てつがくカフェ@ふくしま

福島市で哲学カフェをゆるゆるやってます。専門知識はいりません。
身近な哲学的問題をみんなで考え語り合いましょう!

第9回シネマdeてつがくカフェのご案内―森達也監督『FAKE』―

2016年07月24日 18時32分33秒 | 開催予定
  特別前売券(¥1,100)、あり〼。 

  森 達也・監督、哲学カフェに参加決定!!!



《シネマdeてつがくカフェとは》
シネマde哲学カフェとは、映画作品を参加者たちが鑑賞し、そこから浮かび上がる哲学的なテーマについて哲学的に語り合う場です。


【上映作品】 森 達也・監督『FAKE
【日 時】7月29日(金)
  上映時間 18:00~20:00(映画109分・予告6分)
  哲学カフェ 20:00~22:00
【ゲスト】森 達也・監督 
【場 所】フォーラム福島(福島市曽根田町7-8・℡024(533)1717)
【事前申し込み】不 要
 直接会場にお越し下さい。上映後、そのまま哲学カフェに参加できます。
 なお、フォーラム福島での上映期間は7月23日~29日となっておりますが、哲学カフェ当日前に鑑賞された方も、29日の哲学カフェに参加いただけます。その際にはフォーラム福島で配られる哲学カフェ参加券が必要となりますので、鑑賞された際には受付窓口で参加券をお受け取り下さい。

【問い合わせ先】 fukushimacafe@mail.goo.ne.jp


なんと、森達也監督が、あの佐村河内守氏をめぐる騒動をドキュメンタリー映画化しました。
佐村河内守氏と言えば、「現代のベートーベン」と評され、NHKスペシャルで特集が組まれるほど話題を集めた人物です。
ところが、彼が「全ろう」であるということが虚偽であり、しかも作曲した作品は新垣隆氏がゴーストライターとしてつくったものであったことが発覚したことから、一大スキャンダルにまで発展しました。
しかし、アレは果たして単なる「偽装スキャンダル」だったのだろうか…?
今回の森達也監督のドキュメンタリー作品「FAKE」からは、そのような問いかけが聴こえてきそうです。

森達也監督と言えば、オウム真理教事件を一方的にバッシングする側とは異なる角度から、オウム信徒たちの姿を描き出した『A』、『A2』の作品で知られるように、一方的に「絶対悪」を糾弾する「正義」の側の危うさをあぶりだす、いわば日本社会の暴力性を察知する「知的カナリヤ」ともいうべき存在です。

もし、ワタシたちが世界の見方の多様性を失いかけている社会に、知らず知らずのうちに生きているのだとすれば…
それを知らずに、メディアが喧伝する「正義」を、疑いもなくワタシたちも声高に叫んでいるのだとしたら…
「佐村河内」とは、実はワタシ自身のことなのかもしれない…
本作品ホームページ内にある予告編イントロダクション森監督の言葉著名人らのコメントからは、そんなことを考えずにはいられないワクワク感に満ち溢れています。

「真実とは何か?」、「正しさとは何か?」
そんな問いをめぐって、映画を鑑賞された皆さんと一緒に語り、考え合いたいと思います。
何より、今回は森達也監督ご自身にも哲学カフェに参加していただきます。
この貴重な機会を多くの方々と一緒に共有できれば幸いです。


お茶を飲みながら聞いているだけでもけっこうです。
飲まずに聞いているだけでもけっこうです。
通りすがりに一言発して立ち去るのもけっこうです。
わかりきっているようで実はよくわからないことがたくさんあります。
ぜひみんなで額を寄せあい語りあってみましょう。

≪はじめて哲学カフェに参加される方へ≫
てつがくカフェって何?てつがくカフェ@ふくしまって何?⇒こちら

てつがくカフェの進め方については⇒こちら

てつがくカフェ@ふくしま世話人 小野原 雅夫 ・ 渡部 純 ・ 杉岡 伸也
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第38回てつがくカフェ@ふくしまのご案内―「図書館とは何か?」

2016年07月24日 10時33分06秒 | 開催予定
告知が少し早いですが、8月の哲学カフェの日時・会場・テーマが決定しましたのでご案内申し上げます。なお、7月の哲学カフェは森達也監督・映画『FAKE』をテーマにしたシネマdeてつがくカフェです。こちらも多くの皆様にご参加いただければ幸いです。

メキシコ国立自治大学の中央図書館・フアン・オゴルのモザイク画,2016年,渡部撮影】

【テーマ】 「図書館とは何か?」
【日 時】 8月20日(土)15:00~17:00
              ※いつもより1時間早い開始時間です。
【場 所】 福島県立図書館・第2研修室(3階)
      福島市森合字西養山1
【参加費】 なし(飲み物が必要な場合は各自でご用意ください)
【事前申し込み】 不要 (直接会場にお越しください)
【問い合わせ先】 fukushimacafe@mail.goo.ne.jp


これまでてつがくカフェ@ふくしまは、「フォーラム福島」や「はじまりの美術館」といった「映画」や「アート」の現場での哲学カフェを実践したことがありましたが、今回はいよいよ「図書館」という「情報/資料の収集/発信」の現場での哲学対話を試みます。
しかも、「図書館とは何か?」というテーマに示されるとおり、その現場のありようそのものを問い直そうというものです。

昨今、「図書館」は様々な変化にさらされています。
海老名市や武雄市、多賀城市にオープンされた「TSUTAYA図書館」は、カルチュア・コンビニエンス・クラブが運営主体となって公立図書館の民営化・コンビニ化(深夜営業・スタバ導入・ポイントカード導入など)を実現したものですが、その賛否をめぐっては今なお議論が続いています。
その一方で、「図書館のせいで本が売れない」といった出版社や作家からの批判も生まれています。
中には、新刊書が売れないのは図書館の貸し出しの影響があるものだという批判から、一定の貸し出し制限を加える必要性を求める意見もあります。
また、昨年は「学校が死ぬほどつらいなら図書館へ」という鎌倉市の図書館司書のツイートが話題を集めたように、子どもの安全な居場所としての図書館という役割についても様々な議論を呼んでいます。

