まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.哲学・倫理学の先生になって後悔していることはありますか?

2018-06-06 23:27:45 | 哲学・倫理学ファック
これはまたネガティブな質問ですね。

前回書いたように、自分が哲学・倫理学の教員になれたというのは、

本当に奇蹟的なこと、フツーじゃありえないような僥倖だと思っていますので、

基本的には感謝こそすれ、後悔してることなんてまったくありません。

それが今回の問いに対する回答として一番ふさわしいんじゃないかと思いますが、

せっかく問われたので、いろいろと考えてみました。

するとひとつだけ思い当たることが出てきました。

哲学・倫理学は日本社会ならびに日本の大学で差別・迫害されています。

福島大学でもどんどん人を減らされ、今や自分たった1人になってしまい、

自分の後任の人も取ってもらえるかどうかわからないという状況です。

自分がこれだけ哲学・倫理学から恩恵を受けたにもかかわらず、

それを学界ならびに後進の研究者たちに恩返しすることができないというのは、

私の中でけっこう後悔というか悔しく思っていることかもしれません。

私が福大に就職したとき、経済学部に共通教育の哲学を担当する先生がおひとり、

私と同じ教育学部には社会科教員免許用の哲学の先生がおひとりいらっしゃって、

そこに倫理学担当の私が赴任して、計3名の哲学・倫理学教員がいました。

それ以前には教育学部だけで哲学2名、倫理学2名の教員がいて、

それにプラス共通教育の哲学の先生がいらっしゃるという時代もあったそうです。

しかし、公務員がどんどん削減される時代に突入して、

大学も法人化されて国家公務員でなくなりましたし、

そうなると退職した順番にすべてのポストで後任採用するわけにはいかず、

どうしても必要かどうかという優先順位がつけられるようになってきます。

そうなってきたときに哲学・倫理学は弱いんですねえ。

日本では昔から哲学・倫理学は、実際に役立つ実学ではなく、

社会に出ても何の役にも立たない虚学だと言われてきたのですが、

目先の金儲けに走る昨今の日本ではその傾向がよりいっそう強まっています。

欧米では、物事を根本的にじっくりと論理立てて考える力があるということで、

哲学や倫理学を修めた人は実業界でも一目置かれ重用されているのですが、

覚えた知識が直接的に富を生み出すかどうかという、

きわめて短絡的な学問観がまかり通っている日本では、

哲学・倫理学は役に立たない学問の代表みたいに扱われているのです。

教育学部の中でも、たしかに哲学や倫理学は、

社会科教員免許を取るために必要な科目として免許法上位置づけられてはいますが、

高校の公民科倫理の教員にでもならないかぎり、

小学校や中学校の社会科の中で哲学や倫理学の知識を教える場面はほぼありませんので、

そうすると日本史や世界史、地理の教員は優先的に後任補充されても、

哲学や倫理学は別に専任教員取らなくても非常勤の先生にやってもらえばいいよね、

といった感じにどんどん後回しにされてしまうのです。

けっきょく私のほかに2名いた哲学の先生方が退職されたあとは、

後任補充はしないと決めたわけではないのですが (そこは私ががんばりました)、

他に優先的に補充すべきポストがあるので当面は取れないよね、

という形でもうずーっと後回しにされ続けています。

私は 「福島大学は哲学のない大学だ、それでいいのか?」 と言い続けていますが、

ただまあ私としても大学の苦しい台所事情は重々承知していますので、

他にどうしても優先しなきゃいけない人事があることは認めざるをえません。

今、私は大学の改革の仕事に携わっているわけですが、

今回の改革の中でとうとう後任補充されていない哲学の2つのポストのうちのひとつは、

正式にもう大学としては断念して完全に消滅させることになりそうです。

この改革に取り組み始めた当初はなんとかこれを復活させようと努力し、

改革本部の皆さんからも賛同を得て一瞬何とかなりそうな気配もあったのですが、

その直後に人件費削減の大波がやってきて水泡と帰してしまいました。

まさか自分 (が関わっている改革案) が哲学のポストに引導を渡すことになってしまうとは、

まったく予想もしていませんでした。

これは本当に大きな後悔として私の中に残ることでしょう。

というわけで今回のお答えは次のようになります。


A.哲学や倫理学に理解のない日本という国で哲学・倫理学の教員になったために、

  数少ない哲学・倫理学のポストがどんどん削減されていくところを、

  間近で指をくわえて見ていなければならないというところが、

  哲学・倫理学の教員になって後悔していることです。


今回は暗い話になってしまい申しわけありませんでした。

でも質問自体が暗かったんだから、明るく答えようがありませんよね。

早いとこ教育や学問に理解のある政権が成立して、

若者を育てるためにきちんと投資してくれるような世の中にならないかな。

右を向いても左を見ても、近視眼的な金儲け至上主義者しか見当たらないから、

日本ではどう転んでもそんな夢のような話は実現しないんだろうな。

Q.生まれ変わっても哲学・倫理学の先生になりたいですか?

