと思いました。

●身近な問題に対して倫理学的側面から考えることができたのはよかった。現在の考え方がどのように古典的な思想とつながっているのかわかったのが勉強になった。

●難しい問題もあったが、具体的な例があったり分かりやすかった。先生のたまにはさむ話がおもしろくて好きです。

●ところどころにグループワークやワークシートを使った活動があり、自分の考えをもちながら授業に取り組むことができたので、毎回楽しく授業を受けることができました。ありがとうございました。

●科学の進歩によって人間の生活が豊かになった一方で、重大な事故が発生したり、環境の破壊が進む問題があった。このような問題に対して倫理学者はどのような考え方を持っていたのか学ぶことができてよかった。

●科学技術の倫理の際に、ロケット打ち上げ事故のドキュメンタリー映像を見たのが面白かった。問題の内容に興味を持って取り組むことができた。今後も時間があれば、このような形式で授業を進めてもらうとよりわかりやすくなるのではないだろうかと思う。

●ある事柄について自分の意見を自由に考え、それを周りと交換するような講義は他にはあまりないので、とても有意義であり、楽しかった。正論に対する反論を考えるのが楽しかった。

●環境倫理学者への反論を行い、再びその反論に対し反論をおこなう授業が印象に残った。大学の講義を受けていても、現在どのような部分が論点になっているのかがわからないことが多いので、理解しやすかった。

●毎回の授業がとても興味深く、沢山板書をすることが多かったので、とても内容の濃い授業だったと思います。特に印象に残っているのは、ロケットの打ち上げをやめようとした科学者の話です。授業の展開の仕方がとてもおもしろかった(interestingの方で)です。

●高校の倫理の基礎を押さえていることに加え、その発展を、例を出しつつ講義を進めていたため、理解しやすく、印象に残る、有意義な講義だった。テスト内容ですが、他の講義のテストも考慮した分量を設定し、内容を重視をしてほしい。文章は量より質だと考えます。

全員分ではありませんが、だいたいこんな感じです。
批判的な内容が書いてあったのは一番最後のテストに関する1件のみでした。
これまではずっと2問中1問選択という形で出題してきましたが、
今回初めて2問とも答えるようにと出題形式を改めたので、おそらくそれに対する意見なのでしょう。
その点に関しては、テストの採点が終わってから改めて考察してみたいと思います。
最後に、私が1番重視している授業外学習時間に関する回答結果です。

【授業外学習時間】
3時間以上・・・・・・・・・・・13人(46.4%)
2~3時間未満・・・・・・・・・6人(21.4%)
1~2時間未満・・・・・・・・・6人(21.4%)
30分~1時間未満・・・・・・3人(10.7%)
30分未満・・・・・・・・・・・・・・0人(0.0%)
0分(何もしなかった)・・・・・0人(0.0%)

こちらは一昨年よりも下がってしまいました。
けっこう意図的に宿題というか、
「○○について考えてきてください」 みたいな指示もしたつもりだったのですが…。
今年は公欠とは別に欠席する人が多かったような気がするのですが、
それも何か関係しているのかもしれません。
それとそもそも、今まで木曜日の4限に開講していたものを木曜2限に移して、
受講者数が増えるものと期待していたのに逆に減ってしまったので、
そのあたりも再考の余地があるのかもしれません。
いずれにせよ授業時間外学習時間を増やしていくための取り組みについては、
これまで右肩上がりで推移してきたものが減少傾向に転じてしまいましたので、
今後ちょっと新しい工夫を加える必要があるかもしれません。

なお、これは他の授業でも同様ですが、
「この講義を受講してどんな力が付いたり伸びたりしたと思うか」 という問いは、
無記名のアンケートではなく記名式のワークシートのほうで答えてもらいましたので、
それはまた近いうちにご報告させていただきます。
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衝撃の修士論文