いずれにせよ、いま、図書館がさまざまな変化の波にさらされているのは間違いありません。
しかし、これは同時に、この社会の文化の質そのものが問われているということでもあります。
かつて、ナチスドイツはナチズムの思想に合わない書籍をすべて焼き尽くすという儀式を行いました。
『ホロコースト全史』を書いたマイケル・ベーレンバウムは、この出来事を「ビブリオ(図書)コースト」と名づけ、「本が焼かれたなら、次に焼かれるのは人間である」と記しています。
つまり、図書館を問うということは、同時に私たちの民主主義のレベルを測り直すことに他ならないのです。
日本図書館協会が掲げる「図書館の自由に関する宣言」はこのことと無関係ではありません。

もちろん、多岐にわたる図書館の抱える諸問題を、ざっくりと「図書館とは何か?」というテーマだけで語り切れるものではありませんが、ぜひこの機会に一般市民の方々も専門職の方々もこぞって集まって「図書館」について語り、考えあってみましょう。
そのことが、財政難の克服を図書費や教育費の削減から始めるこの社会のあり方を問い直すと同時に、地域の図書館と図書館運営に携わる方々を勇気づける機会になれば幸いです。


お茶を飲みながら聞いているだけでもけっこうです。
飲まずに聞いているだけでもけっこうです。
通りすがりに一言発して立ち去るのもけっこうです。
わかりきっているようで実はよくわからないことがたくさんあります。
ぜひみんなで額を寄せあい語りあってみましょう。

≪はじめて哲学カフェに参加される方へ≫

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てつがくカフェ@ふくしま世話人 小野原 雅夫 ・ 渡部 純 ・ 杉岡 伸也
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U-19てつがくカフェ@ふくしま開催のご案内

2016年07月24日 09時48分28秒 | 開催予定



【名 称】 U‐19てつがくカフェ@ふくしま
【テーマ】 「学校の勉強は本当に必要か?」
【日 時】 2016年8月21日(日)14:00~16:00
【場 所】 西澤書店大町店2F
      福島市大町7-20・ TEL(024)522-0161
【参加資格】年齢19歳以下であれば、どなたでもご参加いただけます。
      ※ なるべく制服ではなく私服でご参加下さい。
      ※ 原則として関係者以外の成人の参加・見学はご遠慮していただいております。

【参加費】 無 料
    (飲み物はこちらで準備いたしますが、ご自由に持ち込んでいただいてけっこうです。)
【主 催】 てつがくカフェ@ふくしま
      小野原雅夫(福島大学教授/倫理学) 渡部 純(県立高校教諭/大学院生)
【問い合わせ先】 fukushimacafe@mail.goo.ne.jp


≪案内≫
哲学カフェをご存じですか?
人間は「死んだらどうなるのだろう?」とか、「生きる意味なんてあるの?」と答えの出ない問いを考え始めてしまう存在です。
でも、そんな疑問を独りで考えているだけでは、いきづまってしまうのも人間です。
そんなとき、お茶を飲みながら、同じような疑問を抱いている人たちと、いっしょに語り合って考えを深めていく場が哲学カフェです。

こうした場が全国の小中学高校生にも少しずつ開かれつつあります。
そして、この夏休み、いよいよ福島で未成年の、未成年による、未成年のための哲学カフェを開催することになりました。
今回のテーマは「学校の勉強は本当に必要か?」です。
就職活動に、受験勉強に、課外に、部活に、そもそも学校そのものに疑問を抱いているそこのあなた!
もちろん、19歳以下であれば学生である必要もありません。
ふらっと、一人で、あるいは友だちといっしょに哲学カフェに立ち寄ってみませんか?

お茶を飲みながら聞いているだけでもけっこうです。
飲まずに聞いているだけでもけっこうです。
通りすがりに一言発して立ち去るのもけっこうです。
わかりきっているようで実はよくわからないことがたくさんあります。
ぜひみんなで額を寄せあい語りあってみましょう。

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主催者一同
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第7回エチカ福島のご案内 ―沖縄と福島から〈責任〉を問う―

2016年07月22日 16時39分59秒 | 開催予定
世話人・渡部が共同代表を務め、小野原がアドバイザーを務めるエチカ福島という団体があります。
その第7回目のイベントが9月17日(土)に開催されますので、ここにご案内申し上げます。



【テーマ】 沖縄と福島から〈責任〉を問う
      ―米軍基地と原発事故の〈責任〉とは何か―
【講 師】 新垣 毅(あらかき つよし)氏
      琉球新報社東京支社報道部記者
【日 時】 9月17日(土)

    14:00 開会・あいさつ・エチカ福島の趣旨説明
    14:10 今回のテーマ趣旨説明
    14:20 報告 新垣毅氏「沖縄から責任を呼びかける―沖縄米軍基地県外移設問題」
    15:20 休憩
    15:35 渡部 純(エチカ福島)「福島で責任に応えること/福島から責任を語ること」
    16:00 参加者全体での討議
    17:00 閉会

【会 場】 県立橘高校セミナーハウス(同窓会館)
       福島市宮下町7番41号
【参加費】 300円(飲料代・資料代込み)/学生無料
【申 込】 不 要 
【連絡先】 ethicafukushima@gmail.com


【今回の開催趣旨】
あれから5年。
原発事故がなぜ引き起こされたのかという〈責任〉について、私たちはどのように考えてきたでしょうか。
なるほど、検察審査会は事業者である東電の刑事責任を問う起訴を決定し、その審理がこれから始まります。
しかし、「復興」が喧伝される一方で、市井のあいだで原発事故の〈責任〉を問うことは、どこか語りにくさを引きずったままです。