2018-06-03 15:14:34 | 哲学・倫理学ファック
ブログを再開したものの、やはりなかなかブログ更新できずにおりました。

けっきょく相馬の看護学校でいただいた質問にはたった4問お答えしただけで、

看護学校の授業も終了してしまいました。

予想していたこととはいえ、うーむ。

ただまあ、3月末が締め切りで、それをGW明けまで延ばしてもらい、

それでも書き終わらなかった論文が、先日やっと書き上がりましたので、

その分、少しだけ時間ができるかと思いますので、

またぼちぼち書いていこうと思います。

学生さんや卒業生から、ブログ再開を喜ぶメールも頂いておりましたので、

少しはがんばらないといけませんね。


さて今回の質問は、「生まれ変わっても哲学の先生になりたいですか」 でしたが、

私は正確には哲学の教員ではなく倫理学の教員なので、

標題のように質問を言いかえさせていただきました。

これはイエス・ノーでお答えすべきクローズド・クエスチョンですが、

今回は問いに対して素直に答えず、少しずらしてお答えしたいと思います。


A.せっかく生まれ変われるのなら今の職業とは別の仕事に就きたいです。


ふたつ理由があります。

たしかに私は哲学・倫理学が大好きですし (こちら参照)、

大学教員という仕事も自分に合っているなあと思いますが (こちら参照)、

もう一度生まれ変わったときにまた哲学・倫理学の教員になれるとはとうてい思えない、

というのが第一の、そして最大の理由です。

とにかく大学で哲学・倫理学の教員になるのはめちゃくちゃ難しいです (こちら参照)。

自分がなれるなんて1ミクロンも思っていませんでしたし、

人類が滅亡すると信じていなければ、この道に進むことはなかったでしょう。

今自分がこの仕事に就いていられるのは本当に奇蹟的なことだと思っています。

そうそう奇蹟が何度も起こるとは思えないので、

またこの道を歩もうとは微塵も思えないのです。


もうひとつはもうちょっとポジティブな理由です。

以前にももしも生まれ変わったらという質問にお答えしたことがありますが (ここここ参照)、

本当に生まれ変われるのだとしたら、いろいろと比べてみたいのです、

今の人生と生まれ変わった後の人生とを。

ていうか、それができないのだとしたら、

生まれ変わる意味なんて何もないと思うのです。

私にとっては生まれ変わることというのは比較するチャンスをもらうことなわけです。

ですから、せっかくそのチャンスをもらえたのだとしたならば、

今とは違う人生を送ってみないことには何の意味もないですよね。

というわけで、もしも生まれ変われたら哲学・倫理学の教員ではなく、

何か別のものになりたいと思います。



P.S.

まあそもそも生まれ変わりということを信じていないので、

この問い自体が私にとってはあまり意味がないのですが、

せっかくのご質問でしたのでいちおうこんなふうに考えてみました。

Q.どんな学生生活を送っていましたか?

2018-04-23 17:39:52 | 哲学・倫理学ファック
この質問に対する答えもすでにこれまでにこのブログ上で書いてきているのですが、
そのつどいろいろなテーマに合わせて書いているので、記事があちこちに分散しています。
ですので、先日のインデックスとは別に、
この質問だけに的を絞ったインデックスを作ることでお答えに代えたいと思います。
また、関連する質問もいろいろとあったので、それらにもいっぺんに答えてしまうことにします。

ところでご存知かどうかわかりませんが、「学生」 という言葉は基本的に大学生のことを指します。
小学生は 「児童」、中学生と高校生は 「生徒」 となります。
したがって 「学生生活」 と言われたら大学生のときの生活のことを答えればいいのですが、
そこまで厳密に言葉を使っているかどうかわからないので、
いちおう小さいときのことも含めておくことにしましょう。
小さい頃どうだったかというのは、次の記事のなかに書いてあります。

  「Q.小さい頃の将来の夢は何でしたか?」

小さい頃抱いていた将来の夢について答えた記事ですが、
それはそのままどんな生活を送っていたかにも直結しているように思います。
今お読みいただいた記事から他の記事へとリンクも張ってあって、
そのリンク先でも私の子ども時代のことが書いてあったりしますから、
興味があったらご覧になってみてください。

関連して 「Q.子どもの時から哲学を学びたいと思っていましたか?」
という質問もいただいていましたが、これについては以下の2本の記事をご覧ください。

  「Q.哲学をやろうと思ったきっかけは何ですか?(その1)」
  「Q.哲学をやろうと思ったきっかけは何ですか?(その2)」

哲学を学びたいと思い始めたのは高校生になってからということです。
さて、いよいよ本題の大学生活ですが、
以下の記事が直接ではないにせよ、私の学生生活を端的に描いているように思います。

  「Q.哲学と出会っていなかったら、今は何をしていると思いますか?」

お読みいただければおわかりのとおり、大学時代は一番堕落していましたね。
要するにバイトとダンスの日々でした。
バイトは夜の街でボーイやバーテンダーをやってました。


 (イメージ図)

上記の記事では 「ダンスのレッスンのお金を稼ぐために、
銀座や歌舞伎町の夜の街でバイトしていました」 と書いていますが、
それは正確ではありません。
大学に入学した年はまだダンス部には入っていませんでしたが、
伯母が銀座でお店 (バーorクラブ、今風に言えばスナック?) をやっていたので、
入学してすぐにバイトのほうは始めていました。
それで深夜まで働いて朝起きられず、午前中の授業に出られなくなって、
2年生に進級できずに1年ですぐに留年してしまったのです。
今は 「キャリア形成論」 などの授業で大学生に、
「授業に真面目に出て力を付けなければいけない」 なんて偉そうに語っているのですが、
かく言う自分がまったく授業にも出ず、あっさり留年したりしていたのです。

福大にはそんな制度はありませんが、1年で留年するとどうなるのか。
1年次必修のロシヤ語の授業をもう一度全部 (6科目) 受け直さなければなりません。
ロシヤ語の授業って最初はアルファベットから始まりますので、
いくら留年したとはいえ、前期のあいだくらいは去年の遺産で十分付いていけるのです。
そのため一気にヒマになってしまったので、1年のときには入っていなかった部活に入ることにし、
2年目の1年のときからダンスを始めたのです。
ダンスというのは社交ダンス、今で言うなら競技ダンス (ダンススポーツ) のことです。
こういうやつ。


 (イメージ図)

男女がペアになってやるスポーツというのが私にとってツボでしたね。
始めてみたらすぐにのめり込みました。
社交ダンスというのは全員が大学から始めるスポーツなので、
高校まで体育会系の部活とはまったく縁のなかった私でも何とかなったのです。
もうそれからは本業のロシヤ語はほったらかしで、
大学に着いたらまっすぐ部室に向かい、朝から晩まで踊っていました。
そして、ダンスのレッスン代を稼ぐために夜の街でバイトをするという毎日です。
卒業式の日に当時の学科長であった原卓也先生に、
「お前はロシヤ語学科卒ではなく、ダンス部卒だな」 と言われてしまったくらいです。
というわけで、「Q.学生時代、成績優秀だったのですか?」 という質問もいただいていましたが、
それには自信をもって次のようにお答えしておきましょう。

A.私は学生時代、落ちこぼれ学生でしたっ!