2017-02-04 08:48:55 | 教育のエチカ
一昨年まさおさまゼミは過去最多の卒論生・修論生を抱え、

そのなかで衝撃の卒業論文が提出されたなんてことがありました。

こういうやつね。



それに比べて今年度はゼミ生数が久しぶりに落ち着いて、

学類4年生が2名、修士2年生が1名 (ちなみに学類3年生も1名のみ、修士1年は0) と、

若干寂しいけれど、指導するにはひじょうに適正な人数でした。

そのせいもあるかもしれませんし、たまたま今年の学生たちが優秀だったからかもしれませんが、

今年度の卒論・修論指導はものすごく順調に進み、

ギリギリまでバタバタしてるなんていう人がひとりもいませんでした。

とりわけ修論のほうは締め切りが早いので (卒論は1月末、修論は1月20日くらい)、

これまでの院生たちはみんな締め切り日の前日は泊まり込みで、

当日も締め切り時間のギリギリまでぼくの研究室と院生室のプリンターの間を行ったり来たりする、

というのが1月の風物詩だったわけですが、

今年の院生は早々に修論指導を終え、締め切りの数日前に悠々と教務課に提出してくれていました。

それに倣うかのように卒論生の2人も余裕もって提出してくれましたので、

今年は本当に手がかからずに卒論・修論指導を終えることができました。

長年教育に携わってくるとこんなに心安らかな1月を迎えられるなんてこともあるんだなあと、

自分の手柄でもないのにあたかも自分が頑張ったかのような感慨に耽っていたその時でした。

今年は修論の締め切り日が金曜日だったもので、

教務課に提出された修論が翌週の月曜日になって私の手元に届けられたのですが、

それを見て私は愕然としてしまいました。

その衝撃の修論がこれですっ











えええっっっっ

まさかの表紙なしですかっ

もうプリントアウトした紙に穴を開けて紐で結んだだけのペラッペラの修論です。

これは初めて見ました。

まさおさまももう教職歴22年になりますが、これはやられました。

斬新です。

驚いたことにこの院生は他大学から入学してきた人とかいうのではなく、

福大の人間発達文化学類をちゃんと卒業した人であり、

しかもまさおさまゼミ出身の人なのです。

さらに言うならば、最初に掲げた衝撃の卒論を提出した人と同期の別人です。

だから卒論の時にはちゃんと表紙を付けて1本の紐で結んで正しく提出してくれていたのです。

なのになぜこうなるっ

衝撃を隠せないまますぐに本人にこんなメールを送りました。

「スゲェびっくりしたんだけど、修論なんで表紙付けなかったの?」

するとこんな返事が返ってきました。

「表紙の件ですが、教務課からの修論提出に関する通知に、

 卒論の時の様なきっちりとした指定がなかったのと、

 3月に提出する製本済の保存用論文が正式なものになるから、

 今回の分はペラペラの紙でいいのかなと勘違いしておりました。」

なるほど、ちゃんと理由があるんですね。

教務課としては、院生はみんな卒論を提出した経験があるので、

いちいち細かく指定しなくてもいいだろうと思っていたのかもしれませんし、

あるいは、あれを何も言わずに受理したということは、

院生の言うとおり、3月に提出するきちんと製本したやつが正式な修論であって、

1月提出分は審査のための仮修論にすぎないと考えているのかもしれません。

ひょっとすると修論には表紙を付けるべきだというのは、

たんに私だけが勝手に前提している個人的信念にすぎないのかもしれません。

とはいえ、紐で結んであるのに表紙がないととても読みにくいですし、

(いっそ紐で結ばずクリップ留めしてあるだけならば読みやすさは抜群ですが…)

卒論と違い修論は副査の先生方にもお渡ししなければならないので、

その時にこれだとまさおさまゼミは何やってるんだと笑われそうでちょっと小っ恥ずかしかったので、

あの衝撃の卒論みたいにこのままの形で保存しておくのはあきらめて、

改めて表紙を付けてもらうことにしました。

いやあ、それにしてもいろんなことが起きるものだなあ。

教育においてはありとあらゆるケースを想定して、きめ細かく指導しなければならないのだと、

つくづく思い知らされるとともに、はたしてそんなことは可能なのかと途方に暮れる今日この頃でした。



P.S.

ところで個人情報を隠すために画像処理していて気がついたのですが、

うちの大学に 「人間発達研究科」 なんていう大学院はありませんね。

この人はどこの大学院生だったのでしょうか?

というイヤミはさておき、

まさおさまゼミでは誤字脱字は1字につき1点減点と定められていますので、

「文化」 の2文字の脱字によりさっそく2点減点しておきたいと思います。
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