原発政策を推進してきた政治家・官僚の政治責任。
それを支持し、受け入れてきた市民の政治的責任。
科学者、メディア、教育の責任。電力を使用してきた受益者の責任、etc…。
たしかに、これらを問い直すことはお互いの「負い目」にふれざるを得ず、そのことが「寝た子を起こすな」とばかりに、私たちにこの事故の〈責任〉の語りにくさをもたらしている面があることは否めません。
いや、むしろ私たちはその語りにくさに甘んじながら、それと向き合い、問い直すことに目を背けることに慣れ切ってしまったのではないでしょうか。

これは福島だけの問題ではありません。
被害者(社会的弱者)が「負い目」によって自らの声を抑圧するだけでなく、それに乗じて加害者(社会的多数派)が自らの〈責任〉を見て見ぬふりをするさまは、これまで様々な構造的な暴力関係下でくり返されてきたことです。
しかし、人為的に破壊された共同体の傷は、その暴力の〈責任〉を問うことなしに修復されることはありません。
その意味で、私たちは原発事故の様々なレベルにおける〈責任〉を問い直す術を、勇気をもって学ばなければならないでしょう。

今回のエチカ福島では、その手がかりとして琉球新報社の新垣毅氏をお招きし、昨今の沖縄米軍基地問題の現状と県外移設問題についてお話しいただきます。
周知のとおり沖縄では米兵による犯罪が後を絶ちません。
そして、その我慢の臨界に達した翁長雄志沖縄県知事を代表とする沖縄の声は、米軍基地引き取りの〈責任〉を本土へ訴え続けています。
その呼びかけに対し、福島に生きる私たちはどう応えるべきか。
この沖縄からの呼びかけに対する応答を考えることは、重い問いを私たちに突きつけるでしょう。
しかしながら、その問いについて考えることは、とりもなおさず私たちが語りにくくなっている〈責任〉を、いかにして言葉にして語りうるものにするのか考えるヒントが含まれています。

〈責任〉を問うとは、その相手をバッシングして殲滅することでありません。
それは人為によって破壊された側の尊厳や社会的正義を回復させると同時に、将来、同じ失敗を二度とくり返さないために人間が考え出した術です。さらにいえば、それは暴力をふるわざるを得ない加害者と、それを被らざるを得ない被害者のあいだにある構造的な暴力関係から、お互いを解放させるための術でもあります。
第7回エチカ福島では、沖縄からの〈責任〉の呼びかけにいかに応えるかを考えるとともに、そこから福島で〈責任〉を語り出す意味を考える機会とさせていただきます。
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てつがくカフェ@あいづ、始動!

2016年07月17日 20時43分22秒 | 開催予定


この秋、てつがくカフェ@あいづが始動します
ついに、会津地方での哲学カフェが実現されます
以前から哲学カフェにご関心を寄せられていた会津三島町の「つるのIORIカフェ」の経営者小松今日子さんが、今年4月の@ふくしまにご参加下さって、私どもに哲カフェ運営のご相談をして下さったことから、このたびの開催に至りました

そもそも、@ふくしまの開催に際しては、てつがくカフェ@せんだいの主催者・西村高宏さんのありがたくも強引な牽引で開催にこぎつけたられたことから、私たちも同様の手法で小松さんの戸惑いもふりきって、昨日の初打ち合わせの場で開催日時・テーマ・世話人の決定からブログの作成までしてしまいました。
小松さん、大変失礼いたしました
でも、冗談抜きで、こうした後先考えない仕方で始めたからこそ、@ふくしまはここまでこれたのです
「始まりがなされんがために、人間は創られた」(アウグスティヌス)のです。

世話人はカフェの主である小松さんですが、幸いにも@ふくしまの常連で、奥会津に異動された荒川信一さんと林裕文さんが近所にお住まいだということで、お二人にも喜んで世話人をお引き受けいただけました
はじめのうちは、小野原や渡部がファシリテーターなどのお手伝いをさせていただきますが、おそらく荒川・林両人は@ふくしまでの小野原・渡部の失策をたくさん目にしていますから、さっさと自分たちなりのファシリテートをしたくて仕方ないに違いありません。
奥会津のアルピニストとカブトムシの異名を持つお二人に乞うご期待です

ところで、小松さんをはじめ、荒川さん、林さんは哲学カフェの主催者及びファシリテーターの資格として哲学の専門性の有無を気にされていました。
たしかに、大学の文学部哲学科を出ていなければできないとか、専門的な哲学教育を受けていなければ、哲カフェを運営する資格がないのかという懸念を抱くことは、個人的な経験からもわからないではありません。
これに関しては、賛否両論があります。
しかし、ワタクシごときが思うに、哲学研究者は別として、「考える」ことが好きな人、「考えること」に関心のあるひとは、すべからくその資格があると言っていいように思われます。
ここでいう「考える」という意味についても、世の中を理路整然と説明できたり、いわゆるお勉強や仕事ができるいう意味ではありません。
むしろ、いわゆる「できる人」と呼ばれる類の人間は哲学的思考には不向きだとさえ言えます。
ワタクシ(渡部)が思うに、「哲学的な人間」とは、訥々と喋りながらも、物事の真相をつかみたいという欲望を断念できなかったり、割り切れなさや世間的な価値にズレを覚えることに拘り、自分自身の言葉をつかむことを求めるような人々です。
その点で言うと、@ふくしまに参加されてきた荒川さんや林さんは、とても常識人なんだけれども、同時にそのような「非(反?)社会的」な傾向を持つ哲学的思考の持ち主ですし、それに関心を抱かれた小松さんもまた、その例外ではないように思われます。
だから、お三人には自信をもって、会津初/発の哲学カフェを開始していただきたいと思うのです。

つるのIORIカフェは、隣に名湯「つるの湯」があり、カフェの佇まいとしても最高の環境です。
雄大な只見川を臨みながら、緑にあふれる奥会津の地で実現される哲学カフェは、これまで日本各地に展開されてきた哲学カフェにはない独自の豊かさが備わっています。
ぜひ、皆さんで「てつがくカフェ@あいづ」の成功を応援しましょう
昨日の話し合いでは9月中の開催になりそうですが、その詳細は近日中にブログにアップされるはずです。
まずは小松さんの「てつがくカフェ@あいづ やります」を祝し、ここにご紹介させていただきます
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コミュニティカフェ考【世話人のつぶやき】