いやホント、今の福大生にはこのブログ、ちょっと見てもらいたくないですね。
ただまあ、本業のロシヤ語に関しては完全なる落ちこぼれでしたが、
まったく何も勉強していなかったかというと、そういうわけでもありません。
高校のときに目覚めた哲学・倫理学に関してはそれなりに学び続けていました。
大学で哲学・倫理学に関してどんな勉強をしていたのかについては以下の記事に書いてあります。

  「Q.最初から意味がわかって哲学の本を読めましたか?」

相当苦労していますが、それでも何とか食らいつこうとがんばっていました。
あと直接、哲学・倫理学ではないのですが、こんな勉強をしていたことも思い出に残っています。

  「島薗先生の思い出」

「宗教社会学」 という授業で書いたレポートなんですが、
それはけっこう力を入れて書いていましたね。
「Q.人生の転機は?」 という質問をいただいていましたが、
あのレポートを書いたことはけっこう私にとって転機だったかもしれません。
人生の転機は他にもあるので、それはまたいずれ書くことにしますが、
今思うとあのレポートは私の人生のなかで大事だったのではないかという気がします。

という感じの学生時代でした。
全体的には堕落した落ちこぼれ学生ではありましたが、
それなりに今に連なる学びもしていたように思います。
皆さんも将来のため、この短い学生時代を有意義に過ごしてください。
(なんて、どの口が言うんだあ

看護学校 「哲学」 FAQインデックス (2018年版)

2018-04-21 15:09:12 | 哲学・倫理学ファック
今年は春の訪れが早かったですね。
いつもなら相馬の看護学校の非常勤の授業が始まった翌週か翌々週くらいに、
桜が満開になってくれるのに、今年はもう第1回目の時にはとっくに散っていました。
福島では入学式あたりに満開でしたので、
新入生にとっては最高の学生生活のスタートだったかもしれませんが、
私のように相馬の桜ウォッチングを定番のブログネタにしている人間にとっては、
手痛い春の珍事でした。

さて、いつものように看護学校の第1回目の授業では、
皆さんに 「哲学の先生に聞きたいこと」 を出してもらい、
グループの代表質問にお答えしました。
代表質問に選ばれなかった質問に対しては、こちらのブログでお答えしていくつもりです。
ただし、皆さんからいただいた質問の多くは先輩たちも聞いてくれていたので、
すでにこのブログのなかに書いてあります。
ですのでよくある質問に関して、まずは過去ログを参照していただければと思います。
どこを見たらいいか、インデックスというか目次的なものを作っておきますので、
こちらからあちこちへ飛んでみてください。
そして、インデックスもすでに何度も作ったことがありますので、
まずは下記のインデックスを順番に見てみてください。
そのなかに自分の質問と同じか似たものが見つかるはずです。
もちろん自分がした質問でなくても興味があったらぜひ読んでみてください。
(この辺は全部、過去のインデックスの冒頭の文章のコピペです。次文も同様。)
なお、私にとって 「哲学」 と 「倫理学」 は同義語ですので、
「倫理学」 と書いてあるところは全部 「哲学」 に置き換え可能ですので、
そのつもりで読みたい記事を探してみてください。
(哲学と倫理学の関係についてはこちらをご覧ください。)

以前のインデックス
  「倫理学の先生に聞きたいこと (インデックス版)」
  「哲学の先生に聞きたいこと (インデックス版2012)」
  「看護学校教員養成講座・インデックス2012」
  「倫理学FAQインデックス (2012年白河編)」
  「哲学FAQインデックス (2014年相馬編)」
  「看護学校 「倫理学」 FAQインデックス (2014年版)」
  「哲学FAQインデックス (2015年相馬編)」
  「看護学校 「倫理学」 FAQインデックス (2015年版)」
  「看護学校 「哲学」 FAQインデックス (2016年版)」
  「看護教員養成講座インデックス2016」
  「看護学校 「倫理学」 FAQインデックス (2016年版)」
  「看護学校 「哲学」 FAQインデックス (2017年版)」
  「看護学校 「倫理学」 FAQインデックス (2017年版)」
  「Q.人生相談や恋愛相談を哲学の先生にしたらどうなりますか?」

まずはこれらのインデックスを見てみて、自分の質問と似ているものを探してみてください。
もちろん自分の質問とは関係なくても、興味を惹かれたら読んでみてください。
以上のインデックスには載っていないもの、あるいは、載ってはいるんだけど、
問いの立て方が違っているため見つけにくいだろうなと思われるものを以下に挙げておきます。

Q.これは知っておいたほうがいい、生きてく上で大事なことは何ですか?
  「Q.人生相談や恋愛相談を哲学の先生にしたらどうなりますか?」
    の中の 「人生相談」 の欄に挙げた記事をご覧ください。

Q.哲学のイメージがつかない人や哲学が全く分からない人に
  どうやって興味を持たせたり、理解してもらおうとしているのか?
  「Q.哲学を教えるとき心がけていることってありますか?」

Q.非科学的なことは信じませんか?
  「Q.哲学を学んでよかったことは何ですか(その2)」
  「Q.超古代文明はあったと思うか?」
  「Q.倫理学において 「奇跡」 という概念は存在しますか?」

だいたいこんなところでしょうか。
次回ワークシートを返却したときに、それぞれの質問に対して 「スミ」 と書いてあったら、
それは第1回の代表質問のときにお答えしたという意味であり、
「ブログ参照」 と書いてあったら、上記のインデックスのどこかに答えが書いてあるはず、
という意味ですので、何とか探してみてください。
これまでにブログに書いたことのない質問に対しては、
「そのうちブログに書くかも」 と記しておきました。
文字通り、そのうちブログに書くかもしれません。
が、なかなか答えにくそうな質問も多かったので、
どう答えようか悩んだ挙げ句、けっきょくブログに書けないかもしれません。
その場合はご容赦のほど何とぞよろしくお願い申し上げます。
先輩たちからもらった質問にも全部は答えてないんだよなあ。
そして、今年は公私ともに忙しいし…。
ま、書けたら書きますので、あまり期待せずにお待ちください。
それではこれから7週間よろしくお願いいたします

福島県教委主催! 高校生のための哲学カフェ開催!

2017-12-20 16:42:13 | 哲学・倫理学ファック
「てつがくカフェ@ふくしま」 は今週の土曜日で年内は最後なのですが、

実は来週、衝撃的なイベントが開催されます。

なんと福島県教育委員会主催で高校生のための哲学カフェが開かれるのです!

事業名からしてすごいですよ。

「復興を担うアクティブラーナー育成事業」 として、

「高校生のための生き方セミナー」 が開催され、

そこで高校生を集めて哲学カフェをやっちゃうというのです。



哲学カフェもとうとうここまで一般に浸透したんですね。

なんつったって県教委主催ですよ、県教委!

県教委がアクティブラーニングの一手法として哲学カフェを認めちゃったということです。

思えば遠くへ来たもんだ。

涙がちょちょぎれそうです。

「高校生のための生き方セミナー」 ということだったので、

テーマは哲学・倫理学の基本的テーマ 「よく生きるとは?」 を選びました。

「復興を担うアクティブラーナー育成事業」 の一環ということで、

そこに少し限定をつけて 「福島でよく生きるとは?」 というテーマを立ててみました。

冬休みに入ったばかり、まだ課外をやっている高校もあるというのに、

22名の高校生が参加してくれるそうです。

すごいなあ!