2016年07月06日 13時21分33秒 | 世話人のつぶやき
ずいぶん久しぶりにつぶやきます。

先日、哲学カフェ@アルコイリスが7月9(土)より開始する旨、このブログでご案内いたしました。
経営者のお一人は、私が院生時代にお世話になった哲学ゼミ出身の若い友人で、『わがままに生きる哲学』の共同執筆者のお一人です。
その本の中で彼は「22歳からの活動家」を名乗り、脱消費・脱雇われ生活の追及を宣言していますが、まさにその実践が和光市でのコミュニティカフェ「大人の秘密基地・アルコイリス」の経営なのです。
先日訪問した際に、そのとても素敵な店の佇まいに感激しました。
店内には素敵な食事はもちろんですが、貸出自由の図書コーナー「おすすめ文庫」や地域の方の作品販売をすることが可能な「レンタルボックス」コーナーもあります。
フリースペースとして各種イベントを自由に開催できる場を貸し出したりもしています。
月に一度参加者で一緒に料理を作って食べる「おたがいさま食堂」等々、新しい地域づくりの拠点としてアイディア盛りだくさんのコミュニティカフェなのです。

   

何より、その経営コンセプトがまた、とても興味深い思想なのです。
ぜひ、全文をお読みいただきたいのですが、とりわけ魅力的な部分をここに引用させていただきます。

私たちは、物質的に見たら、多くの国々よりもモノにあふれ、お金もある日本という国に住んでいます。
そんな私たちですが、あまりにも個人・社会が抱えている問題は長期的で解決することが非常に難しいのではないか…。

たくさんの人が気づきはじめているように、「どうやら、お金は、物質的な豊かさ以上のものを、私たちにもたらしてくれるわけではないらしい。」
「やりがいや生きがい、幸せ…精神的にも豊かであること、といったものは、どうやら、お金とは別のところにあるらしい。ということです。

では、何からはじめたらよいのでしょうか。
この2年間、アルコイリスでの模索と実践から感じたのは、もし私たちにできることがあるとしたら、「選択肢の1つを提示し、実行する」ということみたいです。
お金を稼ぎ、モノやサービスを買う(消費する)というのが、選択肢の1つであるとしたらその「横」に、別の選択肢をさしはさむこと。
その選択肢に欠かせない視点にしたいのは、「“自分たち”でつくる・生み出す」ということです。

このような試みの先に、どんな未来が待っているのか、正直わかりませんが、もしかしたら10年後か20年後か、
お金主義(資本主義)の「横に」、これまでとは違う暮らしや人間関係の在り方が、アルコを拠点に生まれているかもしれない。
地方から都市へ一方通行な今の経済システムの「横に」、地域の中で、地方と都市の循環の中で、お金に依存しすぎない、小さな経済圏ができているかもしれない。
そんな、大きな夢を実現するために、私たちは活動を続けていきたいと思います。


「消費」や「お金主義」の横に選択肢をさしはさむとは、なんてナイスな表現でしょう。
個人的なことですが、この春より学生に舞い戻ったことで収入を失ったワタクシとしては、身をもってこの思想と実践がリアルなものとして響いてきます。
ただいま、この社会で生きるということは、息を吸っているだけでもカネが出ていくという現実を身をもって思い知らされているわけですが、その一方で、働いているときには全く見えなかったことも色々見えてくるものです。

一番は、働いている最中はほとんど勉強できなかったことを猛烈な勢いで学べる時間を得られるという幸福です。(研究というプレッシャーは重くのしかかってくるのですが…)
また、労働から解放されたことで、やっと息が吸える=生きているなぁという実感もかけがえのないものです。
でも、人間なんて矛盾した生き物で、先日、久しぶりに大学で2コマほど講義をさせていただいたときには、教員として働いていた頃の授業の「やりがい」がふつふつとよみがえってきました。
一日中、研究生活に没頭していると、誰とも話さない時間が圧倒的です。
これはこれで個人的にはとても気に入っているのですが、それでも誰かと話したくなり、会議と称した宅飲みも増えています。

適当なカネと一人の時間と仕事のやりがいと仲間との交流。
これがバランスよく確保できる社会づくりを目指した活動として、「大人の秘密基地」計画はこれからの新しい社会を切り開いていくものとして大いに可能性を感じます。
こうしたコミュニティカフェは、実は福島市のような中規模の都市にはうってつけではないでしょうか。

そんな妄想をした後、以前アートdeてつがくカフェでおせわになった「はじまりの美術館」館長の岡部さんから、いわき市で「UDOK.」(うどく)という活動があることを教えていただきました。
UDOK.はいわき市の色々な若手アクティヴィストたちが、市内のスペースをお互いに出資して借り切り、そこで自由な活動を日々行っているというのです。
この活動に関してはまだ詳しく調べたわけではありませんが、岡部さんによるとポイントは「自分たちでカネを出し合って」というところらしいのです。
たしかに、官制のコミュニティスペースっていうのは制限がかかったりするのか、どこか野暮ったいというか、融通が利かない面がありますが、自分たちで借り切っているのであれば、自主な発想と管理で無限の創造性が発揮できそうです。
今後注目していきたい活動です。

そして、もしこれらのコミュニティカフェが福島市内にできるとすれば、これまであまりつながらなかったユニークな活動同士が結びつき合う拠点として機能するかもしれません。
そんな妄想というか夢想を抱きつつ、今週末の哲学カフェ@アルコイリスの成功を祈っております!
(文:渡部 純)
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哲学カフェ@arcoirisのご案内

2016年06月17日 22時46分34秒 | 開催予定
去る5月に開催された第8回本deてつがくカフェに参加された方が中心となり、このたび和光市で哲学カフェを開催するとのことなので、ここにご紹介申し上げます。
@ふくしまの様子に刺激を受けて、開催に踏み切られたようです。
嬉しい限りです。
開催場所が埼玉県和光市と遠いのですが、お近くの方やご関心のおありの方は、ぜひ足を運んでみて下さい。
以下、主催者(同書の著者の一人)からの案内です。