みんながどんな対話を繰り広げてくれるのか、今からとっても楽しみです。

Q.資格って何かもってるんですか?

2017-09-10 23:11:50 | 哲学・倫理学ファック
他にこんな質問もいただいていました。

「Q-1.倫理学者って資格ってあるんですか?」

まず先にこちらにお答えしておきましょう。

というよりもこの質問に対する答えはすでに書いたことがあります。

こちらの記事↓をまずはご覧ください。

「Q.倫理学者にはどうやったらなれますか?」

お読みいただけたでしょうか。

今回の問1に端的に答えるとするとこうなります。


A-1.倫理学者になるための資格はありません。
    何らかの形で倫理学に関する研究論文を発表すれば倫理学者になれます。



続いて今回の質問に移りましょう。

Q-2.資格って何かもってるんですか?

これは倫理学者一般のことを聞かれているんでしょうか、

それとも私個人のことを聞かれているんでしょうか?

前者だとするならばA-1と同じ答えになります。

倫理学者どころか大学の教員には教員免許というものは必要ありませんので、

それぞれの学問分野で専門の論文を執筆し、それが何らかの形で認められれば、

○○学者として認定されますので、学者になるための資格とか免許みたいなものはないのです。

私個人のことでお答えしますと、大学教員免許というものが存在しないのはいいとして、

その他の学校教員免許ももっていません。

実は大学教員のなかには教員免許をもっている人はけっこういます。

特に中学・高校の教員免許をもっている人は多いのではないでしょうか。

例えば英語学や英文学の勉強をしていると中高英語の教員免許とかは取りやすくなりますし、

哲学・倫理学の勉強をしていると高校公民科の免許とかが取りやすくなったりします。

また、うち (福島大学人間発達文化学類) の場合は元教育学部でしたので、

先生方のなかには小学校の教員免許をもっているという人もある程度いたりします。

それどころか小中高で実際に教員として働いていたという人もいらっしゃいます。

そんな中では少数派に属するのかもしれませんが、私は教員免許はまったくもっていないのです。

自動車運転免許のことを資格に数えていいのかどうかわかりませんが、

自動車運転免許以外はまったくの丸腰で私は大学教員となりました。

しかしながら就職後に資格を取る機会に恵まれました。

というわけで本日の問2に対するお答えはこうなります。


A-2.私はキャリア・ディベロップメント・アドバイザーの資格をもっています。


キャリア・ディベロップメント・アドバイザー (CDA) というのは正式名称ですが、

私はよく 「キャリアカウンセラーの資格」 と言ったりもしています。

一昔前までは大学というのは学問の場であって、学生に学問を経験させられればそれでよく、

就職の問題なんて完全に自己責任の本人任せ、というのが当たり前の世界だったのですが、

大学全入時代や過酷な新自由主義の時代を迎えて社会 (特に国家や企業) からの圧力が高まり、

大学には、社会に出てすぐに活躍できる有為な人材の育成が求められ、

就職率や就職先なども気にしなくてはならないというような世の中になってきました。

で、福島大学でも学生の就職相談に応じることのできるような職員や教員を配置しようということで、

そういう資格をもった非常勤の方を雇ったりもした (今も雇っている) のですが、

専任の職員や教員にもキャリアカウンセラーの資格を取ってもらおうということになり、

何人かの教職員がキャリアカウンセラーの資格のひとつである、

CDAの資格を取りに行かされる (取らせていただく) ことになったのです。

ちょうどその頃、就職委員長の職を終えたばかりだった私にもお声がかかり、

2006年にその資格を取りに行かされ (取らせていただき) ました。

6冊のテキストを通信教育で学んだあと、仙台に6日間通い、

ワークショップ研修形式でキャリアカウンセリングのノウハウを学び、

筆記試験と実技試験とを経て何とか資格を取ることができました。

大学院の入試 (1988年) 以来、人にテストを課すことはあっても、

自分がテストを受けるなんてことからはすっかり遠ざかっていましたから、ホント辛かったですね。

実際、同期でワークショップ研修を受けた人たちのなかにも何度か試験に落ちて、

そのまま資格を取るのはあきらめたなんていう人もいらっしゃいました。

皆さん自腹でその資格を取りに来ているなか、

大学からの派遣で取りに来させられている (取らせていただいている) 私たちは、

研修中は若干肩身が狭い思いをしていたのですが、

取らせていただいている以上、どうしても試験に合格して資格を取らなければならず、

自腹であれば途中であきらめることもできたのにと泣き言を言っていたほど辛かったです。

何とかギリギリで試験に合格し資格を取ることができたわけですが、

取ってみてひじょうによかったと思っています。

哲学・倫理学という専門的学問の視点だけからではなく、

もっと広い視野で哲学や倫理学のことも、大学教育全体のことも考えられるようになりましたし、

キャリア関係の講義・講演をしたり、学生たちのいろいろな相談に乗ったりもできました。

特にカウンセリングという、これまでまったく無縁だった分野に触れることができ、

プライベートも含めて、他人とのコミュニケーションのあり方が劇的に変わったように思います。

この資格を取る過程で (特にコミュニケーションについて) 学んだことは、

看護学校の授業のなかでもほんの少し披露するつもりですので乞うご期待。

Q.うんこ味のカレーとカレー味のうんこだったらどちらを食べますか?

2017-09-07 14:42:13 | 哲学・倫理学ファック


よくある究極の二者択一問題のうちのひとつですね。

ただこれが本当に究極の二者択一問題になっているのか昔から不思議でしょうがありませんでした。

倫理学と何の関係があるのかわかりませんが、せっかく聞かれたのでお答えしましょう。


A.これってわざわざ聞くまでもなく、カレー味のうんこ一択しかありえないんじゃないですか?


いちおう前提をしっかり確認しておきたいと思いますが、

ここでは 「うんこ味」 とか 「カレー味」 というふうに味のことしか触れられていませんが、

当然、これを本当に作る場合は、外見とか臭いとか食感とかそうしたものも全部含めて、

カレーのほうは何もかもまったくうんこにし、うんこのほうは完璧にカレーにするんですよね?

つまり原材料はちゃんとしたカレーなんだけれど、外見も味も臭いも食感も完全にうんこな物を作り、

逆にうんこを原材料として、見た目も味も臭いも食感も完全にカレーという物を作るんですよね。

だとしたら、これをブラインドで (どちらがうんこでどちらがカレーか教えずに) 選ばせたら、

これは当然、みんながみんな絶対にカレー味のうんこを食べますよね。

今回の問題はネタばらしをした上でどっちを選ぶか、ということだろうと思いますが、

わかった上でもやっぱりカレー味のうんこを選ぶしかありえないだろうと思うんです。

だって完璧にカレーなんですよ。

あの食欲をそそる香りや色や味がすべて再現されてるんですよ。

それに対してもう一方は完全にうんこになってしまっているんですよ。

どう考えてもカレー味のうんこでしょう。

これって第1回のときにお話しした 「本当の自分」 問題に似ている気がします。

特に例としてお話しした、「本当の自分の声」 はどちらかという問題と似ています。

あるいは、もうちょっとわかりやすい例を挙げてみましょう。

ずっと昔に 「はるな愛 vs 近藤春菜」 という記事を書いたことがあります。

当時やっていた 「ロンドンハーツ」 という番組で、真のはるなを決定するために、

どちらか一方を選ばなきゃいけないとしたらどちらを抱きたいか、

各界の男性たちに選んでもらうという企画をやっていて、その結果が興味深かったのです。

「女の子のように見えるオッさん(36歳)」 と 「オッさんのように見える女の子(26歳)」

さあどっちを抱きたい? という究極の二者択一です (年齢は2009年当時)。

今回の問題に酷似していますね。

結果はダントツでオッサンの圧勝でした。

やっぱりそんなもんなんですよ。

たとえ本当の中身がわかっていたとしても、

外に現れるものに私たちは引っ張られてしまうんだと思うんです。

私なんかホント外見に惑わされるタイプですので、

どう考えてもカレー味のうんこ一択です。

うんこ味のカレーなんてまったく食べられる気がしません。

うんこを食べたことがないのでうんこがどんな味か知りませんが、

それでもあの臭いと見た目が完全に再現されているだけで絶対にムリだと思います。

というわけで、この究極の二者択一問題は完全決着を見たということで、

事あるごとにこういう質問をするのはもうやめにしませんか?

人類全員カレー味のうんこを選びますということでよろしいんじゃないでしょうか。

Q.福島に来た時どのようなことを思いましたか?

2017-09-06 17:18:03 | 哲学・倫理学ファック
これには答えたことがあるような気がするんですが、

ブログのなかを探してみたけど見当たりませんでした。

授業中の代表質問で聞かれてその場で答えただけだったのかもしれません。

似たような質問でこんな質問をもらい答えたことはありました。

「Q.なぜ福島に来たのですか?」

その答えのなかで今回のご質問に対する答えに当たるようなこともほんの少し書いてありますが、

改めてお答えするとするとこうなります。

福島に来た時どのようなことを思ったのか?


A.知ってる人が1人もいない土地での初めての一人暮らし。

  不安で不安でしょうがありませんでした。


32歳のときに福島に来たわけですが、

それまではずっと実家暮らししていたあとそのまま結婚して4年経っていて、

人生のなかで一人暮らしというものを経験したことがありませんでした。

なので自分は一人暮らしができるのかというのがまず第一の不安でした。

結婚して以降は料理や掃除や洗濯など、まあそこそこにやっていたつもりでしたので、

家事ができないということはないだろうと思っていましたが、

それにしても家に帰ってきて誰もいない、待てど暮らせど一人暮らし、

という生活に自分が耐えられるのかよくわかりませんでした。

しかもその一人暮らしをする土地に知り合いがまったく1人もいないのです。

そんなに友だち付き合いが濃厚なほうだとは思いませんが、

福島に来る直前には大学院関係者や、ダンス部関係者や、

塾講師 (中萬学院) 関係者が私の送別会を開いてくれましたので、

そうやって見送ってもらえる程度の仲間はいたわけです。

そんな仲間どころか、電話番号を知ってる相手が1人もいない所に引っ越すというのは、

自分的にはけっこうチャレンジングな経験でした。

ウサギだったら淋しくて死んじゃうレベルかもしれません。

しかも引っ越し先は、これまでの人生で最も広い3LDKの官舎です。

ここに1人で住むのか、と引っ越しが終わった段階で不安と寂しさがMAXに達していました。


ところが、未開封の段ボール箱に囲まれて途方に暮れていたときに、

設置したばかりの家電 (「かでん」ではなく「いえでん」) が鳴り始めました。

先輩教員である臼井嘉一教授からの電話でした。

「あ、臼井ですが、無事に引っ越しは終わりましたか?

 これから飲みに行きませんか?」

詳しくはこちらのブログをご覧ください。

とにかく、これには救われました。

一緒に飲める人がいるというのは、私のような呑兵衛にとっては何よりも重要ですね。

さらに同期で入社した教員が3人 (生活指導論のS先生、教育学のT先生、幼児心理学のH先生)、

同じ年の10月にさらに3人入社してきて (被服学のC先生、英語学のA先生、書道のK先生)、

S先生が中心となってこの7人のグループ作りをしてくださったおかげで、

何かといっては飲みに行ったり、学校帰りに温泉に行ったり等ができる仲間がすぐにできたので、

当初心配していた不安はほとんど感じることなく、福島の生活に馴染むことができました。

また、就職してすぐにクラス担任をもたされたのですが、

その学生たちとも仲良くなって、

一緒にカラオケに行ったりスキーに行ったりしていましたので、それにも助けられました。

というわけで、福島に来たときに最初に思っていたことはすべて杞憂に終わったわけです。

よかった、よかった。


福島に来て思ったことというのはそれが一番でしたが、

他にも、福島は寒いなあとは思いましたね。

冬どれくらい寒くなるんだろうかとビビりながら福島にやってきたわけですが、

冬を待たずに梅雨時にもう寒くて寒くてしょうがなくて、

初めてもらった給料で石油ファンヒーターを買いに行ったことを覚えています。

というような感じでよろしいでしょうか。

ほかにも思い出せばいろいろ思ったことはあったんだと思いますが、

それらは初めての就職に伴う思いであったり、

初めての大学教員としての仕事に伴う思いであったりするので、

福島に来て思ったことというのは上記に尽きるのではないでしょうか。

いろいろと思い出せて懐かしかったです。

ご質問、どうもありがとうございました。

看護学校「倫理学」FAQインデックス (2017年版)