みなさま
はじめましての方もいるかと思います。
東京学芸大学博士課程に在籍しながらも、妙縁から埼玉県和光市で、
「大人の秘密基地」と題されたコミュニティカフェなるものを経営している川上と申します。
拠点となるこのカフェは、池袋駅から電車で10分ちょっとの和光市駅近く。
大都会・大消費地の横で、人つながりを生かした新たな文化をつくろうと模索しています。
今回、さまざまな方とのご縁から、日本各地で実践されている「哲学カフェ」を参考にして、
新たに1つの学び場をつくる実践をはじめます。
市外・県外からの参加も大いに大歓迎です!
というよりも、多様な場所・多様な世代・多様な経験をもつ方たちがご参加すればそれだけ、
この場がもつおもしろみが増していくものと考えています。
以下、イベント詳細となります。
少しでも興味を持った方いらっしゃれば、ぜひご参加いただければ幸いです。

【哲学カフェ@arcoiris】
第1回テーマ:「わがままに生きるとは?」
日時:7月9日(土) 15時~17時
場所:大人の秘密基地arcoiris (東京メトロ・東武東上線「和光市駅」より徒歩5分)
参加費:500円(1ドリンクつき)
定員:20名(先着順⇒今回、お断りをさせてしまった場合は、次回もありますのでそちらを心待ちに…)
課題図書:『わがままに生きる哲学』  
 

※カフェ店内で閲覧・貸出・販売中。ご購入の場合は、定価1,836円のところを1,300円で割引販売します。
※当日14時より、予習タイムあり(課題図書の閲覧が自由にできます)

交流会:17時~19時 参加費:1500円(お酒・ソフトドリンクはキャッシュオン)
その他:課題図書の執筆者たちも数名、何気なく当日の会に参加しています。
詳細・お申込みはこちらより⇒ http://www.base-arco.com/哲学cafe/

【運営者の思い】
ある程度大人になって思う。悩みは、尽きない。
もうすぐ70歳になる年の離れた友人に聞くところ、「40歳にして惑わず」は、まったく嘘らしい。
嘘であるどころか悩みはつきず、深まるばかりだという。 70歳にして人生に悩みまくりならば、人は一生涯悩みまくりではないか!
得た資格や、学んできたハウツーなどで乗り越えられる問題に直面している間は、まだいい。
問題は、それらが、まったく歯が立たない困難や問題に直面したとき。
そんなとき、、、ふと 人の考えや言葉に、触れたくなる。
小手先だけのハウツーではなく、もっと深いことを、学んだり、考えてみたくなる。
さまざまなところで「哲学カフェ」が試みられていますが、ここで開く「哲学カフェ」は、そんな場にしてみたい。

そのため、ここでは、
①毎回異なるテーマを設け、テーマにあった素材(話題提供者・本・映画・ドキュメンタリーなど)を設定する
②その素材に触れ、 それぞれが、何を思い、何に気づき、何を考えたのか、シェアする
この2つを基本的な柱としたいと思っています。
が、この活動は、参加するみなさんとともにあるものなので、いまのところのビジョンとして。

初回の素材は『わがままに生きる哲学』という本(本については以下に詳細)。
さあ、自分たちの経験や人生を通して、話に花をさかせてみようか。

★★★★課題図書★★★★
『わがままに生きる哲学』 著:多世代文化工房、はるか書房、2016年 
今年の春に発刊された本。 参考URL:https://goo.gl/Q6KHNo
「結婚のいいところってなに?」、「わたしは社会の落ちこぼれ?」、「家族、“卒業”できますか?」など、
誰もがふっと心に浮かぶ “問い(悩み)”ってありますよね。
このような悩みに、大学教授、高校教員、起業家…など、20~60代の“変人”たちが、真摯に、かつ思うがままに答えた対話集。
読んでみると…悩みが解決するばかりか、さらに深まってしまうことも??
全部で22個の問いと、45個の回答からなるこの本を使って、
参加するみなさんが興味をもったテーマや、気づき、 考えたことなど、それぞれの見えた世界をシェアします。

【アクセス・お問合せ先】
 大人の秘密基地arcoiris 和光市丸山台1-9-19
 ▶東武東上線・東京メトロ有楽町線/副都心線 和光市駅より、徒歩5分
 【電話】048₋462₋1000
 【mail】cafe.arcoiris.wako@gmail.com
 【HP】http://base-arco.com
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第37回てつがくカフェ@ふくしま報告―「〈不倫〉はイケナイのか?」―

2016年06月06日 09時39分15秒 | 定例てつがくカフェ記録
2016.6.4 「不倫はイケナイのか?」 参加者19名

まずは「不倫」とは何かと共通認識を図るところから会は始められました。

「結婚している男女が他のパートナーや異性と恋愛関係になるのが、いわゆる「不倫」です。肉体関係を含むと性的サービスのお店に行くのとどう違うのかという問題があるので難しいけれど。」

「肉体関係があるのは「不倫」です。不倫は結婚していることが前提で、結婚は「一生、君だけ」という約束があるものですが、そういった約束を交わした相手と違う人と同等の関係を結ぶのが不倫です。」

「何が「不倫」でそうではないかというのは、異性間かどうかは関係のないことです。結婚をしていようがしていまいが、合意の上でステディの関係にあった場合にそれ以外の人と関係を結んでしまうことが不倫です。ただし、パートナーが「自分以外の相手と寝ても構わない」と許したものであれば不倫と呼ばないのではないでしょうか。相手に秘密にしているということが不倫の不倫性を際立たせるものだと思います。」

「最近の女性誌に「セカンドパートナー」という言葉をよく見つけます。これは夫婦同士でも自分のパートナー以外に、色々な面でのパートナーがあって、家族に相談できないような話や、家庭に持ち込みたくない話などを交わせる心の許し合える相手のことを指すようです。ただし、その関係には肉体関係を持ってはいけないよという約束があります。なので、「不倫」には肉体関係の有無が関わってくるんじゃないでしょうか。」