2017-09-03 12:13:31 | 哲学・倫理学ファック
なんだかとうとう夏が来ないまま夏休みが終わってしまいました。
そして残暑厳しいかもという事前予測も裏切り、
すっかり秋空のなか後期の非常勤講師の仕事が始まりました。
今年は暦がよかったのか、郡山と白河の看護学校のお仕事は9月1日スタートです。

いつものように看護学校の第1回目の授業では、
皆さんに 「倫理学の先生に聞きたいこと」 を出してもらい、
グループの代表質問にお答えしました。
代表質問に選ばれなかった質問に対しては、こちらのブログでお答えしていくつもりです。
ただし、皆さんからいただいた質問の多くは先輩たちも聞いてくれていたので、
すでにこのブログのなかに書いてあります。
ですのでよくある質問に関して、まずは過去ログを参照していただければと思います。
どこを見たらいいか、インデックスというか目次的なものを作っておきますので、
こちらからあちこちへ飛んでみてください。
そして、インデックスもすでに何度も作ったことがありますので、
まずは下記のインデックスを順番に見てみてください。
そのなかに自分の質問と同じか似たものが見つかるはずです。
もちろん自分がした質問でなくても興味があったらぜひ読んでみてください。
(この辺は全部、過去のインデックスの冒頭の文章のコピペです。次文も同様。)
なお、私にとって 「倫理学」 と 「哲学」 は同義語ですので、
「哲学」 と書いてあるところは全部 「倫理学」 に置き換え可能ですので、
そのつもりで読みたい記事を探してみてください。
(哲学と倫理学の関係についてはこちらをご覧ください。)

以前のインデックス
  「倫理学の先生に聞きたいこと (インデックス版)」
  「哲学の先生に聞きたいこと (インデックス版2012)」
  「看護学校教員養成講座・インデックス2012」
  「倫理学FAQインデックス (2012年白河編)」
  「哲学FAQインデックス (2014年相馬編)」
  「看護学校 「倫理学」 FAQインデックス (2014年版)」
  「哲学FAQインデックス (2015年相馬編)」
  「看護学校 「倫理学」 FAQインデックス (2015年版)」
  「看護学校 「哲学」 FAQインデックス (2016年版)」
  「看護教員養成講座インデックス2016」
  「看護学校 「倫理学」 FAQインデックス (2016年版)」
  「看護学校 「哲学」 FAQインデックス (2017年版)」
  「Q.人生相談や恋愛相談を哲学の先生にしたらどうなりますか?」

まずはこれらのインデックスを見てみて、自分の質問と似ているものを探してみてください。
もちろん自分の質問とは関係なくても、興味を惹かれたら読んでみてください。
以上のインデックスには載っていないもの、あるいは、載ってはいるんだけど、
問いの立て方が違っているため見つけにくいだろうなと思われるものを以下に挙げておきます。

Q.福島出身ですか?
  「Q.子どもの頃から話すのが得意だったんですか?」

Q.日頃気をつけているものは?
  「汝自身を知れ!」

Q.朝おきて一番初めには何をしますか?
  「無限背進・○○のための○○」

Q.相手と話してその人の人物像などが読めたりするのですか?
  「Q.相手のことが分かってしまうものですか?」

Q.嫌いなことは最初に終わらせる派ですか、最後にやる派ですか?
  「Q.自分のことを一言でいうとどんなですか?」

Q.小野原先生の強みは何ですか?
  「強みを活かして生きる」

Q.長所は何ですか?
  「Q.長所と短所は何ですか?」

Q.先生の人生観は?
Q.先生の人生の一番のモットーとは?
Q.生きていく上で大切だなと感じたものは?
  「受け止め方のゲーム」

Q.高校で学ぶ倫理学と何が違いますか?
  「Q.この授業では倫理学者の名前を覚えたりはしないのですか?」

だいたいこんなところでしょうか。
次回ワークシートを返却したときに、それぞれの質問に対して 「スミ」 と書いてあったら、
それは第1回の代表質問のときにお答えしたという意味であり、
「ブログ参照」 と書いてあったら、上記のインデックスのどこかに答えが書いてあるはず、
という意味ですので、何とか探してみてください。
これまでにブログに書いたことのない質問に対しては、
「そのうちブログに書くかも」 と記しておきました。
文字通り、そのうちブログに書くかもしれません。
が、なかなか答えにくそうな質問も多かったので、
どう答えようか悩んだ挙げ句、けっきょくブログに書けないかもしれません。
その場合はご容赦のほど何とぞよろしくお願い申し上げます。
先輩たちからもらった質問にも全部は答えてないんだよなあ。
そして、今年は公私ともに忙しいし…。
ま、書けたら書きますので、あまり期待せずにお待ちください。
それではこれから7週間よろしくお願いいたします

「哲学カフェ@法政哲学会」 の記録公開!

2017-08-30 15:38:09 | 哲学・倫理学ファック
昨年2016年5月に開催された 「法政哲学会」 において、

「哲学カフェ@法政哲学会」 という企画を行いました。

元はというと2014年に高千穂大学で連続講演会があり、

その内容が2015年に講談社から出版されましたが、

(齋藤元紀編 『連続講義 現代日本の四つの危機 哲学からの挑戦』 講談社メチエ)

その中で哲学プラクティスについて論じていた私と梶谷真司さん、そして編者の齋藤さんの3名で、

法政哲学会においてシンポジウムか何かを開かなければならないということになり、

3人で相談の結果、フツーに提題者3名によるシンポジウムじゃあつまらないので、

せっかくだから法政哲学会の場で参加者全員で哲学カフェをやっちゃうことにしたのです。

テーマは 「市民とともに哲学するとは?」 とし、参加者50名近くで本当にやっちゃいました。

こんな感じでした。



無謀と言えば無謀な試みでしたが、けっこう面白かったですね。

一般の方々も若干混ざってはいましたが、そもそも 「法政哲学会」 ですから、

基本的には哲学の専門家や研究者ばかりの集まりです。

そういうところで 「哲学カフェ」 をテーマに哲学カフェをやったらどうなってしまうのか。

まったく読み切れないままにやってみたのですが、

フタを開けてみたら大成功だったと言っていいでしょう。


法政哲学会での発表は翌年発行の機関誌 『法政哲学』 に掲載されることになっているのですが、

せっかくこんな楽しい催し物をやっておいて、

機関誌にはそれぞれ3名の独立論文が載るというのではつまらないと思い、

当日は哲カフェの様子を録音しておいて、若い研究者にテープ起こしのバイトをお願いし、

対話の様子をダイレクトに雑誌に掲載したいということで、理事会にも了承を取っていました。

(3名が新たに論文を書かなくてすむという大きなメリットもありますし…)