「秘密性というのが「不倫」の条件に挙げられましたが、セカンドパートナーについては、結婚相手に明かすものなのでしょうか?」

「できれば、公にしておこうという風に言われるようです。結婚相手に公にしている肉体関係のない恋人と言えばいいでしょうか。」

「「不倫」の定義的には配偶者がいることが前提にあります。昔は不義密通と呼ばれました。人によっては肉体関係だけではなく精神的な浮気も不倫と捉えるでしょう。その相手に会って「大好きだよ」というだけでも「不倫」。肉体的かつ精神的な関係をもつのも許せないという人もいますから。結婚相手の感情次第で「浮気」なのか「不倫」なのか「遊び」なのかが決まるのだと思います。」

「昔は「不倫」という言葉はなかったはずです。私が子どもの頃は、皆さん堂々とやっていました。お妾さんと本妻が一緒の家で生活していたという形もあり、独り身の女性の家に男性が通っているというのが、緩い関係として割と日常的にみられる時代がありました。誰が「不倫」って決めたんですかと思っています。誰目線で「不倫」となるのでしょうか。」

「誰の目線かというのは二つあって、当事者同士の目線でと、法的な視点で「不倫」とか姦通罪というのがあるのですが、肉体的な関係か精神的な関係かはそれほど関係ないと思います。」

「「不倫」と「浮気」の違いは結婚の有無が前提になっているけれど、いま話題に上がったように、社会制度や時代が違うとその意味も変わるので「不倫」は普遍的に定義できないと思います。人の気持ちの部分なのかな。法律上は不貞行為には肉体は入るけれど、肉体関係を一度もったくらいでは認められないのが通例です。」

「「いまの日本において」という風に限定して考えてみた方がいいのではないでしょうか。浮気と「不倫」は違うかというと、浮気は個人と個人の裏切り関係に近いのかな。「不倫」というと世の中に共有される倫理から外れているというイメージです。法律的に「不倫」という言葉はないので、そのときの一定のこうすべきという約束事から外れるものに過ぎないのではないでしょうか。」

「浮気と「不倫」の違いはほとんどないと思います。一夫一婦制の結婚制度下で恋愛関係も一夫一婦制を規範のモデルにしているに過ぎないのだと思います。」

「法律的に絡めば結婚制度の問題になるけれど、浮気も恋愛関係でもやられた方はダメージはある。お互いが合意していれば、裏切られると傷つく点では結婚の有無は関係ないと思います。たしかに浮気は個人間の問題で済ませられ、結婚していて不倫する場合は社会的に影響はあるという点で違いはあるけれど、裏切られて傷つくという点では本質的には変わらないと思います。」

「これまでの議論を聞きながら「不倫」を定義できるかというと、やっぱり無理だという風に思いました。どこか他人を責めたいときに「不倫」が発生したり、あるいは自分の振る舞いを律しようときに「不倫」の定義が必要になるのではないでしょうか。そうであれば、「不倫」とは何か?」と問うよりも、「もし「不倫」を責めるんであれば、何を根拠に責められるのかと問うた方が見えてくるものがあるのではないでしょうか。」

「たしかに、「不倫」を定義するのは難しいという気がしていますが、そもそも不倫は1983年の金曜日の妻たちというドラマ以来生まれた言葉で、それほど古くないんです。マスコミが新しい言葉を作ったときにきちんと定義していればよかったのでしょうが。ただ、法律的には不貞行為として法的に責任は問えることになっていますので、言葉の定義というよりは、結婚も恋愛も一対一の関係にあるべきだという規範をどう考えるのかと問うことはできるのではないでしょうか。」

「日本の場合、結婚は一対一に向き合うことになっていますが、私自身は結婚していても別なパートナーを選んでもいいんじゃないと思っています。結婚する前には、複数の人とオープンにつきあうことを認めようというポリアモリーという考え方は素敵だなぁ、と思っていたのですが、いざ結婚すると夫との関係性が枷になりました。つきあい方には多様性があってもいいと思っています。」

「結婚するときは相手を束縛したいし、相手にも束縛もされたい、そういう人と結婚したいものです。その感情をお互いフラットにしようというのは、なかなか一致せず、無理があると思います。」

「僕もデーティングピリオドという欧米にあるやり方はいいなと思ったことがあります。これはステディな人をみつけるまで肉体関係を含めて色々なパートナーシップを試していくシステムですが、一人に絞りたいというか、相手も自分も複数の相手とつきあっていけるかというと、そうではなく束縛したいという感情をもつのが自然だとは思います。問題は、問題はこれが長続きしないかもしれないという点です。結婚は制度的にこの感情を縛ってしまっているけれど、一対一になりたいというのは感情的にある一方で、それが続かないという問題をどうするかということを考えてみる日打つ用があると思います。」

「その感情はなんと呼べばいいのでしょうか?」

「独占欲。」

「縛りたいという感情は嫉妬と呼んでもいいかもしれませんね。」

「じゃあ、イスラームや英語圏、アフリカ世界でも「不倫」はあるのか。一夫多妻の人たちにもそういう感情は持ち合わせているのでしょうか?イスラームは一夫多妻制を認めているでしょう。」

「イスラーム世界において一夫多妻は無条件に認められているわけではなく、セックスでも経済的にも愛情的にも、すべての奥さんを等しく満足させなければいけないとコーランで規定されているので、相当厳しい縛りがあり、実際は複数の妻を持つムスリムはいないというのが実態です。」

「江戸時代には夜這いをして一人の女性に対して複数の男性と交わって、誰の子かわからない。一妻多夫の世界だと財産を持っていないから、父親誰だかわからない社会では逆にみんなで育てようということになることがあります。」