というわけで今年発行の 『法政哲学』 にはあの時のテープ起こし原稿を投稿したのですが、

2時間近くのセッションをそのまま原稿化してみたらものすごい量になってしまって、

雑誌にすべてを載せることはできませんでした。

当日は最初に3人で哲学プラクティスについて自由な形で語り合い、

後半から参加者全員に加わっていただくという形で進めたのですが、

雑誌に掲載できたのはその前半部分の原稿だけでした。

それだけではつまらないので、雑誌論文の最後には、

「法政哲学会のウェブサイトに全文掲載する予定なのでそちらをご覧ください」

と付け加えておきました。

そのウェブページが雑誌刊行のタイミングよりもちょっと遅れてしまいましたが、

先ごろやっと公開されました。

法政哲学会のサイトのトップページの中に 「第36回大会」 というボタンがありますので、

そこをクリックすると36回大会のページに移動し、

その中の 「哲学カフェ」 というボタンの横に 「記録」 というボタンがありますので、

そこをクリックすると哲カフェのテープ起こし原稿のPDFファイルに行き着くという寸法です。

まあぜひ一度ご笑覧いただければと思います。

新たに論文を書かなくてすんだものの、テープから逐語的に起こされた原稿を、

そのまま掲載したのではいくら何でも読みにくいということで相当手を入れなければならず、

けっきょくかなりな労力を割くことになってしまいましたが、

それに見合った成果が得られたのではないでしょうか。

特に、「市民とともに哲学するとは?」 というテーマの立て方そのものについて、

参加者の皆さまからファシリテーター (特に私) がボコボコにされているところが圧巻です。

哲学カフェを主宰している人、これから哲学カフェを開いてみたいと思っている人、

そして哲学カフェに興味のある一般市民の方々、皆さまに読んでいただければと思います。

猥褻なポスター完成!

2017-08-07 22:08:20 | 哲学・倫理学ファック
今週末のてつカフェは 「猥褻」 がテーマです!

今回のポスターはいつもの卒業生また作っていただけるということで、

テーマも早くに決まっていたし、ポスターも早めに発注していたのですが、

テーマがテーマなだけに彼女も相当悩んでしまっていたようです。

その挙げ句にやっとこの週末、こんなメールが添えられて原案が届けられました。

「いつにも増して難しかったです。

 露出狂で性的嗜好の自由を連想させるとか…

 男性器・女性器のイラストで表現の自由を連想させるとか…

 もろもろ考えてはみたのですが、結果これにしてみました。

 うーーーん、これで良かったのか???」

その悩みに悩んだ末のポスターがこちらですっ!



いやあ、素晴らしいっ!

That’s What I Want!

私も頼んでおきながら、こんなテーマをどうやって表現すればいいんだろうと、

まったく何も思いつかずノーアイディア状態で、

したがって 「こんな感じで」 みたいな方向性を何も指示することもできずに、

完全におまかせ状態で丸投げの発注をしてしまいました。

最近無罪が確定したろくでなし子さんの裁判もありましたが、

いろいろな意味で彼女の作品の画像とかを使うわけにもいかず、

また、駅前で暑かったからと下着姿になって逮捕された女性もいらっしゃいましたが、

そんな画像があるわけもなく、あったとしてもゼッタイに使えませんし、

はたしてどうやって猥褻を表現してくれるのか、他人事のように楽しみにしていたのです。

そこに届いたのがこれですよ。

いやホント、よくぞやってくれました。

桃を使ったかあ。

ちょうど今、福島は桃の出荷真っ盛りの時期でとてもタイムリーだし、

言われてみれば、桃のピンクは猥褻を表すのにピッタリの色です。

猥褻を表現したいとはいっても、

このポスター自体が猥褻物として取り締まられてはいけませんし、

つまり、猥褻ではないものでどうやって猥褻を表現するのか、

そのきわめて難しいミッションをひじょうに高度なところでかなえていただきました。

もはやプロの仕事と言っても過言ではないな。

本当にどうもありがとうございましたっっっ!!!

さあ皆さん、今度は 「猥褻とは何か?」 がテーマですよ。

ふだんあまり口にできない猥褻について、

自由に、気楽に、そして大いに語り合おうではありませんか

てつカフェ170722ポスター完成!

2017-07-19 08:22:30 | 哲学・倫理学ファック
次回てつカフェはもう今週末に迫ってきてしまいました。

今回はいつもの卒業生さんがお忙しいとのことで、

自分でポスターを作らなければならなくなりました。

そのヒマがなかったんですよねえ。

このところビックリするくらい講演会等が重なっていて、

あさか開成高校の国際理解講座、須賀川第一中学校の人権セミナー、

そして、教員免許更新講習ともう引っ張りだこでした。

その講座の準備がギリギリまでできていなかったわけですから、

ずっと先のポスターなんて作るヒマあるわけありません。

で、ずっと先と思っているうちに3日後に迫ってきてしまうという…。

というわけで、なんとかやっつけで作ってみました。



「これは特別編7のポスターを使い回しているだけじゃないのか」 ですって?

その通りですが、なにか?

どうせみんな4ヶ月も前のポスターなんて覚えてるわけないから大丈夫でしょう。

しかも、プリントアウトしてみたらこんなに上下の明暗がはっきり出なくて、

一面みず色~っていう微妙な仕上がりになってしまいましたが、

もはやこれを修正する時間も技術もありません。

とりあえず各所に張り出しておきました。

今度の土曜日、てつカフェですっ

ぜひ皆さまお誘い合わせの上 (もちろんお一人でも) ご来場ください

共通領域 「倫理学」 の単位が欲しい人はゼッタイに来てね

てつカフェ170610ポスター完成 「学校に部活動は必要か?」

2017-06-07 17:20:03 | 哲学・倫理学ファック
次回のてつカフェはもう今週の土曜日に迫ってきてしまいましたが、

遅ればせながらポスターが完成いたしましたっ!

こちらです。



あいかわらず 「人生で一番忙しい年」 を更新中なので、

てつカフェのことをじっくり考える余裕がありません。

新趣意書も新ルールもできあがっていないのに、

会場の都合で6月は10日の一択しか空いてる日がなかったので、

とにかくテーマだけ決めて再開してしまうことにしました。

というわけでポスターも急な発注だったため、完成が今ごろになりました。

今度のテーマは学校の部活!

日本人にとってはあるのが当たり前の存在かもしれませんが、

学校の教員が自分の専門の教科の指導や進路指導とは別に、

何かしら部活動の指導もしなければならないというのは、よく考えるとヘンな話です。

逆に言えば、ドラフトで入団し晴れてプロ野球の選手になれたと思ったら、

「試合前と試合のない月曜日には塾で数学を教えていただきますので」

と言われているのと同じ状況なわけです。

たまたま数学が得意ならまだいいかもしれませんが、

得意な教科に回してもらえる保証もまったくありません。

うーん、あまりいい例ではないかな。

まあとにかく自分が得意とは限らないエキストラな仕事を、

ろくな残業代ももらえないまま任されて、何かあったら責任を取らされるわけです。

大変な仕事だあ。

その点、大学の部活の顧問なんてお気楽なものです。

私は 「名前貸し」 と呼んでいますが、

施設利用届とかにハンコを押す以外に実質的な仕事はありません。

まあ実際、大学教授にそれ以上の仕事をしろと言ってもとうていムリでしょうが…。

しかし、小中高の先生にはみんな当たり前のようにそれを求めてしまうんですよねぇ。

というわけで今回は 「学校に部活動は必要か?」 を問います。

部活に関して一家言ある方もない方も、ぜひみんなで考え話し合ってみましょう!

Q.電車の中でジャンプしても、なぜ置いていかれないのですか?

2017-04-30 01:03:11 | 哲学・倫理学ファック
相馬の看護学校の授業はすでに4週目を終えたところです。

なんかあっという間ですね。

さて、3週目の授業が終わったときにいただいた質問にお答えしておきましょう。

3週目は 「死んだらどうなるのか」 がテーマでした。

第1回目の授業のときにも 「先生は死んだらどうなると思いますか?」 と聞かれていましたが、

第3週目が終わったときも次のように質問してくれた方がいらっしゃいました。

「Q.先生は死が恐いでしょうか?」

これに関してはすでに書いたことがありますので、そちらを読んでみてください。

  「Q.死ぬときはどんな感じですか?」

  「Q.人は死んだらどこへ行くのだと思いますか?」

さて、授業ではなぜ人間は死んだらどうなるのかと考えてしまうのかということを説明し、

「心の慣性の法則」 というまさおさま仮説をご紹介しました。

それを聞いた方から次のような質問をいただきました。

「Q.慣性の法則で電車の話になった時に、慣性の法則がはたらくなら、

   電車の中でジャンプしたら、自分は置いていかれるはずなのに、

   なんで置いていかれないのかが疑問に残りました。」

ええーっ、今さらですか?

これって中学か高校で初めて慣性の法則のことを教えてもらったときに真っ先に思いつく質問で、

それには中学か高校の理科の先生がきちんと答えてくれませんでしたか?

ていうか、このことを説明するためにこそ慣性の法則ってあるんですけれど。

Yahoo! や Google で慣性の法則のことを調べようと思って、

検索ウィンドウに 「かんせいのほうそく」 と打ち込むと、

自動的に 「慣性の法則 電車 ジャンプ」 っていう選択肢が表示されるくらい、

誰もが一度は疑問に思う定番の質問なのです。

まあ、教えてもらっていないんじゃあしょうがないのでまさおさまが教えて進ぜましょう。

授業中にも説明したように、電車が出発する前は電車も乗客も静止していますから、

止まっているものはずっと止まり続けようとするので、

電車が電気エネルギーを使って動き始めると、

そこに乗っている人間は元の位置にとどまり続けようとして、

うしろに引っ張られるような力を受けます。

しかし乗客は踏ん張ることによって電車の動きに同調しますから、

すぐに電車と同じスピードで動いていくことになります。

この際、乗客は自分の足で電車と同じスピードで走ったりする必要はありません。

なぜなら慣性の法則があるので、一度動き始めてしまえば、

何の力も加えなくてもそのとき動いているスピードでずっと動き続けることができるからです。

まあ、そうでないと次の駅まで電車で移動するなんて不可能になってしまい、

何に乗っていても自分で走らなきゃいけないことになってしまいますよね。

電車が時速100kmで移動しているとするならば、

その乗客も時速100kmで移動していることになります。

外から力が加わらないかぎり、乗客はそのまま時速100kmで動き続けることになります。

それが慣性の法則です。

したがって、そのときにジャンプすると、

本人的には真上に飛び上がって真下に下りてきたように思っても、

実は電車の進行方向に時速100kmのスピードで進みながら上に飛んで下に下りてきているので、

例えば1秒間ジャンプしていたとするならば、

飛び上がり始めた地点よりも約28m先の地点に着地するわけです。

電車も同じスピードで走っていますので、けっきょく電車の車内で考えるならば、

飛び上がり始めた地点と着地した地点は同じということになるのですが、

外から見るならば、電車も乗客も飛び上がり始めた時点と着地した時点では、

28m前方に進んでいることになります。

これはまさに慣性の法則によるところなわけです。

いかがでしょうか、これでご納得いただけたでしょうか?


もっとスゴイことを教えてあげましょう。

実は電車になんか乗らなくても、あなたは今現在激しく慣性の法則の影響を受けています。

だって地球は自転しているんですもの。

そのスピードったらハンパないですよ。

赤道は約40,000km、それが24時間で1周しちゃうんですから、

だいたい時速1,700kmでグルグル回っています。

日本の場合、北緯35度くらいなので赤道ほど速くはありませんが、

それでも時速1,400kmくらいで自転しているそうです。

すると私たちはジョギングしたり電車に乗ったりしなくても、

ただベッドでグーグー寝ているだけで常に時速1,400kmで動き続けているわけです。

秒速にすると400m弱。

もしも慣性の法則がなかったとするならば、

私たち日本人はジャンプするたびに400mくらい西にすっ飛ばされてしまうことになります。

慣性の法則さまさまですね。

私たちは産まれた瞬間から今日までずっと、実は時速1,400kmで移動し続けているわけです。

そんなマッハのスピードで動いているなんて感じたことありませんね。

それもこれもすべては慣性の法則のおかげです。

というわけで今回は以下のようにまとめておきたいと思います。


A.私たちは動いているものの上に乗っているときには、慣性の法則のおかげで、

  その動いているものとまったく同じスピードで動き続け、

  しかもそのスピードを感じずにすみますので (本人的には止まっているのと同じこと)、

  時速100kmの電車に乗っていようが、時速1,400kmの地球に乗っていようが、

  置いていかれたりすることはありませんのでご心配なく。