「戦前の日本では事実上、女性のみ姦通罪の対象となり、戦後は民法上不貞行為が離婚の理由になっています。」

「私の前の夫もおつきあいしている女性がたくさんいらしたのだけれど、私は嫉妬というのがなくて、夫が第一婦人という地位を確立してくれていたことに満足していました。家族を第一に考えてくれていれば、特に嫉妬とかそういう感情は生まれませんでした。」

「そもそも「不倫」はいけないことなのかと考えると、何が「不倫」で何が「不倫」じゃないかと考えた時に、その人の行動を制限することだと思うんです。でも、それこそ人の行動制限することなんて、世の中様々だし、個人レベルでも様々でしょう。「不倫」の多様性があって、「不倫」の定義が多様化した方が彩のある世の中になるんじゃないかな。だから「不倫」は悪いことなんだけれど、いいことなのかもしれない。」

「自分に「不倫」という感覚をもてないのはなぜかというと、みんなとつきあえたら最高だなと思っているからなんだと思います。もちろん、若い頃には独占欲も味わったりもしました。年とっても一緒になれているのは最高だけれど、そこまで感情が持続しない問題をどうするかというのと関係しますが。私の場合、友達結婚だったので、始めから一緒に添い遂げなければいけないという義務感は薄かったと思います。だから、子育てなど義務を果したらいったん夫婦は解散した方がいいと前回発言したのはそのことと関係します。みんな幸せになりたいと思って生きていると思っているんだから、お互いが納得できる選択を尊重できる社会になればいいんはないかな。」

「性交渉の話も含めて、性風俗産業の利用に関しては「不倫」に当てはまるかもしれないのに法的にはそうはならないのが気になりました。もう一つ、男性のマスターベーションも嫌だという不倫感覚をどのように考えるべきでしょうか?」

「性風俗はその時の性衝動を処理したいという問題であって、心の交流を求めていくのは、人の道に外れた感じがするということではないですか。風俗嬢に性衝動の処理を求めていくのは許せるけれど、個人的な愛情を求めに行くのは許せないという感情の問題だと思います。」

「日本には売春防止法があるので法的に認めているわけではないですよね。表向きには認めていない。けれど、実態として風俗産業を認めています。」

「相手に秘密にしているという問題があったけれど、先ほどの第一婦人の話はオープンにしていたから問題が生じなかった。やはり、オープンか秘密かというのは重要な要素なのかもしれません。」

「恋愛の独占とか排他性が出たので、聴きたいのですが、自分が第一婦人であるという自信がなければ語れたでしょうか。」

「そうですね。でも、二度目の夫のときは結婚していたにもかかわらず、私の位置は二番目だったので、そのときは悔しい思いをしました。」

「パートナーの人がどう思うのかが大事だと思います。絶対にお互いに相手はひとりと誓い合ったわけではないけれど。」

「「不倫」はどっからがいけないと決めるのは、所詮、第三者的なワイドショーネタでしかないでしょう。」

「乙武氏のケースを見てもパートナーの考え方次第で世間の納得の仕方が変わりましたよね。だから、相手の考え方次第という側面はあるのではないでしょうか。」

「でも、ベッキーのケースを見ていても、いつも女性ばかりが「不倫」を責められる構図になっています。乙武氏の「不倫」問題のケースのように、男の場合は妻が納得すると世間も納得する構図がありますが、それはフェアとは言えないと思います。」

「けっきょく「不倫」を定義するのはワイドショーだけではないでしょうか。」

「問題はマスコミの質なのではないかというのは、そのとおりだと思います。むしろ、「不倫」は当事者間で問われることで、社会の倫理を犯したとかそういうレベルの問題ではないと思います。だから、お互いが納得している関係であれば問題にはならない。むしろ、それをお互いに尊重し合うことで多様なパートナーシップが実現する社会にならないかな。」

「マスコミが不倫を取り上げるから実際以上にみんなが騒いでいるという理屈は、半分はその通りだと思うけれど、そうとも言い切れない面も残るのではないでしょうか。私自身は「不倫」を責める気も関心も全くないのだけれど、しばらく考えていたのですが、もし僕の親友が配偶者の「不倫」によって辛い思いをしていると知ったときには、私は親友の妻に対して悪感情を持ってしまうと思います。こうなってしまうのは、なぜなんだろうと思うのです。」

「最近読んだ本の中で、アナーキストの大杉栄と伊藤野枝のような関係が友情とも情愛とも混在している複雑な関係性が表現されていました。一概に夫婦だから愛情をもって接しなければいけないとか、友情だから性愛関係を抜きにしなければいけないとか、そんな単純な関係性では割り切れないのが人間であることを考えさせられたものです。その相手とのかかわり方が大切。婚姻以外の恋愛は宿命的に誰にでもあるんだろうな、友情に近い感情で結びついたのは配偶者はつらいだろうな。そんな風に考えました。その昔、映画「マディソン郡の橋」が多くの主婦たちの共感を集めましたが、彼女たちはふだん人格が認められない女性たちばかりだったように思います。そんな女性たちが夫以外に自分の存在を認めてくれる男性に惹かれるのは、単に性的な魅力だけで引かれるのではなく、人間の存在として認めてほしいという願望がシンクロしたのだと思います。一方、男性には「不倫」がないわけですよ。ベッキーもそう。理想としては婚姻に縛られない社会になった時に男女ともに生きやすいパートナーシップになるんじゃないかな。」

「オシドリ夫婦は二人だけの世界に閉じて、人間関係に対して貧しいといっていたラジオ番組のことを思い出しました。そういう意味で言えば、浮気は人間関係が豊かといえるのではないでしょうか。SNSのように「ともだち」の数が多い方が人間としての価値が高いと認める社会になれば、そんな浮気な関係も人間関係が豊かだという指標になって認められていくかもしれません。」

「色んなつきあい方の形があった方がいいと思いました。これが一つのつきあい方だという形を卒業して、個人でこう思うからという生き方を選ぶ方が豊かな社会になるのではないでしょうか。」

「個人の独立性とか自分が持っている自由とか、自分が幸せになっていく互いに尊重し合えるからこそ許し合えるという縛らないという関係の理想像があるんじゃないかな。共同体の中でみんなで育てるというコミュニティのように、お互いの自由独立性を尊重し合う中で人を育んでいく世界がいいな。」

「社会的に見て「不倫」のいい悪いは決めないけれど、親友の妻の「不倫」問題をどう考えるかという場合ですが、たしかにメディアがマイノリティや弱者の立場に立ったつもりで書くから極端な批判をしている姿に対して、「世の中そんなに割り切れないよね」と思いたくなる。けれど、関係の近しい人には、その悪感情というか攻撃性が働いてしまいます。」

「なぜでしょう?」

「近しい人の方が感情を移入してしまうからではないですか。友達側の情報量がたくさん入る一方で、不倫してしまった妻側の情報は入らないから、なおさら親友の側に立って攻撃的になってしまうということです。」

「子どもがいると、両親には「不倫」してほしくないと思います。「不倫」するしないという場合、当事者だけの問題だけではなく、第三者として「子どもの」存在が大きな比重を占めるのではないでしょうか。」

「たしかに20年前に離婚の危機があった時、娘に「学校を卒業するまでは離婚しないで」と言われたときには、その選択はやめましたね。」

「これまでの話をまとめると、「不倫」は当事者間の問題であり、世間がどうこう批判できる問題ではないことがおおむね了解されていたかと思います。その際に、結婚の有無や秘密にするかオープンにするかという要素が「不倫」を規定する条件として共有されていた気がしますが、最後の方には、むしろ自分とのパートナーシップ以外の関係性をお互いに尊重し、認め合うことで多様な関係や社会性が形成されることを望む声が多かったと思います。では、その多様な関係性を認め合うことを求める方々に聞きたいのですが、自分のパートナーに「それは傷つくからやめて」と言われたらどうするんですか?」

「私の場合、それは夫との関係が冷えたときに別の魅力的な男性が表れて、そのことを率直に夫に伝え、だからあなたも別の素敵な女性が現れたらお付き合いしていいよと伝えました。すると、不思議なことに夫にも別のおつきあいする女性が現れたんですね。だから、個人的な体験から言うと、それはそうなればうまくいくというか…うーん、何をいいたいかわからなくなりました。」

終了時間になったため、議論はここで終了となりました。(文:渡部 純)
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第37回てつがくカフェ@ふくしまのご案内―「〈不倫〉はイケナイのか?」―

2016年05月21日 08時48分47秒 | 開催予定
           

【テーマ】 「〈不倫〉はイケナイのか?」
【日 時】 6月4日(土)16:00~18:00
【場 所】 イヴのもり
     (福島市栄町6-4 南條ビル2F・TEL 024-523-5055)
【参加費】 飲み物代300円
※ただし、カフェ終了後の懇親会に参加される場合は、懇親会費4,000円に含まれます。
 懇親会への参加の有無は、カフェ冒頭で確認させていただきます。

【事前申し込み】 不要 (直接会場にお越しください)
【問い合わせ先】 fukushimacafe@mail.goo.ne.jp


芸能人の〈不倫〉が世間をざわつかせています。
それも、なんだか必要以上に過熱したバッシングで。
いつから日本人はそんなに倫理的になったのでしょう。
というわけで、ここはひとつ〈不倫〉とは何かを問いながら、それがなぜイケナイのか、ほんとうにイケナイことなのかをキワドク問い直してみたいと思います。
不倫中の方もそうでない方も、こぞって集まって考えましょう。

お茶を飲みながら聞いているだけでもけっこうです。
飲まずに聞いているだけでもけっこうです。
通りすがりに一言発して立ち去るのもけっこうです。
わかりきっているようで実はよくわからないことがたくさんあります。
ぜひみんなで額を寄せあい語りあってみましょう。

≪はじめて哲学カフェに参加される方へ≫

てつがくカフェって何?てつがくカフェ@ふくしまって何?⇒こちら

てつがくカフェの進め方については⇒こちら

てつがくカフェ@ふくしま世話人 小野原 雅夫 ・ 渡部 純 ・ 杉岡 伸也
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平井有太『ビオクラシー』に哲カフェのインタヴューが載りました!

2016年05月20日 12時46分55秒 | メディア掲載

第五回シネマdeてつがくカフェを開催した際に、ラッパーのアナーキーをゲストに招くなど、色々と尽力して下さった平井有太さんが、このたび『ビオクラシー 福島に、すでにある』(SEEDS出版)を出版されました。
冒頭から、あのムヒカ大統領との突撃インタヴューが掲載されるなど、文句なしに面白い内容になっています。
この本は、福島をめぐって様々な文化が新しく立ち上がっている場面を、その活動を担う人々に対するインタヴューを通じてユニークに紹介しています。
その中に渡部のインタヴューを通じて「てつがくカフェ@ふくしま」の活動が紹介されているのです。


インタヴューといっても、その文体は箇条書きにされており、若干の違和感があります。
けれど、しばらく読み進めていくと、それがどこかラップのリリックのように響いてくるのです。
たとえば、

てつカフェ、最初は人がこないと思った。
「二人でしゃべろう」と言っていた。
蓋を開けてみたら、結構来た。
「てつがく」の言葉は、あった方がいいのか、ない方がいいのか。
それで敷居が高く感じられたり、だからこそ人が来たり。


いかがでしょう。
なんだかノリノリのラップにのせた詩的なリズム感ですよね。
もちろん、実際のインタヴューはこんなノリノリであるわけがありません。
これも平井さんの思考のリズムの反映なのでしょう。

他にもてつカフェゆかりの方々のインタヴューが載っています。
本deてつがくカフェでお世話になっていたサイトウ洋食店の齋藤正臣さんは、ムヒカ大統領と同じ見開きに紹介されています。


第二回アートdeてつがくカフェでお世話になった、はじまりの美術館館長・岡部兼芳さんも載っています。



店頭販売はこれからのようですが、ぜひ多くの方々にお読みいただければ幸いと思い、ここに紹介させていただきます。
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